第36話 発呪
オフィス街の外れに小さな公園があった。遊具などは無く、ただベンチや木々が植えられただけの地面が剥き出しになった場所。近くには定食屋や食事処があるところを見ると、昼には食休みや、弁当を楽しむサラリーマンやOLなどが沢山集まったりもするのだろう。
ふと時計を見ると夜の十時を過ぎていた。外灯が辺りを照らし、真っ暗ではない。ただ昼とは違い、この時間には公園を訪れる者もいない様で、木々が寂しそうに風に揺れていた。
とてもではないが、あの状態で帰社する事などできなかった。
せめて課長と鈴木のいない会社に戻りたかった。
スマホの電源を入れると、途端にメッセージアプリの着信で手から落ちそうなほど振動する。画面の表示は課長で埋め尽くされていく。
「──は、ハハハ。自腹で買ったこのスマホも、鳴るのはこんなのばっかりかぁ」
公園のベンチにもたれ込むと自嘲の笑いが込み上げたが、同時に何かが吹っ切れた。……涙がこぼれる事はもうなかった。
誰もいなくなったオフィス。自分の席に座り、ふと静かな周りの景色を回し見る。デスクの島が四つ。それぞれには思い思いの荷物が積まれ、雑然としている。ただ昼の喧騒は無く、誰かのデスクには飲みかけのマグカップが、冷めたコーヒーの染みを気にしている様だった。
そんな静かなオフィスで俺は自分のデスクを片付けていた。
私物のノートパソコン、筆記用具。考えてみれば会社の支給品なんてこのデスクと備え付けのオンボロPCくらいのものだ。階段に積まれていた空の段ボールを一つ拝借し、無造作に詰め込んでいく。綺麗になったデスクの上に一通の封筒を置き、隣のデスクを見やる。
「鈴木君、これで君の気は済むのかね」
課長の机に社員証カードと引継ぎ資料を置いて、オフィスの扉を閉める。階下に降り外から今一度、煤けたビルを見上げた。
「──ホント、汚いビルだよなぁ」
振り返らずに駅へと向かい歩き始めた時、見つけたゴミ置き場に段ボール箱を置く。
「産廃は入ってませんから」
独り言を言い、そそくさとその場を走って逃げる。はじめて社会のルールを破ったと思うと何故か気分が高揚した。まぁ、その気分も電車に乗るまでだったが。終電に何とか乗り込み、座席に腰を落ち着けた途端、現実が襲い掛かってきた。明日からどうして生きればいいのか? 逃げる様に会社を辞めたが、本当に辞められるのか? 当然自宅もバレて居る。超絶ブラックの会社の連中が俺をそっとしておいてくれるのか?
駅につき、自宅へ向かう途中も頭にはそんな事ばかりが浮かんでは消える。コンビニへ立ち寄り、適当に買った弁当がやけに重く感じた。
住宅街に入って数分、街灯の少ない通りの先に建っている二階建ての古いアパート。鉄で出来た外階段を、音を響かせないように気を使いながら登りきり、突き当たりにある自室のドアの鍵をそっと開ける。部屋に入り、テーブル代わりのこたつにコンビニの袋を投げ出し、シャワーを浴びた。体中に纏わりつく不安を熱い湯で流したかった。
──……風呂を出て幾分落ち着いた瞬間、ソイツは俺に聞いて来た。
──お前の居場所はそこで良いのか?
「誰?! え? なに?!」
玄関を見るが当然誰もいない。居間にも、寝室にも居ない。頭がパニックになりかけ、もう一度誰何する、返事が来ないようにと願いながら。
「誰か、いるのか?」
──俺はお前だ。封印されたもう一人の俺、相馬健二だ。この世界に未練がないなら、救って欲しい人がいる。力を無理やり使うから、この記憶が残るかどうかわからない。それでも頼む。お前の中に残っているはずだ! お前の妹や彼女たちの記憶が! 頼む! 勇者!
超絶パニック極まれり! は? え? 勇者ってなんだ? 妹って誰? 俺がアンタって、あれ? 幻聴? アハハ! もしかして俺気が触れた?
──今説明は難しい。だがこれだけは覚えているはずだ『華ちゃん』と言う名を。
ドクン!! と胸が派手に鳴る。締め付けられる思いが押し寄せ、急激に涙腺が緩んでいく。
「ぅあ……うぅ、か、彼女はもう……結婚して──」
──そう言う事にして忘れただけじゃないか。それだけじゃないだろう! 仲間だった皆を、ただ一人置き去りにしてしまった妹を!
「なか、ま? オフィリア? ゆうしゃ? グッ! あ、頭が割れる! 痛い! 痛い痛い痛い! ぅわぁぁぁぁあああああ!!」
何かが一瞬にして頭の中でフラッシュバックしていく。あまりのスピードで何が起きているのかは見えない。ただ、最後の一瞬その場面だけははっきり見えた。
瓦礫の神殿の中央玉座の前、それは血みどろになって、片膝をついて何かを叫んでいた。俺の傍には三人が倒れ伏し、ただ一人の女性だけが杖を握りしめて、俺に近づこうとしている。彼女に来るなと叫んだその時、俺は光に包まれる。
「クッ! 次元隔離か?! だめだオフィリア! 来るな、お前まで巻き込まれる!! 心配するな! 必ず戻る! 約束だ。だから、必ず待っていてくれ! アナディエルぅ! 貴様も一緒に吹き飛べぇぇぇぇええ!」
……そこで俺の意識は消える。寝室の入り口で次元魔導を自ら発呪して。
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”ガバッ!”
「はぁ……はぁ……はぁ、ゆ、めじゃぁないな」
いつの間にか眠っていたのか、跳び起きた俺はびっしょりと汗ばんでいた。そして両手を見つめる。
「記憶の封印が解けかけているのか? それともシス、今のはお前か?」
【──言ったはずだ。事実を見極めろと】
──コイツか。
目の前でゆらゆらと浮遊しながらゴーレムシスから、あの時の声がする。そう、自身の自室で発呪した時に話しかけてきた声
「そうか、あの時の君が相馬健二だったのか。それで、あんな遠回しな言い方したのか」
【──半分正解だ。もう俺は既にシスに取り込まれた記憶の残滓に過ぎないからな】
「え? じゃあ」
【あぁ、もうすぐ俺は完全に同化する。勘違いするなよ、死ぬんじゃない。記憶として補完されるだけだ。魂はお前なんだからな】
「ぅぅん……。ややこしい!!」
【ハハハハ! 確かにな。でももう気にするな、これから少なからず記憶はよみがえって行くだろう。そうすれば否でも答えに辿り着くさ。だから彼女、オフィリアを頼む。彼女を魂ごと救ってやってくれ、俺であるお前なら出来る】
口というか顔の無い、ただの機械で球体が笑いながら俺にそう言ってくる。なんとなく、その姿が透けて見えるような気がした。
「なぁ、相馬健二君……。君は陽キャだったんだな。こんなしょぼくれたオジサンを今更ながらどう思う?」
【──はぁ~~。何言ってんだお前?】
「え? 何って、いや……」
【今更、社畜時代を思い出してんのか? いいか、地球に戻っ…て…ザザッ…お…ザッ…ピピ!】
突然のビープ音と共にケンジの声は消えて行く。
「お、おい!? 大丈夫か?」
《はい? どうかしましたか?》
「あ、あぁシス……か」
《……?》
「いや何でもない。それよりも、すまなかったな。色々任せてしまって」
《いえ、特に問題は有りませんでしたし、ほんの一時間程度ですから》
まだそんな程度しか経っていなかったのかと、内心動揺しながら部屋の鎧戸を開けると、中天に差し掛かった日の光が瞳孔を刺激し、一瞬では有るが目を閉じる。
「おお、今日もいい天気だなぁ。昼前ってところか」
《そうですね。既に結界は解除してあります。大部屋に戻りますか?》
背後にシスの気配を感じながら、あぁと答えて机に視線を持って行く。綺麗にたたみ直され、封筒の上に置かれたソレを、キチンと封に入れ直し、異界庫へと仕舞う。紋章布はポケットに入れて、シスを伴い部屋を出る。
──必ず約束は守るさ、だから待ってろオフィリア──
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