13 ファンクラブ訪問
午前の最後の授業は近代史でした。疲労と空腹もピークに達していましたが、なんとか最後までついていけました。
「えー、来週の授業から北部解放戦についての単元に入ります。予習として教科書の該当ページをよく読んでおくこと。その前提で授業を進めます。ここは期末試験でも多く出題しますからね」
「はーい……」
「それが終わったら、皆さんの大好きな女王陛下の即位と星灯騎士団の設立についてです。頑張ってください」
「はーい!!!」
男女問わず、元気の良いお返事が教室に響きました。歴史の先生が苦笑したところでチャイムが鳴り、午前の授業が終了しました。
少し憂鬱な授業内容も、その先の楽しみがあれば乗り越えられそうですね。
昼休み。
早めに昼食を済ませた私たちは、文科系の部室が集まるクラブ棟に足を運びました。
音楽や芸術、家庭科や娯楽遊戯などの部活と並んで、騎士団関係のクラブルームが存在しています。
星灯騎士団応援クラブ。
凶悪な魔女と使い魔から国を守る星灯騎士団を応援する、という名目で学校から活動を認められたれっきとした部活動です。
握手会への参加の呼びかけや、年に数回騎士様たちの活躍をまとめた冊子を作成してその魅力を伝えるのが表向きの活動目的です。学校の設備を借りる以上、ただ推し騎士様を愛でて語り合うだけではダメだったようです。
とはいえ、大手箱推しファンクラブの王立学校支部、というのが界隈での認識です。それでいて本当に箱推しのファンで構成されているわけではなく、様々な癖を持った姫君が集う、真の魔窟とのことです。
私は身震いしました。
身分・性別・学年・ファン歴関係なくいつでも誰でも歓迎いたします、と表札の横に張り紙がしてあります。
……実は私、ここには足を踏み入れたことがありません。王都平民街のファンクラブで知り合った顔見知りの方が所属していてよく話は聞いていますが、とある理由で避けてきたのです。
「いいですか、エナちゃん。この支部長さんはめちゃくちゃ高貴なご令嬢です。穏便にお淑やかに行きましょう」
そう、貴族と平民が一緒に活動しているファンクラブ……。
没落貴族の家の者としては、なんとも居心地が悪いんです。できれば関わりたくなかった。
でも、いつまでも引け目に感じて逃げ続けるわけにも行きません。先日の騎士カフェでもエナちゃんを案内して良いことがありましたし、思い切って訪問してみましょう。
「さっきも聞いた。メリィはわたしを狂犬か何かだと思っていない? 祖国では“高雅な黒豹”と呼ばれて一目置かれていたのよ」
「猛獣ではあるんですね」
お互いに制服と髪型をチェックし合い、深呼吸の後、クラブルームをノックしました。
返事がないので顔を見合わせ、二人でゆっくり扉を開けると――。
「はぁ、犬になりたい……」
上品なご令嬢たちが揃って頭を抱えていました。すっぽりと表情が抜け落ちた虚無顔でありながら、切実な色を滲ませた声……しんどみを凝縮したような光景でした。
私たちが「ひっ」と息をのんだ音で気取られ、途端に彼女たちの瞳に光が宿りました。
「あら、お客様?」
「どうぞどうぞお入りになって」
「温かいお茶でよろしいかしら?」
ほとんど抵抗する間もなく、私たちは部屋の中のソファーセットに通されました。部室というよりもお茶会が催されるサロンのような雰囲気ですね。
「あ、あの、お構いなく」
「遠慮なさらないで。星灯の騎士様に少しでもご興味のある方には、最上級のもてなしをしないと気が済まないのです」
長い髪を縦ロールに巻いた、一際優美なご令嬢が私たちの対面のソファーに座りました。二学年上の先輩にしてこのクラブの支部長――クラリス・フレーミン様。
フレーミン公爵家のご令嬢であり、星灯騎士団副団長のジュリアン様の従妹であられます。
最上級の貴族、そして騎士団幹部の身内の方ということもあって、私もエナちゃんも緊張で背筋がピーンと伸びきっていました。まさか早々に彼女に出会ってしまうとは……。
「といっても、あなたは既に姫君ですわよね? ネロ様推しのメリィ・ハーティーさん」
「えっ!?」
個人情報が、推し騎士様が、割れている……。
わ、私、やっぱり悪目立ちしているのでしょうか。断じて公爵家のご令嬢が気にするような存在ではありません!
「先日の功績授与式の紫の閃光魔術、見事でした。推し騎士様の活躍を誰よりも先に祝い、個レスをいただけるなんて、ファン冥利に尽きるでしょう。おめでとうございます」
「恐縮です……すみません」
悪目立ちしていたようです。私は項垂れながら礼をしました。
「そちらは留学生のエナ・コリンズさんね? あなたも騎士団にご興味が?」
「あ、は、はい……よくわたしたちのことをご存知ですね」
「お二人ともとてもお美しいもの。まぁ、この学校の生徒の顔とお名前は、一通り存じ上げているつもりです。わたくしは生徒会にも所属しておりますので」
クラリス様は、優雅な仕草で微笑みました。
うーん、才色兼備で隙のないご令嬢にしか見えません。先ほど犬になりたがっていたのは、私の聞き間違いかもしれません。むしろそうであってほしいと願ってしまいます。
「それでエナさんは……ああ、そのピアス。アステル様をお慕いしているのね?」
「はっ」
エナちゃんは慌てて両耳を隠しましたが、全然間に合っていません。
赤いガラス玉のピアス――まるで炎の揺らめきを表現しているかのようなデザインは、彼女の推し騎士様が誰であるか雄弁に物語っています。
クラリス様もまた、赤いネイルをしていました。
シンプルですが、校則違反になりかねない派手な色味。生徒の模範となるべき生徒会所属のクラリス様がこのような爪をしているのは、間違いなく推し騎士様への愛ゆえ……。
「…………」
推し被りの姫君が対面したことで、室内に緊張が走ります。
もちろんクラリス様がアステル殿下を推しているのは存じ上げていました。有名ですし、あのジュリアン様のご親族ですし。
あからさまに同担拒否はしないとも伺っていますが、果たして真相は……。
エナちゃんは覚悟を決めたように改めて姿勢を正し、艶やかな笑みを浮かべました。おお、まさに高雅な黒豹です!
「お察しの通りにございます。わたしは、先日の凱旋式での折、すっかりアステル様の魅力にひれ伏しました。他国の者が貴国の王子殿下をお慕いするのはご不快かもしれませんが、何卒ご容赦ください」
クラリス様の目がすぅっと鋭く細められました。
「アステル様の、どのようなところが?」
「もちろん全てですが……決定的だったのは、仲間と国民を想って流されたアステル様の涙です。夜空の星が霞むような、一滴の宝石のごとく、それでいて蝋燭の炎のような儚い危なさも感じて……もう本当に、なんかこう、ものすごく、とにかく尊すぎて無理でしたっ」
綺麗な言葉でまとめようとした結果、途中から語彙力が消失しています。神のごとき推し騎士様を、的確に言い表す言葉が現代には存在していないのでしょう。分かります。
「エナさん……そういうのもっと聞かせて! ご新規様の感想でしか得られない栄養があるの!」
どうやらクラリス様の共感も得られたようです。素になってしまっています。
それからエナちゃんは水を得た魚のように、一呼吸でアステル殿下を称えるライムを刻みました。推しと出会った衝撃を、外国の人間だからこその真新しい視点で勢いよく述べたエナちゃんに対し、クラブルーム全体が割れんばかりの拍手を贈ります。
「素晴らしいわ……! ありがとう!」
「こちらこそ、受け入れていただけて光栄です」
「わたくしの脳内アステル様がおっしゃっています。『他国の姫君にまで応援してもらえるなんて、すっごく嬉しい!』と」
「まぁ!」
最終的に熱い握手を交わす二人。私はほんの少しだけ寂しい気持ちになりましたが、涙をこらえて拍手に参加しました。エナちゃんはやはり逸材!
「それで、本日はどのようなご用件でしょう? お二人とも入会希望でしたら、こんなに嬉しいことはありません」
「あ、その、実は――」
エナちゃんがイベントレポを求めていると口にすると、部室の奥にあったおしゃれなキャビネットの戸が開かれ、宝の山――色とりどりの冊子が提示されました。
「持ち出しは厳禁ですが、好きに読んでいただいて構いませんよ」
「ええ!? その、すみません、クラブに入会するかどうかまだ迷っていて」
「内容を絶対に口外しないという誓約書を書いていただくことを条件に、非会員の方にも開示しています。ただ、偉大な先輩方が残してくださった貴重な資料もありますので、取り扱いには気を付けてくださいませ」
その寛大なお言葉に、私もエナちゃんも信じられない想いでした。
「いいのですか?」
「はい。みんなの騎士様ですから、素敵な思い出はみんなで共有いたしませんと」
その言葉に、私の胸はチクリと痛みました。
ネロくんとの思い出を、私は快く開示できるでしょうか。自信がありません。魅力を語り出したら止まりませんが、いざ本気で好きになられると困るという、なんとも矛盾した心を抱えているのです。
エナちゃんもクラリス様に恐れ戦いています。
「素晴らしいお心だと思います。あの、失礼をお許しいただけるならお伺いしたいことが……」
「どうぞ。なんでもおっしゃって」
「ありがとうございます。クラリス様ほどのご身分ですと、その、アステル様と個人的に交流がおありなのでしょうか……?」
「エナちゃん!」
踏み込み過ぎです!
他の姫君たちもざわついていらっしゃるじゃないですか。
「よろしくてよ。むしろはっきりと聞いて下さって嬉しいくらいです」
クラリス様は悪戯っぽく微笑み、小さく息を吐いた。
「大変光栄なことに、幼い頃より顔を合わせる機会はありますし、夜会などで声をかけていただくこともございます。ですが、それだけですよ。弁えているつもりです。アステル王子の前では臣下の家の娘として、アステル団長の前では一人の姫君としてあるだけで、何も特別なことはございません。もちろん他の姫君に比べれば恵まれているのは分かっていますし、妬まれても仕方がありませんわね。でも、あの御方は生涯特別な女性を選ばないと決めているのですから、わたくしも皆様同様、夢を見ることもできません……」
「クラリス様……」
「だからこそ、犬になりたいのです」
切なげなため息とともに、また幻聴が聞こえました。
「ああ、これはジュリアン従兄様が零した愚痴なのだけど……ここだけの話にしてちょうだい。アステル様ったら最近子犬を飼い始めたそうですよ。推し騎士様が可愛い小動物を愛でる姿ぁー。もう見たくてたまらないわ。何かの間違いでわたくしに似た名前を付けて下さらないかしら。というか、どれだけ徳を積んだらアステル様に飼っていただけるの? その子犬様は前世で世界でも救ったの? 神なの?」
全てにおいて恵まれている公爵令嬢が、一匹の子犬を羨んで涙声になっています。
この異常事態に誰も突っ込まず、ただただ「分かる」と頷いています。もちろんエナちゃんも。
嘆くと同時にクラリス様はやさぐれました。だいぶお疲れのようです。
「ああ、こういう情報もね、他のところで喋ると妬まれるのよ。副団長の身内マウントとってるって。わたくしもジュリアン従兄様からマウントとられてますけど? 愚痴のフリしていつもアステル様の近況をドヤ顔で語られてますけど? あの男の身内だと分かった瞬間に他の騎士様に怯えられるし、二推しのトーラ様にも警戒されるし、最悪なんですけど?」
クラリス様、なんて不憫な……。
私も正直、親族に騎士団幹部がいて羨ましいと思っていましたが、良いことばかりではなさそうです。
「本当はね、抜け駆けできるものならしたいのですよ? 公爵家令嬢の権限を全て使ってでも、アステル様の特別になりたい。でもわたくしがそれをやると、絶対に他の令嬢もやり出すでしょう? それで一番お困りになるのは他ならぬアステル様なのです。曇らせは嫌いではありませんが、自分が原因になるのは絶対にイヤ。嫌われたら耐えられないし、『アステル様推しの民度低い』なんて嘲笑われた日には王家に顔向けできない……!」
貴族の令嬢たちの間では、身分を使って推し騎士様に迫る行為は暗黙の了解で禁じられているそうです。もしも抜け駆けし、相手の騎士様を困らせたことが判明した場合、問答無用で社交的な意味で袋叩きに遭うそうです。
恐ろしい……でも、そのような決まりがないと無法地帯になってしまいそうですね。
「唯一、相手の騎士様と両想いなら、手は出されません。同担に恨まれはするでしょうけど、推し騎士様の幸せが第一ですもの。血涙を流してでも祝福するのが姫君の務め」
「血の涙を……」
「アステル様に関してはその心配はないと安心していたのですが、まさか子犬様に情緒を乱されることになるとは……」
まだ子犬のことを引きずっています。
しかし嘆き疲れたのか、クラリス様の表情は穏やかでした。まるで聖母のようです。
「さて、名残惜しいのですが、本日はもう失礼いたします。午後の握手会のために、身支度をしなければなりません。ああ、そうですわ、メリィさんも行くのでしょう?」
「は、はい、それはもちろん」
クラリス様の一言で、周りの姫君たちも一斉にそわそわし始めました。
特にオレンジと黄色のアクセサリーを身に着けた、リナルド様とバルタ様推しの方々はみなぎっています。
「クラリス様も出向かれるんですか?」
「当然です。推し騎士様が参加せずとも、騎士団の応援は欠かせません。それは団長であるアステル様の一助となるでしょうから」
その言葉に、エナちゃんも感銘を受けたようでした。
「その通りですね! メリィ、わたしも行くわ!」
「えぇ!? それはもちろん構いませんが、授業は大丈夫ですか?」
エナちゃんは少し間を空けて、「ダイジョブよ」となぜかカタコトで答えました。多分危ない橋を渡ろうとしています。
友達としては止めるべきかもしれませんが、これは誰もが通る道。今後の反省に活かしてもらうためにも、今回は気づかなかったことにして後でそっと救いの手を差し伸べましょう。
更新が安定しなくてごめんなさい。




