09
「どうも初めまして。――私はこの集落の代表代理を努めます、ワシリーと申します」
いつどこから、どうやってここまで我らの探査に引掛からずに? マイクの頭には疑念が一気に浮上し、警戒心をあらわに頭頂部の耳が左右にせわしなく動く。副団長もそれに気付き、腰を落として身構えるが、ワシリーと名乗った人物は柔和な表情のまま首を竦めると、やれやれといった表情で話し始める。
「――これは失礼しました。なにぶん種族特性とでも言いましょうか、我らは臆病者でして。意識しないと他者に存在を認識されないという、存在希薄と言う「スキル」が我らには備わっているものでして。……おい、全員その姿をお見せしなさい」
すると、彼の後ろには靄が溶けるかのように、十人以上の彼と似たような風体のビーシアンが現れた。ワシリーと違うのは全員が武装しており、臨戦態勢とでも言うのか、長い尾は腰に巻かれ、こちらの一挙手一投足を見逃すまいと目線は鋭いものだった。
「……いや、こちらこそ、先触れもなしに来たのだ。多少の齟齬は致し方な――」
「多少……? お見受けするに、なにやら物々しいお姿と数で来られているようですが」
マイクが穏便に話を進めようとすると、すぐさま話の腰を折るようにして、ワシリーが部隊の様子を見て切り返してくる。確かにこちらは武装した一個小隊規模の六十名が後ろに控えている。巫女様の聖女隊も含めれば百にも届く数だ、種族も肉食獣系が多い。彼らの目線が厳しいのも当然だろう。
……クッ。かなりこちらの状況を知っている感じがする。というよりも知っていて聞いている様子。……一体何者だ? まさか齧歯族が進化したとでも……?!
「……ま、まずお尋ねしたいのだが、そなた達の種族をお聞かせ願えるか?」
「――私達は齧歯族。永きに渡り日陰の暮らしを強いられてきた者達です。ですが、この地に来て我らは変わりました……。二本の足で立ち、言葉を交わし道具を扱える。全ては城主様の慈悲の元、我ら齧歯族は生まれ変わったのです」
「……な!? 貴殿らが齧歯族? う、生まれ変わったとは一体……。それに城主だと?! あ、あの城にはその様な存在が今だ所在しているのか?!」
「おられますとも。我らの神であり、我らをお導きになられる御方が」
その言葉に、マイクは勿論、側で聞いていた副団長も絶句する。彼らが齧歯族だと? しかも監獄城に城主がいる? そんな馬鹿なことが有るはずがない。百歩譲って齧歯族の進化を信じたとしても、監獄城の城主など……。ではここは監獄城ではないのかと考えるがそれもおかしい。なぜならここは魔獣の森の最奥。こんな場所に城を持った種族が存在するなど、聞いたことがない。我らビーシアンは種族単位で集落として繁栄してきたのだ。城などという大きな建造物を作る技術すら最近まで持ち合わせていなかった。ならば、その城主とやらは……。駄目だ、情報が余りにも足りぬ。信憑性の前に、夢か幻術でも見ているようだ。……先ずは話をせねばならん。幸い彼らは話せる種だ。齧歯族であるならどのようにしてそうなったかを聞くことも可能であろう。城主がその齧歯族の長やも知れん。
「……私はこの部隊を率いる隊長のマイク・ケントリッジ。此処には「監獄城」が存在すると聞き、調査に来た。良ければその城主にあって話をさせていただきたいのだが」
下手に策を弄すより、正直に話して内情を知ろうと考えたマイクの話に、一瞬眉を寄せたワシリーは、「暫しお待ちを」と目を瞑る。数度頷きを繰り返した後、彼は再び目を開け、返答してきた。
「――まずは集落にて、我らが代表「ムシカ」とお話ください。集落にはマイク殿と聖女様をご案内致しましょう」
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「なんだ? 腰が引けてるぞ。それともその穴に忘れ物でもしてるのか?」
「クハハハハ! 怖いですねぇ、デスネ。流石にこの数では不利ですから……ネェェェェ!」
前へと飛び出し、挑発するような文言を言うと、リビエラは大きく笑った後、後ろへ跳ぶ。同時に穴の中に居たであろう、隠し玉がその大きな口を開けて、俺の眼前へと現れた。
開いた顎は俺の上半身程、上顎から伸びた牙は腕の長さ程はある。そうして飛び出してきた状態のまま、両の前足では俺を捉えんと既に閉じ始めている。牙を押さえれば前足に叩き潰され。その両前足を弾けば噛み付こうとする算段だ、非常に効率よく考えている。まぁ、常人ならば詰みだっただろうがな。
バギンと言う鈍い音とともにソイツの自慢の牙は二本とも地に転がる。そして同時に閉じようとした両腕は、つま先に仕込んだ鉤爪ナイフで貫通された。
「ガァァァッァァ!!」
大きく喚き声を上げながら、穴から飛び出してきたサーベルタイガーは、もんどり打つように地面に降り立ち前足をばたつかせる。牙を叩き折られた衝撃も有るのかしきりに頭を左右に振って、涎を垂らしながらこちらを恨めしげに睨めつけてきた。
「ハハ! 素晴らしい! オリハルコンランクすら苦戦するモンスターを瞬殺で無力化するとは! その身体、やはり欲しいですねぇぇぇ!」
「うるせぇよ、この体は誰にも渡さねぇし、傷もつかねぇんだよ! っと」
リビエラが穴の側で喜色満面で言ってくるのを断りながら、ガントレットででかいサーベルタイガーの額を打ち抜く。ゴキャと嫌な音を立てて柔らかい場所に腕が到達すると、そのまま手を開いてかき混ぜてやる。
「ギャガァァァ……!」
一瞬大きな声を上げると、その身体は弛緩し、白目をむいて地に落ちる。どうせコイツにも再生する何かが仕込まれているんだろうと思い、心臓部あたりにもう一発と思った時、不意に何かが風切り音とともに視界の隅に入り込んだ。それは奴の長く太い尻尾。それはまるで鞭のようにしなり、気づいた瞬間には俺の胴を打ち据えている。その衝撃は凄まじく、俺は意識する間もなく、くの字に曲がり、その場から真っ直ぐ弾き飛ばされた。
「ぐぁっ!」
『な! ノートぉ!』
《マスター!》
まさかの光景に、セレスは魔法を中断し、シスはゴーレムの制御を一瞬止めてしまう。俺はその場から遥か離れた場所へと吹き飛び、地面へと落ちて砂煙を上げながら転がってしまう。
「……グルルルル!」
「余所見とは余裕ですねぇ、デスネ」
『貴様ぁぁぁ!』
《セレス様、モンスターが起き上がります!》
吹き飛ばされ、天地がごっちゃになって目が回りかける。然程痛みは感じないが、それでも身体が曲がるほどの力で弾かれたのだ、脳は確実に揺らされた。次いでこの転がる感覚……当然平衡感覚や、三半規管は悲鳴をあげる。――要するに吐きそうになってしまうほど気持ち悪い!
「……ぐえぇ! オエェッ!」
なんとか地面に鉤爪を引っ掛け、回転を止めて滑る身体を停止させると、せり上がってしまったものを一気に吐瀉して目を瞑る。今だ頭はグラグラ揺れているが、どうにか立ち上がって、目を開いた時、まさかな光景が目に入って来た。
「……あのサーベルタイガー、元々アンデッドだったのかよ」
片目は俺が頭の中をかき混ぜた時に視神経が切れたのだろう、眼窩から飛び出し、ボトリと地面に落ちる。流石にアンデッドの為、再生はしないようで、そこからはドロリとした何かが垂れてきている。砕かれた額からは鮮血が溢れる事もなく、何かが泡立っているように見える。引き裂かれた前足を面倒そうに引き摺りながら、それでも奴は平然とその身体を起こし、残った片目でセレスたちを睨んでいた。
「この子は元から生きていませんからね、カラネ。痛みも感じませんし、壊れても中にあるモノで補充出来ますから、マスカラ。さぁ、どうします、シマス?」
わざわざ聞いてもいないのに、ご丁寧に説明をしてくれるリビエラ。瞬時にセレスはシスに念話を送り、俺へも指示をしてきた。ふと周りに気を向けると、ここに来た時点で傾いていた陽の光は、既に遠い森の影に入り、辺りは暗くなり始めていた。
『ノート、我はリビエラに魔法を放つ。シスにはあのアンデッドを細切れにさせるから、フォローを頼むぞ!』
『了解した。シス! 管理者権限発動、光線温度臨界!』
《――マスターコード確認。ゴーレム発射光線を臨界に設定します》
『――よし! 行くぞ!』
俺は合図とともに一足飛びに地を蹴り二人の元へ近づいた。途中でシェリーがミネルバと一緒に結界内に居るのを確認すると、シスに『ビーム斉射!』と伝え、リビエラに向かい加速しようとした瞬間だった。
――ノート! ゲールが城に現れた! サラ達を狙っている!
突然のハカセからの念話に加速できず、惰性のまま、それでもセレスを超え、リビエラとの距離は縮まっていた。
『……あ!』