〜最終決戦・好敵手〜
〜最終決戦・好敵手〜
「氷帝鯱がどうして強いのか、わかるかい?」
絹のような紫紺色の長い髪をゆらめかせながら、レイトは進行方向に視線を向けたまま問いかけてくる。
すると、杖を大切そうに抱き抱えていたべりっちょべりーさんが、眉をひしゃげながら返答する。
「そんなの、たくさん氷の槍を飛ばしてきたり、勝てそうになかったら氷の中に篭っちゃったり、攻撃の幅が広すぎるからだし!」
「確かに、奴の氷を自在に使用した攻撃は非常に脅威だ。 けど、それだけなら中級モンスターと何ら変わりはない。 どうしてそんな程度の攻撃手段しか持っていない氷帝鯱が宝石ランクに分類されていると思う?」
「そんな程度の攻撃手段って……確かに、普通に戦ってたら対して脅威じゃないかもしれないけど! そ、そんなの! 水の中にいたらうまく身動き取れないから、避けられないし! あいつはずるいだけなんだし!」
私はべりっちょべりーさんのこの回答でようやく気がついた。 レイトがこれから氷帝鯱にどんな攻撃を仕掛けるのかを。
「素晴らしいねべりっちょべりーさん。 君の言う通りだ。 奴は水の中で冒険者たちを迎撃する。 風の魔法を攻撃手段に用いらず、わざわざ呼吸のために使用してまでね」
レイトは鼻を鳴らしながら、静かに話を聞いていた私たちに、ゆっくりと視線を送ってきた。
「海の中は奴のホームグラウンド。 私たちはわざわざ奴が有利に戦える環境で戦ってきた。 わざわざ潜水服を改良し、華嘉亜天火さんや銀河さん、ぬらぬらさんの能力を応用して何とか海中で戦えるように知恵を絞ってきた。 けれどね、そもそもが間違いなんだよ」
水塊から出てきてばかりのすいかくろみどさんは潜水服を脱いで休んでいたのだが、この回答に対し、顔を真っ赤にしながら反論を飛ばす。
「は? 何が言いたいわけ? つまりはぬらちょんとかぎゃらりんの頑張りを侮辱してる感じ?」
「そうカッカしないでくれよすいかくろみどさん。 私が言いたいのはただ一つ……」
「相手が有利な環境で、わざわざ戦ってやる筋合いなんてない。 そう言うことですよね?」
私がレイトの言葉を遮って回答する。 するとレイトは満足げに笑みを浮かべながら進行方向、目前に迫る大地に視線を戻す。
「華嘉亜天火さんの水塊は、持ち上げている限り本人も動けなくなる、そう言っていたね?」
「ええ、あの量の水を持ち上げておくには集中力が何より重要だし、移動させるとなると馬鹿みたいに魔力を使う。 移動させない前提であの水塊を持ち上げているんだもの」
「知っているかい? 君も水塊も一切動かさず、水塊の座標を変更する方法があるんだ」
右舷上空に浮かんでいる水塊に、全員が視線を送る。 水塊は今も変わらず華嘉亜天火さんから百メートル地点、海上三メーターの部分に浮かんでいる。
「おかしいと思わないかな? 最初に華嘉亜天火さんが水塊を浮かせたのは拠点から三キロ離れた沖だった。 けれど今は、拠点を目前にした私たちの船の真横に浮かんでいる。 持ち上げた地点から明らかに動いているではないか」
ギョッと目を開く冒険者たち。 私は失念していた。
冒険者たちが魔法の力を使用するから、化学的な方法でその魔法を活かす方法ばかり考えて戦ってきた。
ゲームの知識を使って、複数の冒険者の能力を掛け合わせて、最強に立ち回る戦術しか考えていなかった。
相手が戦う環境、自分たちが有利に戦える状況、それ自体を変えて有利に立ち回ることなんて考えていなかった。
複数の冒険者の力でパワーアップした攻撃を相手の弱点になりそうな部分にぶち込む。 そうやって力でゴリ押すことが必勝パターンんだとばかり考えていた。 前の世界で培った知恵があったにもかかわらず。
「君たちは不思議に思ったことはないかな? 動き続ける馬車の上で、真上に投げたはずの物体が自分の手元に戻ってくる現象を」
「は? そんなの当たり前っしょ?」
この世界には確かに冒険者育成学校や受付嬢育成学校など、教育施設がちゃんと設立されている。 そこで習うのは戦いの術、モンスターの討伐記録から推測できる相手の行動パターン。 冒険の際に使う道具の使い方や、クエストを受ける際、または達成した際の手続き方法など。
学べることは確かにたくさんある。 だが、算術や物理化学の勉強など、そういった教育は全くしていない。
「当たり前のことをそのままにしてはいけない。 キャリームさんが担当するキャザリーさんと言う冒険者はよく言っているだろう? 『この世で起こる現象には全て理由が存在する』と。 動き続ける馬車の上で真上に投げた物質は、論理的に考えれば私たちの背後に落ちるはずだ。 だって私たちは一切動いていないのだからね」
この話は私のように専門の知識がある人たちには通用するだろう。 しかし、物理化学の勉強をしていないこの世界の人たちには、言ってる意味がわからないはずだ。
レイトは紛れもなくこの世界で生まれ育った人物だ。 それにもかかわらず、彼女は疑問に思ってしまったのだ。
——慣性の法則が定義する、物理的現象に。
「おそらく、私たちが動いていなくても、馬車に乗っていると言う時点で不思議な力が働いているんだろう。 馬車が進む方向に従って、前に進もうとする力がね? その力があるから、真上に投げたはずの物質も私たちの手元に戻ってくる。 動き続ける船の上で持ち上げた水塊も例外なく、ね?」
「ちょ、ちょっと待ってくれるかしらレイトさん。 あなた一体、何を言っているの?」
「ふーむ、華嘉亜天火さんでも少し理解しずらかったかな? 要はこう言うことさ、君の持ち上げた水塊は、君が動かせないと錯覚しているだけで実際に動かすことが可能だったってことさ」
動き続けている船を追うように、水塊は移動を続けている。 華嘉亜天火さんが乗船している船にピッタリとくっついて。
慣性の法則に従い、船の上で水塊を持ち上げている華嘉亜天火さんと同様、前に進む力が水塊にも働いているのだ。
「さて、そろそろフィナーレだ。 岩ランクの皆さん。 船を拠点横の平原につけてくれるかな? もちろん、右舷側を陸につけてね」
船を稼働させるために乗車していた岩ランクの方々が慌ただしく動き出す。 拠点横に広がっていた平野上空に、華嘉亜天火さんが持ち上げている水塊が移動するように。
旋回を開始した船の甲板で、レイトはキョトンとした表情をしていたあぶらあげさんに視線を送る。
「あぶらあげさん、魔力はどの程度回復したかな?」
「そうですね、愛の増魔剤をいただき、三時間もの休憩をいただいたのですが、申し訳ありません。 まだ、二割ってところでしょうか?」
「そうか、謝ることはない。 それだけあれば十分だ。 二割もあれば、陸上で炎をぶちまけることができるだろう? 水のない陸上で君が炎を起こせれば、その炎を他の物質に引火させ、小さな炎を巨大にすることなんて造作ない」
ここからの私は、敗北感に苛まれながらもレイトの策を黙って聞き続けることしかできなかった。
☆
シャチは哺乳類だ。 海中で移動するには肺に酸素を供給しなければならない。
哺乳類なら陸上でも生活できる。 そう勘違いしてしまう人も中にはいるだろう。
逆に、一般的な生活をしている人は専門の知識がないため、よくニュースで耳にする浜辺に打ち上げられたクジラやイルカが亡くなってしまうという情報を聞いても、海に住んでいる生物なんだから当然だと思うかもしれない。
実際、私もそう思っていた。 海に生きているのだから陸に出れば生きられないのは当然だと。
そこには明確な理由があるらしい。 レイトはぷぷるんさんのスケッチを見て不思議に思ったらしい。
この体の作りでは、水中に比べ重力が強く働く陸上では、自分の体重に耐えられないのではないか? と。
そもそも、水中と陸上では平均温度が違う、海中で生きる生物たちの適温は陸上で生きる私たちと比べると遥かに低い。
平均温度が十度以上も上がってしまう陸上では、全身の皮膚が火傷に近い症状になるのではないか? と、このように疑問を持ったらしい。
言われてみれば確かにそうだと思う。 私たちは五十度のお湯に浸かれば熱すぎて悲鳴をあげるだろう、無理に飛び込んだりした場合は火傷してしまうかもしれない。 当然だ、私たちの平均体温は三十度〜四十度。 十度以上熱いものに触れれば熱く感じてしまう。
シャチは哺乳類、つまり恒温動物だ。 陸上に出れば急激な気温の上昇に耐えられず、熱すぎて悲鳴をあげるだろう。
現在、拠点横の平野の上に移動した水塊から、押し出される形で氷帝鯱を守っている氷の城が叩き出された。
土煙を上げながら巨大な氷の塊が平原に突き落とされる。 凍っていなかった水はそのまま変形し、油で満たされた平原を覆うよう水の壁を作り出した。
氷の城を落下させたことで持ち上げている水の質量が大幅に減ったため、その操作性は自由度を増している。
氷塊の中にこもって氷壁の再生に集中していた氷帝鯱にとっては、何が起きているかわからないだろう。
平原にはすでに大量の油が撒かれていた。 先程取り舵を取った際、拠点に待機していた岩ランク冒険者たちに指示を送っていたらしい。
平原を満たしていた油の中から一筋、導火線のように伸びていた場所の先で、あぶらあげさんが炎を噴射する。
元々魔力量が多いあぶらあげさんだ。 三時間安静にしていた上に増魔剤を飲んだにもかかわらず二割しか回復していないと本人は言っていたが、普通の人からすれば非常に多い魔力量になっているだろう。 油に引火させるだけならわけないことだ。
油に引火した猛火は、氷の城を容赦なく溶かしていく。 周囲の大地に引火しないよう、華嘉亜天火さんは余っていた魔力で水の壁を作り出している。
平原を焼くのは最小限に抑えることで、自然の破壊も防ぐことができる。
猛烈な炎に焼かれるように、氷の城はみるみる溶けていく。 氷帝鯱が氷からその姿を現した頃には炎は真っ黒な煙を上げながら轟々《ごうごう》と燃え盛っており、慌てて氷柱を作ろうとしていた氷帝鯱を嘲笑うように焼き尽くす。
そこからは一瞬だった。 あんなにも苦戦した氷帝鯱を、一瞬にして黒焦げにしてしまった。
その一方的すぎる展開を見ながら、私は下唇を噛み締める。 元の世界の知識があったにもかかわらず、私はこの策を考えることができなかった。
レイトは私のことをライバルだと言ってくれていたが、こんな圧倒的な指揮を前にしてしまうと、そんなふうに勘違いするのはおこがましいと思ってしまう。
「浮かない顔をしているね、セリナ?♪ せっかく大勝を飾ったんだ、喜び勇むところじゃないのかな?♫」
先ほどまでとは似ても似つかない優しい雰囲気で、オカリナを吹きながら問いかけてくるレイト。
「いえ、あなたにライバルだと言ってもらったにもかかわらず、私はこんな大胆な作戦思いつきませんでした。 私なんかではあなたの足元にも及ばないんだな、って改めて思い知りましたよ」
「何をらしくないことを言っているのかな?♩ 私の策が成功したのは奴の尾鰭を切ったからだ♬ 尾鰭を切るまでの鮮やかな指揮は、ほとんど君がしていたじゃないか♪ それに私は途中、うまく指揮を取れなくて無様を晒してしまったからね♫」
謙遜しているのだろうか? レイトは肩を落としながらそんなふうに言ってきた。
私は視線を落としたまま何も言い返さずに無言の時間を作ってしまう。 するとレイトは炎炎と燃え盛っていた炎を消化し始めている華嘉亜天火さんや岩ランク冒険者たちを眺めながら、
「氷の板を作っているという曖昧な報告で、真っ先に鏡を作っていると導き出し、さらには戦闘中に発生した不自然な動きを一切見逃さないその観察力と判断力♬ どれも私にはないものだったよ♪ 私の狩は罠を用意して相手の強みを削除していき、その罠に引き入れる、という方法が多いからね♫ あのように状況変化が激しい戦場では思考を回す余裕がないから、いつも後手に回ってしまうんだ♩ そもそも、君はどうして他人の強みばかりを羨ましがり、自分の凄みをひけらかそうとしないんだい?♫」
「私がナンバーワンになれたのなんて、皆さんが気を利かせて火山龍討伐の功績を私に多く配分してくれたからじゃないですか。 私の本当の実力なんて、たかが知れてますよ」
不貞腐れたように呟く私。 するとレイトは盛大なため息をつきながら私の正面に回り込んできた。
途端、両頬に痛みが走る。
「こんの小娘め!♩ なんて強欲で生意気なんだ!♪ 生意気な口はこれか?♫ これなのか?♪ こんな生意気な口、こうして、こうして! こうしてやる!♬」
「ちょ! いらい《痛い》、いらい《痛い》! 痛いって言ってるじゃないですか何してくれんですか! このオカリナ星人め!」
「お、オカリナ星人?♫ それは変わった二つ名だね♪ って、そんなことはともかく、君は大人しく自分の功績を認めるべきだ!♬ そうやって捻くれて謙遜ばかりしていると、しくじってしまった私への嫌味にしか聞こえないよ?♩ そんな生意気な口は、こうしてやる!♬」
なぜか嬉しそうな顔で私の両頬に手を伸ばしてくるレイト。 私は反射的にレイトの両腕を防ぐため、襟を掴まれないように逃げる柔道選手のような立ち回りを繰り広げている。
それにしてもレイト、私の頬をつねりながら器用にオカリナまで吹いていた。 なんかムカつく!
「わー! 二人とも楽しそー! あたしも混ぜて混ぜてー!」
「ちょ! ぺろりん! あんたが混ざったらほっぺた引きちぎれちゃうからだめだし!」
「べりちょん! あたしをゴリラみたいな扱いしないでくれる?」
両腕を組み合わせていた私たちに、怪我が治ったぺろぺろめろんさんが駆け寄って来ていたが、良識あるべりっちょべりーさんが止めてくれた。
よかったほんと、ぺろぺろめろんさんの馬鹿力でほっぺをつねられたらマジで大変なことになる。
先ほどまでは自分の無力さを感じて勝手に劣等感を抱いていたが、レイトの言う通りなのかも知れない。
私たちは経緯はどうあれ、偉業を成し遂げたのだ。
討伐に何日もかかる氷帝鯱を、たった一日で討伐してしまったのだから。
夕焼けでオレンジ色に染まる平原をふと目にした瞬間、ようやく達成感が胸を満たしてくれた。
と、感傷に浸ろうとした瞬間、
「はっはっは!♩ 油断したねえセリナ!♬ 君のほっぺはガラ空きだったよ?♪」
「ちょ! やめれ! やめんかこの拗らせかまってちゃんめ! 少しは感傷に浸らせんかい!」
なぜだかクエスト中よりもイキイキとしたレイトが、私のほっぺをつねろうとベタベタくっついてくる。 はっきり言ってかなりうざい。
伸びてきた手を引っ叩きながらレイトからひたすら逃げ回る。
なんで私はこんな変人をほんの少しでも慕ってしまいそうになっていたのか、そう思いながら駆け回る。
本当に、今まで王都の受付嬢のみんなには尊敬する点ばかりで、背中を追いかけるような気持ちで接してきていたが、なぜかレイトだけには負けたくないと心から思ってしまう。
戦う際の指揮の取り方は似ているのかも知れないが、モンスターを討伐するにあたっての手段が全く違うからだろうか?
一緒に組めば相性はいいのかも知れないが、どうしても相容れない。 なぜだろうか?
深く考えたいところだが、今は「あはははは♫ セリナめ〜、そのほっぺたを頂戴させてもらうぞ〜♪」なんてクソみたいなことを言いながら、ベタベタとくっついてくるレイトを迎え撃つのに忙しくて思考が回らない。
一つだけ確かなのは、私はこの傲慢で秀才な変人に、絶対に負けたくないという気持ちだけだった。