28 動き始める
お待たせして申し訳ございません。
――朝の光がその高く白い塔に反射する。まるで天を突かんと聳えるその塔の真下には、花の園が拡がっており、土塊の剥き出しになった小さな碑を隠すかのように、放射状に光が拡散され、周りに建つ神殿へと降り注いでいた。
「……ふむ、素晴らしい陽光ですね。まるでこの日を天も望んでおられるかの如く」
真っ白な壁に、漆黒の家具で囲まれたモノトーンの部屋の窓際で、その男は静かに誰に話すでもなく呟いた。入口に控えた白装束の小さな者に、その言葉は届いているが、彼女の目は布で覆われ、口は物理的に縫い留められている。耳たぶは削ぎ落とされ、穴の部分は灼かれたのか塞がれており、「見、聞き、話す」事は出来ない。にも関わらず、声の主が不意に片手を上げた途端、部屋を縦横に音もなく歩き、彼の傍でまた頭を垂れて、盆に乗った書状を恭しく掲げる。
「……ありがとう「先見」」
スイベールは礼を口にしながらも、そちらをチラと見向きもせず、盆に乗った書状だけを手に取ると、開いて短い文章を読んだ後、大きなテラス窓を眺めて目を細める。
「……そろそろその縫い止めた糸、外して差し上げましょう。……舌はもう無いのですから」
その言葉を聞いた途端、先見と呼ばれた少女は肩をビクリと跳ね上げた後、盆を持ち上げ、更に頭を下げてから、振り返りもせず、元の入口へと戻っていく。扉を開けて部屋を出る時、深々とお辞儀をした瞬間、目元を覆っていた布の隙間から、床に雫が数滴落ちた。
「――ふぅ、彼女もこれで反省出来たでしょう。つまらない『お喋り』は必要ないと」
◇ ◇ ◇ ◇
ハマナス商業連邦評議国の中心部に、天をも貫かんとする尖塔を擁する聖イリス教会総本部。その教会は壁も建物も全てが純白で、まさに白亜の宮殿とも呼べる巨大な教会。その大聖堂には世界最大の大きさを誇る神像、イリステリアが祀られ、尖塔からの光を背に聖堂内に拡散されるよう、計算された配置になっていた。窓は縦に長く配置され、まるでスリットのような形をしている。周りを支える太い柱には、この世界の他の神々が彫刻され、中央部にある礼拝部はまるで、神に見守られているような感覚になってしまう。神像の真下にある祭壇場はその巨大な礼拝堂を見渡せるよう、舞台のように高い場所に設置され、祭壇はイリス像の台座の部分に重なって見えるようになっていた。
そんな巨大な礼拝堂に、数日前から何百人という職人や、聖職者が集まって、大詰めとも言われる作業に追われている。
「おい! この椅子は壇上に並べるのか?!」
「違う! こっち――」
「この柱に――」
「こっちを手伝って――」
「……司祭様、このままでは」
「ふぅ……、分かっています。ですが、この作業を終わらせれば、すべての準備が整います。皆さんお疲れでしょうが、頑張りましょう」
――神前審問会。
聖イリス教現教皇、スイベール・カインの一言が発せられたのはつい一月程前の事。……その日から、この教会本部はほぼ夜を徹しての作業に追われた。事務方は司教以上を集めるため、各国への日程調整に奔走し、魔導通信室は何度、魔石交換を余儀なくされたか。ハマナスに所在している教会支部には使者を送り、そこからまた使者をと数珠つなぎのように人を送り続け、いつしか、事務塔にいる人間の殆どは、書状書きで腱鞘炎になったか、不眠続きで立って寝ることが出来るようになったと変な自慢をしている者まで居た。……現場で作業を進める者たちはもっと悲惨な状態の者たちも……。
神前審問会……。それは神の居られるこの礼拝堂で行われる、最大の裁判行事。行われたのはイリス教がこの世界に産まれてから数度。それすらイリス教の歴史書に記載があるだけで、実際どの様な順序で、何人が集まってなど詳細は一切不明なのだ。この世界に拡がった教徒の司教以上が礼拝堂に会し、神の御前で荘厳に行わなければならない。
――一体何人の人が集まるのだ?
現場監督を受けた司教たちはそこだけで頭を抱えた。事務方に聞いても「たくさんだ! 私も未だ把握していない! ……グゥ」等と虚ろな目をして、半分寝たまま答えられた。……司教以上となれば、各街に一人か二人、大司教は一人……。これが領毎に……。そう考えた途端、最低でも千人近い人間が集まってくるとの予測ができた。だが、これはあくまで「ヒューム」の国の中の話で、他種族の代表はどの様に扱うのか、その人員の世話役は……と次から次へと考えることが増え、監督を行う人員を直ぐに増員してくれと直談判に向かい、人員確保に奔走。
そんな事が走馬灯のように蘇り、ぎゅっと閉じた目から滔々と汗を流していると、先程の信徒が恐る恐る声を掛けてくる。
「し、司祭様、あちらで監督役の司教様が……ぶっ倒れました」
「――いやぁぁぁぁぁ!」
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聖イリス教会総本部の周りには、国家の中枢を担う各種役場や、ギルド総本部が中央通りを挟んで綺麗に並んでいる。突き当りにその尖塔を配置し、両脇に立ち並ぶ各種建物群は、一つ一つの建物が、建築知識の粋を集めたように立派で荘厳なものだった。景観は統一され、白を基調とした神殿形式の様相で、道行く人々はその街並みを見るだけでも観光気分に浸れる。
そんな建物群の一つ、ギルド総本部の前に大型の魔導車が一台、ゆっくりと横付けされる。最初に降りてくるのは助手席から一人のずんぐりとした男。華美な服装ではないが、拵えは上品で、蓄えた髭は綺麗に纏められている。その男が後部席のドアを開けようとした時、ギルド会館から数人の執事服のようなものを着込んだヒュームが小走りに駆けてくる。
「……失礼いたします! ガデス・ドワーフ洞窟帝国のお方でしょうか」
「……そうだが、何か問題でも?」
その声が男に掛けられた時、答えを返したのは、後部席のドアから降りてくる一人のドワーフ。……その服装は何時もの作業着ではなく、かと言って貴族のそれとは違う、一般人が着るようなスーツを着こなしているガントだった。……相変わらずそのヒゲは剛毛のためか、纏めることは諦めていた。
「……っ! 申し訳ございませんが、貴人様の出入りは案内通りにこちらの通路を――」
返答に慌てて頭を下げると、執事の一人が恐れながらと専用通路の方へ案内しようと言葉を発するが、途端、大きな銅鑼声で笑い声が聞こえたと思うと、ガントの後ろからもう一人、こちらは綺麗に髪と髭を撫で付けた、貴人然とした礼服を着こなす紳士のドワーフが現れる。
「……儂のような爺ぃでも、まだまだ現役なのでな、気にせんで良い。……大体、この様な場所で馬鹿をする人間もおるまいて」
「し、しかし!」
「ハハハ! 構わん。それよりもこんな場所に突っ立っておるほうが不味いのではないか?」
言い募ろうとした所で、国王自らの正論に、慌てて執事たちは彼に頭を下げ「……っ! で、ではこちらへ」と案内するため道を開ける。一人が先導し、他の人間が両脇に並んだ所で「おう」とまるで気安い態度で付いていく中、ガントは王の後ろに付き従い「……すまんな」と小さく声を掛けて、その入口へと入っていく。
◇ ◇ ◇ ◇
ギルド総本部の入口を抜け、大きなロビーへ入ると、三階までの吹き抜けが一行を迎えた。見上げた天井は天球状になっており、その中心部から巨大な魔導シャンデリアがぶら下がっている。ロビーの左右には各受付が有り、結構な人々がその順番を待っている。ざっと見渡しただけで、十箇所以上はあろうかと思われる受付の人間は皆女性が担当していて、笑顔で応対していた。
「繁盛しておるのう」
その物言いが正解かどうかは横に置き、ガデス王が機嫌よく周りの状況を見ていると、一番端の受付で大きな声を上げる人間が一人。
「だからぁ! キッシンジャーさんを呼んでくれって!」
「ですから、アポイントが無い方との面会は――」
「はぁ~。数年ぶりに顔を出したってのに、なんでこうお役所ってのは融通が聞かないの!」
その人間はヒュームのようだが、その服装がなんともみすぼらしい。外套は擦り切れ、フードを捲っているが、その髪はボサボサと暴れ放題。そんな人間が、いきなりギルドの総本部にやって来て、魔導具ギルドのグランドマスターに、アポもなく会わせろと言うのは、所詮無理な話だろうとその場に居た全員が思っていると、彼はやおら懐に手を突っ込んで「……何処にやった?」と弄った後、カードを一枚取り出して、受付嬢にそれを突き出した。
――オリハルコン級「賢者」ミリアム・トールが急用だって言ってくれ。