月の涙と太陽の激高・6
ルーナを取り囲んだ新入生たちは、彼女がいきなり血を吐いたのにギョッとした。
彼女を殺す気なんて、ましてや危害を加える気なんてこれっぽっちもなかった。ただ、ソールにゾーンを解除して欲しかった。それだけだったのに。
慌ててスピカは手持ちのエリクシールを持って、ルーナに近付くが、ルーナは顔も見たくないと言いたげにぷいっとそっぽを向いてしまった。
ルヴィリエは顔を真っ青にさせてしまい、スカトは逆に一瞬頭が真っ白になったようだったが、アレスは舌打ちしただけで「おい、誰かハンカチ持ってないか!?」と怒鳴る。
「……どうする気だ?」
「ルーナ先輩に噛ませる」
「血……すごいけど、これどうするの……舌噛んだら……」
「これ以上血が出たらまずい。おいスピカ。お前あと何本持ってんだ、エリクシール?」
スピカは尋ねられて、慌てて鞄を出す。
「……五本」
「じゃあ二本出せ。ルーナ先輩に飲ませる」
「で、でも……先輩飲んでくれない」
ルーナは本気で自分を囮にして、ソールを逆上させた上で、全滅を狙っているらしい。それがますますアレスを苛立たせた。
「この女……自分は不幸で思考停止してんだろ」
「それ、アレスの言うことじゃないよ。誰だって、自分が不幸なのが一番気に食わないし、人を殴る理由にもなるんだから」
ひとまずスカトが顔を真っ白にしながらも、「ハンカチ……」と差し出してくれたものを、アレスは受け取ると、それをルーナの口にツッコんだ。彼女は何度も噛み切った舌を使ってハンカチを吐き出そうとするが、アレスは必死に手で押し込んでから、次にスピカが取り出したエリクシールの瓶を突っ込もうとするが、彼女は必死に抵抗する。
それにはスピカもルヴィリエも泣きそうになり、スカトは「交替するか?」とエリクシールの瓶を開けようとするが。それをアレスは制した。
「……いい加減にしろよ、クソアマ」
アレスはどす黒い声を上げたかと思ったら、一気にルーナに突っ込もうとしたエリクシールを自分自身で口に含んだかと思いきや、ズルリと噛ませたハンカチを引っ張り出す。そのまま空いたルーナの口に無理矢理口移しで飲ませようとした。ルーナは何度も何度も必死で抵抗するものの、本人も虚を突かれたせいなのか、それともいきなり唇を奪われたことにショックを受けたのか、先程よりも抵抗が弱かった。
さすがにそれには、ルヴィリエもスカトも唖然としていたが。スピカだけはケロリとした顔で眺めていた。
抵抗していたルーナだが、やがて喉が動く。
「……なに、するの……?」
「あんたを死なせる気はないんで」
「どうせ人質にして、ソールを止める癖に! どうせわたしにはなにをしてもいいと思っている癖に! 新入生、いい加減に……!」
それにスピカは気付いた。
ルーナからしてみれば、自分が公娼だということは、五貴人のことを知っている人間であったら知っている話だと。だからこそ、アレスの人命救助の口移しすらも、侮辱だと取っているのだと。
(……この人、【運命の輪】だったらなにをしてもかまわないって思われてる私と一緒のはずなのに……この人、もう守ってくれて心配してくれる人もいるのに、全然素直じゃない。もうやだって言えばいいのに)
彼女の【月】のアルカナなんて、人の心がなさ過ぎる力だ。そんなものを酷使し続ければ、当たり前に心身摩耗する。磨り減ってなくなったものは、もう戻ってはこない。
当たり前の話だった。
たまりかねてスピカは言う。
「もういいじゃないですか! それだけボロボロで、なにもかも嫌なんだったら、それソール先輩に言えばいいじゃないですか!!」
それにルーナは目を釣り上げる。
「……それでどうになると、本気で思っているの? 皆【世界】から逃れられないのに?」
「【世界】なんか知りませんよ! 私が、【世界】の敵ですもの!」
正直、ルーナはルヴィリエの心を折ったのだから、許せる訳もなかった。スピカですら、アレスが来なかったら間違いなく折れていた。彼女のことは好きにはなれないが。
彼女を好きだと言う人のことまで、否定する気にはなれなかった。
「あなたのこと、私全然許してませんよ。ルヴィリエにしたことだって、皆にしたことだって、ひどいですもん。なんて人だって思いますもん。ですけど。それでソール先輩があなたのこと心配しているのまで否定しませんよ! もうソール先輩と逃げりゃいいじゃないですか!」
「……あの人、公爵家の跡取りだわ。公娼なんて、他にいくらでも」
「知りませんよ、あなたみたいな面倒臭い人のことなんて! 【月】はいくらいても、ルーナ先輩みたいな面倒臭い人、あなたしかいないじゃないですか!!」
もうなにもかも面倒になったらしいアレスは、スカトに「半分持て」とだけ言って、ふたりがかりでルーナを持ち上げた。それに彼女は焦る。
「……な、にをする気なの」
「予定変更。あんたを取り囲んで人質にしてこいってカウス先輩に言われたけど、止めます」
「ええっと……ルーナ先輩をソール先輩に押しつけるってことでいいんだな?」
「まっ、あの人のことはよく知らねえけど、カウス先輩が一番マシだって言ってたから、そのこと信じて引き渡してくるかね」
ルーナを持ち上げて、そのままわっせわっせと担いでいってしまった。彼女は完全に毒気が抜かれてしまった。
本来、エリクシールを飲んだら体力魔力共に回復するのだから、彼女はゾーンを使えたのだ。そのままソールのゾーンを彼女のゾーンで侵食し、【世界】と【審判】が来るまでの時間稼ぎさえできれば、彼女の勝ちだった。少なくともルーナは負けなかったのだが。
ルーナは新入生たちにさんざん言われて、ようやくソールがどれだけ彼女が無下に扱っても穏やかに笑っているだけだったことに気付いたのだった。
彼女はさんざん人を傷付けた。壊してしまった執事見習いの名前すら思い出せないし、彼女が下僕にしたのは、ルヴィリエだけではないと言うのに。
公娼だということも、彼女が今までしてきた罪すらも、笑って許したのは、彼だけだったのだと。
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エリクシールを飲みながら、カウスは一部始終を眺めていた。
「あのガキ共……マジか」
そう言ってニヤリと笑う。あの【月】に説教をかます怖いもの知らずの新入生たちは、彼らくらいしかいなかった。
そう笑っている間に、【太陽】のゾーンにひびが入った。やがて、そこは粉々に……ならなかった。本来ならば【力】の怪力でゾーンは簡単に壊れるというのに、強度が他と比べものにならないのだろう。
「助けに来たよ。戦況はどうだい?」
「あの、皆さんご無事ですか? アルさんは?」
波打っている髪が少しばかり汗でぺたんと頭の形に貼り付いてしまっているデネボラが色っぽい。その隣で、おろおろとしているアセルスは、太陽のきつい日差しの中、なぜか新入生たちが「わっせわっせ」とルーナを抱えて走って行く様を見て、目を点にした。
「あ、あの……これはいったい?」
「あの子たち、【月】は天敵だっただろう? なに運んでるんだい? 【太陽】の人質かい?」
「違う違う。ガキ共は、【月】を【太陽】の贈り物にするんだとさ」
「はあ?」「はいぃ?」
デネボラは唇をひん曲げ、アセルスは目を瞬かせた。
しかしカウスは戦車の中で、至って機嫌よさげに笑い転げていた。
「あのガキ共、【月】を落としやがった」
「それはまあ……ずいぶんと難しいことをやったもんだね?」
カウスが笑い転げているのを、怪訝な顔で見下ろしながらデネボラは困惑して声を上げる。
「ああ、あれはやっていることがやっていることだから、もうさっさと人質に取っておしまいにするか、最悪ゾーンを破壊するかを考えていたところだが……【審判】が来るまでに決着つけられそうだな」
「ずいぶんと嬉しそうじゃないか。【太陽】とやり合うの、そんなに嫌だったかい?」
「ありゃ俺の切り札が効かないからしょうがないだろ。貴様をぶつける訳にもいかないし」
そうあっさりとカウスが言うのに、デネボラはやれやれと首を振った。
アセルスはアルとソールのやり合いに目を留め、顔を曇らせる。
「わたくし、アルさんの治療に参りますわね」
「ああ、頼む……【審判】が来るまでに仕上げておいてくれや」
「はい……!!」
彼女は慌てて壺を持って走って行った。
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アルとソールのやり合いは、最初こそ拮抗していたものの、片や自分の縄張りからの集中砲火、片や延々と丸焦げになるのを自己回復。どちらのほうが魔力が削られるかは火を見るより明らかだった。
「本当に……色ボケが」
「色ボケで結構。彼女が呼んだんだからね」
ゾーンに輝く太陽が増えた。ふたつだったものが三つに。三つだったものが四つに。
これ以上太陽が増えれば、歩くだけで体力を持って行かれ、体中の水分が蒸発する。いくら治せるとは言えども、ないものは絞り出せない。
「くぅ……」
膝を突きそうになったとき。
「わっせわっせ」
「運べ急げ」
この場にあまりにもそぐわない、気の抜けた声が聞こえた。
無視しようとも思ったが、ソールはそちらのほうを見て「ルーナ!」と悲鳴を上げたため、アルは半眼になってしまった。
口元を血で濡らしている以外は無傷なルーナを、何故か新入生男子がふたりがかりで担いでいる。遅れて女子ふたりが走っている。ここが【太陽】のゾーンだと忘れそうな牧歌的な光景だった。
「ソール先輩! ルーナ先輩をお届けに上がりました」
「……はあ?」
「おふたりで、駆け落ちしてください!」
「はあ…………?」
あれだけ憤怒していたはずのソールは、一瞬色を失ったかと思いきや、だんだん朗らかな本来の顔に戻ってきた。




