第13話 聖教会教皇
今回のお話はストーリー上前後しています。
第4章38話【脈動】の続きとなっています。
広く静かな通路を進むと突き当りに扉が現れた。扉の横には術式の描かれたプレートがあり、シスター長はそこに首から下げたアクセサリーを嵌めてマナを流す。カチャリと小さな音が聞こえると、扉が音もなく開き、彼女はハイネマンを促すように頭を下げる。
「──…こちらへ」
「……あ、あぁかたじけない」
この扉を潜る時はいつも緊張する。何しろここから先は古代魔導具が、あらゆる場所に仕掛けられているのだ。未だ解明できていない様々な道具類たちを教皇様はどういった基準で使われているのか見当もつかん。…この女にしてもそうだ。表情が動いた所を一度たりとも見た事が無い。人間かどうかすら疑ってしまうほどに…。
扉を抜けて執務室までの間も、彼女は眉一つ動かすことなく、磁器で作られたような綺麗な顔のまま真っすぐに姿勢を崩す事なく進んでいった。
”コンコンコン”
やがて意匠の凝った扉に辿り着くと、彼女は三度ノックをしてから、声を掛ける。
「ハイネマン枢機卿をお連れしました」
『…どうぞ』
許可を受けて彼女はその扉のノブを回す。手前に引くとそのまま扉を背にする様に身体を入れて、枢機卿を部屋へと案内する。
「…こちらへ」
「ありがとう」
その部屋は大きさにして三十畳ほどの大きさはあろうと思われる大きな空間だった。天井までは五メートル近くあり、部屋全体が真っ白な漆喰で塗り固められ、床にはホワイトウッドを更に白く塗ってある。一面はガラス張りになっていて、テラスが続いている。だが対照的に設えられた家具類は漆黒の様に真っ黒だった。その大きな執務机は黒壇で拵えられており、応接用のソファも壁に並んだ書棚も全てが真っ黒だった。この部屋に入った瞬間誰しもが思ってしまう。自分の目が色を失ってしまったのかと。そして外を眺め空の青を見て、初めて正常だと気づくのだ。
そんなモノトーンの部屋の中心で、執務机に座っているのは金糸があらゆる縁に施され、それを取り巻く様に黒で綺麗に縁取られた白い法衣を纏った偉丈夫が、にこやかな笑顔で彼を出迎えていた。
「お待ちしていましたよ…ハイネマン枢機卿。そちらへお掛けなさい」
ハイネマンはそう言われて、部屋の真ん中にコの字に並んだ大きなソファの一つに腰を下ろす。いつまでも沈み込むそれは何処まで沈むんだと思った時に反発を感じて止まり、そのまま背が後ろに倒れ込んでいく。それはまるで慈母に包み込まれるような感覚で、とても柔らかくそしてしっかりと支える様に芯が感じられ、思わずほぅと声を漏らしてしまう。
「──…コレは…何と素晴らしい……。あ、いやこれは失礼を、余りにも素晴らしい心地だったものでつい…」
「構いませんよ…私もこのソファは大変気に入っています……エルダー・ドワーフ達の技術と言う物は、鉱物にのみ精通している者だと思っていましたが、工芸技術までとは。いやはや…長命種とは何とも羨ましいかぎりですね」
そう言って執務机から立ち上がると彼はその威容と共にゆっくりとこちらに向かい歩きだす。
──…聖教会現教皇スイベール・ヘラルド。
その威容は神職を疑うほどに逞しく、法衣のせいで体型は分りづらいが、首はその載った顔より太く、肩にかけての僧帽筋は盛り上がっており、その襟は大きく開かれていた。袖から見える手は大きく節くれていて、拳を握れば岩など簡単に砕きそうなほど。身の丈は見上げるほどに高く、優に二メートルは超えていた。にもかかわらず、その相貌は驚く程に柔和で人懐っこく、大きな目は涼し気なアイスグリーンの瞳。金に輝く髪は長く、後ろにまとめてうなじ辺りで編み込んであり、腰辺りまで垂れていた。
それもそのはず。彼は神職では有るが、神殿の聖騎士長でもあるのだ。彼の保有するスキルは剣聖と聖盾。まさに騎士になるために産まれた様な人間だった。しかし、彼はそれに留まる事は無く、類い稀なる英知で今の地位を勝ち取ったのだ。
そんな非の打ちどころのない教皇を前に、ハイネマンは心中穏やかではなかった。今から話す事は自身の失策。どう取り繕っても彼なら瞬時に見透かすだろう。ならばせめて、どうにかその雪辱を果たす場を頂かなければ…。彼の頭はその事で一杯だった。
「……あ、あの教皇様、さ、先程カデクスより──」
「シスター長…お茶を」
「…畏まりました」
覚悟を決めて切り出した瞬間にその決意は粉々に粉砕される。まさか、話を切られるなどとは思ってもいなかった。その瞬間に彼は黙り込んでしまい、シスター長が淹れるお茶の音だけが部屋に響いた。
「…枢機卿、その様に急がずとも良いのです。先ずはお茶でも飲んで落ち着きましょう」
彼女が淹れたお茶がテーブルに並べられ、教皇がカップを持ち上げて、ハイネマンに語り掛ける。彼もそれに倣ってカップを持つがその手は微かに震えていた。
◇ ◇ ◇
「──…ふぅ、お茶はやはりゆっくりと飲むのが良いですね。誰の邪魔もなく一人でゆっくり飲むと心が落ち着きます。シスター長、帝国は何と言ってきましたか?」
「国としては何も……。ですが、皇帝の影を派遣した様です。それに宰相経由で傭兵を…」
「ふむ。撒き餌はうまく機能した様ですね。彼にはこれから大きな仕事をしてもらわないといけませんからね」
「……ベイルズは少し怠け癖が有るので心配です」
「ハハハ…まさか貴女の口からその様な言葉が聞けるとは。まぁ、問題ないでしょう。それにそろそろ貴女も行くのでしょうリゲルさん」
「…そうですね。思惑通りに進めば、依代を返して貰えると聞いているので」
「えぇ、もちろんですとも。必ず彼はあの娘を助け出すでしょう…」
「──…忘却の勇者の帰還…何とも滑稽な」
「……千年…千年待ったのです。私も彼女も…もういい加減こんな世界はうんざりなんですよ。人は結局何も変わらない、自らの欲に邁進し、業を重ね、省みる事をせず、不利益をこうむれば他人のせい。利益を産めば独占しようと躍起になる。蹴落とし蔑み嘲笑する。強い者には媚び諂って、その背を平気で突いて落とす。争いを是とし、表面上では平和平和と喚き散らす。一体神はこんな腐った生き物たちをどこに導きたいのでしょうかね。知性だ理性だと言いながら、ただ本能を正当化しているだけだ。この世界で最も醜く、下種。そんな人間と同じだと思うと、私は心底自分が嫌いですよ」
「…それが貴方の本音か」
「えぇそうです。偽らざる心の叫びです」
「──…ただ壊すために、生き続けたのか」
「まさか。初めの百年は真剣に皆に説きましたよ…ですが時の権力者たちはどれもみな全く同じでした。次の百年でその芽を摘もうと躍起になりました。それも結局は叶いませんでした……。それからはずっと惰性でしかなかった。潮目が変わったのはリビエラのおかげです。彼が、この世界の役割を見つけてくれた。そこから始まったのです。そうしてやっと彼が来たのです」
「……そうか。では我等も駒の一つという事か?」
「……さぁ、私はもう既に役者の一人にすぎません。答えはいずれ訪れるその時に初めて知ることになるのでしょう」
「では、もう其方と語る事も無いな。…それを貰って行っても良いか。道中の足に使いたいのだが」
そう言って、シスター長だったリゲルはソファで事切れたハイネマンを指さす。
「…構いませんが、顔は変えて下さいね。枢機卿はこれでも見る者が見ればすぐにばれてしまいますから」
「了解した。…では、さらばだ。長き時を生きたニンゲン、スイベール・ヘラルド」
「はい、アナタの願いの叶う事をこの地より願っておきましょう、嫉妬の悪魔、リヴァイアサン」
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