友達の奪還・1
スピカとアレスは、ふたりでルーナのゾーンを走り回っていた。
一応このゾーンのルール上、精神的拷問に屈することがなければ、彼女の隷属化は免れるみたいだが、それだけではゾーンのルールの無効化はできても、突破するには至らないらしい。
「ゾーンが一番強いアルカナの魔法だって言われてるのも、多分これだよな。外からじゃなかったら壊すの無理っぽいし」
「私たちだったら、あの人たちの魔力を使い切らせて、ゾーンの解除なんて真似、できないもんね……」
「そんなの戦闘系のアルカナ所有者の仕事であって、俺たちのじゃないだろ。革命組織の先輩たちが来るまで、ここのゾーンに捕まらないようにするしかないみたいだしな」
「ズベン先輩やシェラタン先輩、大丈夫かなあ……」
「あの人たちはまあ、自分たちでなんとかするだろうけど。で、ルヴィリエを探すってことでいいんだよな?」
「うん、それが第一優先だから」
学園アルカナに召喚前から、彼女はゾーンに閉じ込められて、精神的拷問で三日間かけて壊されたという。
果たしてそんな彼女を助け出すことはできるのか。
外からカウスやデネボラ辺りがルーナのゾーンを壊すことまではできるだろう。
だが。タニアとルーナにいいように使われていたからとはいえど、彼女の意に反した行動を強要されていた彼女が、自分自身を許せるだろうか。
スピカが俯いてる中、アレスは溜息をついた。
「お前はさあ、ルヴィリエ好きなんだろ? 友達なんだろ?」
「うん……アレスは?」
「まあ、俺あいつに嫌われてるからなあ」
「多分ルヴィリエ、アレスのこと嫌いじゃないと思うよ。単純に私が危ないことするのを嫌だから、アレスに当たっていたんだし、それについては悪いって思ってると思うよ」
「まあ……お前はあいつを庇うよなあ……それはさておいてさ、助けたいんだったら、それを素直に言ってやりゃいいだろ。幸い、ルヴィリエはまだ生きてる。無事じゃないかもだけれど、死んではいないんだしさ。死んでからなんにも伝えられないって気付くの、結構きついぞ」
それにスピカはアレスを見た。
アレスはポーカーフェイスを気取ってはいたが、いつもらしからぬ嫌悪とも悪態ともつかない曖昧な感情を醸し出していた。
(アレス……仲のよかった人と死に別れてるから……死因も、わかってないし……)
詳しいことはスピカも聞かされてないが、大切な人だったんだろうということくらいは、想像が付いた。
スピカは黙ってアレスと繋いだ手の力を強めた。それに少しだけアレスは目を瞬かせる。
「全部終わったらさあ、一緒のお墓参り行こう。アレスの友達の」
「うちの学園、卒業まで外出禁止だろうが」
「わかんないよ。墓参り行きたいって言ったら許可くれるかもしれないじゃん。それにスカトが生徒会執行部に入ってるんだから、もしかしたら融通してくれるかもしんないし」
そう言うと、アレスはニヤリと笑う。
「じゃあ、そうすっか」
「うん……ルヴィリエを探さないとね。あ……景色が変わってきた?」
「ああ。多分誰かの拷問空間なのかもな」
「拷問空間……他に言い方ないの?」
「逆に他の言い方あるのかよ」
「わかんないけど」
ぐだぐだとしゃべっている間に、広がっていたもやが消え失せ、替わりに豪奢な建物が見えてくる。
白亜の王都の表通りとも違う。石造りで荘厳ではあるが、並木道といい、外灯といい、どことなく表通りよりも派手な雰囲気を醸し出している。
「ここって……」
「多分貴族用区画だな」
「そうなんだ……」
たしかに平民が暮らす区画……それこそスピカの住む街……なんて荷車でもない車が走り回っている場所なんて少ないにもかかわらず、通りには車が走っている。
だとしたら、たしかに貴族用区画だと言われたほうが納得もできる。
アレスは油断なく目をすっと細めて、辺りを見回した。
「ルヴィリエがいるのって、ここじゃねえのか?」
「そう、なのかな?」
「さすがに身内のタニア先輩がルーナ先輩のゾーンに巻き込まれているとは思えねえし、ズベン先輩やシェラタン先輩の住んでた区画はもっと悲惨だよ。となったら、もうルヴィリエしかいねえだろ。探すぞ」
「うん」
そうは言っても、人の拷問空間を歩き回るのはなんとなく人の心の中に土足で入り込んでいるようで気分がよくない上、スピカにとってはほとんど馴染みのない景色が広がっているのは、妙な落ち着きのなさを感じる。
スピカはアレスの手を握っていると、アレスがやれやれと彼女の手を握り返した。
「お前緊張し過ぎだろ。大丈夫だって。見られたくないもんだったら、あとでルヴィリエに謝ればいいんだし。俺は殴られるかもしれねえけど、お前にはあいつも甘いだろ」
「そう、かなあ?」
「そうだって。じゃあ行こう行こう」
こうしてふたりで手を繋いで歩きはじめた。
ポプラ並木。そこを行きかう人々。拷問空間と言うにしてはあまりにも平和的な空気が流れているため、本当にここにルヴィリエはいるんだろうかと首を捻った。
「なんか、普通だよね……?」
「いや、多分そうじゃない」
「そうなの?」
「いくらなんでもかんでも家の連中がしてくれるからって、こうも通りに人がいない訳ないだろ。少なくとも面子第一の貴族が、使用人に外の掃除をさせてないのは変だ」
「あっ」
てっきり貴族は車で行き帰りを送っているから、歩く人がいないのかと思ったら。
だとしたら、既に異様な拷問空間に巻き込まれているのだろう。
「とりあえず、どの屋敷がルヴィリエの家かわかんねえし、入れなかったらさすがにルヴィリエん家じゃないだろ。一軒一軒開けてくぞ」
「それ空き巣狙いじゃないかな!?」
「それ以前に人をゾーンに閉じ込めて拷問するのは、普通に犯罪だろ!? ルヴィリエん家は学園アルカナですらなかったのにそこで拷問仕掛けておいて!」
「そうだった!」
一旦スピカとアレスは手を解くと、見える屋敷の門や玄関を片っ端から開閉しはじめた。
ルヴィリエの記憶からつくられているのだろう。彼女が通りすがるだけで入ったことのない家は、そもそも門が見えるだけで絵を触るかのように門を掴むことすらできなかった。
だが彼女が挨拶に行ったことがある屋敷もあるのか、門から中に入れたものの、肝心の屋敷の玄関を開けることはかなわず。
だんだんと屋敷の数は絞れてきた中、スピカは一軒の門を開いた途端に、なにかの匂いがすることに気が付いた。
「え……?」
本来、精神的拷問では匂い自体はほぼしないはずだったのに、ここからだけは匂いがする。
「アレス! 来て!」
他の屋敷の門をよじ登っていたアレスが、降りてスピカの元に走ってきた。それに思わずスピカは目を細める。
「……アレス、前から思ってたけど、手癖が悪いの、空き巣とかしてたから?」
「してねえっつうの。つうか路地裏でボール遊びしてて人ん家の敷地内に入ったら、普通に取りに行くしかないだろ」
「なるほど」
そういう遊びをスピカは全くしたことがなかったら、いくら口の悪いアレスでも、意味がわからない嘘はつかないだろうと納得した。
スピカが一軒の屋敷のほうに指を差した。
「なんか、匂わない?」
「ん……血のにおいか?」
「やっぱり……ここじゃないかな」
「ほんっとうに、くだらねえ……五貴人の家の力で、学園アルカナ外でやらかしたことすら揉み消したのかよ。ルヴィリエの親も親だ。あんな状態のルヴィリエの召喚に異議を出さないなんてさ」
「うん……」
ふたりで歩いていく。
ここはルヴィリエの記憶が他にも増して、ちぐはぐになってしまっていた。
壁面の絵画の入った額縁が、なぜか斜めにかかっている。
明るい場所。暗い場所。白黒の場所があったかと思ったら、モザイクカラーの場所まである。
「私たちの拷問空間は、一応一定だったはずなのに、なんでルヴィリエのだけ、こんなにおかしいんだろう……」
「……これ、まさかと思うけどさ。ルヴィリエが拷問空間に放り込まれてから、一年近く経ってるせいじゃねえの?」
「どういうこと?」
「……あいつの精神状況が、限界に近いんじゃねえかって話。三日間閉じ込められて人形状態にまで追い込まれたんだぞ? それを維持なんてされて、人間って大丈夫なのか?」
スピカは自分自身がかけられた精神的拷問を思い返して、背中を冷たいものが走って行ったのを感じた。
まるでネジが一本一本緩んでいくかのように、自分だけだったらどれだけこの状況がおかしくても、気付くことができなかった。
だんだん自分が責められているのが当たり前なようか感覚に陥っていくのだ。あんなものを受け続けたら、本当に精神がバラバラになってしまう。
「ルヴィリエ! ルヴィリエ! どこ!? いるなら返事をして!」
───……。
スピカがたまりかねて声を荒げたとき、ふいにアレスが彼女の口を塞いだ。
「ふぐー!!」
「ちょっとお前黙れ。なんか聞こえねえ?」
「ふ?」
アレスに声を抑えられたまま、いつになったら終わるのかわからない廊下の果てを見つめる。
歌声が聞こえるのだ。それは子守歌のような、声を抑えた小さな優しい歌声だった。
ふたりで声の方向へと歩いて行った。その先は。
今まで以上に珍妙な空間が広がっていた。
あらゆる場所から縄が伸び、その縄の先には、人形のような柔らかなドレスを着た少女が絡まっていた。
本来は快活に笑う少女の顔には覇気はなく、瞳には生気がない。まるで操り人形のように不自然に吊るされたルヴィリエが、まるで壊れた人形のように歌声を上げていたのだ。
「壊れた人形は、弄ばれるだけ。人形は元には戻らない」
どこからか、ルーナの声がして、思わずスピカはばっと振り返ったが、彼女の姿はどこにも見えなかった。
このゾーンの支配者は彼女なのだから、いるはずなのだ。でもルーナ本人が見つからない。
「あの人……高みの見物?」
「いや、違うんじゃねえの?」
「えっ?」
「あの人、スピカのこと嫌いだろ。もしスピカを壊すんだったら、自分の手でやりたがるだろうに、あの人本人が出てきてない」
舞踏会のときのことも思い返し、スピカは「そういえば」と気が付いた。
自分の元にいたルーナは、あくまでゾーンの管轄にいたルーナの意思であって、ルーナ本人ではなかった。
「多分、ズベン先輩とシェラタン先輩が大暴れしているせいで、ルーナ先輩もそれどころじゃねえから、俺たちのほうにまで意識を飛ばせてない」
「だとしたら……ルヴィリエを助けようとしても、気付けないのかな?」
「多分……でも、とにかく縄を解いてやらねえことには、どうしようもねえよな?」
「うん……」
ひとまずふたりは、この珍妙な部屋の縄と格闘することからはじめることにした。




