23 オコーネルの乱
「え? 今の悲鳴は何?」
『……お~い、どうしたぁ?』
『あ、いえ。何やらあった模様ですので、少々お待ちください』
そこまで言って、ノートとの念話を一旦切り上げると、ドアを少し開けて外の状況を覗き見る。
「オコーネル殿! 一体どうしたと言う……がぁ!」
「衛兵! 衛兵! 副団長オコーネル殿が乱心めされた!」
「キャァァ!」
それは執務室の方角から聴こえてくる。オコーネル副団長が乱心? 今の今まで自分は彼と一緒に、子爵と三人で執務室に居たが、そんな様子は微塵も感じなかった。一体何が起こっているのだと思っていると、耳の奥と言うか、頭の中でノートの声が遠く聴こえてくる。
『ミスリア! なにか起きたのか?!』
「え?! あ、あの」
ノートの念話に反応し、言葉を返そうとした瞬間、目の前を駆け抜ける衛兵達と、執務室から転がり出る子爵を目撃した。
(まずい! お師様! しばらくお待ちを!)
それだけを頭の中で答えると、ドアをすり抜け、執務室へと駆け出した。子爵の状態はここからは判断できないが、顔に血痕が見える。ならば、危害を加えられたと分かる。未だドアの向こうに隠れる副団長は見えないが、私が出てからこの部屋に向かうまで、誰も廊下には居なかった。だとするならば今部屋には彼のみのはず!
そこまでを脳内で瞬時に判断すると、彼女はペンダントを強く握る。ノートから貰った魔導具であるそれは、彼女を中心に見えない結界を展開する。彼女が向かっている最中、いち早く衛兵が部屋に飛び込んでいくが、途端、叫び声が聴こえてきた。
「どうなされ……ぐわぁ!」
「ふ、副団長!」
ギリと歯を食いしばり、先ずは子爵の傍に到着すると、子爵を背に庇いながら、執務室を睨む。
「子爵様! お怪我は?」
「で、殿下! 腕を少し斬り付けられただけです。それよりもここからお逃げください!」
「何を申します! これでも元宮廷魔導師! 賊の捕縛など――!」
子爵にそう応えて部屋の向こうを見た瞬間、彼女の背筋が瞬時に粟立つ。……それは部屋から漂う濃密な気配と悪寒。室内には大きな窓があり、日中は日が差し込み、眩しいとさえ思えるほど明るい部屋だった。にも関わらず、彼女が見た光景は、さっきまでのそれとは全く違う。部屋中に血と臓物が広がっている所為で暗くなり、ビチャビチャと音を立ててそこら中から滴っている。部屋の中央にあったはずの机は見当たらず、執務机は部屋の奥で横倒しになっていた。先程飛び込んだ、衛兵は見当たらず、すぐに濃い血臭と生臭い匂いが彼女の鼻を突いた。
「クッ! そこにおられるのかオコーネル殿!?」
鼻を突く臭いに顔を歪め、目を凝らして部屋を睨んで彼の名を叫ぶが、返事はなく。代わりになにか黒い影が動いて、うめき声の様なものが聴こえてくる。
『ウヴヴゥ……ァァァ』
「……?!」
そこに立っていたのはミスリアの知る彼とは、全く違う姿をしていた。四肢は怒張して赤黒く染まり、着ていた衣服を引き千切っている。見た目はどう見てもオーガのそれだ。辛うじてその面影を残した顔には人の表情が残っているが、憤怒しているように目は血走り、髪は逆立っている。身体中の血管が浮き上がり、所々からそれが弾けて出血もしているが、それに逆らうように身体は未だ、怒張し、筋肉が盛り上がっている。
「……ひ、人がモンスターに?!」
……獣が瘴気に触れ、魔石を宿して魔獣に変容するのは周知している。屍に瘴気が宿り、アンデッドとなることも。……だが、生きた人間が、それもほんの少し目を離しただけの間に、人間がモンスターになるなど、見たことも聞いたこともない。
――だとするならば、眼の前で今も変容を遂げて、異形へと変わっていくアレは一体何なのだ?!
ミスリアはそのあまりにも現実離れした光景に、思わず思考が止まり、同時に身体も竦んで動けなくなってしまう。異形と化したオコーネル、なぜ彼がそんな変容を起こしてしまったのか。ミスリアの影に隠れた子爵は、肩に受けた傷を庇いながら、荒い息を吐きながら、動けなくなってしまったミスリアに声を掛ける。
「殿下! あの者は間違いなく、オコーネル副団長にございます! か、彼は騎士団長からの機密文書を読まれた途端、苦しみだして、あの様に」
「……機密文書?」
それまで呆然としていた彼女は、メスタ子爵の声で我に返り、その説明で停止していた思考が再び動き出す。機密文書を見た途端に苦しんだ? ……なんだ? 何か引っ掛かる。そうして頭は動いたが、思考の方に意識が割かれたために、視線の先で揺れた影に、気づくのが一拍遅れてしまう。
――ドガガガガガ!
部屋の奥に転がっていた、執務机がドアを突き破って廊下に飛ぶ。それは壊れていながらも、硬く上質な黒壇製。そんな大きな机を、異形の膂力で叩きつけてくれば、人など瞬時にミンチとなってしまう。駆けつけた衛兵たちはその様子を想像し、一瞬顔を顰めるが、粉々になった瓦礫の山が崩れると、そこには無傷のミスリアと、彼女に庇われた子爵が居た。
「貴方達! 子爵を連れてここから逃げなさい! モンスターの相手は私がします!」
「……え?!」
彼女の前には不自然に無傷の場所があり、まるで二人を取り囲むようにしている。そして彼女の発した『モンスター』と言う言葉に衛兵は一瞬戸惑うが、「早くなさい!」と続けた彼女の言葉に思わず「は!」と短く返し、子爵を連れてその場から離れる。
「……子爵様、一体なにが――」
「わからん! オコーネル殿が……」
走りながらそう言葉を交わしていると、後方では激しく何かが弾ける音と、ガラガラと建物が崩れる音がして、その振動がこちらの床にまで伝播し、思わずよろめき躓いてしまう。
「うをっ!」
壊れたドアの向こうから、のそりと姿を見せたその異形は、屋敷の高い天井部に頭をぶつけ、苛立ちを見せながらも自分に向けた威圧に目線を向ける。先程ぶつけた机の残骸の影に、その小さき者はこちらを見据え、掌をまっすぐ伸ばしていた。
「……光の槍!」
ミスリアの言葉とともにそれは彼女の掌の先に現れる。一瞬にして光が集まり凝縮すると一本の槍へと変化、音もなく射出されたように飛翔して、異形の胸めがけて突貫する。
「グギャァァァァ!!」
間一髪で身を躱した異形、それでも距離が近かった所為で避けきれず、槍はその肩に深く突き刺さる。衝撃で吹き飛ばされ、ドアの側の壁にぶつかると、そのまま壁を壊し、埃と煙が一瞬にして廊下に舞う。
「……っく! 室内だと面倒ですわ!」
突風を起こして煙をかき消し、視界を確保しながら部屋を見ると、そこに倒れたはずの異形は既におらず、慌てて視線を巡らせていると、低く、くぐもった声が聴こえてくる。
『……フゥ、オカゲで目がさメタ。礼をイウゾ、みすりあデンカ』
「……は?! あ、貴方、意識が有るのですか?」
「アァ……チカラノ奔流をうけて、スコシ昂ぶってシマッタがな」
「……な、何があったのです!?」
話が通じるならと思い、ミスリアはなぜこんな事になったのか原因を聞こうとするが、オコーネルはそこまで意識がはっきりしないのか、その質問を聞いても、自身の体の調子が見たいのか、体を色々動かしては「オオ! すばらシイ!」と悦に浸っている。その態度に苛ついた彼女はつい、命令口調でソイツに言い放ってしまう。
「分かっているのか?! 貴様はメスタ子爵を傷つけ、駆けつけた兵を殺傷したのですよ! 意識があるなら、大人しく――きゃあ!」