27 魔女の館
一方その頃メリィは……
ゆっくり目を開くと、まだ夢の中でした。
広々とした部屋……なのでしょうか。磨き抜かれた大理石の床、大きなテーブルセット、見事な彫刻が施されたチェストなど置かれていて、華奢なフォルムの照明も釣り下がっています。それらだけ見れば豪邸の食堂のようですが、壁が見当たりません。
部屋が恐ろしく広くて向こう側の端が霞んで見えませんし、周囲の景色がおかしいのです。本来壁があるべき場所に、暗い色のマーブル模様がゆっくりと波打っています。まるでこの部屋が不思議な空間に浮かんでいるかのようでした。
「変な夢……え!?」
起き上がって目をこすろうと思ったら、手錠がかけられていました。
ガチャガチャ鳴らしてもとれません。なんてリアルな質感。内側に布がコーティングされているので痛くはないです。謎の心遣い……。
「目覚めたか、小娘……」
ぼそぼそとした声が聞こえて、ぬっと黒い影が私の顔を覗き込みました。
「ひぃ!」
路地に現れた不審者です!
全身黒づくめの服に身を包み、眼鏡をかけたもっさりした印象の男性は、怯える私を見てふっと笑いました。
「なんと初々しい反応……やはり若い娘はいい」
「へ、変態っ! 近づかないで下さい!」
不審者はにやにや笑って私を眺め続けました。ものすごく不愉快です。先程から寒気が止まりません。
おかしいです。もしかしてこれは、夢ではないのでしょうか。こんなに鮮明に五感が働く夢は見たことがありません。
しかし現実だとしたら、この状況はまるで誘拐……え、本当に?
「ここ、どこですか?」
「我が君の隠れ家……魔女の館だ」
「……魔女?」
それって、この王国を呪っている例の?
とても信じられません。しかしこの異様な部屋と魔女という単語が綺麗に結びつき、私の全身から血の気が引いていきました。
「マウ! マウリベル! どこじゃ!」
甲高い声が響き、部屋の奥からのしのしという重たい足音が聞こえてきました。
現れたのは、見たことのない大きな生き物――翼を生やした黄金の獅子でした。鋭い眼光で私を見て舌なめずりをしています。猛獣をこんな間近で見たことがない私は、咄嗟に不審者を盾にできる場所に移動しました。
そこで気づきます。一人の女性が翼に枝垂れかかるようにして、獅子の背に腰掛けていることに。
アシンメトリーにカットされた青髪に、毒々しい真っ赤な瞳という派手な色味の妙齢の女性。お顔立ちはかなり綺麗だと思いますが、顔の半分を覆う歪な仮面のせいで、見惚れることはできませんでした。ただただ不気味です。
もしかして、この女性が……。
「ここに。次の器の娘が目覚めました……サンドラグラ様」
「ふん、ようやくか!」
獅子の背中から飛び降りたサンドラグラという女性を見て、私は目が点になりました。
随分と独創的な衣装に身を包んでいます。いえ、スタイルが良ければなんでも似合う理論で言えばおかしくはないのですが、ところどころ際どい部分に布地がなく、大胆に肌を露出していて……。
「痴女?」
「わらわは魔女じゃ! 鍋で煮るぞ小娘ぇ!」
私は小さく悲鳴をあげました。
これが魔女……サンドラグラという名前なのですね。そして「まぁまぁ」と宥めている従者らしき男性はマウリベルというらしいです。
魔女が私を見下ろし、不機嫌さを隠さず鼻を鳴らしました。
「随分幼くて馬鹿っぽい顔だな。わらわの好みではないぞ!」
「えー、このベビーフェイスに我が君が宿れば、最強のツンデレ美少女が爆誕しますよ……」
「気色悪いことを言うな! わらわがいつデレた!」
その突っ込みに同意しつつも、私はそろそろ自分の置かれた立場に気づき始めていました。
「この娘の利点は容姿だけでありません。先日遭遇した忌々しい騎士と同じく、かすかに愛属性の波動を感じます。この体を奪うことができれば、愛属性の克服も夢ではありません……」
「ほう……それはなかなか面白い。まだ猶予はあるし、実験してみるのもよいか」
主従揃って、私を見下ろして悪い笑顔を浮かべました。
「喜ぶがよい。わらわがおぬしの体をもらってやる。ふふ、あはは、あーっははははは!」
綺麗な三段高笑いを披露されて、私は確信しました。
私は魔女の一味に攫われ、どうやら体を奪われようとしています。なるほど、百年以上しつこく王国を呪えているのは、他人の体を奪って長生きしているからというわけですね……。
「え!? 絶対イヤです! 私の体に触らないで!」
体を奪われるなんて冗談じゃないです!
私の意識はどうなるの? 死ぬってこと?
なんにせよ、確実に騎士団にとって不利益になるってことじゃないですか!
「ほう、拒否すると? よかろう。時間はたっぷりあるのじゃ、おぬしの方から体を差し出すと言いたくなるようなことをたくさんしてやろう。体を傷つけずとも、嫌がらせ方法は山ほどある。マウ」
「承知いたしました」
金属のような長い爪が生えた手が目に入りました。にやにやして再び近づいてくるマウリベルに向かって、私は涙目で叫びました。
「気持ち悪いっ」
ぴたりと手が止まりました。
効果があると判断して、私は父や事務のおじ様たちの言葉を思い出し、ごみを見るような目で睨みました。
「くさい。ダサい。情けないっ」
どうですか!
父たちが「若い女の子に言われたら死んじゃう」と怯えていた言葉の数々。
姫君にあるまじき汚い言葉を口にするのは忸怩たる思いですが、今は背に腹は代えられません。少しでも相手を弱らせ、自分の身を守らなければ!
「ふん、そんな言葉で悪魔が怯むものか。のう、マウリベルよ」
「悪魔!?」
人間じゃないんですか、この人。そう言われてから見ると、人間離れした気配をしているように感じます。では、こういう悪口は別に効かないですね……。
眉一つ動かさず、マウリベルは頷きました。
「はい、全く効きません。ニンゲンの小娘の罵詈雑言などそよ風に等しい。あー、ですが、久しぶりにニンゲンの町に出た影響か、少々疲れてしまいました。三年くらいお休みをいただいてもよろしいでしょうか……?」
「だいぶ傷ついておるではないか!」
見れば、悪魔の青白い顔がさらに土色になっています。効果てきめんでした!
「くさいのは使い魔の世話をしているからだし、ダサいのはニンゲンの基準にすぎないし、情けないのは言いがかり……分かってる、分かっていますとも」
「しっかりせい! 大丈夫じゃ! 何もおかしなところはないから!」
落ち込む悪魔の背を、魔女がバンバン叩いて励ましています。
ちょっと言いすぎちゃったかな、とその哀れな姿を見て反省しかけました。父や事務のおじ様たちには間違っても言わないようにしましょう。
それにしても、なんなんでしょう、この二人。
長い間王国を呪っている諸悪の根源にしては、どこか間抜けです。こんなふざけた存在を相手に、推し騎士様たちが命懸けで戦わないといけないのかと思うと、すごく腹が立ってきました。
案外、大したことないんじゃないか、と私が穿った目で見始めたその時。
「やられたらやり返せ! 百倍返しじゃ! 言ってやれ言ってやれ! 例の作戦じゃ!」
魔女の言葉に悪魔が頷くと、周囲に白い霧が発生しました。
次から次へと! 私が身構えて目を瞑ると、すぐ近くで愛しい声が聞こえました。
「ねぇ、こっちを見て」
「え、ネロくん?」
驚いて目を開くと、目の前にネロくんが立っていました。騎士団の団服を身に纏い、弓矢を背負っています。
相変わらず綺麗なお顔立ち。ビジュが優勝過ぎる……永遠に見ていられます。
「あなたのことが心配で助けに来ました。僕が来たからには、もう大丈夫です。さぁ、愛しいお嬢さん、この手を取って」
「…………」
まるで天使のように私に優しく微笑んだかと思ったら、すぐさま形相を一変させます。
「なんて言うわけないだろ! この馬鹿女! お前なんてさっさと魔女に殺されてしまえばいいんだ! いつも甘えた声出しやがって、気持ち悪いんだよ! チビが!」
「………………はぁ」
私は目の前の茶番に対し、冷めた視線を送りました。
「で?」
「……え」
「え、じゃないです! 作り込みが甘いです! 世界で一番尊いお顔を使って私を騙したいのなら、もう少し研究しておいてもらえますか? ネロくんは私に敬語は使いませんし、一人称は『俺』です! 二人称は『きみ』を使うことが多いんですよ! 表情も態度も違和感しかないです。ネロくんは多分、他人を嫌悪するときには静かに背を向けますよ。大声でみっともなく喚いたりしません。リアリティが皆無です!」
ネロくんの顔をした悪魔が、ぽかんとしています。
その間抜け面に、私の苛立ちは収まりません。
「ああもう、せっかくの能力も宝の持ち腐れじゃないですか! せっかくネロくんに蔑まれるという稀有な疑似体験ができそうだったのに、役者が悪すぎて全然浸れません! 舞台だったら金返せコールが起きますよ! 出来が悪すぎる!」
本物のネロくんに嫌われて罵詈雑言を吐かれたらその場で気絶してしまうかもしれませんが、偽物相手になら何を言われても平気。むしろ彼の新しい一面から一段階上の妄想が捗ることでしょう。
推し騎士様に嫌われたくないけど、嫌われた時の対応も見たいというファンゆえの欲深さ。心が二つあるー。
再び白い霧が発生し、しょんぼりとした悪魔の姿に戻りました。
「我が君、申し訳ありません……とんだ性癖を搭載した小娘を連れてきてしまったようです。これほどクセのある精神を綺麗に殺すのは、なかなか骨が折れそうです……」
「ふん! 粋がっていられるのも今のうちじゃ! ちょっと準備してくる! この娘が暴れぬよう見張っておれ!」
魔女が獅子に乗って去ると、私は悪魔と二人で取り残されました。
疲れたのか、先ほどまでのにやにやした笑みはなりを潜め、私から少し距離を置いたところで棒立ちしています。
話すこともないので、私は手錠をカチャカチャしながら思考に耽ることにしました。
ど、どうしましょう。
絶体絶命のピンチです。精神を殺すとか言ってましたよ。やっぱり体を奪われるとき、私の意識は消えてしまうのでしょう。
どうにか逃げ出せないだろうかと周囲を見渡し、肩を落とします。この魔女の館は、どう見ても普通の空間ではありませんよね。なんとか手錠から逃れ、床から飛び降りても、元の世界に帰れる保証はありません。
助けを待つ?
攫われる直前にクラッカーを鳴らしたので、運が良ければ私が行方知らずになったことはすぐに判明するでしょう。イリーネちゃんたちが通報してくれれば話は早いのですが、それは期待できません……。
しかし、誘拐が発覚したとしても、こんなよく分からない場所まで助けに来てもらえるのでしょうか?
「…………っ」
ネロくんのことを思い出して、胸元に触れます。お守り石のネックレスの感触があるのが唯一の救いでしょう。奪われていなくて良かった。
次第に気持ちが落ち込んでいって、後悔ばかりが募りました。
イリーネちゃんに喧嘩を売られたからとはいえ、騎士団の忠告を無視して路地に行ってしまったのが悪かったんです。
みんな私のことを探しているでしょうか。両親やエナちゃん、クラリス様や学校の先生、騎士様や軍人さんたちに迷惑をかけてしまっているかと思うと、申し訳なくて消えてしまいそうです。
その上、魔女に体を奪われて、これからも危険な使い魔を出現させる存在になり果てるのなら、いっそ――。
歯で舌に触れ、いざという時の行動を決めました。そう、まだその時ではありません。
『メリィちゃんのことは、俺が……俺たちが守るから。大丈夫だよ』
前回の使い魔討伐前の握手会の時、ネロくんが言ってくれた言葉を思い出して勇気をもらいました。
星灯騎士団は希望の象徴。どんな強大な敵に対しても諦めず戦い続ける彼らのことを、私も諦めずに信じ続けたいです。
騎士様が助けに来てくれた時、手遅れだったらきっと悲しませてしまいます。そんなのファン失格です!
「あの……ちょっとお喋りしてくれませんか? 冥土の土産をください」
私は恐る恐る悪魔に話しかけました。
少しでも情報収集をするのです。逃げる方法とか、魔女や悪魔の弱点とか、呪いの解き方とか、なんでもいい。
「ずっと気になっていたんですが、どうして王国を呪っているんですか? 何か恨みが? あなたたちの目的は一体……」
 




