22 騒動
「……ん、んむぅ」
ステンドグラスから暖かい光が差し込み、彼女の頬を撫でていく。その光が目元に近づくと、むずがるように口を歪ませ、可愛らしい声を出して寝返りを打とうと体をひねるが、長椅子にそんな幅はない。結果、俺の身体にその可愛いらしい顔を押し付ける事になる。
「んぷっ……。ンミュ? ……っ!!」
顔を押し付けてしまい、息が詰まったのだろう。寝ぼけ眼で状況が理解できずに顔をあげると、俺としっかり目線が合う。途端彼女の顔はポン、と音が聞こえるような勢いで真っ赤に染まり、「アワアワ」と困った後、ギュッと目を瞑って俺の腹へ顔を埋める。その仕草に、俺は思わずクスリと笑顔が溢れ、そのふわふわとした柔らかな髪を撫でていると、彼女が小さく聞いてくる。
「……あ、兄様」
「ん、どうした?」
俺の腹に埋もれたまま、チラ見するように顔を少しずらして見上げると、恥ずかしそうな表情のまま、ボソボソと話し始める。
「私の寝顔、見ました?」
「……可愛らしかったぞ」
「――っ!!」
「……ずっと待たせて悪かったな」
照れて顔を隠そうとした所へ、俺の言葉が聞こえたのか、ふと瞳が揺れて、視線を合わせる事なく彼女は話す。確かに時間としては長い間、会えない事は辛かった。だけどそれで自分の犯した罪が消えるわけではない。
「……この永遠にも思える時は、私への罰だと思っていました。いつか、私の生を奪ってくれるまでの。だけど、あの時……兄様が見えたから」
そこまで言った彼女は徐ろに身を起こし、俺の胸に手を添え、息がかかるほどに顔を寄せてくる。
「私は……オフィリア・カインは、ノート兄様の事を――」
――バァン!
頬を染め、潤んだ瞳で真っ直ぐ俺を見つめる顔が、どんどん近づいて着たその時、礼拝堂入口のドアが大きな音を立てて開かれる。
「あ! ここに居た! ノートお兄ちゃん、おはよう! オフィリア様もおはよう!」
「ノートしゃん!」
「おいノート! 朝飯じゃぁ!」
勢いよく礼拝堂の扉が開けられ、清々しいまでの笑顔のマリアーベルと、サラ、セリスが乱入してくる。
******************
王城の貴賓室の一部屋で、国王の一族と、スレイヤーズ、聖女の一団が一堂に会し、テーブルを囲む。テーブルの上には様々な料理が置かれ、国王達は静かに、うちの連中は騒がしく、あれを寄越せこれも旨いと好き放題。そして何故か俺の向かいに座るオフィーリアは、ぷうと頬を膨らませ、じっと俺の両隣に座るマリーとセリスを睨んでいる。
「……あ~、オホン。ノート殿、離宮での件については、聖女様共々、大変お世話になりました。……え~、それで、あの~大変恐縮ではあるのですが」
異様な雰囲気に居た堪れないのか、カーライル・バイス・フォン・エルデンⅤ世が口火を切って話し始めると、皆の視線を一手に集める。
「……っ! う、うぅむ。後宮の件はどのようになったのでしょう?」
「あぁ、悪魔の一人は捕らえています」
「なんと! それは後宮に現れたと言う、あの!?」
「えぇ、ゲールと言っていました」
かい摘んで大雑把に今回侵入してきた敵の話をしていると、もう一方の聖職者達の話になる。彼の名はコルテボーナ枢機卿、聖教会の幹部の一人だという。そこに付き従っていた者たちの詳細は、既に死亡していたため正確には分からなかったが、確保した彼から後々聞いて行くと教えてもらう。そして旧ダリア領に関しては今朝一番で魔導通信が来た。
「――メスタ子爵から、魔導通信が今朝届きましてな。無事騎士団はミスリアと供に、領内へ到着したとの事。今朝より騎士団に関しましては各街へ配置を願ったと聞いております。ただ……」
「……?」
「ミスリアに関してはノート殿の指示を仰ぎたいと……」
「……あ!」
そう言えば彼女も連れて行ったんだった。
余りにも色んな事が一度に起きたせいで、彼女を騎士団のテントに放り込んだまま、俺達はスレイヤーズで移動した。そこから俺はケンジ君との事で一杯一杯になり、戻って今度は、オフィリアの事で頭が回らなくなっていた。
完全に彼女のことを失念してしまっていた。国王を見ると、なんとも悲しげな表情でこちらを見ている。周りに座った彼女の母エステラルは、俯いて袖で目を押さえ、弟のゲインズは「姉上……グスッ」と鼻を啜り、兄のカストルが彼を宥めている。イオーリアに至っては「あぁ、何と不憫な妹ミスリア……」と声に出し、全ての王族が俺をチラチラと見詰めてくる。その罪悪感たるや……。
「い、いや~。勿論彼女にはきちんと理由があって残って――」
「忘れてただけじゃろが」
「忘れてたわね」
シュュュェリー! セリィィィィス!
これでもかと目をひん剥いて、二人の顔を睨みつけるが、どこ吹く風と料理を貪る彼女等。頭皮からダバダバと変な汗が額を伝い、無理に作った表情筋が攣りそうになった処で、マリーがトドメの一撃をくれる。
「お兄ちゃんはオフィリア様と一緒にねんねしてたから」
「マリアーベル! わ、私はしょしょんにゃ――」
騒ぐ国王に、泣き叫ぶ王妃や王女、悔しげに咽ぶ王子達と、ガタン! と席を立つ嫁ーズに、高笑いするセリスと、オフィリアの連れてきた仲間たち……そこにはカオスが広がっていた。
******************
旧ダリア伯爵家にある執務室に、魔導通信書が王国から齎されたのは、中天に日が昇る昼食時だった。
「執政官殿、王国から指示書が二通届きました」
執務室を改装した指揮部屋には、机にメスタ子爵。前に置かれた長机には、ミスリア殿下と王国騎士団副長であるオコーネル・パントが互いに座り、テーブルを挟んで侍従が淹れたお茶を飲んでいる。通信士が子爵にその二通を手渡すと、彼はその封を確認して、一通だけ広げて確認する。
「こちらは、術式書類……ふむ。で、これは…………」
読み進める子爵を二人が見詰めていると、ややあってから彼はその用紙を机に置く。ふぅと小さくため息を吐いた後、徐ろに目線を上げると、その視線の先にいたのはミスリアだった。
「……殿下、ノート殿一行は悪魔の一体を捕縛し、無傷で既に王城にお戻りになられております」
「――そうですか。それで、師から私への指示は?」
「はい……あの、『念話』の魔導具を使って連絡をと」
「――っ!!!」
その言葉を聞いた途端、ミスリアは顔を真っ青にして、カップを持ったまま思わずと言った様子で椅子から立ち上がる。小声で「わ、忘れていました……」と溢し、子爵へ席を外しますと言い残して、そのまま侍従が開けたドアをすり抜け「アァァァァァァァァ!!」と叫びながら彼女に充てがわれた部屋へと走り去っていった。
「……カップが」
侍従の言葉が聞こえた子爵が「後で部屋で貰えば良い」と告げ、そのままオコーネルへと視線を移す。
「ん? 私にも何か指示が?」
「……はい、こちらは騎士団長様からです」
子爵はその封印を施したままの命令書を、オコーネルへと手渡す。受け取った彼はその封印に術式が施されている事に気がつくと「はて? 機密書類?」と呟きながらも、自身のマナを流し、封を解除した――。
『お師さまぁ~!』
部屋へ駆け込み、ドアを閉めたのを確認すると、彼女はその耳に着けていたイヤリングに意識を集中させ、声を出さずに情けない脳内音声で、師と仰ぐノートに念話を飛ばす。
『うひゃぁ! ……み、ミスリア?!』
『はい~、お師さまの寵愛を一身に受けたいミスリアにございますぅ』
『…………』
『――どうしました?』
『い、いや、君ほんとにミスリア? なんかキャラ変わってない?』
『キャ? なんですそれ?』
『……ま、まぁそこは良いや。そっちの様子はど――』
――キャァァァァ!
ノートがそこまで言ったとき、ドアの向こうで誰かの悲鳴が響き渡る。