28 姫君の秘密
すみません、再びネロ視点です。
なんというか、メリィちゃんのお父さんは不思議な雰囲気の人だった。
見た目は穏やかで爽やかで若々しい。ぱっちりとした目元がメリィちゃんにそっくりだ。娘の危機に急いで駆けつけたのか、直りきっていない寝癖がぴょんと跳ねている。
「……?」
でも、愛嬌があるのにどこか不自然さがあって、俺は無意識に身構えてしまっていた。失礼だと思ってすぐ姿勢を正す。
一方、お父さんも会議室にいる面々を見て緊張していた。
それはそうだろう。騎士団本部に呼び出されて、アステル団長を含むトップ騎士と軍の幹部が顔を揃えている。こう言っては不謹慎だけど、平民の少女一人が誘拐されたにしては対応が物々しすぎる。
アステル団長が神妙な面持ちで前に出ると、お父さんははっとしたように丁寧に礼をした。
「お初にお目にかかります、アステル殿下。ハーティー工房のマクシム・ハーティーと申します」
「顔を上げてください。この度は、我々の力が及ばなかったばかりに、今まさにご息女を危険に晒してしまっています。事情が分からず戸惑われていることでしょう。一刻の猶予を争う時ではありますが、まずは経緯を説明するお時間をいただけますか?」
頭を上げたお父さん――マクシムさんは、力なく笑った。その表情には違和感しかない。
「いえ、むしろこちらからお話しすべきことがあります。騎士団の本部に呼び出された時点で、察していましたが、娘は……メリィは悪魔に攫われたのではありませんか? サンドラグラの新しい器として、魔女の隠れ家である次元の狭間へ連れて行かれた」
室内に静かな動揺が走った。
どうして悪魔の存在と魔女の秘密とを知っているのだろう。王国上層部しか知らない国家機密で、騎士の俺たちでさえつい最近知らされたばかりなのに。いや、サンドラグラという魔女の名前にいたっては俺も知らないし、次元の狭間という言葉も初めて聞いた。
「なぜそれを」
「……私が、悪魔という存在と無関係ではないからです」
俺が驚いている間に、ジュリアン様とトーラさんがアステル団長を庇うように前に出ていた。後ろではミューマさんや軍の幹部も杖や武器に手を伸ばしている。
攫われた少女の父親から重要参考人、人類の敵かもしれない者へと認識が変わった。
マクシムさんは、緊迫した会議室を恐々と見渡すと、俺を見つけて少しだけ目を細めた。いつもお世話になっています、と言わんばかりの親しみのこもった眼差しだった。
敵意も悪意も感じない。本当に不思議な空気を持つ人だ。
一体何者なんだろう……?
「えっと……なんだか思わせぶりで怪しい登場をしてしまってすみません。私は王国の敵でも人類の敵でもありませんし、ほとんどなんの力も持ちません。私の知る悪魔と、この国を呪う魔女の契約者である悪魔は別個体です。今まで魔女や悪魔に関する情報を黙っていた罪に関しては、いつ裁いていただいても構いません。ですが、攫われた娘のことは、どうか助けていただけないでしょうか。お願いいたします」
警戒するジュリアン様とトーラさんを下がらせ、再びアステル団長がマクシムさんと相対した。
無言で視線を交わし合う二人。団長の真っ直ぐな瞳の強さに、マクシムさんの方は少したじろいだように瞬きをしている。
「……分かりました。ひとまずお話を聞かせてください」
「おいアステル」
「嘘を言っているようには見えない。今は魔女への手がかりが欲しい。どうしても」
トーラさんは舌打ちをして、壁際に下がった。
「まぁ、話を聞いて損はありませんね。実際、魔女と悪魔、攫われた少女の行方の手がかりはほとんどありませんし……親子で我々を謀っていないことを祈りましょう」
ジュリアン様が腹の底の見えない笑みで椅子を勧めた。
アステル団長とマクシムさんが向かい合うように席に着き、部屋の入り口を軍人が固め、左右に騎士たちが陣取る。ジュリアン様とミューマさんがなにやら魔術を唱えていたから、きっと逃亡阻止のための結界を張ったんだと思う。
メリィちゃんのお父さんということもあって、俺とリリンはどっちつかずの場所で成り行きを見守った。退室を命じられず、話を聞くことを許されたのは、団長たちからの温情だろう。
マクシムさんは、気まずそうに切り出した。
「えー、すみません。女王陛下からどれくらい話が伝わっているか分からないのですが……実は改姓しておりまして、私の本当の名はマクシム・ハーティエと申します。そして父はオズマン・ハーティエ。かつては北部地方の小領主でした」
その瞬間、アステル団長は驚いて立ち上がった。
「北部解放戦の英雄……!」
マクシムさんはその反応に安堵したように息を吐く。
オズマンさん――メリィちゃんのおじいさんはご実家が没落した時の当主だった人だと思う。北部解放戦の英雄とはどういうことだろう?
アステル団長以外は誰もその名前を知らないみたいで、戸惑いが広がっている。
「アステル様、一体どういうことか我々も伺っても?」
「ああ。この場にいる者になら、話しても大丈夫だと思う! 北部解放戦の英雄というのは、十八年前、戦いが膠着状態に陥った時、北部軍の砦の内側から蜂起し、王都軍を引き入れてくれた民兵……に紛れ込んでいたハーティエ家の当主のことだ! 彼が見事な手腕で民兵を先導して領主一家を追い詰めてくれたらしい! 母上がとても感謝していた!」
キラキラの瞳で英雄について語るアステル団長を微笑ましげに眺めた後、ジュリアン様がマクシムさんに尋ねた。
「そのような人物がいたのですか。確かにそれは英雄級の働きですね。失礼ですが、あなたがその英雄殿の息子だという証拠はあるのですか?」
たまたまそのことを知って、こちらに取り入るために名前を騙っているのではないか。
その疑いに対し、マクシムさんは躊躇いがちに答えた。
「そうですね。証拠になるかは分かりませんが、父は常々言っていました。女王陛下――当時の王女殿下の右の拳は見事だったと。領主の末娘の顔面にめり込むほどの凄まじい威力で、奥歯が二本転がったとか」
「知ってる! 母上は抵抗する領主一家を次々と斬り捨てたけど、命乞いしてきた末娘だけはグーパンで沈めたって言ってた!」
容赦がない。
自分の母親の武勇伝に興奮するアステル団長は、凄まじい右ストレートを目撃できたのは同行していた親衛隊長の騎士とオズマン・ハーティエだけだと述べた。
ちなみにその騎士はトーラさんの伯母に当たる方らしい。主の破天荒な行動をむやみやたらと口外する人ではないらしいので、マクシムさんの話にはある程度信憑性があるという結論になった。
「……でも、母上は悔いていた。少し目を離した隙に、倒れていた末娘が火の魔術を使って焼身自殺を図ったんだ。そのまま領主の屋敷も焼け落ちてしまって、魔女の関与の可能性が浮上した時、証拠となるものは何も残っていなかった」
魔女が末娘の体を乗っ取って、北部の反乱を裏から扇動していたかもしれない。内乱中はその可能性に思い至らず、後の関係者への事情聴取で精神を操る魔術の使用が疑われた。末娘の焼死体も、本物だったかどうか疑わしくなってしまったという。
「父の話では、サンドラグラの関与は間違いないとのことです。状況的に考えて、やはり末娘の体を魔女が奪っていたようですね」
「そうか……」
「仕方のないことだと思います。サンドラグラという魔女は頭は弱いですが、逃げ隠れはかなり上手いようです。父も、あまりにみっともない命乞いをしていたので、末娘の中に魔女がいる可能性は考えられなかったと言っていましたよ」
俺の中で、魔女に対するイメージがどんどん変わっていく。
必死に命乞いをした上に、女王陛下に顔面を思い切り殴られた魔女……なんだか思っていたよりも恐ろしくなく、その、ちょっと残念な感じがする。
ジュリアン様は一層興味深そうにマクシムさんを見やった。
「しかし、いろいろと腑に落ちない点がありますね。北部解放戦で英雄的活躍をしておきながら、なぜオズマン・ハーティエの名は知られていないのです? 確かに、北部にハーティエという小領主がいたと記憶していますが、内乱からほどなくして、貴族としての身分を含めて領地を国に返上されていますよね? その理由は? そもそも、なぜあなたの父君には魔女の精神支配の魔術が効かなかったのでしょう?」
当時、北部の貴族のほとんどが魔女に操られていた状態だったのなら、当然オズマンさんもその対象だったはず。
マクシムさんは居住まいを正した。
「それをお話しする前に……アステル殿下、女王陛下と父はとある約束をしているのですが、ご存知ですか?」
「ああ。母上がオズマン殿に褒美を取らせようとした時に、望まれたことがあると。……なるほど。『この戦いの功績の全てを辞退したいし、いない者として扱ってほしい。その代わり、もしいつか自分の子孫が厄介事を起こしたら、直接の被害者がいない限りは見逃してほしい』だったか。それがいつの世代になるか分からないから、俺と兄上はオズマン殿の名前を覚えて後の世代に伝えていくように言われていたんだ」
王家のご厚情に感謝いたします、とマクシムさんは深く礼をした。
一方、厄介事を起こす前提のお願いということで、アステル団長たちは身構えた。ハーティエ家は一体どんな秘密を抱えているんだろう。
その答えは、思いもよらないものだった。
「実は……私の母は悪魔なんです。父はその契約者。つまり私は人間と悪魔のハーフで、メリィはクォーターということになります」
全員が呆気にとられた。
一方マクシムさんは、リリンがよくやる「てへぺろ」とよく似たお茶目な仕草をしていた。
「バレるとまずいので目立つことは避けて慎ましく生きてきたのですが、北部解放戦の際はじっとしていられず参戦することに。母の影響か、サンドラグラの魔術に対して父と私は正気でいられましたから……しかし戦いの後、女王陛下が父を気に入ってしまわれたようなので、関わって怪しまれぬうちに退散しようということで、残された領民に迷惑が掛からないよういろいろ工面し、身辺整理をした後に両親は揃って国外へ逃げました。今は大陸中を巡る流浪の旅をしています」
没落した北部出身の元貴族だとメリィちゃんは言っていたけど……事実はだいぶ異なるようだ。なんとなく亡くなっていると思っていた祖父母もご存命のようで何よりだった。マクシムさんが多額の借金を背負ったのも、領民の生活を守るためだったらしい。
いろいろと衝撃的すぎて、俺は思考を一部放棄していた。
メリィちゃんが悪魔の血を引いている。
……そっか、確かに小悪魔的な可愛さがあったもんな。彼女の表情や言葉に俺の心は翻弄されっぱなしだった。納得できてしまった。
マクシムさんは、真剣な表情に戻って深く頭を下げた。
「というわけで、申し訳ありません! 魔女や悪魔について知り得ることもあったのに、我が身と家族可愛さに黙っておりました。誓って申し上げますが、私もメリィも人間に対して危害を加えたことは一度もありません。悪魔である母も……この王国が興った頃からは何も悪いことはしていないそうです。大変図々しいお願いではありますが、父との約束に免じて、この身に宿る血について今はどうか目を瞑っていただけないでしょうか? そして、愛娘を魔女の手から救うため、力をお貸しください。娘の救出が叶えば、私自身はどうなっても構いません。あの子は本当に何も知らないんです!」
我に返った軍幹部やトーラさんが剣を手にじりじりと距離を詰める。マクシムさんは両手を挙げて抵抗の意思がないことを示し、縋るようにアステル団長を見ていた。
「……みんな、下がってくれ。大恩ある相手に非礼を働くわけにはいかない」
「だとしても、悪魔の関係者だぞ。本当のことを言っているとは限らない。拘束すべきだ」
「全く敵意を感じない。それに、こんな危険な嘘を吐く必要がどこにある? 何かあれば俺が責任を取る。ひとまず彼への処遇に関しては、女王陛下に判断を仰ぎたい。誰か、城へ伝令に行ってくれないか」
団長と目があった軍幹部の一人が、頷いて退室した。
残った者たちの顔を見て、アステル団長は告げた。
「俺の願望を伝える。自分の身を犠牲にしてでも家族を助けたいと願うような人物なら、俺は信じて力になりたい。利害は一致しているしな」
軍人たちはどよめき、トーラさんはまた舌打ちをした。アステル団長の意志が固いとみるや、ジュリアン様も肩をすくめて警戒を解く。
……俺は、心の底から安心していた。驚くような話をたくさん聞いたけど、気持ちは変わらなかったから。
メリィちゃんを助けたい。俺の手で守りたい。絶対に迎えに行く。
そんな俺に小さく微笑んでから団長は頷いた。
「マクシム殿のご息女は姫君……騎士団を熱心に応援してくれている。魔力譲渡で嘘は吐けない。ネロの活躍がその証明だ。ならばどのような出自であろうと、献身に報いて守るのが俺たちの使命だ。……救出のために力を尽くしますので、知っていることを教えてください」
アステル団長が立ち上がって握手を求めると、マクシムさんは感極まったようにその手を取った。
「ありがとうございます! ああ、良かった……きっとあの子も今頃、父親よりも騎士様に助けを求めているでしょうから」
それは、なんとも言えない悲哀のこもった言葉だった。それだけに警戒していた人たちも毒気を抜かれている。
握手が済んだ後、ジュリアン様が尋ねた。
「すみませんが、最後にあなたについて確認させてください。どうしてあなただけこの王国に残られたのですか? 律儀に借金など返さず、ご両親とともに外国へ行く選択肢もあったのでは? 王都で商売を始めることで、ご自身の出自が露見する可能性もあったでしょうに」
マクシムさんは照れながら俯いた。
「いやぁ、それは……妻に捕まってしまったからです。妻はこの国の歌劇団の大ファンでして、『結婚したら絶対王都に住みたい』とおねだりされてしまいました。ならば、多少の危険を冒してでも、愛する人の願いは絶対に叶えないと!」
「…………」
リリンが「この親にしてこの子あり」と呟き、俺は同意の頷きを返した。
メリィちゃんはご両親の血を濃厚に受け継いでいるようだ。




