2 騎士カフェへ行こう
※2話目から短編の続きになります。
よろしくお願いいたします。
最近、私はあの日の発言を思い出す度に身悶えしていました。
『これからもずっとずっと大好きですよ、ネロくん。生まれてきてくれてありがとうございます。退団するまで絶対大きな怪我はしないで下さいね!』
記憶違いでなければ、ネロくんにはっきり「大好き」って言っています!
好意自体は今までも散々口にしていましたが、そういうストレートな表現は避けていました。大切な言葉だから、いつかとっておきの状況で万感の想いを込めて言うつもりだったのに……ロマンチックな妄想の数々が水の泡です。
ネロくんの退団まであと一年半。
ファンとして自然に会いに行ける時間の少なさを実感して、思わず口走っていました。
その上、生まれてきてくれたことへの感謝まで……いつも綺麗な青空に向かって呟いていたことをご本人に言ってしまうなんて、本当にどうかしていました!
ただでさえ変な子だと思われていそうなのに、さらにネロくんを困惑させていたらどうしましょう。
さらに最悪なのが、彼の反応を全く見ずに帰ってきてしまったこと。どう思われたのか不安で仕方ありません。
ああ、恥ずかしい!
次にお会いする時、絶対に変な顔になってしまいます!
……お、落ち着きましょう。
ネロくんの魔物討伐任務、すなわち握手会は一か月に一、二回ほどです。まだ数週間の猶予があります。それまでに頭を冷やし、ネロくんの記憶から薄れたのを見計らって、何事もなかったように振舞えばいいんです。
あ、もちろん明日握手会があれば参加します。ネロくんの安全のためなら、羞恥心なんて捨てられますから。まぁ、これまでの傾向からいってしばらく任務はないはずです。十分な頭の冷却期間を設けられます。
うぅ、でも、しばらく姿を見られないのも辛いですね。心の栄養が尽きてしまう……。
ネロくんは任務以外の日は、基本的に訓練をしていて、その合間に騎士カフェでアルバイトをしています。訓練見学会に応募して一喜一憂したり、カフェ通いで偶然ネロくんに会えるのを日々の糧にしていたのですが、しばらくはお預けですね。
放課後は何をして過ごしましょう。ネロくんに出会う前はぼんやり過ごしていたのですが、今はたくさんやるべきことがあります。
父のお手伝いをしてお小遣いを稼ぐか、少しでも可愛くなるために新しいコスメや流行のチェックをするか、イベントの当選率を上げるためにボランティアで徳を積むか。
どれもこれも、結局ネロくん絡み……会いたい気持ちが高まってしまいます。
「ねぇ、メリィ。午後の授業が終わったら、あなたがこの前言っていた騎士カフェに連れて行ってくれない?」
「え!?」
お昼休み、学校の食堂で私が一際大きなため息を吐いた瞬間、エナちゃんにそう提案されました。まるで心の中を読まれたかのごときタイミングでした。
「カフェですか。えっと……アステル殿下はいらっしゃいませんよ?」
「分かってるわ。でも、アステル様が考案したメニューもあるんでしょう? 今はなんでもいいから彼にまつわるものに触れたいの」
エナちゃんもまた、大きなため息を吐きました。
騎士様たちの凱旋でアステル殿下沼に落ちてから、エナちゃんはすっかり正気を失っています。口を開けばアステル殿下のことを話し、ありとあらゆる手段で彼に関する情報を集め、もっと早く出会いたかったと嘆き、エンカラ(※エンブレムカラー。騎士の右手の紋章の色)である赤い雑貨を買い集めています。
身に覚えのある行動の数々に戦慄しながらも、私は推し語りに付き合っていました。活き活きとした表情で過激なことを言うエナちゃんと一緒にいるのは楽しく、ようやく心の底から響き合えるお友達に出会えた気がして嬉しかったのです。
この国に永住する方法を相談されたときは、さすがにご両親とよく話し合うよう遠回しに伝えましたけども。
騎士カフェに行ってみたいというお友達の願いを叶えるのは、やぶさかではありません。元はと言えば、私がお勧めしたこと。むしろ大変嬉しいお誘いでした。
ですが、タイミング悪いです。たった今、しばらくネロくんの視界に入らないようにしようと思いついたばかりです。
「今日、というか、今週はちょっと……」
「メリィに推し騎士様より優先する予定があるの?」
「あるわけないです。あ、そうではなく……実は――」
嘘を吐いてお誘いを断るのは不誠実だと思い、私は正直に打ち明けました。ネロくんに勢いで「大好き」と言ってしまったことが恥ずかしく、しばらく顔を合わせられない、と。
エナちゃんは眉一つ動かしませんでした。
「どうでもいい。わたしは今日行きたい。一人で行くのは恥ずかしいから一緒に来て」
ふふ、私の事情なんて、飢えたエナちゃんの前では無価値でした。
「いけませんよ、エナちゃん。推し以外心底どうでもよくなる気持ちは分かりますが、表面上は取り繕ってください。社会性と人間性を失ったら、推し騎士様が悲しみます」
「……そうね。ごめんなさい」
凪いだ心で微笑むと、エナちゃんは素直に謝ってくれました。
しかし、引き下がるつもりはないようです。異国情緒あふれる美貌を有効活用して、私を誘惑してきます。
「じゃあ友達として心配だから言うけど……いいの? メリィが急に会いに行かなくなったら、彼も気にするかもしれないわよ」
「う。それは……でも」
「恥ずかしい記憶が薄れるのを待つのではなく、たくさんの素敵な思い出で上書きすればいいじゃない。ねぇ、メリィ。今日のネロくんには今日しか会えないのよ? 見逃しても後悔しない?」
私は思わず机に突っ伏しました。
こうも的確に私の乙女心とファン心理を揺さぶってくるなんて、エナちゃん、もうこのレベルまで理解して……。
さらに彼女は波状攻撃を仕掛けてきます。
「どうあがいてもわたしは新参者。アステル様が騎士になられてからの過去五年間は、リアルタイムで追えてない。どれだけ想いが強くても、大金を積み上げても、失った時間は取り戻せないの。その点に関しては、最初から応援しているファンにマウントを取られるしかない運命……でもメリィはそうじゃないでしょう。これまでもこれからもずっとネロくん推しの頂点でいられる立場なのに、みすみすそれを手放すことになったりしたら……あまりにも愚か」
「ぐっ!」
「この際だから言わせてもらうけど、恥ずかしいとか今更じゃない? どうせメリィのことだから今までも危ない言動を繰り返してきたんでしょう? 大好きなんて可愛いものじゃない。多分ネロくんはこれっぽちも気にしてないわよ。いつものだなって流してるに違いないわ。ううん、もしかしたら喜んでる可能性だってあるのに、我慢する必要ある? 肌荒れになるわよ」
「ああもう! 分かりました! 行きます! 私が間違っていました! 全力で騎士カフェの魅力をお伝えしますから覚悟しておいてください!」
エナちゃんは「わぁ、楽しみー」と健やかな喜び方をしています。さっきまでの言葉の切れ味が嘘のようです。
結局のところ、私にネロくんを我慢することなんて、できるはずもないのです。
今日も今日とて、推し騎士様中心の生活になりそうです。
放課後。
私たちは大通りから一本外れたこじゃれた路地にある、騎士カフェ二号店にやってきました。
大々的な案内板はなく、星灯騎士団の旗が控えめに揺れているだけで、外装だけだとカフェだと分かりません。
休日になると行列ができてしまうのですが、さほど待つこともなく入店できました。今日は一号店の方で人気の騎士様がシフトに入られているという噂なので、学生客がそちらに流れているのでしょう。
「あなたの訪れを心からお待ちしておりました、姫君」
背の高い騎士様が扉を支え、略式の礼をして迎え入れてくださいました。
お決まりの挨拶にエナちゃんがどぎまぎしています。
カフェの内装は明るくシンプルで、お花がたくさん飾ってあって可愛らしいです。
ああ、でも、二号店は完全に平民向けのお店なので、一号店と比べると少しカジュアルかもしれません。一応、お姫様の別荘をイメージして建てられているそうですが。
騎士様の着ている制服は、騎士団服と執事服をミックスしたようなデザインで、給仕してもらうことでお嬢様になったような気分を存分に味わえます。
「お。えっと、確か……メリィちゃん?」
出迎えの騎士様が私の顔を見て目を見開きました。
「はい、ジェイ様。私のことを覚えてくださっているのですか?」
「ネロのことをいつも熱心に推してくれてるからな。というか、俺のことも知ってるんだ?」
ふふ、ネロくんの交友関係はばっちり押さえてありますよ!
「もちろんです。なかなかお見掛けできませんが……いつもは朝からお昼のシフトですよね?」
「ああ、今日は急な欠員が出ちまったからこの時間まで残ってた」
「まぁ、無理をなさらないでくださいね」
「いやぁ、全然大丈夫。おかげでメリィちゃんと会えたし、ラッキー」
ジェイ様はネロくんの先輩騎士様で、よく一緒に任務や訓練をしていると聞きます。平民出身の剣士で、気さくで世話好きのお兄さんという雰囲気です。近所で初恋泥棒と呼ばれていそうな方ですね。
親しみやすくて男友達のような感覚で喋れると、カフェのお客さんにも人気です。こういう砕けた話し方をしてもらえると、距離が近くて嬉しくなってしまいますよね。
「こちらの姫君はお友達?」
「あ、はい。エナと申します。あの、わたしは今日が初めてで、何も分からなくて」
「そんな緊張するような店じゃないよ。あ、期待を裏切ってたらごめんな。俺は騎士になり切るのが恥ずかしくて素になっちまうけど、ちゃんとしてる奴もいるから」
「そんな、むしろ安心しました」
「そりゃ、良かった! エナちゃんもゆっくりして行ってくれよな」
一番隅っこの窓際の席までエスコートされ、メニューを渡していただいた後、ジェイ様は声を潜めました。
「今日もネロは厨房に入ってるんだけど、少し前に休憩に出ちまったんだ。戻ってきたら、メリィちゃんが来てるって伝えておくよ」
「え、え、そんな……いいですよ」
「はは、遠慮しないで。あいつも喜ぶから。……では姫君方、ご注文がお決まりになりましたら、そちらのベルでなんなりと申し付けください」
今日はネロくんの出勤日でしたか。彼のシフトは変則的で予想しづらいんですよね。
ああ、どうしましょう。会える可能性があると分かっただけで、心臓が変な音を立て始めました。
私が冷や汗をかいている中、エナちゃんはうっとりとしたため息を吐きました。
「はぁ、やっぱり格好良い方が多いのね。今の方、ものすごくスタイルがいいわ」
「それはそうですよ。タイプは違えど、美男子しかいません」
「夢のようなお店ね……」
エナちゃんは店内にいる騎士様たちを見て、感心したように何度も頷いています。第一印象から気に入っていただけたようで何よりです。
それにしても。
ジェイ様に認知されていたことに私は密かに驚いていました。もしかして、ネロくんが私のことを話していたとか……それとも私、悪目立ちしているのでしょうか。
身に覚えは、あります。
ホールの騎士様を推しているファンが通い詰めるのはよくあることですが、厨房の騎士様のために週に何度も足を運ぶのは私くらいでしょう。ネロくんが淹れたかもしれないお茶、作ったかもしれないパンケーキ、洗ったかもしれないお皿……何より同じ屋根の下にいられる喜び。至福の時間。
もちろん、カフェ通いの利点はそれだけではないですけど。