そして全ての演者が揃う
ヨハネの展開したゾーンは、光に溢れていた。
白く長い柱の間から漏れ出る光に、優しい空の色。どこかからラッパの音でも響き渡りそうだった。
その中で、削れていた【世界】の魔力がどんどん回復していく。
「大丈夫ですか、【世界】? あなたがいなくなったら、誰がこの舞台を終わらせるのですか? 主役がいなくなった舞台など、つまりませんよ」
「……本当に君はおかしな人だね。神官長を務めながら、舞台に傾倒するんだから」
「おや。教義の内容を噛み砕いて伝えるのに、舞台ほど都合のいいものはございませんよ?」
ヨハネは片手を胸に当て、片手を優雅に天に差し伸べた。
「人生は舞台。舞台は人生。全ての人類は自身の物語の主人公ながら、終章までを演じ切る主人公は限りなく少ない。私、あなたの生み出す舞台を気に入っていますからね。それに彩を添えられれば幸いです」
「そう……ありがとう、ヨハネ」
「いいえ。ところで、今日はどのような用事でしょうか?」
ヨハネが視線を向けた先には、杖があった。その杖から彼のゾーンに入ってきたのは、ナブーであった。
「おや、珍しい。今日は【世界】のゾーンではなく、【審判】のゾーンかい。お茶会に来たのだけれど?」
「だそうです。どうしますか? 【世界】」
魔力の戻りつつある【世界】はようやく長椅子から起き上がった。
「珍しいね、君がここまでやって来るなんて。何度誘ってもいい返事はくれなかったのに。どうぞ」
「それはそれは、どうも」
【世界】がお茶を淹れようとポットに手を伸ばそうとするが、それを先に取り上げたのは、ソールであった。
「やあ、ナブーくん。君が来てくれて本当によかった! タニアもルーナも今いないから、辛気臭いったらありゃしなかったからね。ほら歓迎のお茶だよ。あとそこにあるオニオンパイ。おいしいよ?」
「これはこれは……いつも我が家がお世話になっているね」
「今はそういう話は言いっこなし! はい、どうぞ」
プレートにオニオンパイをひと切れ、カップにお茶を満たして差し出すと、それをナブーは優雅にいただいた。
もしも【世界】とヨハネだけであったら、さすがにナブーも五貴人の部屋を訪れることはなかった。
ひとえに五貴人の中で最も公正なソールがいたことが大きかった。
お茶をひと口すすり、オニオンパイをいただく。お茶は一杯だけで平民が二週間働かなければ出せない値段がし、オニオンパイに至っては平民が七日間かけて食べる食事の材料をたった一ホールのパイにつぎ込まれている。
ナブーは平民が悲鳴を上げて気絶しそうなお茶のセットを平然と平らげ、「さて」とフォークをプレートに置いた。
「最近あなた方が焦ってらっしゃるのを見かねてねえ。せっかくの素晴らしい舞台に焦りは禁物だから、少々忠告を」
「おやおやおや……私とあなたでは、ちっとも舞台の趣味が相容れないじゃないですか」
ナブーの言葉に、ヨハネは美しいかんばせを曇らせる。それにナブーは苦笑する。
「わたしとあなたでは、単純に主人公の趣味が違うだけで、舞台の趣味が違うというのとは少々異なるかと」
「いただけませんいただけません。あなたの主人公の趣味はあのひとりでなにもできない少女ではありませんか。ようやっと見つけ出した【運命の輪】……! 彼女を無事に処刑し、そこで力尽きる【世界】の舞台に涙する用意はとっくの昔にできているというのに、次から次へと問題ばかり起こってねえ……!」
「そういうあなたは、【世界】贔屓が過ぎるかな。しかし、【世界】の成す物語はあまりにも文脈を語らない。わたしはそういう舞台には興味が注がれないね」
「全てが語られてしまったら、面白くなくなってしまうじゃないですか! 考えるんじゃない、感じる! 行間を読む! それこそが舞台の醍醐味!」
「勝手に高尚にしてしまった結果、興味を持たれなくなって廃れてしまうというのは、舞台に限らず芸術全般の悪癖だと思うよ?」
「はあ……同じ観劇が趣味だというのに、どうにもあなたと私、趣味が平行線のままでちっとも相容れませんね!」
「全くだね……話を戻すけれど」
ナブーはじっ……と【世界】を見る。
この国の次期国王にして、世界の美しいものを全て詰め込んでつくられたような容姿だが、その中身はひどく危うい。
それは天使でも悪魔でもなく、限りなく人間に近いなにかだと彼には見えた。
「焦り過ぎだよ、【世界】は。既に革命組織も、あなたの弱点に気付きつつあるし、あなたの焦った行動のせいで生徒会執行部もだんだん不審な目を向けつつある。ずっとアルカナを使い過ぎて疲弊してるあなたは、残り寿命を考慮した結果、即位の前に全てを一旦停止させるために、【運命の輪】の処刑を決めた……と、そこまで考えたのだけれど、わたしの推理はそこまで間違っているかな?」
「……おかしな話をするね、君は。推理小説家になれるよ」
「それは残念だ。もしなれるのだったら、わたしは戯曲作家のほうがよかったのだけれどね」
ナブーは杖を携えて立ち上がると、ソールに「ごちそう様」と挨拶をして立ち上がった。
「わたしからしてみたら、あなたを吊るし上げれば全ては終わるとは思えないからね。あなたが退場するのはもったいないよ。少しばかり落ち着いたほうがいい」
そう言って立ち去って行った。
ソールは冷たい視線を【世界】に向ける。
「君、ナブーはかなりいいこと言っていたと思うけど? いいの?」
「彼からはなにも奪えないよ。彼や彼の家系はあまりにもこの国に貢献しているからね」
「本当に、えこひいき」
それで人の足りないお茶会は、早々に終わることとなったのである。
****
スピカは部屋着で自室のベッドに寝っ転がっていた。
ベッドの下にカードフォルダーを置くと、ベッドに寝転がって手を伸ばした。
前よりも早く、前よりもタイムロスが少なく、カードフォルダーが手元に来るようになった。
彼女の魔力量の増加や精密操作は、少しずつ彼女の身についていっている。
「これで……今日は、終わり……っ」
パシンッと音を立ててカードフォルダーが戻ってきたところで、ようやくスピカはベッドに突っ伏した。
今日は考えることがたくさんだった。
ルヴィリエが五貴人に連れて行かれた。今どうなっているのかがわからない。
彼女は無事なんだろうか。もっとひどいことをされていないだろうか。わからない。わからないけれど。
(ルヴィリエは心を壊されてるって言っていたけれど……全部が全部、ルヴィリエが操られていただけとは思えない)
最初から五貴人の操り人形ならば、なにもしなければよかったのである。
スピカが大変なときでも、皆が大変なときでも。見放せばよかった。面倒臭い。怖い。自分に火の粉がかかる。
【運命の輪】だということを秘匿するためと言い訳して、全ての厄介ごとから目を瞑り、困りごとから全て距離を置いていたスピカからしてみれば、自分から突っ込んできたルヴィリエのほうがよっぽど立派だったのだから。
(だから、次は私が助ける)
レダが偽装アルカナだったということ。
【世界】が行っていることはあまりにも規模が大き過ぎてスピカには未だに咀嚼できずにいるが。
人の力を何年間も偽装を続けるなんてこと、ちょっとやそっとの魔力で可能なんだろうか。なんだかもっと別の力なように思えてならない。
レダとエルメスが退学してしまったこと。
これから偽装アルカナが見つかるたびに、退学処分が下されるとなったら、学園はいったいどうなるんだろうか。
(わからないことばっかりだけれど……やるしかないんだ)
五貴人とどうやって戦えばいいのかわからないが。彼らと戦う方法だってあるはずだ。
そう思っていたところで。
窓からゴンッと石が投げられた。スピカは窓の傍に寄ると、下には部屋着のアレスがいた。共同スペースである中庭から女子寮に石を投げてきたのだ。
スピカは階段から戻ろうかと思ったが、近くに木があったことに気付いて、そのまま窓を大きく開けると、木に足を引っかけてそのままスルスルと降りて行った。
それをアレスは呆れた顔で眺めていた。
「お前なあ……階段使えよ。夜に木登りは普通に危ないだろ」
「さすがに帰るときは階段を使うよ。それよりなに?」
「今日一日、あまりにもいろいろあったのに。お前寝られんの?」
「えー……もしかして、アレスって結構繊細? 心配性?」
「あのなあ……心配してやってるっつうのに!」
アレスにそう言われ、ますますもってスピカは「えー」と笑った。
今はサイドツインは降ろし、ストロベリーブロンドの髪は背中にくっついたまんまだ。
「生まれたときから見つかったら処刑されるって状態で暮らしていたら、結構いろんな感覚が麻痺してくるんだよね。学園に来てからが一番人間らしい生活送ってるって感じ! だから私のことより、ルヴィリエのほうを心配して」
「そりゃねえわ、あんまりだわ」
アレスにブンブンと首を振られて、スピカはきょとんとした顔をした。
「なんで?」
「あのなあ……そりゃたしかにルヴィリエもやばいわ。でもあいつがいろいろおかしいところあるってことで、俺もちょっとは貴族のスパイじゃないかと疑ってたから、それについては悪かったなと思って反省してるけど」
「どうしてルヴィリエのこと疑ってたの……」
「……あいつ、俺らといないときは全くアルカナ集めに巻き込まれてなかったから。いくらなんでもおかしいだろ。今だったら、あいつが人の預言を読み取って安全圏を確保してたんだろうって察することができるけど、それでもずっとスピカを守ってたから、見直した……話戻すけど」
「うん」
空を仰ぐ。
星がちかちか瞬いているが、地元よりも星の数が少ない気がする。王都のほうが発展しているせいなのか、彼女の故郷が田舎過ぎるのかがいまいちわからなかった。
アレスは髪をガリガリ引っ掻きながら言う。
「……お前らふたりともさ、ちょっとは自分自身のことを心配しろよ。どうして他人ばっかり心配すんだよ。自分のこと考えろよ」
「考えてるよ。だって、自分のこと一番考えないと、死んじゃうじゃない」
「あー……そうじゃなくって、あー……」
アレスは髪を掻きむしってから、ようやく手を降ろした。
「ちょっとは頼れよ。それを伝えに来た」
それにスピカはちょっとだけ目を見開いてから、口を開いた。
「私、最初からずっとアレスのお世話になりっぱなしで、頼ってないことなんてないってくらいだけれど?」
「お前そこはもうちょっとこう、『ありがとう』とか『嬉しい』とか言うとこじゃねえの!?」
「えー、やだー」
だんだんだんだん、重く考えていたのが馬鹿みたいになってきて、とうとうふたりで笑い出してしまった。
「あー、そろそろ消灯時間だ。戻ろう」
「……おう。スピカ」
「なに?」
「お前、まだこの学園から逃げる?」
「ん-……」
【世界】と関与したら、逃げるようにとシュルマに言われていたが、今のスピカは【世界】と対峙する気なのだ。
戦う力はない、【世界】の最大の弱点だと持ち上げられても自信がないが、それでも。
「もうとっくの昔にないよ」
逃げる気は、とっくの昔に消え失せている。




