** 選択
「――っ! そんな! 誰が?!」
思わず大きな声でシスに聞き返してしまう。
そんな事が信じられるわけがない。だってそれじゃ、あの世界にいる神の誰かが裏切り者って事じゃないか。皆あの世界のことを必死に思って頑張っていた。それを俺は見ている。イリスは当然だが、マリネラやグスノフ達も自身が疲弊してしまうほどに……ノードはドワーフ達の事を見ていたし、エギルは「永久の長久」を毛嫌いしていた。エリオスは……よく分かんないけど、ただの筋肉達磨だ。……セレス・フィリアはそれこそ地上に直接降りて精霊たちを守ろうと必死だ。なのに……誰がそんな事を考えて――。
《マスター。今ここで言い合いをしていても、水掛け論になってしまいます。……ただ、はっきりしているのはデータと事実の積み重ねから導き出したこの推論が、最も理に適っているという事です。データ上、世界の再編は二百七十を超えますが、その内、永久の長久が確認されるのが九十%を超えています。さらに言えばその際、地球からの神の派遣は八柱。内六名が永久の長久のメンバーなのです。ですから――》
聞けば聞くほどシスの言う言葉が補正され、確度が上がっていく。
「……そんな、ずっと信じていたのに」
《……そうですね。マスターはお人好しな面が大いにありますから。……なので私がずっと見守ってきました》
その言葉を聞いた瞬間、彼女が神たちに良い感情を持っていなかった事を思い出す。……俺の中から初めて出現した時も、神達の警戒とは別種の物を感じたし……何かにつけて彼らに当たりがキツかった。千年で記憶を精算してしまう神達と、森羅万象を記憶し続けているシス。それは健二君の時代からずっと……。
「――はぁ~。……わかったよシス、今はまだその気にはなれないけど、それは置いておく。……それで、彼の言ってた「選択」って?」
《……そのお話をする前に、世界がどう動いているのかをお知らせいたします。現在――》
そこから彼女は今イリステリアの各国で起きている現状を俺に教えてくれる。主要国にあった「監獄城」が何故かほぼ同時期に一斉に発見され、その城を調べるべく各国が水面下で動き始めた事。ハマナス商業連邦評議共和国には俺の造った「魔導車」や「レシーバー」の件で帝国から横槍が入って見分が行われているが、そこにドワーフの王が臨席するらしい事など、俺が関係している、いないに関わらず、様々な各国の情勢をファイルごとに整理して教えてくれた。
◆ ◆ ◆
《――以上が、現状各国で起きている出来事と、情勢です》
「……あぁ、うん。一度に色々ありがとう。……全部バックアップしてるよね? ゴメンだけれど、ほとんど理解できなかった」
《……》
「いや! 聞いて! ねぇシス聞いてよ! 今聞いた話で俺が関与しなきゃいけない事ってどれなの? もしも全部とか言うなら無理だよ! 先ずはサラを助けなきゃ! そうしてオフィリアとも逢わないと! じゃないと話なんて進められないよ」
《分かっています。……そう仰ることは分かっていましたから。……なので駄々っ子ポーズはやめてください。寝っ転がるつもりですか?》
地団駄踏んでも駄目だと思い、こうなりゃ五体投地でもと考えてたら、先に釘を差されてしまう。ちがう! 土下寝! 駄々っ子ってなんだよ!
《マスターの思考癖はだいたい予想できますので……》
……ちくせう。
《……マスター、いえノート様。私的な質問をよろしいでしょうか》
「――え?」
突然、シスがそんな事を言って真面目な目線を送ってくる。……私的? ふとその言葉に違和感を覚える。シスは「独立型自動並列思考システム」と言うスキルなのだ。自我を持っていても、今までそんな事を言われたことなんて一度もない。……いや、思っていてもしなかったのか? どうして?
「良いけど、何故今なんだ?」
《……敢えて言えば今だからでしょう。私は健二様、クロノス様に創造されて以来、森羅万象、ありとあらゆる事象の収集と整理、管理を行ってきました。それこそ時の流れや世界の観測から、誰がどこで何をしていたのか等、一見取るに足らないと思うような事柄まで。それらを取捨選択し、要不要まで管理してきました。……全て、クロノス様がそう創造されたからです。故にそこには一分の疑問も持っておりません。それは、現在ノート様、貴方に委譲されても変わりはございません。私のすべき事は唯一つ。『マスターの幸福と、保護』これこそが自身の存在理由なのです。それを踏まえた上でお聞きしたいことがございます》
「……あ、あぁわかった」
《マスターは言わば「巻き込まれた」状態であると思います。幾ら魂が擦り切れてしまって弱っていたとはいえ、地球で平穏とは言い難いですが、平和に暮らしていました。それが、突然こちらの都合でイリステリアに喚ばれ、特殊な能力を与えられて異界で生活することになってしまいました。……もし、もしもですが今、地球に戻れるとすればどうします?》
――予想もしていない質問につい、メイド姿でこちらを真っ直ぐ見つめるシスを凝視してしまう。服はヒザ下まで有るロングスカートの、所謂クラシックタイプ。どこから見ても美人としか形容できない大きな目と長い睫毛、真っ直ぐ通った鼻梁に小さな唇。長い髪は金に輝き、サラサラと音でも聞こえそうなほどに艶めいている。……大きな瞳はアイスグリーンで、どこまでも深く澄んでいる。
《……マスター?》
「――は! え? あ! スマン、思ってもみない質問だったからちょっと思考が止まってしまった。……ってか、う~ん。地球に戻る……?」
《あくまで仮定の話です》
……言われて少し思い返してみることにする。……とは言っても自身の想い出に郷愁を誘うものは既に無い。小さかった頃の想い出も、恋を知った出来事も、全てが相馬健二君との混ざり物だ。唯一残っているとすれば、苦しかっただけの哀しい社畜の現実だけ……。五十になるまで独り身で、趣味と呼べるものはWeb小説を読むくらい。休みと呼べるものは殆どなく、たまにあっても家事で潰れた。……あれ? 向こうに戻って何か良いこと有るのだろうか? あぁ、そう言えば肉体は若返ったんだっけ。……若い身体で戻れるなら、もう一度人生をやり直すことも……。
「――いや、戻らないかな」
《どうしてでしょう?》
「それこそ、クロノスがやった事と同じじゃん。人生のやり直し……。もし、もしもさ。彼を見ていなかったら、それを選んだかもしれない。だけど、俺は彼を見た。辛い人生を何度も繰り返し、少しでも良い方へ変えようと頑張った彼を。あぁ、クロノスを否定するつもりはないんだ。彼の繰り返した人生は、自分の為じゃなかっただろ? たった一人の『綾華』ちゃんの為に繰り返した人生。今の俺にはそんな事、とてもじゃないけど出来ないと思うんだ。……俺は彼のように聖人にはなれない。絶対、損得勘定がどこかで働くと思うからさ」
《それはいけない事なのでしょうか? 人には誰しも欲があって当然だと思いますが。現にクロノス様も綾華様を幸せにしたいと考えて――》
「だからだよ。……忘れたのかシス。俺にももう奥さんが三人ちゃんといるんだぜ?」
《……それは》
「……元の世界では作らなかった人間関係を、俺はこの世界でたくさん作ることが出来た。たとえそれが成り行き上だとか、半強制的だったとは言え、俺は嫌じゃないし、奥さんたちのことは大好きだ。まだ見ぬ人たちのことははっきり言ってわからないし、俺が全てをなんて烏滸がましい事も考えない。……俺はそんなお人好しでもないしな」
《そうですか。ではこの世界で英雄に成るつもりも》
「――ない! 俺は聖人君子じゃなくて只の『人間』だよ」
――フハハハハハ! そうか、そうか。君は己を「只人」とするか! その『選択』しかと聞き入れた。
俺の答えに突如、大きな笑い声がシスの後ろで上がる。驚いてそちらを見やると、見た事もない中性的な顔立ちの人が立っていた。




