月の涙と太陽の激高・3
ソールはプトレマイオス公爵家に生まれ、太陽の子として育てられた。
モスグリーンの癖のある髪、空色の瞳。そして太陽を思わせる明るい微笑み。
将来は王族を支える貴族。五貴人の中でもっとも強い【太陽】のアルカナを持って生まれし子。
彼の朗らかさと明るさ、無邪気さは、闘争を行われがちな貴族たちにすら好かれるものであったが。
太陽には黒点が存在する。ソールもまた、ひとつ影が落ちた。
彼が皆の太陽でいられなくなったのは他でもない。
たったひとりの可哀想な少女に、心奪われてしまったからである。
「あー……退屈だねっ」
ソールはその日、晩餐会に来ていたが、開始数分で既に飽きてしまっていた。
社交界デビューすらまだ決めていない、学校にすら通っていない子供は、晩餐会に来たところで、食べられるものも飲めるものも限られてくるのだ。
晩餐会に出されるものは基本的に軽食だし、シャンパンを飲む前提で用意されているため、味わいだって酒に合わせたものだ。子供にとってはそこまでおいしくもなければ、腹にも溜まらないものばかりだ。
だからこそ、晩餐会の会場を抜け出て、王城の中庭に出ていたところで。
ひとり歌を歌っている少女がいたことに気付いた。
少女の纏うドレスのスパンコールは、星が散りばめられたかのように見えた。サイドテールに結んだ流れる銀色の髪。空を見上げるアメジストの瞳。なにもかもが技師によりきめ細やかくつくられた人形のようであった。
そして彼女の歌声。それはひと際異彩を放っていた。
まだ学校にも行っていない子供の高い歌声は、まだ甲高いだけで伸びもしなければ滑らかな心地もしないというのに。彼女は子供たる高い歌声で、美しい旋律を奏で上げていたのだ。
そしてなによりも。彼女はなにかひどく憂いた色を浮かべていた。
彼女が最後に大きく伸ばした歌声に、たまらずソールは手を叩いた。本来なら喝采を浴びるほどの歌声だが、残念ながら今中庭にいるのはソールひとりだった。そこでようやく少女は振り返った。
「……誰?」
「やあ、失礼失礼。あまりにも美しい歌声でつい拍手を! でも晩餐会に君はまだ参加していないんだね?」
しばらく会場にいたものの、会場にいる歌い手たちの中に彼女の姿は見つけなかった。そもそもこれだけ美しい歌声の少女がいたら、もっと会場でも注目が集まっているはずだ。
少女は淡々と語る。
「私は、お姉様たちに連れられてきただけだから」
「お姉様……? 姉妹で来たのかな?」
「そうね」
彼女の言葉は淡々としていて抑揚がない。それにソールは少しばかり「あれ?」と思った。
ませた貴族令嬢であれば、公爵家の少年ともなったら甲高い声を上げて声をかけるだろうに、彼女はソールに対してなんの興味も示さない。それところか、先程からの会話も終わらせたいのか終わらせたくないのかが、よくわからない。
「君、名前は? 僕はソール。ソール・プトレマイオス」
「……ルーナ・セレーナ」
「そう。なら一緒に花でも摘んでいようか」
そう言って笑ったソールに、ルーナは初めてその綺麗な顔立ちを壊した。眉をひそませて口を尖らせたことは、抑揚のない言動ばかり繰り返す彼女にも、感情があると伝えるには充分だった。
「どうして?」
「だって僕は晩餐会が終わるまでお父様とお母様を待つつもりだし。君もお姉さんたちを待たないといけないのだろう? その間は暇だよ」
「そう……なのかしら」
「うん、おいで」
その小さな手を掴んで、ふたりで中庭に入って、花壇に植えられた花を摘みはじめた。
庭師が綺麗に育て上げた花だ。子供が戯れに摘んでいいものではないことくらい、ソールにだってわかっている。それでも、来たくもない晩餐会に連れてこられた女の子を慰めたかった。
あまり大きな花を取っては怒られるからと、取ったのはアーチ状にツタを巻いたバラで、白バラを手に取ると、それをルーナの髪に飾った。
彼女はアメジストの瞳で、不思議そうに彼を眺めた。
「どうして?」
「君に似合うからだよ」
彼女は最初から最後まで、全く笑わなかった。しかし興味ないという態度を取って無視することなく、ふたりで花を摘んで遊んだ。それはソールの中で豊かな想い出になっていたが。
翌日大変に怒られた。
「【月】に【太陽】が関わるんじゃない……!!」
プトレマイオス家公爵に大変に怒られた。
ソールは納得が行かずに噛み付いた。
「お父様、僕はただひとりで放置されていた女の子に話しかけただけです。理由もなく怒られても困ります」
「あーあー……理由なら充分だ。あれは公娼の家系なのだからなあ……!」
「こうしょう?」
「下品な女たちだ。全て王族の所有物なのだから、うかつに手を出すんじゃない……!」
「……待ってください。所有物って、彼女だけでなく、彼女のお姉様たちもですか!?」
他の国では、世継ぎのために後宮をつくることもあるらしいが、この国の法律では重婚は禁止だ。
しかし、時の王の妾にするには、ルーナはあまりに幼かった。しかし世継ぎである【世界】とならば釣り合う。
プトレマイオス家公爵は言う。
「……いいな、絶対に公娼には関わるな。あれは王族の所有物であり、いくら我らが公爵であったとしても、うかつに手を出していいもんじゃあない」
結局は、ソールはその時点では父からセレーナ家の事情を聞き出すことはできなかったが。
【月】の力を知った途端に、どうして父が近付くなと警告したのか、王族がわざわざ彼女たちを所有物認識しているのかが、よくわかった。
学園アルカナに召喚される前。王立学園で最後の自由の時間を謳歌している中、ソールは久々にルーナに出会って驚いた。
幼い日に出会った美しい少女は、より美しく成長を遂げ、その代わりに彼女は美しくなり過ぎて少し目を離せば顔立ちを忘れてしまうという危うさを得てしまっていたのだ。
美しい人形は全て同じ顔なのと一緒。美しい少女は美し過ぎて引っかかりのない顔になってしまったのだった。
そして【月】が王族のために行っていること。大アルカナの中でもっとも忌み嫌われているのは【運命の輪】ながらも、もっともおぞましい力を持っているのは間違いなく【月】であった。
……この国にとって、敵と認識された者を、精神的拷問の末に壊して使役する。
彼女たちはそのために集められたのだと。
それにソールは憤りを隠せずにいた。
彼女はたしかに他の【月】たちと並べてしまうと、同じような人形に思えても仕方がないほどに、整い過ぎた顔をしていた。しかしソールはそれでも彼女の中に見つけた輝きを見失うことはなかった。
それで同年代である【世界】に直談判をしたところ、【世界】からはにこやかな回答を得た。
「彼女を解放してほしい? ソール、それは君の自己満足じゃないのかな?」
「……君はなにを言っているのか、本気でわかっているのか?」
「そもそも君も、学園アルカナを卒業したら、爵位を継ぐのだろう? だとしたら普通に帝王学は学ぶはずだし、この国も上っ面の綺麗事だけで成り立っている訳でないことくらい知っているはずだ」
「だが……彼女たちを道具として酷使続ける気なのかい、君は!?」
「それは心外だね? 彼女たちには【月】こそもっともふさわしいと思って与えただけだというのに」
「……君は、本当になにを言っているんだい?」
「彼女たちには地位は与えられない。家系は与えられない。そして王族に迎えることも難しい……そうなったら、彼女たちはどこから来たんだろうね?」
【世界】の言う禍々しい言葉に、だんだんソールは苛立ってきた。
公娼として保護している。つまり、彼女たちは適当に名字を与えているだけの、どこから来たのかわからない娘たちに、【世界】のアルカナを使って彼女たちに力を与えたということだ。
「君は……! 君はいったい人をなんだと思っているんだい!?」
「落ち着きなよ、ソール。君こそ今まで【月】の処遇についてなにも思わなかった癖して、ルーナだけ駄目じゃあ、それは筋違いというものじゃないかな? それに、彼女から【月】を剥奪したところで、公娼から娼婦になるだけだ。君はそれに耐えられるとでも?」
「…………っ!」
「まあ、僕もプトレマイオス家にはお世話になっているし、学園アルカナに召喚されたときには、晴れて僕たちは五貴人となるのだからね。チャンスくらいは与えてもいいよ?」
「……なんのだい」
【世界】は大事のための小事と、簡単に個人を切り捨てる。
だからこそ【月】を今まで必要悪と、彼女たちの処遇を放置していたのだが。【世界】は誰もが涙を流すほどに清らかな天使の笑みを浮かべた。
「学園アルカナに在学中に、彼女が一度でも君に助けを求めることができたのならば、彼女のアルカナを変えてあげてもいい。君に助けを求めること、だよ。それ以外の条件はない」
公爵に公娼が助けを求める。そもそもルーナ自身は全てに関心を失ってしまっている。簡単に【世界】が言ってのけた条件ではあるが、それは破格の難問だということは、ソールにもよくわかった。
「……本当だね?」
「そんなに疑うんだったら、今すぐ神官長のヨハネを呼ぶといいよ。僕もさすがに彼の前で嘘をつくのは気が引けるからねえ」
わざわざ親友のヨハネと呼ばず、「神官長」と主張したところに、ソールは【世界】の本気を見て取った。
「……僕は君のことが嫌いだけれど、君のその覚悟はよくわかったよ。いいよ。彼女が入学してきたら、彼女を必ず変える。それで、いいね?」
「うん、かまわないよ」
そう天使のような清らかな笑みを浮かべて、【世界】は頷いた。
彼の腹芸は、決して天使のように真っ白なものではないと、明るい日差しの元で育ったソールにだってわかっている。
こうして、ソールはなにかにつけて、ルーナにかまうようになった。
同じ女性同士のほうが都合のいいこともあるだろうと、タニアに頼んでルーナの面倒を見るように頭を下げたり、ルーナとふたりっきりになったときに彼女をできる限り褒め称えたり。
ルーナは全てに関心を向けない娘であり、無表情で、抑揚のない顔をしてばかりいたが、だんだんとソールの言葉に疑問を持つようになってきた。
「家からお茶が届いてね。花の香りのするハーブティーだけれど、よかったら一緒に飲まないかな?」
優しい匂いのお茶を、ふたりっきりで飲むとき、とうとうルーナは声を上げた。
「あなたは」
「うん?」
「私になにもしないの?」
彼女の声は抑揚がない。しかし幼い頃から彼女の声を聞いていたソールには少しばかりわかった。彼女は、なにかに脅えている。
「どうして? なにかして欲しいの?」
「……しろと言われたことはあった。与えられるだけのほうが、私は怖い」
「……じゃあ、そうだね。こうしよう。君が本当に助けて欲しいと言ったとき、どうか僕に歌を歌って欲しい」
それは彼にとって、一抹の願いであった。
彼女を助けたいと思う【世界】との取引のための。あれは気に食わない男だが、くだらない嘘だけはつかない。
彼女は抑揚のない声に、少しだけ不安を滲ませた。
「それだけで、いいの?」
「うん、僕にとってそれが喉から手が出るほど欲しいものなのだから」
「なら……あげる。助けを、求めるから」
その約束はたったふたりっきりのときに行われた。誰も知らない記憶。
そしてそれが、ゾーンを生み出した。
灼熱の太陽。真夏のような直射日光。肌が焼けるどころか燃えるような、蒸発しそうな熱の中。
本当ならば朗らかなお日様のような彼が、灼熱を剥き出しにしている。




