** 分水嶺
――ならば、時間軸が別の地点に降りたんじゃろう。
爺さんの話は全く意味がわからなかった。ここは、時の狭間に有る空間の中の小部屋と説明された所で理解できるか? ついさっきまで日本でリア充してた普通の高校生だぜ? 次元がどうとか、ベクトルが何だと言われて「うんうん理解!」なんて出来るわけないっつの。さんざん噛み砕いてもらって説明を聞いた後、愕然としたさ。俺と綾華の陣に落ちた時間差なんて、刹那の間しか無かったはずだ。にも関わらず、俺が降り立った場所と彼女の降りた時間が違うなんて……。呆然としてちゃぶ台に突っ伏していたら、爺さんが「ちょっと待っておれ」と言うと、虚空にウインドウが映し出された。それに向かって何か、ごそごそした後、ウインドウを閉じるとこちらを向いてこう言ったんだ。
「……フム。調べてみたが、お主の言う場所にその魔法陣はもう無いようじゃな。おそらく条件を満たしたんじゃろう」
「条件? ん? その場所ってどうやって調べてんだ?!」
――そこから長々と説明される爺さんの話は聞けば聞くほど意味不明だった。まず、この爺さんは自身を「古き神」だと言った。この宇宙のある世界という概念の外から来たと言い、この世界を創った側の者だと言う。だから、この世界にいる神は厳密に言うと神ではなく「管理者」であり、その魂は俺達と同一で格が違うだけらしい。そして俺達が落ちた魔法陣……。それは恐らく、選定の陣だったという事らしい。
「選定の陣?」
「うむ。先程も述べたように「管理者」の魂はこの世界に居る君達のそれと同類なのじゃよ。じゃから、一定の格を持つ者やそれに見合った人物などが『システム』によって選ばれ、所謂、死者となった際に魂が神へと昇格する。もちろんその際、記憶などは一切消去されるがの。只、神として、基礎のものは全て肉体側に初めから備わっており、魂が入った瞬間、それはインストールされ、神として自覚するんじゃ。……しかし、おかしいのう。お主、輪廻を通らずここに来たのか。記憶も消去されておらんし……。はて一体どう言う事なんじゃ?」
「知らねぇよ……。じゃあ何か? 俺や綾華はその陣に入った時点で、もう死んでしまったって事なのか?」
「……あの星ではそうなっておるじゃろうな。現に滑落した現場を目撃した人間がおる。遺体も間もなく発見されるじゃろう」
「ちょっと待った! え? 遺体? て、は? いや、俺の身体、ここにあるじゃん」
――何を言っておる。陣に入った時点で分解されたじゃろうが。
言葉もなかった――。
痛みも何もないままに、あの陣に乗った途端に身体は崩れていった、足元から砂で出来た像が壊れるようにバラバラと。綾華の手を握れなかったのもそのせいか……。爺さんが言うには、今の俺の体は記憶が維持しているだけの、精神体のようなモノだと言う。噛みしめる奥歯の感覚も、切れて血が滲むこの唇さえ、心が覚えているただの記憶の再現だという。
「……フム、少し調べてやるでな。そこでゆっくり待っておれ」
言葉を忘れ、流れる涙すら止めることもせず。崩折れたまま、畳の上で記憶が途切れるまで泣き続けた。獣のように叫び、喉が切れて喀血しようとも、気にすることなく喚き散らした。やがて性も根も尽き果て、気絶して眠りにつくと、身体はまた元通りに完治していて、本当に肉体ではないのだと知ってまた泣いた。
この空間には時間というものが存在しない。だから当然昼夜もない。真っ白な空間を見れば明るくも暗くもなく、只々白い。泣き疲れ、茫然自失となってしまった俺は、ただその空間を気の向くまま見詰め、隣でずっと何か作業をしている爺さんが、偶に聞いてくることに耳を傾けるだけだった。
「……フム、健二君や、綾華ちゃんの行き先がわかったぞ」
「――っ! どこだ?!」
「……君の居た次元とは異なる世界「イリステリア」そこに管理神「イリス」として構成されておる」
「構成? ってか別世界ってなんだ? どうやったらそこに行ける?!」
「あぁ、いっぺんに聞かんでもちゃんと説明してやる! 裾を掴むでない! ほれ、座りなさい」
爺さんが話してくれた意味は当時半分も理解できなかった。ただ、俺の知る世界とは違う、いわゆる剣や魔法を扱えるゲームのような世界の神になったと理解した。その世界では神が地上の民を直接導き、神託によって世界を開拓させているという事だった。魔素と呼ばれるエネルギーがどうも不安定で、幾つも修正しながら星そのものを安定させようとしたが、生物が多様化されて繁殖したため管理しきれず、いろんな世界から神を集めたそうだと言っていた。手伝いをしてくれた神も沢山居たが、どうやら悪さをする者も居たらしい。ソイツらは邪神となって地上へ降臨し、人々を直接惑わせていた。天上に居る神はそれを良しとせず、大きな戦争が起こってしまう。『神魔戦争』と呼ばれたそれは、天上の神の辛勝で終わったが、大陸の半分が壊され、神獣や聖獣も大きなダメージを負ってしまった。一度無に還ってしまった土地には精霊を送り、人や生物は輪廻させたが、魂の数が足らず、当時地球で起きた災害による魂を貰い受けた。当然輪廻の際に魂は浄化されたが、その時地球の神もこの世界には派遣されており、どうやら一部が悪の概念を持ち越してしまった。それを知った宙域の管理神は大いに怒り、その神達を人へと降格させた。残った中央部分の大陸に、今一度命の源を与え、再編させた管理者グスノフは、増え続ける種の管理に困り、何時しかまた神を増やして管理した。そうして形が出来上がった頃、最後に『彼女』を最高管理者として据えたのだ。
「そうして彼女が「管理者」としてイリステリアに召喚されたみたいなんじゃが……」
「じゃが? 何だよ、勿体つけんなよ!」
「……どうやら、彼女……記憶が中途半端に残っておるらしいんじゃ。お主……最後に彼女に触れたと言っておったな」
そう言って爺さんは徐に俺にズイと近寄ると、顔をこれでもかと近づけて瞳の奥を覗き込んでくる。
「……ん~。微かにでは有るが……お主、魔力を持っておるのぅ。地球人は確か……もう使えなくなって久しいはずなんじゃが」
「は? んな事言われても分かんねぇよ! 何か問題でもあるのか?」
「ん? ……お主にか? いや、特段無いとは思うが……記憶の消去は出来んじゃろうな。あぁ、そうなるとやはり厳しいのか……」
「爺さん! 何を一人でゴチャゴチャ言ってるんだよ。分かるように言ってくれ」
――お主、これから何度「転生」を繰り返そうと、記憶は引き継がれ、相馬健二としての自我はその魂から消えることはない。
「……ん? 俺は俺だから良いんじゃないの?」
「はぁ~~~~。何を言っておるんじゃ、「転生」すればそれは別人であろう」
「へ? あぁ~「俺」じゃ無くなるって事か」
「……そうじゃ。そしてその記憶は永遠に蓄積されていく……。何しろ魂に直接、相馬健二の自我が書き込まれておるのだ。記憶が保持され、何人もの人格が何時しか形成されるやも知れん」
「……え?」
「そして、神となった「彼女」も同じ。ただ彼女の場合は人格が増えることはなかろう……定命ではなくなったし、千年ごとに記憶の大部分は消去されるからな。お主の事以外は」
「それって……」
「あぁ、彼女にも勿論刻まれておる……『綾華』と言う名の自我がな」
◆ ◇ ◆
「――本当に行くのか?」
「……何だよ、行っちゃぁ不味いのか?」
既に永い時をこの爺さんと過ごしてきた。消滅も出来ず、かと言って転生もせず。ずっと真っ白なこの場所で魔力について教えを請い、爺さんの知り得る限りの知識を教えてもらった。数百年掛かったのか、当に千年以上経っていたのか……。俺には分からなかった。それでも、記憶の失くならない俺は、魔力を使ってあらゆる術式を覚えさせてもらった。バックアップを取るために「アカシックレコード」と言うスキルを完成させ、自分だけの脳処理だけでは追いつかないと考えるとその部分だけを増やし、「並列思考」を独自に進化させていった。この二つを統合し、管理するために並列思考を追加した時、「ソイツ」は突然自我を得た。
――マスター、私に名をください。