月の涙と太陽の激高・1
「あなた方の父は国王ですが、あなた方が今後父に娘として認知されることはありません。王城に呼ばれた際に歌を歌い、伽を行うことだけを望まれます」
ルーナの記憶にあるのは、王都の外にある森に存在する屋敷で告げられた厳かな言葉であった。
この国において、公娼は娼婦とは一線を引いて存在していたが、彼女たちはあくまで貴族ではなく、平民や貧民のように虐げられることはないものの、それでいて豪商のように金を自由に使える訳でもない、表立っては存在しない者として扱われていた。
彼女たちは森の奥にある屋敷に集められ、歌やバレエ、舞台の稽古を行いながら、アルカナの使い方を教わる。
定期的に王城に呼ばれた際に、それらを行使しなければいけないからだ。
表立っては公娼たちの公演ではあるが、その実は五貴人に仇名す者たちを精神的拷問にかけ、政敵を潰すための作業であった。
ルーナは幼い頃から、公演から帰ってきた姉たち……皆王族の血は引いているらしいが、本当のことはわからないし、姉たちと本当の姉妹かも怪しい……がどんどんと摩耗していくのを見ていた。
その中で、ルーナを哀れに思った者がいた。
その森の屋敷に新しく配属された執事見習いであった。
まだルーナはひと桁の年の頃、彼女の手を引いて執事見習いは訴える。
「いくらなんでも、このようなことにあなたが命を懸けることはありません。逃げましょう」
ルーナは姉たちのことを思った。
いったいなにをどう行ったら、あそこまで彼女たちが摩耗するのかがわからなかったが、なにかおそろしいことをさせられていることだけは想像できた。
彼と一緒に逃げることになったが、すぐに見つかった。
屋敷にときおり現れる、まだルーナと年が変わらないように見える神官長のヨハネに、彼が連れ添う天使のような少年……次期国王の【世界】であった。
「駄目だよ? 君がいなくなってしまったら、とても困るんだから」
「……神官長に、殿下……?」
執事見習いに【世界】は、心底残念なものを見る目を向けた。
「残念だけどね、この国で行っていることは、皆僕たちには筒抜けなんだよ。君がルーナを使って、国を脱走しようとしたことは知っているよ。国家反逆罪に、不敬罪だ。どうしようか、ヨハネ?」
「そうですね。しかし、彼だけ裁くのは平等ではありません。罰を処すのはルーナも一緒でなければいけませんね」
ヨハネが滑らかにしゃべる言葉は舞台の一幕のようだが、語る内容はおそろしいものだった。
執事見習いは必死にルーナを背に庇ったが、もう彼女は逃げる気は失せてしまっていた。
なにをしても駄目なのか。いつかは自分も姉たちのように壊されるのか。
幼い頃から彼女の胸を蝕んでいた恐怖と絶望が、彼女を胸にぽっかりと穴をつくろうとしていた。そこにはもう、喜びも悲しみも入っていない。ただ虚しさという空洞が広がっているだけだ。
ヨハネの言葉に【世界】は「そうだね」と小首を傾げてから、笑顔を浮かべた。
「じゃあ、こうしよう。ルーナ、君はアルカナを使って、彼を罰しなさい」
「……え?」
「君が彼ひとりを逃がせばよかっただけなのに、一緒に逃亡しようとしたのだから。それとも、君の姉上たちに君も巻き込んで行うかい? 好きな方法を選べばいいよ?」
「え……?」
ルーナは困惑した。
アルカナの行使を行った人間は、皆目が虚ろになり、なにも逆らうことがなくなる代わりに、彼らと会話をしてもなにも返ってこなくなる。
執事見習いは、恐怖で足が竦んでいたが、とうとう恐怖で、ジャケットの中に入れていた分厚い聖書をヨハネに投げた。
「もう、いい加減にしろよ……! 人を、いったいなんだと思っているんだ……! ルーナ、逃げよう……!」
「私……もう、逃げられない」
「なにを言って」
ルーナはとうとう、自身のカードフォルダーに手を伸ばした。
助けてくれた人を、自分が手をかけた。彼が絶望にさいなまれる声を聞き、彼が吐露する【世界】とヨハネに対する怨嗟を聞き、とうとう吐露する言葉にルーナに対する恨みまで混じったところで、パキンという音と共に、彼はなにもしゃべらなくなってしまった。
彼の目もまた、アルカナカードの行使の練習中に連れてこられた人と同じように、うつろに落ち窪んで、なにも映さなくなってしまった。
それを見ながら、【世界】はケロリとした顔をして言ってのけた。
「死んではいないよ。じゃあ、帰ろうか」
「ええ……ルーナ、彼はあなたの忠実な執事となりました。もう彼はあなたに逆らうことはありません」
ルーナは虚ろになってしまった彼の目を見た。その目がおそろしくなり、屋敷の執事長に頼んで、彼を遠くの場所に移籍させた。
彼女はぽっかりと胸に穴が空いた。その遠くに追放した執事見習いの名前を、彼女は思い出せないのだ。
ルーナはこのときの経験で学んだことがある。
【世界】は逆らったらおそろしい。彼は味方に対してはそれなりに情を傾けるが、敵に回したとなったら、一切の容赦をしない。
【世界】は自分とそれ以外とぱっくりと分けている。
彼の懐刀のように付き添っているヨハネや、彼の右腕として仕事をしているオシリスすら、彼にとっては自分以外のものに与している。
どれだけ彼に情を傾けても、彼はそれをきちんと受け取ることがない。
だから彼に逆らうことは、命を失うよりもおそろしいことだと。
ルーナは年を取るごとに、美しく成長していったが、それと同時にどんどん誰もが顔を認識できなくなってきた。
彼女の姉たちと同じく、精巧につくられた人形のように、造形が整い過ぎて、誰も顔を覚えられなくなっていったのである。
****
ルーナの怒りと回想は、ドシン。という音と共に、フツリと途切れた。
「まあ……わたくしたちの居住区に、またしても侵入者ですの!?」
タニアが悲鳴を上げる。ルーナはタニアに尋ねる。
「【正義】の預言では出なかったの? いつ革命組織が来るのか」
「出ましたわ。でも……これだけ早くはありませんでした……!」
タニアも三分後の未来は予知できるが、あくまでそれは、彼女がゾーンを展開しているときのみである。
アレスがルーナを煽り続けて怒らせ、タニアからゾーンの発動権限をルーナに奪わせたのが、とことん裏目に出たのである。
(あの【愚者】、本当に許さない……)
またも彼女の胸にドロリとした憎悪が渦巻く中、とうとうゾーンがひび割れ、割れた。
途端に現れたのは、真っ白な柱、あちこちに灯りが配置された広々とした空間であった。
空間を割ったのは、燃える火の輪が回り続ける戦車に、それに乗っている革命組織の面々である。
その上から転がるようにひとりの少年が下りて、一目散に走っていく。
「ルヴィリエ……!!」
その少年の走っていった先。
そこには【運命の輪】に抱き締められた【正義】に、それを見守っている【愚者】がいた。
少年は迷いなく、三人まとめて抱き締めた。
「暑苦しい! 俺を巻き込むなぁぁぁぁ!!」
【愚者】の悲鳴はさておき、三人は泣きながら抱き合っている。
あまりにも微笑ましい光景の中、戦車を操っている青年が、目を細めた。
「よう、派手にやってくれたみたいだな。ガキひとりをいいように使って、【運命の輪】を殺す気だったか?」
「…………っ」
ルーナはそれに歯噛みする。
なにもかもが、茶番になってしまった。元々は、【運命の輪】を誘き寄せて処刑するつもりだったというのに、全部裏目に出た上に、ゾーンまで破壊された。
一方、タニアは目を吊り上げて、戦車を操るカウスを睨む。
「まだ、終わっていませんわ……! そもそもこちらに現れるなんて典雅ではありませんわねえ? わたくしたちの居住区に戦車に乗って侵入なんて、許した覚えはありませんことよ」
「許してもらおうなんて思っちゃいねえよ。まあ【星】の面倒は、うちのんに任せるさ」
カウスのそのひと言の後。
階段からなにかが飛び出してきた。
勢いよくタニアの頭を掴み、床に叩きつけたのは、デネボラだった。
タニアは「ぐぅ……っ!」と声を上げる。
「うちのリーダー、どれだけ強くっても女を殴るの嫌らしくってねえ……おまけに、まだ【太陽】も【審判】も残ってると来たもんだ。あんたたちには悪いけど、あたしたちの相手をしてもらうよ」
デネボラの宣言と同時に、アテルスもまた戦車から降りると、自身のカードフォルダーを構える。
場は、新たな局面を迎えようとしていた。




