〜鱗粉蛾蹂躙戦・死の領域〜
〜鱗粉蛾蹂躙戦・死の領域〜
メル率いる討伐隊が森林エリアに到着すると、一人の冒険者が騒ぎ始める。
「虫どもは即刻駆除だ! 今すぐに俺がくじょっぷ!」
「お前ならやると思っていた! あらかじめワイヤーを括っていて正解だったな! ほら、煮干しを食え!」
ゲートが開かれた競走馬のように、ものすごい勢いで突っ込もうとするきんちょるそんは腹にワイヤーを括られていた。
虞離瀬凛が勢いよくワイヤーを引いたせいで思い切りずっこけるきんちょるそん。
「きんちょるそんさん! 私たちが馬車の中で立てた作戦聞いてましたか? 勝手に先行してはダメです! はやる気持ちも分かりますが、あくまで効率よく最速で蹂躙戦を進めるために作戦を立ててるんですから!」
転んで腰を押さえているきんちょるそんに優しく手を差し伸べるメル。
差し出された手を取って立ち上がったきんちょるそんは、無言でじっとメルを見つめた。
突然直視され、動揺するメル。
「おい、なにをもじもじしている。 早く作戦を教えろ」
「馬車の中で伝えたでしょ! なんで聞いてないんですか!」
甲高い声をあげて怒り始めるメルを見て、ケラケラと笑い出す凪燕。
「まぁまぁメルちゃん! 彼は早く戦いたいみたいだし、早速森に入ってみようぜ?」
にっこりと笑いながら親指で森の方を示す凪燕。
「………待つでやんす」
しかし、森に入ろうとした冒険者たちは、鬼羅姫螺星の一言できんちょるそん以外振り向いた。
そのままずかずか森に入ろうとするきんちょるそんの襟首を虞離瀬凛がすかさず掴む。
「森の奥から迸る魔力量が、やばすぎるでやんす。 この森には間違いなく宝石ランクモンスターがいやす。 しかも桁違いのヤバいやつが」
「そんなことを言われてもな、鱗粉蛾を放置するのもまずいぞ? 早く森に入って蹂躙戦を始めるべきだ。 お前の魔力目ならそのヤバいモンスターが近づいても分かるんだろ?」
ガルシアは肩を窄めながら鬼羅姫螺星に歩み寄るが、額から大粒の汗を流した鬼羅姫螺星は森の方に視線を送る。
「ええ、確かに放置はヤバいでやんす。 なんせ、この森全体がその鱗粉蛾の鱗粉で覆われていやすからね。 しかも普段の鱗粉蛾が放つ鱗粉の五倍以上の濃度で………」
唖然とする冒険者たちと、襟首を掴まれてその場で足踏みをするきんちょるそん。
「普段の五倍だって?」
凪燕が眉を歪ませる。
「鬼羅姫螺星さん! 見えている範囲で構いませんので、詳しく状況を伺ってもいいですか?」
メルはすぐさま全員を拠点の中に移動させ、再度作戦を練り直すことを選択した。
※
「濃度が五倍以上の鱗粉だと、一口でも吸えば激しい頭痛と眠気に襲われるだろうね。 あの濃度の鱗粉の中で寝てしまう事は、実質死を意味する。 お〜い岩ランクのみなさ〜ん! 今日森に入った冒険者は何組いるんだ〜い?」
凪燕の解説を聞き、顔を青ざめさせるメル。
拠点の岩ランク冒険者たちの話によると、森の中には八人の冒険者が入っていると言う話だった。
一番初めに入った冒険者も、まだ入ってから一時間半しか経っていないが、鱗粉の濃度がとんでもない。 もしなんの対処もせずに寝てしまっていたら死んでいる可能性が高い。
今の森林エリアは、まさに死の領域なのだ。
「メルさん! 見ず知らずの冒険者かもしれないが、死なせてしまってはとても悲しい! 私は知らない冒険者でも悲しい思いをさせたくない! すぐに助けに行かせてください!」
神怒狼夢が勢いよく立ち上がり、メルに潤んだ視線を向ける。
「確か風の魔法石を使ったの酸素マスクがあったのう? それはこの拠点にいくつあるんじゃ?」
「最大で五個しかないと言う話でした」
朧三日月の問いかけに、メルは力なく答える。
「じゃあ神怒狼夢君! そのマスクをつけて俺について来てくれ! 鱗粉は俺がなんとかしよう。 残りの四つはおじいちゃんと鬼羅姫螺星君かな? 他は鱗粉がなくなるまで拠点で待機で!」
「待つでごわす凪燕! お前はマスクつけないでごわすか?」
語尾が『〜っぽい』から『〜ごわす』に変わったシュプリムが、語尾からは想像もつかないほど真剣な顔で凪燕を睨む。
「ちょっと、やめてくれよ! 今大事な瀬戸際なのに笑わせないでくれ! 俺はマスクなんて要らないから平気さ! 君と筋肉君、後は銅ランクの子たちは残って鱗粉が無くなるのを待っててくれ! マスクは二つ余ってるけど、一時間経っても俺たちが帰らなかったら金髪君と筋肉君が使って助けに来てもらう!」
「待ってくれ凪………凪雀! 俺も連れて行ってほしい。 必ず役に立つはずだ!」
拠点を出て行こうとする凪燕たちを呼び止めるきんちょるそん。
「ぷふっ、惜しいね。 雀じゃなくて燕だから、もう間違えないでね! まあいいか、メルちゃん! 彼も連れて行っていいかな? 先に言っとくけどマスクはちゃんと二つ残す前提でさ」
ニヤリと口角を上げる凪燕に、不安そうな顔を向けるメル。
「待ってください! マスクが無ければ鱗粉の餌食になってしまうんじゃ………」
「この俺が、あんな蛾の鱗粉にやられるとでも思っているのかい?」
凪燕の背筋を凍らせるような一言に、全員が体を硬直させる。
「わ、分かりました………どうかご無理はなさらず!」
凪燕はメルの返事に、にっこりと笑いながら満足そうに頷いて拠点を後にした。
※
凪燕たちは二手に分かれての行動になった。
まず森に入った冒険者の救出のため、鬼羅姫螺星の魔力目を使い魔力の痕跡を追いかける。
こちらにはきんちょるそん、神怒狼夢が同行してマスクを三つ使っている。
次に鱗粉の散布を押さえるため、凪燕は森の中心部へと進んで行く。
朧三日月が同行しているので、最悪宝石ランクモンスターとの戦闘にもなんとか対処はできるだろう。 しかしこちらは二人ともマスクを使わずに森の中に入って行った。
鬼羅姫螺星の魔力目は、その名の通り魔力を見ることができる。
生き物は皆魔力を常に纏っているため、鬼羅姫螺星の目なら捉える事ができるのだ。
この目を使い、順調に五人の冒険者を発見し、神怒狼夢の治癒でなんとか自分で立てるまで回復させて森の外まで避難してもらうことに成功した。
見つかった五人はまだ森に入って間もなかったため、嘔吐しながらぐったりしていただけだったのだ。
問題は初めに入ったと言われていた三人組。
入ってから一時間半以上経過しているため、もし眠ってしまっていたならもう助からない可能性が高く、鬼羅姫螺星の魔力目は生きている者しか捉えられない。
「ああ! 悲しい! 見つからない! 監視役の冒険者の話だと、この辺りのはずなんだ!」
神怒狼夢はすでに泣き出していた。
「おい、シンドリーム! 泣いてる暇があるならもっとよく探せ! 早く見つけろ!」
「ああ! また名前を間違えられた! 悲しい! 悲しすぎるぞ!」
こちらの三人はマスクをしているため声が少々こもってしまっている。
神怒狼夢ときんちょるそんがくぐもった声で喧嘩をする中、鬼羅姫螺星が急に進行方向を指差した。
「いたでやんす! まずい! 両断蟷螂が囲ってるでやんす!」
鬼羅姫螺星の声と同時に、爆発音が森の中に響く。 驚いて爆発音があった背後に視線を向けた鬼羅姫螺星。
しかし後ろにいたはずのきんちょるそんが姿を消していた。
きんちょるそんがさっきまで走っていた地面は大きく抉れている。
「貴様らはこの世から残さず駆除だ!」
声がした方向に視線を向ける鬼羅姫螺星。
するとすでに両断蟷螂に肉薄しているきんちょるそんが視界に入った。
両断蟷螂に突進するきんちょるそんからは、今まで感じたことのないほどの禍々しい殺気が放たれている。
呆気に取られ、思わず固まってしまう鬼羅姫螺星と神怒狼夢。 しかしふと気がつくと、二人は両断蟷螂がきんちょるそんに視線を向けたことに気がつく。
「正面からはまずいでやんすよ!」
「きんちょるそんが真っ二つになったら、私は悲しいぞ!」
ワンテンポ遅れて慌てて駆け出す鬼羅姫螺星と、鎖鎌を伸ばす神怒狼夢。
倒れている三人組を囲っていたのは三体の両断蟷螂だった、肉薄したきんちょるそんに気がついた両断蟷螂は両腕の鎌を広げる。
しかし次の瞬間、きんちょるそんが腕を数回振り回すと、オレンジ色の紐がうねりながらムチのように両断蟷螂に伸びていく。
すると、両断蟷螂の両腕と首がポトリと地面に落ちた。
「あいつ、なにしたでやんすか?」
腕と首を切断された両断蟷螂の断面は、焼け焦げたように黒ずんでいる。
残りの二体は倒された仲間など一切気にせず、きんちょるそんに肉薄するが、きんちょるそんの足の裏で炎の塊が噴射される。
再度響く爆発音。
「なるほど! 足の裏で炎を凝縮して噴射しているのか! なんて器用な魔法の使い方!」
神怒狼夢が驚きながらも鎖鎌を操作して片方の両断蟷螂の首を吹き飛ばす。
残り一体になった両断蟷螂を注視しながら、後方に勢いよく飛んでいるきんちょるそんは左腕をピンと伸ばして人差し指を向けた。
するときんちょるそんがのばした腕に炎で形作られた弓が出現する。
開いている手には炎で出来た弓矢が出現し、後方に飛びながらも弓をつがえる。
「駆除完了」
その一言と共につがえた火矢を放つきんちょるそん。
勢いよく飛んでいった火矢は、両断蟷螂の頭を勢いよく撃ち抜いた。
「銅ランクとは思えない身のこなしでやんすね!」
唖然とする鬼羅姫螺星をチラリと見ながら、かっこよく着地するきんちょるそん。
「おい、らんらん星。 お前だけ何もしていないぞ。 仕事しろ」
「鬼・羅・姫・螺・星でやんす! 勝手に変な名前つけるなでやんす!」
両断蟷螂を討伐し、囲まれていた三人の冒険者たちにも治癒を施した神怒狼夢は冒険者救出成功を知らせる青い狼煙を上げた。
拠点からその狼煙を確認してほっと息をはくメル。
「よかった、犠牲者は今の所でなくて済みそうです」
「油断はいけませんよメルさん! まだ鱗粉をどうにかしないと森に入れない上に宝石ランクモンスターの詳しい能力も分かっていないんですから!」
油断なく森の様子を伺うガルシアから注意を受け、メルはフルフルと首を振って自らの頬を叩いた。
「ガルシアさんの言う通りです! これから鱗粉蛾の蹂躙や、凶暴化したモンスターの対処に加えて、宝石ランクモンスターの討伐もあるんです! ガルシアさん! 遠距離攻撃ができるあなたたちのパーティーにはかなりきつい役割を押し付けることになると思いますが、どうかよろしくお願いします!」
「俺にどこかの黒髪エルフのような狙撃制度や、尻尾頭のいけすかないイケメンみたいな圧倒的火力があれば、もっとあなたの負担を減らせたかもしれないんですけどね。 役に立てなくて申し訳ないです」
悔しそうな顔をしながらぼそりとつぶやいたガルシアは、再度森に視線を戻した。 しかしそんな彼を見てメルはにっこりと微笑む。
「ガルシアさん。 あなたの強みは動きながらの射撃と並外れた運動神経。 おそらくこの戦場においては、その黒髪エルフさんや尻尾頭のイケメンさんよりあなたの能力の方が頼りになるんですよ?」
メルが優しく語りかける言葉を聞いて、口角を上げながら鼻を鳴らすガルシア。
「ご謙遜を、そんな過大評価をするのは………この戦いで、俺の活躍を見てからにして下さいよ」
※
森の中心部へと駆けていく凪燕と朧三日月は、マスクをつけていないにも関わらず平然とした顔で辺りをキョロキョロと伺っていた。
「おっかしいなぁ! この辺だと思ったんだけど〜」
「道化小僧! もしやお主がモンスターに出し抜かれるとはなぁ?」
嬉しそうにニヤニヤと笑う朧三日月に、凪燕は頬を膨らませながら歩み寄っていく。
「おじいちゃん! 俺は今五つも能力を使ってるんだよ? そりゃあ探知の雷レーダーが少し誤作動を起こしてもおかしくないでしょう!」
さらっととんでもないことを口走る凪燕。
現在、凪燕の能力により、この二人はマスクなしでの移動を可能にしている。
口元を覆う障壁魔法。
障壁魔法内部の空気を清浄する風魔法。
障壁魔法の外から空気を取り込む際に、フィルターの役割をにない毒素を殺菌する雷魔法。
この三つの能力を同時に使い、二人は高濃度な鱗粉の中でも自由に駆け回っているのだ。
凪燕の文句を聞き、朧三日月はあごをさすりながら周囲に視線を向ける。
「まぁ、わしは霧の幻影しか使えんからのう。 しかも地味じゃ、実用性重視にするより派手に戦う能力にすればよかったわい」
「何言ってんのさおじいちゃん! 霧の幻影は応用がものすごく効くから超強いじゃないか! って言うか本当におかしいよ? もうレーダーだと三十、二十メーターくらい近づいてるのに、何もいないだなんて?」
首を傾げる凪燕、しかし次の瞬間!
「バカモン! 下がらんか!」
凪燕の首根っこを掴んで後ろに放り投げる朧三日月。
すると朧三日月が高速で抜いた刀から金属音が響く。
何もないところで朧三日月が剣を振り回し、何故か響き渡る金属音。
すぐに凪燕は目に魔力を集中させた。
「あっちゃ〜! 能力の選択ミスだ! 雷レーダーは良かったけど、もう一つは超音波じゃなくて熱探知だったか! おじいちゃん! 多分そいつがこの霧の正体だ!」
「わかっとるわい道化小僧! 十中八九、吸血蟲じゃな! こやつ、吸った血の量に応じてモンスターが使う能力の精度すら上げるんじゃな?」
朧三日月が額に浮かんだ汗を拭いながら大きく後ろに飛ぶ。 しかし下がった瞬間、何かに押し潰されるかのように膝をついた。
「こりゃあ予想外じゃのう! 月光熊の血も吸っておったか?」
「え? 重力は禁止できないよ? けっこうまずいねぇ。 とりあえずもう鱗粉は禁止だ!」
なにもないところを指差す凪燕。
すると森林全体を覆っていた高密度の鱗粉が霧散して行く。
「おじいちゃん! 今助けるから待ってて!」
「無用じゃたわけもん! すでにあやつはわしの術中にはまっとるわい! はよう援軍要請の狼煙を上げんか! こやつが吸ったモンスターの種類がわからん以上、むやみに間合いには踏み込めんぞ?」
こくりとうなずいた凪燕が距離をとりながら狼煙を上げる。
ひざをついていた朧三日月は濃密な霧を発生させ、自分を覆う。
直接見られていなければ月光熊の重力付与は発動しないため、霧に隠れることで重力から逃れた朧三日月はすかさず距離を取った。
「おそらく擬態避役の血も吸っておるのじゃろう? 全然姿が見えんからのう………」
「女王蜂とか両断蟷螂の血も吸ってたらマジでやばいね。 なんで森林エリアはこうも面倒なモンスターが多いのかなぁ!」
周囲の景色に同化する擬態避役、人体に害のある鱗粉を放つ鱗粉蛾、そして月光熊。
同時に複数のモンスターの能力を使う吸血蟲【ヴァンペクト】
姿形は擬態避役の能力のせいで確認できない、現時点で分かっているのは吸った血の量に応じてモンスターの能力を強力にすると言うこと。
つまり鱗粉蛾の血を三体分吸えば、三倍の強さで能力を使用する。
この森林エリアでは鱗粉蛾の群れが確認されていた、このエリアを覆っていた鱗粉は、その大量にいた鱗粉蛾のほぼ全てから血を吸ったため高濃度で噴出していたのだろう。 しかし凪燕は能力の発動条件と仕組みが分かればそれを封印できる。
下級モンスターである鱗粉蛾の能力は濃度が高かろうと防ぐ手段さえわかれば封印するのは朝飯前だ。
とはいえ、擬態避役の景色と同化は能力ではなく体質、おまけに月光熊の能力は発動条件が特殊かつ複雑なため凪燕は封印ができないのだ。
苦虫を噛み潰したような顔で何もない空間を睨む凪燕。
「吸血蟲は魔力的な能力以外にも血を吸ったモンスターの体質まで真似るのか、ってことは月光熊並みに硬いってこと? はぁ、とりあえず、なんとかしておじいちゃんにも見えるようにマーキングしたいね」
「ペンキがあればいいんじゃがのう、あの皮膚にべっとりと色を塗れれば早いんじゃが………」
チラリと拠点の方に視線を向ける朧三日月。
現在は朧三日月の霧の幻影にかかった吸血蟲は必死に本物を探しているのだろう。 しかしいずれ幻影も看破されるため、悠長に作戦会議はできない。
「よし、皮膚を焼いて大火傷させてみよう! ちなみに森林エリアに再生系の能力持ったモンスターいる?」
「わしの記憶ではおらん! 皮膚を焼くとなると、わしが注意を引かんとならんのう。 あやつが見えるお主に全部任せるぞ、いけそうか?」
朧三日月がうすら笑みを浮かべながら凪燕を睨むと、凪燕からものすごいオーラの闘気が溢れ出す。
「ふふ、笑わせないでよおじいちゃん。 俺が失敗すると思うのかい?」
「相変わらず、お主の魔力量はバケモンじゃのう?」
苦笑いしながら霧の中に飛び込んでいく朧三日月を見送った凪燕は、霧の中を注視しながらゆっくりと歩き出した。
「さぁ〜て、吸血蟲はどのくらい強いのかな? お手並み拝見だ!」




