29 愛のお守り石
「ずっと気になっていたんですが、どうして王国を呪っているんですか? 何か恨みが? あなたたちの目的は一体……」
これについては、本当にずっと気になっていました。
こんなに長い間、たくさんの被害を出し続けてもなお消えない強い呪い。相当の恨みがなければ不可能でしょう。
しかし先ほど対面した魔女は、性格自体は悪そうでしたが、どちらかと言えばさっぱりした気質をしていて、王国をちくちく呪い続けるほどの陰湿さは感じませんでした。印象が噛み合いません。
「我が君の目的……それは」
「それは?」
悪魔はたっぷりと間を置いてから、遠い目で言いました。
「世界征服をして、美しい男たちを根こそぎコレクションすることだ……」
「え?」
「我が君は元々そこそこの美人であったが、いつも周囲で一番美しく魅力的で競争率の高い男に惚れて告白しては玉砕していた……そんな美男子たちが自分よりも劣った容姿の女と結婚しているのを見て気づいたのだ……身分が上ならば男たちは求婚を断れないのだと。だから世界の頂点を目指すことに……世界征服の足掛かりとして、ワタシと契約して魔物を改良して操る強大な力を得た……そしてはまずは故郷であるこの国を支配してやろうと選りすぐりの使い魔を差し向けたのだが……」
耳を疑いっぱなしでした。
その凄まじい向上心と行動力を別の方法に使っていたら、きっと素敵な男性と巡り合って幸せな結婚生活を送れていたのではないでしょうか。決定的に間違った婚活をしています。
「かつて自分をフった男が指揮する軍にあっという間に討伐されてしまい、我が君は悔しさのあまり国を呪った……『もう怒った! こんな国、“わらわがかんがえたさいきょうの使い魔”で滅ぼしてやる!』と」
子ども! 何もかもがものすごく幼稚! 負けず嫌いで厄介この上ないです!
「それからは、呪いの効果で殺生に優れた魔物が生まれるようになった。しかし我が君は全てを殺し尽くすことは望んでいない……美しい男はできるだけ殺さないように、殺してしまっても死体の美しさを損ねないように使い魔に調教を施し、愛し合う者がいる戦士を警戒して対抗術式を埋め込んだりもした。来る日も来る日も新しい使い魔を生み出しては改良を続ける日々……どの子もなぜか大きく育つ……デカワイイ」
「あの、愛し合う者がいるとどうしてダメなんですか? 教えてください」
「ふむ、ニンゲンの小娘は知らぬか……この世には愛属性の魔力というものがあってだな――」
父にお小遣いの前借りをお願いする時のように上目遣いで小首を傾げて尋ねたら、悪魔はぺらぺらと教えてくれました。
愛属性は、人間同士が互いを想い合うことで生まれる特殊な魔力のことのようです。悪魔や魔女は愛属性にめっぽう弱いそうです。
……なるほど、使い魔の特徴の謎が解けました!
美男子を前にすると弱体化するのは、魔女があわよくばコレクションしたいと思っているから。
恋人や妻を持つ者が戦場にいると暴れ狂うのは、愛属性の魔力であっさり負けないための防衛機能ゆえ。
巨大化の謎だけは分かりませんが、私は大きな勘違いをしていたようです。
「てっきり魔女は陰の者で、美男子の前だと挙動不審になってしまうのと、パートナーがいる相手を烈火のごとく妬んで暴れるという性質が使い魔にも反映されているのだとばかり……」
「ド失礼な小娘じゃな! 決めた! 徹底的に苦しめてやるからな! 覚悟せい!」
いけない、魔女が戻ってきていました! めちゃくちゃ怒っています!
私はあわあわしつつも、もう一度質問を投げかけました。時間稼ぎをしないと!
「あの! これから私の体を奪うんですか? どうして私? さっき私から愛属性の波動が、とか言ってませんでした?」
その言葉に、悪魔がふっと笑った。
「先日、忌々しい騎士の一団に遭遇してな……その中の弓使いが微かに愛属性の気配を纏っていた。小娘からも全く同じ質の魔力を感じる。ということは、先程化けた子どもは、お前の男か……? あの騎士団は恋愛禁止のはずだが、イケない子どもだ……」
ネロくんから、私と同じ愛属性の気配が?
それってどういうことでしょう?
もしかして、いえ、そんな、都合の良い考えかもしれませんが、ネロくんも私と同じくらい私のことを……!?
そこで私は気づきました。悪魔が私の心臓の辺りを指さしていることを。
愛属性の魔力は心から生まれるそうなので、それを示しているのだと思いますが、私には別の可能性が思い当たりました。
我が家に受け継がれているお守り石。それをネックレスにして首から下げていて、ちょうど心臓の位置にあります。
二つで一つのこの石を、ネロくんも同じように身に着けてくれていました。もしもこの石に愛属性の魔力が宿っているのなら、二つの石が全く同じ質の魔力だったというのも納得です。
「あの弓使いにはむしゃくしゃしたので、パートナーを始末してやろうと思っていたが……ワタシ好みの顔立ちだったので連れ去って我が君に献上することにした……それはそれで良い意趣返しになるだろう……僅かでも愛属性の魔力が宿る体を乗っ取れれば、耐性が得られるかもしれない。そうすれば、もっともっと我が君は輝ける……」
多分、魔女も悪魔もお守り石の存在に気づいていません。私自身に愛属性の魔力が宿っているのだと勘違いしているようです。
迂闊ですね。でも私にとってもピンチです! このままでは簡単に乗っ取られてしまうかも!
「待ってください! 愛属性の力が大の苦手なんですよね? 私の体を乗っ取って大丈夫なんですか? 失敗したら大変ですよ! 考え直してください!」
魔女はにたぁと寒気がするような笑みを浮かべました。
「そうじゃなぁ。いつもだったら、体に乗り移ってからじわじわと相手の精神をタコ殴りにして殺すのじゃが、おぬしにその方法を使うのは危険かもしれん」
「精神って殴れるんですか!?」
「ならば、乗り移る前に精神を殺し、愛属性の名残のある肉体を研究して少しずつ慣らしていけばよい。……わらわは実験が大好きになった。新しい方法を試す時は、いつもワクワクするのう!」
最後は子どものように無邪気に笑って、魔女が懐からフラスコを取り出しました。
硝子の中には、黒い煙が蠢いています。本能的に、それが危険なものだと分かりました。
「十数年前じゃったか。この国の貴族たちの精神を弄ぶ機会があった。楽しかったのう。企み自体は失敗したが、わらわにも成果はあった。人間の精神の弱らせ方がよく分かった……自我を崩壊させてしまえば、簡単に支配できる。おぬしのような夢見がちな小娘なぞ、あっという間に音を上げるじゃろうなぁ」
じりじりと私に近づいてくる魔女。距離を取ろうとした私の背後には悪魔が回り込んでいました。逃げ場がありません!
「我が君、自殺するまで追い込むのは止めてくださいね……この娘の顔、気に入っているので……憧れていた先輩の面影があるんですよ……」
「そんなこと知るか。死んだらまた別の娘を攫って来い」
「えー……」
「時間に余裕はある。わらわとしては、屈辱的な傷跡が残るこの体を、そろそろ捨て去りたいのじゃがなぁ」
魔女は顔の半分を覆う仮面を撫で、吐き捨てるように言って、勢いよくフラスコの栓を抜きました。
「や、やめて! 来ないで下さい!」
「はははっ! 散々わらわを愚弄したことを後悔しながら苦しむがよい! その悲鳴でわらわの耳を楽しませよ!」
二人がかりで押さえつけられて、怪しげな黒い煙を思い切り吸わされました。
その瞬間、私は胸が苦しくなって激しくせき込みます。体が急激に冷えていき、頭がくらくらと揺れ、視界が歪んでいって――。
☆
マクシムさんとの協力関係が結ばれたところで、トーラさんが悪態をついた。
「それで、魔女の手がかりとやらは? 次元の狭間なんて場所にどうやって行くんだよ。魔術でどうにかなるのか?」
「……次元の狭間って、この現世と別次元の間にある虚無空間のことでしょ? 難しいと思う」
ミューマさん曰く、空間転移系の魔術はまだ理論が完全に確立されていないらしく、使い手は限られた天才のみしかいない。現実の空間内を転移するのも困難なのに、普通の人間が認識できない次元の狭間まで到達するのは至難の業だという。
「というか、あなたの娘さんが悪魔の血を引いているのを、魔女たちは知っているの? だから
今回狙われた?」
マクシムさんは、ミューマさんに対して殊更優しげな眼差しを向けた。
「いえ、おそらく気づいてはいないでしょう。先程も申し上げた通り、ハーフの私ですらほとんど特別な力はありません。せいぜい魔物の捌き方が本能的に分かるというくらいです。クォーターのメリィは、普通の人間とほとんど変わらない。……ですが、あの子はある意味では私より特別な子なので、そのせいで悪魔の目に留まってしまった可能性はあります」
しかしマクシムさんは、メリィちゃんのどこが特別なのかは語らなかった。
「肉体の代替わりでメリィが狙われる可能性を、考えてはいました。ただ、サンドラグラが器を乗り換えるのに、あと一年は猶予があるだろうと……存外早くて対策が間に合いませんでした。ここ数年は使い魔の出現頻度も高かったですし、相当今の器を酷使したのでしょう」
確かに、使い魔の出現頻度は年代によってバラバラだった。少ない時は十年に一度、多い時は数か月に一度。今は半年に一度なので多い方だろう。
使い魔の出現頻度は、魔女の肉体の性能によるらしい。魔力量が多かったり、魔女の魂と相性の良い肉体に宿っていると、強くて巨大な使い魔がたくさん生み出されてしまうようだ。
「しかし、時期を見誤りはしましたが、天は私を見放してはいませんでした」
マクシムさんは満を持してと言わんばかりに俺を見た。
「ネロくん、ですよね。初めまして」
「は、はい」
「いつも娘からたくさん話を聞いています。お顔も祭壇で拝見していて――」
「祭壇だと?」
会議室がどよめく。悪魔の子孫が怪しげな儀式をしているのではないか、という疑いが芽生えかけると、マクシムさんが強く否定した。
「あ、すみません! ネロくんの写真や概念グッズなどが大量に飾られた棚のことを、娘がそう呼んでいたもので。確かに崇めたり拝んだり、祈りの踊りを捧げたりしていますが、決して怪しいものでは――」
「聞かなかったことにします」
多分、俺が知ったらダメな話だと思う。メリィちゃんの名誉のためにも忘れよう。
マクシムさんは気恥ずかしそうに俺に尋ねた。
「メリィから受け取っていませんか? お守り石を」
「!」
俺はすぐに首から下げていたお守り石を取り出した。
それを見て、マクシムさんはとても喜んだ。瞳に涙を浮かべるくらいに。
「ありがとうございます。騎士を辞するほどメリィのことを……!」
「え?」
その瞬間、会議室の時が止まった。
「……え? 星灯騎士団は恋愛禁止、ですよね? それを受け取ったということは、娘の気持ちに応えて下さるということでは? あ、もしかして、メリィが悪魔の血を引いていることで、気持ちが冷めてしまったり?」
なんだか認識に齟齬がある気がする。
俺は一度首を横に振ったものの、言葉の意味が分からずに考えていると、マクシムさんは見る見るうちに青ざめていった。
「す、すみませんっ! まさかあの子、伝えてない!? その石は心に決めた相手――将来を誓った異性に贈るように伝えていた愛属性のお守り石で……二つで一つのペアアイテムなんですが」
「……ああ」
その瞬間、俺はメリィちゃんがお守り石のことで逃げ回っていた理由を察した。
勢いで渡したものの、恥ずかしくて言い出せなくなっちゃったんだろう。メリィちゃんらしい。
俺が知らなかったことを察すると、マクシムさんは本格的に狼狽した。
「え、あ、どうしよう。本当に申し訳ない! メリィは昔から思い込みが激しくて、閃いたらそのことしか考えられなくなってしまって……もしかしてネロくんと両想いだと勘違いしている? 怖っ、あの子には何が見えてるんだ……!?」
ひどく動揺しているマクシムさんに対し、俺も慌てた。
父親にこんなこと言わせちゃいけない。
「あ、あの、勘違いでは…………ないです。でも、まだ、俺は騎士を辞めるわけにはいかなくて、その、決定的な関係にはならないように、返事をしていない状態で……こちらこそ申し訳ありません!」
恥ずかしくて、申し訳なくて、どうにかなりそうだった。
どうして本人より先にお父さんに伝えているんだろう。いや、伝えられないから仕方がないんだけど、これじゃ俺が言質を取らせずメリィちゃんをキープしている悪い男みたいだ。
会議室中の「おいおい」という視線が突き刺さって、消えてしまいたくなった。
……いや、今は俺の羞恥心や罪悪感なんてどうでもいい。メリィちゃんの救出が最優先だ!
俺は口の中を軽く嚙んであらゆる雑念を振り切った。
「このお守り石があれば、メリィちゃんを助けられるんですか?」
「は、はい。元々二つで一つの宝石ですから、引き合う力がとても強いんです。私の父と母が、人間と悪魔が愛し合い、愛属性を克服したことで母の魔力が変質して生まれた奇跡の石……たとえ困難が二人を別つとも、再び愛しい相手の元へ導いてくれるそうです。かつては、レナス卿にも研究のためにお貸ししたことがある、おそらくこの世で唯一の愛属性の宝石です」
それを聞いたミューマさんはとても驚いていた。
マクシムさん曰く、オズマンさんとミューマさんのおじいさんは仲の良い学友だったらしい。紋章魔術を開発する過程で、このお守り石を貸与して愛属性の研究をしてもらったという。
このお守り石は、紋章魔術を使う騎士団の起源とも言える。
「メリィとネロくんの想いが本物であるのなら、片割れの危機に反応して、石がメリィの元へ導いてくれるはず……石に強く願ってみてください」
俺はお守り石を握り締めて、心の底から願った。
どうか、メリィちゃんのところへ連れて行ってほしい。
俺にとって、世界で一番大切なお姫様なんだ。
今まさに魔女に体を奪われようとしているかもしれない。もう二度と彼女に会えないかもしれない。
そんなの嫌だ。どうしても助けたい!
昨日の放課後の彼女の言葉を思い出す。
『私……ネロくんのことが好きです。大好き。私の持っているもの全部、ネロくんにあげたいです』
そうだ、彼女は全部くれるって言った。
メリィちゃんは俺のものだ! 魔女なんかに渡してたまるか!




