16 訓練演習
俺は盛大なため息を吐いた。
メリィちゃん、どうして逃げ帰ってしまったんだろう。
本当の本当に日頃の感謝を伝えたくて、もらっているもののほんの一部でもお礼がしたくて、俺は彼女に望みを一つ叶えると告げた。
どうやらそれが良くなかったみたいだ。
真っ赤になってプルプルと震え、メリィちゃんは爆散予告めいたものを残して去っていった。本当に爆発寸前みたいだったから、嘘じゃないと思う。
めちゃくちゃ喜んでくれると思ったんだけど、自意識過剰だったみたいだ。恥ずかしい。
「おーい、ネロ。ネロくーん。さっきから暗い顔をしてどうした? アステルの愛犬を秒で屈服させた時の覇気はどこに行ったんだい?」
「……その話はもう勘弁して下さい」
「悪い悪い。でもちゃんと食っておかないと、体が持たないぞ。今日はこなさなくちゃいけないメニューが鬼のようにあるんだ」
「あ……すみません」
眩しい朝日を背負って、リナルドさんが俺の肩をポンと叩いた。
ああ、すごく頼もしい男性に見える。トップ騎士ってやっぱり格好良いな。
俺たちは今、王都の南にある休耕中の農地にいる。
昨日の握手会の後に移動したんだ。昨夜は近くの農村で休ませてもらって、今日はここで訓練演習を行う。朝食のパンとチーズ、村人らが用意してくれた果物を朝食としていただいているところだ。
この後、ここの土に大量の魔力を流し込んで、ミューマさんとジュリアンさんが合同で開発したという演習用のゴーレムを数体起動する。使い魔討伐を想定した訓練だから、自重で崩れるギリギリまで巨大化して襲い掛かってくるらしい。恐ろしい話だ。
でも訓練演習後の土には魔力の残滓が宿って大地の恵みになるし、最後にゴーレムに土を耕してもらえば、農民たちも助かるという話だ。良いこと尽くしだった。
「何か悩みがあるなら、俺に話してみな」
「……えっと、いえ、別に」
「なるほど、恋の悩みだな! 任せろ、得意分野さ!」
リナルドさんから頼りがいが薄れ、チャラさが際立った。数年来の友人のような気安さで肩を組まれるともう逃れられない。
この人の距離感には慣れないな……。
「もしかして昨日の握手会、例の子が来てくれなかったとか?」
「いえ、来てくれました」
「そうか、俺もネロの好きな子見てみたかったな。ああ、残念だ。全然行列が途切れなくて様子を見に行けなかったぁ、いやー本当に残念だ!」
リナルドさんはちっとも残念そうではなかった。久しぶりに会う王都のファンにちやほやしてもらったせいか、肌が艶々している。
「バルタは? 見に行った?」
「そんな暇あるかよ」
少し離れたところに座っていたバルタさんが呆れたように言った。
相変わらずトップ騎士の人気はすごかった。貴族も平民も関係なく、二人と握手を交わす数十秒のためにたくさんの人が長い間並んでいたみたいだ。
「昨日は盛況だったからな。ネロのところにも、結構人が来たんじゃねぇか?」
「あ、はい」
……そうだ。俺も、開始前から自分の天幕に列ができていたみたいで驚いた。
二人と比べれば全然少ないけど、今までこんなことはなかったから、やっぱり功績授与式の影響ってすごいんだな。
もちろん嬉しい気持ちはある。でも、恥ずかしさや申し訳なさ、プレッシャーの方が大きい。初対面の、名前も知らない人に期待を寄せられる……応えることができるか心配だった。
それに、なかなかメリィちゃんが顔を見せてくれないからやきもきしてしまった。もしかして今日は来てくれないかもしれない、と頭の隅で不安に思いながら他の女性と接するのは罪悪感が凄まじかった。
……いや、昨日握手会に来てくれた人のほとんどは、騎士団箱推しみたいだったから大丈夫だと思うけど。ノーマークだった俺が急に戦功を挙げたから、気になって会いに来たとはっきりと言ってくれた人もいる。あとはリリンのファンもなぜか今回は来てくれた。
今のところ、俺のことを本気で推してくれるファンは、やっぱりメリィちゃんしかいないと思う。
使い魔討伐の時も含めて、最近はたくさんの人と握手をしたから、受け取る魔力でなんとなく分かるようになった。相手がどれくらい俺に好意を持ってくれているか。
……また自惚れてしまいそうになるけど、メリィちゃんから譲渡される魔力量はずば抜けている。
昨日、初めて上級貴族のご令嬢――クラリス様と握手をしてはっきりした。
クラリス様から譲り受けた魔力は平民のそれよりもずっと多かったけど、メリィちゃんはその何倍もの魔力を俺にくれている。
もしメリィちゃんも上級貴族で元々の魔力量が多かったのだとしても、さすがに公爵家のご令嬢であるクラリス様を大きく上回ることはないだろう。
大昔から、魔力が強い者が率先して魔物や災害から民を守り、土地を治めてきた。今でも魔力の強さがそのまま身分階級に当てはまることが多い。
確か代々国の重役を担うフレーミン公爵家は、王族の次に貴い血筋だったと思う。魔力量が全てではないけれど、フレーミン家の血には強い魔力が宿っていることは確かだ。ジュリアン様もかなり魔力量が多い人だから。
そんなクラリス様より譲渡する魔力が何倍も多いということは、メリィちゃんが相当強い想いで俺を推してくれているということだ。
改めてそれを再確認して、俺は浮かれてしまった。
これからも必ず握手会に来てくれるというし、メリィちゃんは本当に優しくて可愛い。
だから、本当はいけないことだけど、内緒でお願いを叶えるという特別扱いをしようとした。ファンとしての良識を重んじるメリィちゃんを惑わせるようなことをしてしまって、本当に申し訳なく思う。
「そのままファンが増えるといいな。ま、一定数で変な奴がいるから気ぃ付けろよ」
「そういう言い方は良くないぞ! 姫君はみんな違ってみんな可愛いの!」
バルタさんとリナルドさんの声に、俺はおずおずと顔を上げた。
目の前には数多のファンを抱える歴戦のトップ騎士が二人もいる。これ以上メリィちゃんを困らせないためにも、恥を忍んで相談してみよう。
「あ、あの、質問してもいいですか?」
「おお、なんだなんだ」
「自分を推してくれている姫君に、その、御礼をしたくなって……お二人だったら何をしますか?」
以前ジェイ先輩に似たような相談をしたときは、「使い魔討伐で活躍するといい」と教えてくれた。それ以外にも何か俺にできることがあれば……。
リナルドさんは白い歯を見せて流し目で答えた。
「熱っぽい瞳で見つめ、至近距離で微笑みかけて、とびきり甘い声で名前を囁く!」
ダメだ、参考にならない。
そんなことをメリィちゃんにしようとしたら、俺の方が爆散する。最後まで格好つけていられる気がしない。
「リナルドよぉ、そりゃただのファンサービスだろうが」
「サービスなんて、そんな! 俺はいつだって本気さ!」
「あー、そうかい。だけど、ネロのキャラじゃねぇだろ。礼なんて言葉で伝えれば十分だ。わざわざ特別何かする必要はねぇと思うぞ。いつもと違うことされたら、ファンだって混乱するだろ」
バルタさんの返答は真っ当だった。騎士とファンという関係を保つ以上、一線を超えちゃいけないということだろう。
やっぱり俺は、メリィちゃんに言ってはいけないことを言ってしまったみたいだ。
「ははーん、さてはネロ、既に何かやらかしたな?」
「!」
どうしてリナルドさんはこうも鋭いんだろう。いや、俺が顔に出やすいだけかな。
みっともなく動揺する俺に対し、二人は悪い笑顔を浮かべ、両側から体を拘束してきた。そして、トップ騎士の圧力と巧みな話術で俺に口を割らせた。パワハラだと訴えたら勝てるかもしれない。いや、今回は俺も悪いから強く出られないな。
「なんでも一つ望みを叶える、か……軽率だったな」
バルタさんは冷静に、俺の言動が過ちだと断じた。
「わー! ネロがいろんなことを一気に卒業しようとしてるー!」
リナルドさんは地面に突っ伏して大げさに嘆いた。何を言っているのかは分からないが、一応誤解は解いておこう。
「べ、別に俺は告白みたいなことをしたつもりはなくて、ただ、お礼がしたかっただけで」
「相手が何を要求してくるか分かんねぇだろうが。言質を取られてんだ。強引に迫られて、お前に突き離せるのか?」
メリィちゃんに強引に……?
あ、ダメだ。メリィちゃんに上目遣いでお願いされたら、絶対に流されてしまう!
イケない妄想を消し去るために俺は首を大きく横に振った。朝っぱらから何を考えてるんだ。
「だ、大丈夫です。メリィちゃんは多分良家のお嬢様だし、そんな大胆なことは……きっと可愛らしいお願いをされるだけで――」
「甘いな。女に夢を見るな。男ばっかりが狼じゃねぇんだよ」
「同意。ネロに貢いでる魔力量を考えるに、相当愛情深い子だろ? 重たいお願いされる可能性、大いにあるな」
「自分の名前を入れ墨で彫ってとか」
「樹海で二人だけの結婚式を挙げようとか」
バルタさんもリナルドさんも真顔だった。え、急に何? 例えもなんか怖い。
なんだか当初の懸念とは別のことが心配になってきた。メリィちゃんが困るどころかノリノリでお願いを考えていたらどうしよう。俺に応えられることだといいけど……。
その後の訓練は、雑念を振り払って頑張った。
リナルドさんの縦横無尽の槍さばきと、バルタさんの力強い守りと突進、先輩騎士たちの攻撃動作。距離を取ってそれらを観察しながら、ゴーレムの頭に曲射で何本か矢を打ち込んだ。
鈍重なゴーレムだったから、当てるのは簡単だったけど、あまり魔力を込められなかった。タイミングを考えて放ってはいるものの、万が一味方に当たったらと考えてしまって、思い切れない。
『どんなに腕が良くても、最前線に射手は要らない。邪魔だ』
『理由になってない。まぁ、トーラの気持ちは分かる。また背後から射られるのが心配ってことだな?』
トップ騎士会議での、アステル団長とトーラさんの会話が頭をよぎる。
俺の存在が前線の騎士たちのノイズになってはならない。地上戦は思った以上に難しかった。せっかくメリィちゃんたちにたくさん魔力をもらったのに、使いきれないなんて……。
誰にも怪我をさせずにゴーレムに当てられるだけすごい、とみんなは励ましてくれたが、大きな課題が残る結果になってしまった。情けない。
「じゃあな、ネロ。くれぐれも女の子を泣かせるなよ。ちゃんと契約満了で退団したら、南部のデートスポットを山ほど教えてやるから」
「は、はい、ありがとうございます。気を付けます」
「あと、ミューマとは仲良くしてやって。トーラも根は悪い奴じゃないから嫌わないでくれ。ジュリアンは口うるさいけど間違ったことは言わないし、アステルは意外と子どもっぽいから子犬ともども面倒見て――」
訓練演習後、リナルドさんはたくさんの要求を残し、そのまま南部の支部へと帰っていった。
南北の支部への配属は、数か月から一年ほどだ。今度リナルドさんに会う時は、使い魔討伐の時かもしれない。
「オレも北部に行く準備をしねぇとな。トーラと交代なんだ」
「そうなんですか」
王都へと帰還する道すがら、バルタさんが教えてくれた。
正式に北部への配属が公表されたら、王都のファンたちが嘆き悲しむだろうな。身軽な姫君は追いかけていくかもしれない。
「ま、北の雰囲気は嫌いじゃねぇ。美味い酒もあるしな」
「俺の同期もつい最近まで北部にいて、暮らしやすかったと言ってました。戦争の爪痕ももう残ってないって」
バルタさんは肩をすくめた。
「北部解放戦か。オレもガキだったからあんまり覚えちゃいねぇが……そうだな。いつまでも俯いてる奴はいねぇな。英雄が不在でも北部は復興した。王都よりも血の気が多くて賑やかなくらいだぞ」
剣呑な光を帯びる瞳に少しドキドキした。
北部解放戦は、エストレーヤ王国における現状最後の内乱のことだ。
今から約二十数年前、北部の鉱山開拓を命じられていたとある貴族領主が土着の民を奴隷のように扱い、重税と重労働を課し、挙句に鉱山から採掘した資源を他国に横流しして私腹を肥やすようになった。
徐々に北部一帯の貴族を買収して支配圏を増やし、王都への侵攻する計画も進んでいたらしい。
その悪徳領主の情報統制は凄まじく徹底されており、数年もの間、王家の目を欺いて北部の圧政が続いたという。
そして十八年前。
ようやく事態を把握した王家は、悪徳領主へ出頭を命じたが、完全無視。ついに王都軍が北部に差し向けられる。しかし使い魔の出現が重なるなどして戦力を割けず、戦況は膠着状態に陥った。
王都軍の指揮を執っていたのは何を隠そう、当時の第一王女――今の女王陛下だ。
しかし、女子どもを盾にする、毒を撒かれるなどの卑劣な手を使われて籠城されてしまい、王都軍は北部軍の砦を取り囲んだまま動けなくなってしまった。
その後、奴隷のように扱われていた民兵の一部が砦の内側から蜂起したことをきっかけに王都軍がなだれ込み、現女王陛下の親衛隊が悪徳領主一家を討ち取って戦いは終わった。
北部解放戦の影響は凄まじく、その後、北部一帯の貴族家は軒並み没落していったという。
罪のない民が多く命を落としたこと、事態の把握から収拾までに時間がかかってしまったことで、エストレーヤ王家への批判の声も次第に大きくなり、当時の国王陛下が引責する形で退位し、女王陛下が王位を継承した。
それが北部解放戦――近代最大の内乱だ。
俺の生まれる前の戦争だけど、故郷の村が北部寄りだったこともあって、両親や村の大人たちはよく当時のことを子どもたちに語り聞かせていた。
「人間同士じゃなく、魔物や使い魔との戦いに専念できるなんざ、平和な時代になったもんだぜ」
俺は深く頷いた。人間同士で殺し合うなんて嫌な話だ。
誤射で味方に当てるのも嫌だけど、戦争で狙って人間を射るのも最悪だ。星灯騎士団の敵が魔物や使い魔で良かったと、俺は心の底から思った。
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頑張りますのでよろしくお願いします。
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