33 蠕動
大変お待たせしました。
――ぐぅ~~っ――
「うぐぐぎ、……っく! ぬっはぁ!」
貴賓室の隣にある広い居間の一角。ソファが並べられ、大理石でできた低いローテーブルの上で、シロと呼ばれる光の精霊は唸り続ける腹を押さえてのたうち回っていた。
「お、収まれ! 収まり給え! 我が腹の虫よ~!」
小さな手を天に翳し、大きな双眸から珠の涙をポロリと零しながら、彼は懇願していた。
精霊――。
普段の彼らは本来そういった状態になることは無い。何故なら彼らは力の根源であり、この異世界であるイリステリアの世界と密接に繋がっている者達であるからだ。故に彼らが欲するそういった類のものは、彼らの属性毎の自然現象から手に入れられるし、本来そこまでガツガツ必要なわけでもない。特に光の精霊である彼の場合、それこそ小さな灯火である蝋燭の仄かな光源ですら力へと変えることが可能なのだ。……ただ、それは彼が一人の場合である。
――契約精霊。
そう、彼はその身をヒュームであるサラと契約を交わしている。この世界の根源の一つである精霊では在るが、一度その身をこの世界の人間と契約を交わしたならば、その力の源は契約者からの供給に制限され、その人間の持つ力を超えての事象改変行為は出来ないように制約されてしまうのだ。でなければこの世界はとうに無くなっていただろう。……ただ、何故だか彼はどういう訳か他の精霊達より魔素の吸収量が多かった。その為、生命の精霊であるクロとも契約しているサラからは十分な魔素の吸収が出来なかった。なんとか活動ギリギリの量を補給しているつもりであった彼だが、それでも実際はクロの便宜で過剰吸収していたことを知らされ、それからというもの、日々吸収制限をしてなんとか凌いでいたのだがここへ来てその状態が飢餓状態を起こし、絶賛のたうち回り中だった。
「シ、シロちゃん、そんなに我慢できないなら吸収してもいいんだよ」
そのあまりに壮絶なのたうちっぷりに、逆に体力を使わないのかと心配になった契約主のサラが声を掛けるが、それを手で制して「いや! いけない! いけないのだ主よ! そんな事をしてしまっては我の沽券にかかわ……ぬごぉぉ!」とまた腹がなる。
「……サラ、今までシロは際限なく吸収してたから、バカになってるの。今はその制限をして少しでも体で覚えないといけないからそのままでいい」
サラの頭上でふわりと蝶のような羽を動かしてクロが小さい声で毒吐くと、シロはぎょろりと睨みつけるが、半目で眠そうな彼女を見た彼は、クロは自分以上に我慢しているのだと思い出し、ぐぬぬと唇を噛み締めて、ローテーブル上をまたコロコロと転がっていく。
「ぐぬぬ~。ころころ~。大丈夫シロちゃん?」
そんな状態のシロをニコニコとした目でマリアーベルが追いながら話していると、ノックの後に扉が開き、セーリスを先頭に幾人かの人間が入ってくる。
「……あぁ、ここに居た……? シロは一体何をしているのだ?」
部屋を一旦見回し、件の連中を見つけたセーリスだったが、テーブルの上で転げ回るシロを見つけて思わずそう聞くと、コロコロと笑いながらマリアーベルが説明する。
「……はぁ~。ま、まぁ丁度良いか、おい、コヤツが言ってた「光の精霊」だ」
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ガデス国王がそこまで言って一旦口を噤む。ゆっくりと間を持って再度口を開いたとき、視線は賢者ミリアム・トールに固定されていた。
「……まず問いたい。賢者よ、この文言は信じるに足ると考えるか?」
「はい! 何よりも、今王がこれと同じものを見たという言がその証拠でしょう。それに――」
「待て」
次いで言葉を紡ごうとする賢者に待ったをかけたドワーフの王は、そこで眉間のシワを更に深く刻み、ソファにドカリと腰を落として深く息を吐きだす。そうして渋面のまま今一度彼に向き直り、少し前かがみになって言葉を放ち始めた。
「……ではもう一つ。 ……邪神は……。邪神は一柱ではなかったのか?」
その言葉が出た途端、小波が押し寄せるようにざわめきが立ち始め、あちこちで囁き声が小声に変わり、ついには聞き取れるような言葉になって場が俄に騒ぎ始める。
「なんだって!?」「邪神が?!」「石板には!」「そうだ!」「一柱は封印されたって!」「ばらばらにされても生きている?」
――そしてもう一柱は――。
――地の底へと逃げた。
そこまで誰かが言った途端、会議室は一気に爆発したかのような大音響のわめき声が上がる。喧々囂々となり、椅子を立ち上がる者、ただ喚き散らす者など様々に取り乱す中、賢者ミリアム・トールとガデス王は二人向かい合ったまま、周りの音など気にもせずゆっくりと言葉の応酬を重ね始める。
「……王よ、この石板に書かれている柱は二柱……。それは間違いないでしょう」
「――っ! なら――」
「お待ち下さい、まだ続きがあります」
「な、なんだ?」
「もう一柱、邪神が居るでしょう」
――アナディエルと呼ばれた、勇者に討たれた邪神が。
その名を聞いたガデス王は絶句し、瞠目する。思考が高速で回転させてみるが、空転でもしているのか全く考えが浮かばない。そう、我らが知っている邪神の名はアナディエルだ。だがそれは千年前の異界の勇者の奮闘で討ち滅ぼされた。……あぁ、確かにそう記憶している。故に世界は平和を取り戻し、今の国家郡となったのだ。
そこまでなんとか動いた頭で思考が戻ったとき、彼はハッとする。
――封印!
「いや賢者よ、もしかするとその封印された邪神こそが、アナディエルと考えることは出来ないか?」
そう在って欲しいと言う願いを込めて半ば縋る思いで聞いた王にミリアムはそっと首を振る。
「……よく考えてください王よ。異界の勇者の伝承は我らが知る史実。……対してこの文言は違う。恐らくはもっと昔のことだと推察します、であるなら――」
そこまで聞いたガデスはミリアムの前に手を出し制止する。
「……時代がそもそも違う?!」
目を泳がせたままポツリと零したその言葉に賢者は黙って首肯する。
――そう。
この石板は古代文明のもの。
異界の勇者が降臨する遥か昔の、それこそ数千年も前の出来事かもしれないのだ。
「……この世界は一体、幾つの文明を経てきたのだ……」
王と賢者の問答を聞き、キッシンジャーは背に冷たいものを感じながら、声にならない声でそう呟いた。
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「三番隊はどうなっている?!」
「は! 現在、隊は渓谷を南西側にて展開、索敵及び逐次掃討中であります!」
「次! 大隊の展開状況は?」
「は! 目下攻撃掃討、索敵にて随時投入しており、救護部隊はその後方に随伴して展開して――」
リットン領の最北端に有る砦の会議室では怒号が飛び交い、それを上回る勢いの声で一人の大男がそれらを纏めている。身長は優に二メートルを超え、騎士鎧はその周りにいる騎士の二人分ほどだろうかと思う程。兜は被っておらず、その顔には歴戦の痕だろうか、大きな傷が幾つも刻まれ、眼光は鋭くあちこちから持ち寄られる羊皮紙を睨みつけていた。
帝国騎士団団長、バスコフ・フリューゲンは厳しい顔をそのままに、報告書とテーブルに広げられたリットン領の詳細地図を交互に睨んでいる。
(……ふむ、現状としてはまずまず抑え込みは出来ているのか……が、しかし、森周辺の開拓村が壊滅状態というのが痛い)
彼の頭の中では渓谷周辺に伸びる補給部隊の拠点整備の遅さに苦慮していた。リットン領は元々大半が森になっており、開けた地域などは領都や大きな街周辺程度しかない。ましてスタンピードの発生源はあの大渓谷にある監獄城と来た。国の上層部でも限られた者とこのリットン領の領主程度しか知らぬ秘匿された場所でのスタンピード。最早、国のあちこちで囁かれるのは貴族共の醜い口喧嘩が容易に想像できてしまう。
(……いかん、今はそんな事を考えている場合ではない!)
逸れてしまった思考を頭を振って仕切り直し、ふと手元にある羊皮紙にいま一度目を落とした時。
「……? チャック・モルデン卿?」
そこにはリットン領に訪れた、外国人の名が記されていた。