星の瞬きに抗い 月の溜息に耳を塞ぐ・2
アレスの口車に乗ったルーナが、どんどんとゾーンを塗りつぶしていく。
それにぎょっとした顔で、ズベンが「お馬鹿っっ!!」とアレスに向かって罵る。
「あの性悪の【月】のゾーンなんてどうやって攻略するつもり!? ズベンちゃんより凶悪じゃない!?」
「いや、俺を下僕にしておいて、よくルーナ先輩を凶悪とか言えますよね、ズベン先輩も」
「お馬鹿っ! ズベンちゃん【月】ほど性悪じゃないしっ! 人を下僕にしても洗脳とかしないし!」
ふたりの罵り合いを聞きながらも「でも……」とシェラタンが言う。
「ふたりの友達って、ルーナ先輩のゾーンを破らないと助けられないんだよね……?」
「あ……っ!」
シェラタンのぼそぼそとした声は、ズベンとズベンに掴まれているスピカにしか聞こえない。
(ルヴィリエを……助けられるかもしれない……! でも……)
唯一の気がかりは、ルーナの精神拷問だ。
前に聞いた限り、ルヴィリエは三日間彼女のゾーンに閉じ込められて、現在の人形のような状態になってしまったという。タニアとルーナの存在を忘れさせるほどに入念に洗脳を受けていたのだ。つまりは、洗脳を受けやすいほどに、精神を粉砕された……。
(……強いはずのルヴィリエすら壊すほどの精神拷問に、私は耐えられるの……?)
スピカは生まれたときから、処刑対象として実の両親から離され、同じ【運命の輪】の叔父のシュルマとふたり暮らしをしていた。
寂しくとも悲しくとも、友達にも自分のアルカナを言えず、いつばれるんじゃないかとビクビクと震えていた。
……ルーナでなくても、スピカは自分自身の弱点を知っている。
スピカがひとりで震えている中、ズベンが「はんっ!」と鼻で笑った。
「自分の彼氏をちょっとは信用したら?」
「彼氏って……別にアレスはそんなんじゃないです」
「え~? ズベンちゃん、別に誰の名前も挙げてないしぃ~? まっ、冗談はさておいて。あの彼氏、わざわざ陰険な五貴人を挑発してフィールドを変えるくらいなんだからさ、なにか策があるんじゃない? なかったらズベンちゃんがぶっ殺すから」
「殺さないでください」
「まっ、冗談冗談」
いちいち物騒な冗談を言うズベンをよそに、どんどんゾーンから色が失せていく。だんだん下にいたアレスもルヴィリエも、ルーナもタニアも見えなくなっていく。
「多分そろそろゾーンの能力内になるんでしょうね。じゃっ、ズベンちゃんも頑張って生き残るから、あーたもシェラタンもちょっとは踏ん張って生き残ってちょうだいね?」
「ズベンもね……」
「先輩たちも、気をつけて……」
とうとうスピカを掴んでいたはずのズベンも、ズベンにしがみついていたはずのシェラタンも見えなくなり、スピカ自身もゾーンに浸食されていった。
だんだん世界が塗り変わっていくが、そこは見覚えのある場所だった。
「ここ……どこかで……」
王都の煌びやかな建物とは程遠い、牧歌的な町並み。だがスピカがシュルマと暮らしていた町のほうがこじんまりしていた。
そこで気付いた。
「ここ……私の生まれ故郷だ」
生まれてからこの方、【運命の輪】を持った以上はもう二度と帰れないだろうと思っていた場所だった。
鉄道は敷かれているものの、貴族がほぼ滅多に来ない町。ときどき王都から派遣された役人がやってくるだけで、王侯貴族とはほぼ無縁に生活を営んでいた。
そんな町の教会。そこになにげなく入ったスピカは、ぎょっとした。
自分と同じストロベリーブロンドの男性とプラチナブロンドの女性が子供を抱いて泣いていた。
「そんな……この子が……」
「【運命の輪】……? シュルマくん、嘘だと言って……!」
「……残念だが兄さん、義姉さん、この子は紛れもなく、自分と同じアルカナだ」
「この子はまだ、生まれたばかりでまだなにもしてないのよ? 見つかったら殺されてしまう……!!」
子供を抱いてしくしくと泣く女性をなだめているカソック姿の神官を見て、スピカは気付いた。
自分の知っている顔よりもかなり若いが、どう見てもそれはシュルマであった。
(シュルマおじさん……だとしたら、このふたりはお父さんとお母さん……?)
もう長年手紙以外のやり取りができず、顔すら見られていないふたりだった。
そこで思い至る。これは自分がアルカナカードの選定を受けた日だと。
シュルマは苦痛の顔で、ふたりを見つめた。
「……自分もこの子と同じアルカナです。ちょうど自分は神殿から次の派遣先が決められ、この町を離れますから……この子を預かりましょう。同じアルカナであったら、まだ隠し通すことができるやもしれません。この子が死なないよう、自分がこの子にアルカナの使い方を教え、生き方を教えます」
「シュルマ……お前は」
「……自分は生涯独身で、もし自分の子が自分と同じ苦しみを背負うのならば耐えられないと思って出家したのに。まさか、初めての姪が自分と同じく苦しむなんて思いもしなかった」
そこでようやくスピカは夫婦に抱かれている赤ん坊の顔を見た。
まだ生まれたばかりで、髪の毛も生え揃っていない。ただふくふくしているばかりで、目すら開いていないが。
その子を慈しむように夫婦から受け取ったシュルマの顔を見た。
「この子は、ふたりに替わって大切に育てます……この子に名前ならば与えられるかと思います。さあ、名前を」
「……スピカ。この子はスピカ」
母が泣きながら、幼いスピカの手に指を寄せた。スピカは母の指をきゅっと掴む中、彼女は頬擦りした。
「いつも、あなたのことを想っているからね」
こうして、スピカは叔父のシュルマの赴任先移動に伴い、彼に連れられて両親とお別れした。
教会で身内のいない子を引き取ることはよくあり、シュルマは教会上層部である神殿には「兄夫婦が体調を崩したために育てられなくなったから引き取った」の一点張りでどうにか押し切り、スピカを育てはじめた。
本来ならば人を雇ってスピカの面倒を見てもらい、その間に教会の仕事をするのが一番だったのだが、スピカの持つアルカナの都合上、彼女のアルカナがどこの誰に漏れるかわからないために、誰に預けることもできず、シュルマひとりで面倒を見るしかできなかった。
「お願いだから、泣き止んでおくれ」
両親から引き離されて最初の一週間は、スピカは夜泣きがひどく、シュルマは教会の仕事も寝不足で行うしかできなかった。見かねた教会にやってくる礼拝客が、定期的にスピカにご飯やおやつ、おもちゃをくれるようになり、少しずつだがスピカの情緒不安定も治まり、夜も眠ってくれるようになってくれた。
赤ん坊を育てることで右も左もわからない若い神官の様子を、町の人々は支えてくれた。
その人々の優しさは温かったが、同時に彼女のアルカナを探られぬよう、直接世話をするという申し出だけは決して受けることはなかった。
透明になったまま、スピカはそれを見てしょげ返っていた。
(おじさん……私をずっと面倒見てくれてたんだ。知ってたつもりだったけど、本当に大変……)
シュルマには入学してからも毎週当たり障りのない内容とは言え手紙を送っているが、もっと送ったほうが叔父孝行になるんじゃないだろうか。
スピカがそう思っている中。
叔父と姪の平和な日常に、突然のノイズが入った。
その日も寝不足でスピカを寝かしつけ、やっとシュルマもベッドに向かおうとしている中。突然に窓を叩き割る音が響いた。
シュルマは驚いたが、冷静にカソックに酒瓶を入れて、歩きはじめた。教会の地下では、庭で育てた葡萄を漬け込む習慣がある。ワインを売るのは、神殿からも認められている教会の貴重な収入源だった。そのため、売り物のワインを詰めるための酒瓶は、そこかしこに確保していた。
ワインの酒樽を持って行くのだったら、ひとつふたつくらいはいいだろうと思っていたが。泥棒が探していたのは、礼拝客のリストだった。
それは二冊存在している。
神殿に提出する分のリストと。シュルマが独自につくっている真のアルカナのリストだった。
泥棒が手にしていたのは、真のアルカナリストであった。
それを見て、泥棒は驚いた様子で、リストを落とした。
……一部のアルカナには目撃情報だけでも神殿に通告したら、報奨金がもらえる。【運命の輪】がいたという情報ならば、一生遊んで暮らせるだけの報奨金が手に入る。大アルカナの恩恵に預かれないような小アルカナにとって、教会の礼拝客リストは、宝の山だったのである。
その泥棒に向かって、シュルマは酒瓶を振り上げた。
それを透明になったスピカは、呆然と眺めていた。
「この子は、幸せになるために生まれた……! 誰かのために、犠牲になるために生まれたんじゃない! この子は! 託されたんだ! 任されたんだ! お前の生活費になるために、この子は生きているんじゃない……!!」
瓶は割れ、ガラスは粉々になった。骨が折れる鈍い音が響き、血が飛ぶ。
既に泥棒はピクリとも動かなくなっても、シュルマは返り血を浴びてもなお、瓶を振り上げ続けていた。
ようやく我に返ったシュルマは、呆然とした顔で、動かなくなった泥棒を見下ろしていた。そして、しくしくと泣く。
「いったい……あと何回、こんなことをすればいい……?」
(おじさん……私のために、人を……?)
返り血をべっとりと浴びているシュルマを見て、スピカは唇を噛んだ。
自分のせいで、人が死んだ。
この人は泥棒であり、悪党だった。教会のステンドグラスを割って侵入してきた。礼拝客のリストを盗もうとした。スピカやシュルマの本当のアルカナを知ったら、神殿に通報されるかもしれなかった。
死にたくはなかった。でも、自分のせいで人が死んで欲しくもなかった。
スピカは、自己保身のために簡単に人が死んでしまう事実に、しくしくと泣くシュルマと同じように、声を押し殺して涙を流していた。
ここはルーナのゾーンの中だ。これが本当にあったかどうかはわからない。だが、あまりにもリアリティーのある光景に、スピカはすっかりと飲まれてしまっていたのだ。




