月の涙と太陽の激高・2
スピカたちが無事にルヴィリエを取り戻した途端、ピシピシピシ……と大きな音を立てた。それにスピカたちは頭上を見上げると、アレスが「ああ……」と声を上げた。
「たぶん、カウス先輩たちが到着したんだと思う。そろそろここのゾーンも破られると思う」
「うん」
ルヴィリエは不安そうに身を縮こまらせる中、スピカはポンポンと彼女の背中を叩いた。
「大丈夫だよ。ルヴィリエを助けるために、革命組織の人たちが頑張ってくれたんだしさ。ゾーンが破れたら、早くこの区画を逃げよう」
「……逃げられるのかしら」
「タニア先輩とルーナ先輩のこと? ふたりのゾーンは正直怖いけど、でも破れたら新しくゾーンをつくり直すのにも時間がかかるはずから、大丈夫だと思う」
「……まだ、ここにはふたりいるし……【世界】もいるもの」
それにスピカは押し黙った。
スピカは【世界】にとっての天敵であり、【世界】はスピカにとっての恐怖の対象である。
あの人に会ったら、どうしたらいいのか。そう考えたところで、アレスが「あのさあ」とガリガリと赤毛を引っ掻いた。
「まだ起こってもいないことをグダグダ言ってもしゃあないだろ。ゾーンが破れたら、さっさとずらかるぞ」
「う、うん!」
スピカとルヴィリエが頷いたのと同時に、パリンパリンと大きな音が響き渡った。
あれだけ悪夢と混沌を巻き起こしていたゾーンは呆気なく破れ、白い柱に白い壁の空間が出現する。
生徒会執務室からどこかの建物に繋がっているのだろうか。地下にはあり得ないくらいに明るく清潔な空間が広がっていた。明かりもふんだんに使われているため、視界もクリアなものだ。
案の定というべきか、太陽の戦車に乗ったカウスたち革命組織に、ずっと諜報活動をしていたスカトも一緒にいた。こちらに目が合う。スカトは迷わず戦車を飛び降りると、そのまま走ってきた。
「ルヴィリエ! 皆!」
「うわあ!」
スカトが迷わず、その場から少し離れていたアレスも巻き込んで、ルヴィリエとスピカを抱き締めたのだ。それにスピカも目を白黒とさせ、ルヴィリエはおろおろとする。
「……無事でよかった」
「……うん、ありがとう」
ルヴィリエがそこではにかむのを見て、スピカはようやく気が付いた。元々スカトにしろルヴィリエにしろ面倒見がいい性格なため、仲がいい友達同士だとしか思っていなかったが、違ったのだ。
(……そっか。ふたりとも、互いが大事な人なんだ)
愛にしては執着が過ぎる。友情とは似て非なるもの。ただ恋と呼ぶにはあまりにも淡い。
もっとも、あまりにも淡過ぎて、口にしてしまったら霧散してしまいそうで、口を挟むことはできないまま、スピカはただスカトもルヴィリエも一緒に抱き締めていた。
「暑苦しい! 俺を巻き込むなぁぁぁぁ!!」
当然ながら、アレスは悲鳴を上げていたが。
召喚初日に仲良くなった四人が、本当に久々に揃ったのだから、感慨深くもなるというものである。
「でも……これから脱出するんだよね?」
スピカはちらりと見て、唖然とした。
デネボラが思いっきりタニアを床に引き倒していた。【力】の彼女ならば、これくらいのことは造作もないだろうし、ゾーンを発動していないのならば、タニアに対しても楽勝だろうと思っていたが。そのタニアと来たら、ドレスの裾を割ったのである。いや、最初からそういうつくりのドレスだったというべきか。
長い脚は、デネボラのものと同じく、明らかに鍛えられていた。その鍛えられた引き締まった脚が、デネボラの背中に絡まり、締め落とそうと迫ってくる。
どう考えても、ふたりとも格闘術の手練れだったのだ。
「え……ええ? タニア先輩って、五貴人……だったよね? どういうこと?」
スピカは混乱して、ふたりの戦いを凝視していたら、スカトが「あー……」と声を上げた。
「あの人は辺境伯家の令嬢だ。普段から隣国との紛争になりやすい場所に住んでいると言えばわかるか?」
「ええっと……一応は」
「……あの人は、剣から槍から殺人格闘術まで、ひと通り仕込まれている。紛争になった際、いつ人質になるかわからない上、あの人の立場上、戦場指揮まで執らなければならないからな。あの人はアルカナがあったら余計に手に負えないが、アルカナがなくても並大抵の人間では手も足も出ない」
「は、はあ……!?」
普段から典雅を口癖のように言っている人だから、やんごとなき令嬢として育ったのだろうとばかり思っていたために、そのようなことは寝耳に水が過ぎた。だからこそ、【力】によって怪力の補正を付けたデネボラでなかったら、彼女と対峙できなかったのだろうが。
やがて、デネボラはタニアの寝技から逃れ、そのまま蹴りを打ち込みはじめたが、タニアはそれを難なく交わす。
デネボラは派手なタンゴのような技を繰り広げるが、タニアは一見するとワルツを踊っているような流麗さながらも、その技の鋭さはまさしく殺人のための無駄のない動きであった。
しばらく凝視していたものの、ルヴィリエはようやくためらいつつも口を開いた。
「……とにかく、逃げよう。ソール先輩が来たら、私たちだったら対処できない……」
「ソール先輩っていうと……【太陽】?」
何度も聞いていた。
五貴人の中でも最高戦力だということを。そもそも、わざわざカウスたちがゾーンを破壊して生徒会とやり合ってまで戦車で駆けつけてくれたのだって、彼らとやり合うためだ。
「あの人……私は全然知らないけど……」
そのときだった。
突然、ルーナが歌を歌いはじめた。
「え、ええ?」
彼女の歌声は、教会で聞く賛美歌とも、授業で歌う合唱とも違う。明らかにつくり込まれた流麗な歌声だった。
スピカたちが呆気に執られている中、急にひょいと腕を取られて、スピカは間抜けにも「わあ!」と声を上げた。
「ガキ共、無事確保できたか?」
「カウス先輩! ありがとうございます! ルヴィリエは無事ですよ!」
「そうか……さっさと待避しろ。ここから先、お前らじゃ足手まといだ」
そう言うのに、スピカは一瞬喉を詰まらせる。
たしかにそうなのだ。そもそもタニアに本気の格闘戦をさせたのは、デネボラだ。
そしてこれからやってくるであろうソールと対峙なんて、同じくゾーン持ちであるカウスや、その相方であるアルくらいのものであろう。
そのとき、意外なことに「いやあ……」とアレスが口を開いた。
「どうして、これから【太陽】が来るってわかるんすか?」
「【月】が呼んでるからな。あれは気まぐれで気分屋で、基本的に他の五貴人と比べてもかなりの穏健派だがなあ……【月】が絡んだ途端に馬鹿になる」
「……あの性悪に惚れてんですか? その人」
アレスが心底嫌そうな顔をした。とことん、アレスとルーナは相性が悪い。
「だったら、俺残ります」
「貴様……あんなもんコピーしたら貴様の魔力量だと死ぬぞ?」
「ドーピングはできます」
そう言って、スピカ越しでもらったアセルスのエリクシールをひらひらと見せると、カウスは「ハンッ」と鼻で笑った。
「……死にてえなら来い」
「ありがとうございますっ!」
そのままアレスがカウスに寄っていくのに、スピカはぎょっとする。
「ちょっと待ってよ……! 私たち弱いのに、どうしてわざわざソール先輩と戦うなんて言うの!?」
「違うよ、あの人と戦うのはカウス先輩だ。俺は……」
未だに歌い続けるルーナを見る。
あれだけ顔がおぼろげで思い出せなかったはずの彼女が、今はなぜかくっきりと見える……それは彼女に怒りが満ち満ちているからだ。
「……ルーナ先輩といい加減決着が付けたい。うちの身内ふたりもやられかけたんだ。お前らさっさと帰れ。目的は達成できたんだし、もうズベン先輩もシェラタン先輩も帰るだろ」
「なに言ってるの、ばっかじゃないの!?」
スピカは少し目を吊り上げて、アレスの手を掴んだ。
「私に言いたいことある癖に、いきなり死にそうなこと言うの止めてくれる!?」
「あのなあ……お前と比べれば俺はまだマシだっつうの」
「ばっかじゃないの!? あんたもコピーできるだけで魔力量そこまでないじゃん! いくらアセルス先輩のエリクシールあるからって! それに、私はエリクシール補充できるし!」
そう言ってスピカは持ってきた鞄を見せた。
ふたりがいつもの通りにギャイノギャイノと言い合いをはじめたのに、スカトは苦い顔を浮かべ、ルヴィリエががなる。
「なんだか懐かしいな、少し前はいつも見てたはずなのに」
「ちょっと! アレスはなんでここで帰ろうって提案に乗らないの!? もう私助かったからいいじゃん! でも待って、アレスが無事ってことは、スピカがルーナ先輩にやられかけてたの?」
新入生たちが、もう好き勝手しゃべりはじめて収集が付かなくなったのを、アルは心底嫌な顔をして見ていた。
「我らにとっての希望の【運命の輪】が失われるのは、本当に嫌なんじゃが」
「いいじゃねえかよ。ガキはうるさいくらいがちょうどいいさ……で、アルは【世界】をのしたら、そのままテッペン取るのか?」
カウスの問いに、アルは憮然とした態度を取った。
「既に我らは玉座を追われた身。わざわざ反乱を起こしてまで勝ち取る気はさらさらない。ただ、アルカナの本来の役割は、この世界の魔力枯渇問題の遅延……【世界】がそれをわきまえておらぬから我も腹を立てている訳で、思い出せたのならばそれ以上はなにも言うことはないぞ」
「なんだ、【世界】をそのまま玉座に据えておく気か」
「どうせ国王など、世界のための生け贄に過ぎぬよ。自分の立場をわきまえよ、そちは生け贄に過ぎぬと言いたい……それだけじゃ」
アルのひどく冷えた声に、カウスが「そうかよ」とだけ答えた。そのときだった。
一気にブワリと辺り一面が熱を孕んだ。
真夏に直射日光を浴びたような……炎天下の砂漠の上に放り込まれたような……熱く熱した鉄板の上に載せられたような……汗すらも一瞬で吹き飛びそうなほどの熱が、彼らの周りに迫ってきた。
「……誰かな? ルーナを泣かせたのは」
穏健派。朗らか。そう聞いていたのとは遠いような怨嗟の声が、この場に響き渡った。




