第37話 嵐の前の…
エリシアの村からエクスへと向かう街道は、馬車が並走できるほどの広さは有るが、もちろん舗装などはされていない。まるで緑の中を薄茶の筆を一本グネグネと引いた様な景色が延々と見えていた。所々に林や森が点在している為、切り開いたり迂回している為だろう。
そんな剥き出しの道を、一台の大型魔導車が土煙を濛々とあげて走っていた。箱馬車の馬を繋ぐ部分を外しただけの様なそれは、御者席を運転席にしており、前輪部より前に在る為、かなり操縦に難儀している様だった。
「デスタ! もっとスピードを出せんのか?!」
運転席に繋がった箱部分の小窓から、アジーンが顔を覗かせ叫ぶ。
「こ、これが精いっぱいです! これ以上出すと、バラバラになってしまいますよぉ!」
デスタと呼ばれた運転手は、もはやしがみ付いているような状態でハンドルを操作しながら、小窓に向かって大声を張り上げる。上下左右に揺られて、既に顔色は青を超えて白になっていた。
「クソ! それほどの性能があると言うのか、アイツらの持っている新型の魔導車は」
アジーンは焦っていた。あの夜、酒場の連中から聞いた話では、奴らは現在エクスの街で確認されたと言う。何をバカなと思ったが、どうやら嘘ではないらしい。それは奴らの持つ新型の魔導車が実現させているらしい。外装は鉄で出来ており、車輪は鉄とゴムで出来ている。大きさの割に背が低い為、とんでもないスピードで走れるらしい。
技術そのものは公開されているらしいその魔導車を、商業連邦評議国はすぐに製作に掛かったらしいが未だ完成には程遠いそうだ。細かい事は聞かなかったが、精度と技術に相当高いレベルが必要らしく、ドワーフの専門家でないとできないと言う。実際彼等もドワーフに造らせたと判っていた。
しかし、それにしてもだ! カデクスからエクスまで一体どれほどの距離がある?! 我等の使うこの魔導車とて現在最高速度では帝国内随一だ。それでも昼夜走り続けて三日は掛かると言うのに、あいつらはたった一日もかからず移動したと言う。信じろと言う方がおかしい。だが魔導通信の結果奴らの居場所はエクスと判明した。
「道理で組合員たちが欲しがるわけだ。……それで情報の代わりがこれという事か」
そう言って彼は忌々し気に座席の横に置かれた異界鞄を見る。
「さすがは、金持ちの組合員様方だな。馬車が三台も入る異界鞄とは」
”ドン”
大きな音を立てて魔導車が跳ねる。その拍子に乗車している皆が頭を打ち、口々に文句を言う。アジーンの横に居た隊員が文句を言おうと小窓を開けると何かの液体が車内に飛び散る様に入ってきた。
「おい! なんだ?! ぐわぁくせぇ!」
小窓を開けた隊員はその液体を顔面で受けたようで、途端に車内に饐えた匂いが充満した。
「なんだ?! 臭い! おい! デス……タ、おい! マズイ! デスタが気を失っている! だれか、運転代われ! ぐおっ! くっせぇ、ゲロまみれじゃねぇか!」
デスタはそれでも運転席にしがみ付き、キラキラ、ゲロを撒き散らしながら魔導車を走らせていた。
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「──ンンッ……ッ…こ、ここは?」
目を開けると、どこかの部屋の様だった。身体を動かそうとした瞬間に、そこら中に激痛が走る。特に左腕が焼ける様に痛んだ。何だと思って目線だけで確認しようとして、彼女は全てを思い出す。
「──そうでしたねぇ。食べられちゃったんでしたっけ」
彼女は小さく呟きながら視線を天井に向け、フゥと一つ息を吐く。
「……それで? いつまで黙っているんですエリー隊長」
彼女の寝かされているベッドがある部屋は、エリシアにある教会裏のシスターたちの宿舎の一室。カサンドラのベッドの横にある窓からは、日が差し込み、暖かな陽気と共にかすかな風が舞い込んでいた。
椅子に腰掛けたエリーは、カサンドラの声が聞こえているにも拘らず、黙ったまま目を伏せていた。
「ねぇエリ──」
「ごめんなさい」
沈黙が嫌だったカサンドラがもう一度彼女の名を呼びかけた時、エリーは突然謝罪してきた。伏せた目からは涙がこぼれ、堰を切ったように泣きながら話始めた。
「ごめんなさい! 私のせいで、腕を……うぐッ、グスっ……私があそこで、あんな──」
彼女の独白は続く。カサンドラはそれを止めるでもなくただ黙って聴いていた。エリーの悔恨や、慟哭。己に対する不甲斐無さをつらつらと彼女は涙ながらに吐き出していく。やがて言葉は意味をなさなく成り、嗚咽に代わり始めた頃、カサンドラは口を開いた。
「そうだねぇ、確かに腕はもう戻ってこないですねぇ」
その言葉にエリーの肩が跳ねる。
「でも別に困らないですからねぇ。私は貴女が居なくなる方が困りますからねぇ」
「……そんな訳ないじゃない! 指先を切った程度とかの様に言わないで! 私なんかよ──」
「バカにしないで!! エリー、それ以上は私への侮辱ですよ! 私は腕一本の代わりに何より大切な貴女を護れたんです! だから絶対にそれ以上自身を卑下しないで下さい。いいですね、あの時の誓い忘れたんですか?」
カサンドラの言葉にエリーは息が止まるほど驚愕する。
エリーとカサンドラは、小さな開拓村の孤児だった。彼女たちの村は魔獣に襲われ壊滅したが、幾人かの生き残りはいた。初めはその集団で難民となり、大きな町に保護されたが、彼女たちの親は全員亡くなってしまった為に、聖教会の孤児院に預けられたうちの二人だった。幼いながらに二人は懸命に院の仕事を手伝い、勉強を熟した。
何時しか彼女たちは、聖教会本部に呼ばれ、聖女の傍付き見習いとして従事するようになった。そこで、彼女たち二人に固有スキルがある事が判明し、聖女の直属のとある任務に就くよう訓練させられていった。どんなに過酷であろうと、二人はそれに必死に耐えて熟した。
──何があっても、私『私』はエリー『サンドラ』を護るから──
幼い子供の大きな誓い。それは心の支えとなり、どんな任務でも二人は応えていった。やがてカサンドラは潜伏要員として、色んな町や村に冒険者の振りをして潜入していった。エリーはその統率力から、それらのまとめ役として成長していったのだった。
「忘れてないよぅ……。サンドラぁ! うわぁぁぁぁああん!」
子供の顔に戻ってしまったエリーは涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で、カサンドラに抱き着こうとする。
「いや、まってまって! 私ケガ人!! ってかエリー! その顔はダメ! あ、あぁぁぁああ!」
部屋から響く絶叫に、慌てて救護員が来るまで、カサンドラは、エリーに顔中鼻水だらけにされていた。
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「では、これでお願いします」
「は! 失礼します」
政務室から衛兵が出て行くのを確認して、ロッテン男爵は溜息を一つ零す。
「お疲れのようですな。少しは休息でもとられては?」
政務机の前にあるソファに座り、山と積まれた書類の束を捌きながら、マルクス副団長が従者にお茶をと声を掛ける。
「はは、面目次第もない。しかし言っては悪いが今こそが好機でも有りますのでな。進められることは進めておきたいのですよ」
従者が二人へ茶器を運び、男爵はありがとうと受け取りながら、マルクスへと返事をする。今回の事件で、実質評議会が空席となった。当然次の人員を決める為にギルド会館は大騒ぎ状態になっていた。そこにエリクス辺境伯様と国家直属の調査団が来るとの通達。手のひらを返したように名乗りを上げていた連中は貝のように黙ってしまう。やり過ごしての復権など誰が認めてやるものか。
「……なるほど、それでこの書類ですか」
マルクスの眼前に並ぶ書類の山は、各ギルドの構成員や素行情報、それ以外にも帳簿関係から何まで、かき集められるだけ集めた資料が積まれている。次期評議へと名乗りを上げた者達はもちろん、派閥やその関係者、果ては縁者に至るまで、まさに重箱の隅をつつく勢いで集められたそれを、彼は朝から晩まで目を皿の様にして矯めつ眇めつ、日々格闘していた。
「これで、忌々しい因習ともおさらばですよ。ただ、唯一の懸念は……」
そう言って、男爵は書類ではなく、部屋の窓を見やる。その細めた視線の先にある建物。
「……聖教会、ですか」
視線の先に気付いたマルクスが尋ねると、男爵は黙って小さく頷いた。
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