18 賢者
スクーデリアに続き、宿の階段を登ること数階。最上階に着いた二人は、そのまま眼の前にある一つしか無いドアに向かって歩いていく。
「……スクーデリアです。カサンドラさんをお連れいたしました」
二度叩いて、一度叩くと言う変則的なドアノックの後、スクーデリアがドアに向かってそう言うと、ロックの外れる音が聴こえ、なにか術式も罹っていたのか、一瞬ドアそれ自体が明滅した。
「――さぁ、お入りください」
ドアを背にスクーデリアがカサンドラに振り返る。言われて彼女は刹那、心拍が跳ね上げるが、それは見せずに笑顔で応え、「失礼します」とドアを潜った。
其処は貴族街に近い高級宿の最上階。潜ったドアの向こうはいきなり大きなリビングルーム。首を左右に振らないといけない程に広く、正面突き当りは大きな全面窓になっている。置かれた家具類や調度品はひと目見て高級そうだと分かるほどに、精緻に細工が施され、華美ではないがその一つ一つに品が感じられた。中央部分には大きなソファが並んでいて、コの字型に窓に向かって設置され、その中央部に一人の小さな人物が、側に立つメイドに茶を淹れてもらっていた。
「……やぁ、お久しぶり! 先ずはこちらに座ってお茶でもどうぞ」
少し甲高い声を出しながら、振り返ったその顔は、丸い顔に少し鼻が長い。目はくりっとして、口は耳にまで届きそうなほど大きかった。彼の種族名はノーム。妖精種ドワーフに近い種ではあるが、彼らのように樽のような体型ではなく、どちらかと言えば細く華奢な身体をしている。ドワーフと違うのは彼らは同じ錬金でも細工や細かい魔導具作りに精通しており、ドワーフのように採掘、鍛錬よりも彫金、付与に特化しているのだ。種としてはドワーフに近い近親種ではあるが、なぜだか、ドワーフ達とはあまり仲が良くない。また、彼らはその種族特性から人口が非情に少なく、「幻想種」として手厚く保護されている。
「……ありがとうございます。お久しぶりですキルコ様」
彼の言葉にそう答え、ソファに近づき会釈をしてから、一人がけのソファに腰掛けるカサンドラ。途端、メイドが彼女の前に茶器を揃え、音も立てずにお茶を淹れる。
「やだなぁ、「様」なんて付けないでよ。……まぁ、確かに年齢はそれなりだけど、ちっちゃいんだから!」
ソファの上でプンスカしながら、あまり長くない手足をばたつかせるキルコ・ノエル。幻想種である彼の現在の年齢は既に三百を超えている。そんな彼は魔技師のランクは当然オリハルコン級だ。本来、薬師や魔技師など、戦闘に類しない者たちにオリハルコン級などという国家レベルはどうかと思うのだが、彼らのように有史初期から存在する伝説級の者たちは別格だ。彼らはそれこそ魔導具を基礎から作り上げた先人でもあるのだ、そんな彼らを一括りになどできるはずもない。ヒュームは彼らを国賓扱いし、その知識を乞い願って今の魔技師ギルドが存在していると言っても過言ではない。……そう、あのセリス様と同じ様な存在なのだ。ただ、彼女は自らその地位を固辞した為にミスリルではあるのだが……。
「スクーデリアも一緒にどう? この宿のクッキー美味しいよ」
「……後で頂きます。先に所要を済ませてまいりますので、失礼します」
キルコがそう聞くと、彼女は深く礼をしてそう応え、そのまま部屋を出ていく。その背をキルコはじっと見詰めていたが、カサンドラからその表情までは窺えなかった。
「――そう……。美味しいのに……」
「……あ、あの――」
「カサンドラちゃんは食べるよね?! お勧めはこの――」
振り返ったキルコは満面の笑みを見せながら、カサンドラにテーブルに乗ったクッキーを手渡してきた。
◇ ◇ ◇
ドアを閉めたスクーデリアのすぐ後ろには、階下に居た大柄の執事が恭しく立っている。彼女はその気配に気づいているのだろう、振り返ることもなく小さな声で彼に話しかけた。
「――本部からの連絡は?」
「……変わり有りません。「キルコ様のご指示通りに」と」
「……そう、わかりました。「鳥」を一羽放ってください、文はこれを」
そう言って彼女は懐から小さく丸めた紙を執事に手渡すと、その足で階段に向かっていく。
「少し出ます。警護の方お願い致します」
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「……そうですか。キルコ様は問題なくカサンドラ嬢と接触できましたか」
ハマナスギルド本部にある魔導通信室の部屋で、キッシンジャーはエクスからの報告を受け取っていた。通信者はその書類とは別にもう一枚出て来た術式封印された書類に一瞬目を眇めるが、キッシンジャーに横から掠め取られた為、深く追求することは諦める。
「――これはギルドの機密文書なのでな。……それとこちらをシンデリスの総合会館に居る、マイア・メルストリープ殿に送ってくれ」
そう言ってキッシンジャーは懐から一通の術式封印された書類を手渡すと、通信機の送信完了を見届けてから部屋を後にする。
通路を歩きながら、彼は一人黙考する。聖教会の間者から報告を受けていた、「神前審問」の日程も決まり、聖女様の弾劾も既定路線で行われる。……それはヒューム圏に存在する聖イリス教に少なくない衝撃と変革を齎すことになるだろう事は明白だ。そしてそれはヒュームだけで終わる話ではない。なぜならばイリス教はヒュームのみならず、ビーシアン、ドワーフ種、エルフ種等、特定の国を除くほぼ全ての人類に広く認知され、定着している宗教。そしてヒュームの聖女様はそんな他国の聖女様たちの象徴たる存在となっているお方なのだ。そんなお方が「裏切り者」として弾劾される。
(一体、教皇は何を考えているのだ? 今そんな事を行えば、国家を巻き込んでの騒動に発展するというのに)
キッシンジャーはそんな事を一人悶々としながら、通路を進んでいく。途中、ギルドの者たちが頭を下げて挨拶してくるが、そんな者など見えないように。
◇ ◇ ◇
「……そうか」
ギルド会館の別の部屋では、ドナルド・カードが一人の男から報告を受けて執務机に目線を落としていた。
「……エルデンに公表の動きはあるのか?」
「……いえ、おそらくそれはないかと。そもそも「迷い人」の件すら表立った動きを見せておりません」
「だな……。へイムスの行方もまだ掴めていないのに、ビーシアンのアリシエールまで……。クソッタレ、国家戦力だと言うになぜこうも自由にアレらは動き回るのだ。「彼」はまだ動いていないんだな?」
「はい、彼はそちらの件にはあまり興味をお持ちではないようですので」
「……「そちらの件」か」
それも時間の問題だろうとドナルドは思う。彼はこの世界でほぼ居ないと言われる「賢者」の称号を持つ。魔導を極め、本来魔術師にしか成れないヒュームでありながら、精霊魔法を扱え、聖属性である治癒も行使出来る。錬金術や体術なども扱え、それらのほぼ全ての術が扱えるという故に「賢者」の称号が与えられ、この世界イリステリアの中央国家のオリハルコン級冒険者として存在している。
だがそれは、あくまでこの「世界」での頂点であるということに過ぎない。そんな彼は世間の情勢に疎く、また興味が少なかった為に、現在は不帰の森近くに住み、専ら聖獣や幻獣の研究に没頭している。偶に送られてくる錬金術のレシピや薬草の類などのお陰で、飛躍的にそれらの分野で役に立っている。
もしそんな彼が、「迷い人」ノートの事を知ったら……。研究バカの彼なら――。
「……何を置いてもすっ飛んでいくのだろうな」
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ハマナス中央に所在する高級宿の一室でマキアノがソファで寛いでいると、ドアノックの音が聞こえてきた。部屋に居た従者がドアを開けると一人の外套をまとった男が入ってくる。
「……見つかったのですか?」
「国の最北端、辺境の村の外れに……」
「やはり、不帰の森でしたか」
――賢者ミリアム・トール、お会いする日を楽しみにしていますよ。