第29話 急転
ガシャンと大きな破砕音が、白亜の城に響き渡る。貴賓室は王城の三階部分に有るが、窓の外にバルコニーなどは存在しない。其処は城の端部に有り、直下には腰高程度の綺麗に揃えた植え込みの低木が並んでいた。常人であれば軽くて骨折、下手をすれば命にかかわるかもしれないその高さを、平気な顔でその女は飛び降りる。植え込みに落ちる寸前に、彼女は下から吹き上がった風の勢いに乗り、姿勢を制御しふわりとその身を地面に降ろした。
「悪いね。流石にあんたを相手にゃ分がわる──!!」
振り向きざま、逃げ口上を呟く彼女に向かい、幾本もの氷の槍が殺到する。慌てて横に転がって何とかそれを免れると、直後に何かが光った。
”バシュン!”
「ぎゃぁぁぁぁ!」
彼女が振り仰いだ方角の反対側から堕ちた一条の光は、左の二の腕を焼き貫き、鮮血が舞う前にその傷口は焦げて煙が立ち上る。
「──グゥッ! な、何で? 一体どこから……」
半ばパニックになった女は、左腕を庇いながらも周りに気を張り巡らせる。使ったスキルは探査だが、それに引っかかるのは上階からこちらを睨むセリスだけ。
「……はぁ? 災厄ってのはバケモノかよ。連続無詠唱に、属性無視ってなんだい! そんな『魔法』あたしゃ聞いてねぇぞ!」
そんな悪態を吐きながらも、破れたメイド服の裾から何やら筒状のものを取り出すと、地面めがけて投げつける。
”ボンッ!”
叩きつけられたその筒は、地面と接触した瞬間に大きく弾け飛び、その内容物を拡散させて辺り一面が真っ白になる。直後大きな音とともにその白煙は魔術の効果を見せ、太陽光を乱反射させて、半径三百メートル程が見えにくくなった。それは小さな砕かれた魔石なのか、探査の術式にも引っかからなくなる。
(良し、これで少しは時間が稼げるだろ。さっさと逃げ──!)
この世界の常識ならば、今の状態でこの女を見つけることは叶わなかっただろう。だが、其処には既にこの世界の常識にはない技術で造られた物が居た。そいつは熱源感知と、赤外線センサーを使い、至極当然にその賊を発見する。
《セレスさん。拘束しました》
『……ご苦労、自決しないよう、処理してくれ』
《了解です》
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「──は? い、今なんと仰っしゃられた?」
エルデン・フリージア王国の総合ギルド会館に有る通信室で、リッター・カールソンは自身の耳を疑った。相手の言ってる意味がどうにも飲み込めなかったのである。いや本音を言えば、意味は分かるが、脳がそれを拒絶したのだ。
『だから、貴殿に借りた冒険者は死んだ。同じ様な魅了スキルの使える者は居るか?』
相手は当たり前のようにその事をさらりと言い、言った上で同じ様な人間を、もう一人貸せと言ってくる。ちょっと待て、お前が死んだというその冒険者のランクはゴールドだ。しかもその上で面倒事専門の、裏仕事をさせていたベテランだ。彼女を作るのに十年は軽く掛かっている。そんな人間がホイホイと何人も居るはずがない。損失すらもう分からない程出るだろう。なのに次をよこせと通信相手は、言って来る。思わず頭に血が上り、罵詈雑言を浴びせたくなったが、目の前に有る巨大な設備を見て、溜息に変えて我慢した。
「ふ~。──申し訳ございませんが、先の者は育成だけで十年以上の時間がかかっております。おいそれと同じ様な者等と言われましても、居りません。それに彼女はゴールドランクでした。その彼女が太刀打ち出来ないなら、最低でもミスリルランク保持者でないと無理でしょう。その様な者、すぐには見つかりません」
本音ではもう今すぐこの通信を切りたい。目の前に有るこのボタンを切って、自室に籠もってお茶を飲んで少しの間、何も考えたくない。だが今相手にしているのは腐っても上級貴族。その上自身が入信している宗教の直属の上司。その事を考えて今は歯を食いしばった。
『……なんだと。それでは困るのだ、今すぐ別の者を用意してくれ。なに次は荒事にはさせん。ただ、魅了が使えれば良い。強力でなくとも良いが、最低一人には確実にそれが出来る者が欲しいのだ。金はいくらかかっても構わん』
──何が金はいくらかかっても構わんだ! 今まで銅貨一枚払った事も無いくせに!
「……事情はお聞きしません。それが教義の為ならば、私はただ従うのみです。ですが魅了スキルを扱うものは、本当にすぐには見つからないのです。どう頑張っても十日程は掛かるかと……」
『……二日では無理か』
「とてもではありませんが」
『──分かった。出来る限り急いで頼む。いつもの場所に向かわせてくれ』
「委細承知」
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魔導通信を切ったセール伯の額には、珠のような汗が幾つも浮かんでいた。よもやあの場に、災厄が到着するなど思っても居なかった。その為に人員は全て把握して、アレを行かせたというのに。しかも部屋には誰も居なかった等と……。そんな事あろうはずがない。あの娘達は確かにあの部屋で、茶と茶菓子を食っていたのだ。配ったメイドが出てからすぐに向かわせているのだから紛う方ない。それなのに何故? どうして……。
そんな事が頭に浮かび、どんどん視野が狭くなっていく。呼吸は何時しか浅くなり、瞬きを忘れてしまった頃、不意に部屋のドアがノックされた。
「──! だ、誰だ?!」
「……ご、ご報告です」
それは、先般送った使者の声。ミダス財務卿へと向かわせた者だった。
「で、ミダス様はなんと?」
「……はい、今宵時間をとるので、誰にも悟られぬよう、いつもの場所へと」
「そうか。分かった、では今夜はそのままあちらへ出向く故──」
「あ、あの旦那様……」
「なんだ?」
「……い、いえ、まさか本当に誰にも告げずに行かれるのですか?」
侍従の怯えきった目を見たセールは、そこで彼が何に怯えているのかを気付く。だがセールはそんな侍従に対して「案ずる事はない。お前が思っている様な事は起こらぬ」と言って肩を叩く。しかしと言い募る侍従にセールははっきりと言う。
──彼は私の魅了下に居るのだ。主人に牙むく獣はおらん。
先程までの彼とは全く違う、底冷えするような声でそう言い切った。
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元ダリア領の街道を魔導車の列が走っていく。その中で一台、小型でありながら、少し装飾の施された魔導車が、抜きん出てスピードを上げ、土煙を撒き散らしていた。
「治癒師殿! ヘイムス殿の加減はどうなのだ?!」
狭い魔導車の真ん中に、無理やり作った簡易ベッドに横たわって居るヘイムスを、治癒師が癒やしの光で治療していると、反対側の席に座ったレオン・ショートが大声を張り上げて聞いてくる。
「大きな声を出さずとも聞こえておりますよ! 大丈夫です、確かに出血の量は多いですが、頭部は大袈裟に血が出るものです。既に傷は塞いであります。今は安静にして、マナ循環を優先して見ていますから、落ち着いて下さい!」
「し、しかしだな、もしいま──」
「俺の事なら大丈夫だ。治癒師の言った通り大したことじゃねぇ、それよりも通信鳥は送ったのか?」
それまで黙って横になっていたヘイムスが気怠そうに目を開け、レオンを窘めるように話しかける。
「お、おお! ヘイムス殿! も、勿論鳥は既に送っておりま──!」
気付いたへイムスにレオンが返事をしようとした瞬間、後方から衝撃音と共に、地響きが起こり、魔導車が大袈裟に揺れる。
「なんだ?! 何が起きた! おい、停めろ!」
「待て! 停めるな! 走れ! もっとスピードを上げろ!」
それまでマナ循環を優先する為に横たえていた体を起こし、窓から後方を見たヘイムスは叫んでいた。
「な、何が……どうしたんです? ヘイム──」
──残りの奴らが出てきやがった!
ソイツらは後方の魔導車を蹴散らして、こちらに迫りくる、巨大な二頭のオルトロスだった。
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