偽りのアルカナ・7
レダの故郷は、広義の上では王都に当たるものの、実際は王都の表通りに面する道は一切なく、打ち捨てられた町であった。
貧民街は、王都にはないという風に扱われてしまっていた。
ここに暮らすのは小アルカナの人々ばかりで、昼も夜もどこからかアルコール臭のする場所であった。
こんなところに仕事がある訳がなく、ギャンブルで一攫千金を狙うか、どうにか王都の表通りに出て仕事を探すしかないのだが、王都の、特に表通りでは小アルカナが就ける仕事がない。
せめて王都から離れた地方都市では、力仕事があるのだが。そもそも王都を離れるには金が要り、王都で暮らすのにも金が要る。
八方塞がりの状態でも、貧民街の人々は必死にギャンブルで心身を病ませる親族から金を隠して、わずかばかりの仕事を分け合って働き、その日その日を必死で生きていた。
レダは初等学校を最後に学校に通わず、教会で下働きをしてその日の生活費を稼いでいた。
もし自分が成長したら、最悪体を売らないと生活できないかもしれない。その恐怖が常に付きまとっていた。
貧民街に住む女性の肉付きはお世辞にもよろしくないが、働き先がなくなった女たちは最終的に春を売る。
そのことに震えている中。
ある日無慈悲な通達が王都からやって来たのだ。
「二年以内に立ち退きですか……!?」
貧民街の人々はすぐに失踪したり亡くなったりと入れ替わりが激しいため、この辺りの責任者は必然的に教会になっていた。
神官が悲鳴を上げる中、王城の役人は無感情で言ってのける。
「区画整理だ。そもそもここは王都の一部にもかかわらず貧民が大量に住み着いて、王も大変に困っている。王都には他国からの人々もやってくるというのに嘆かわしい限りだ」
「なにをおっしゃっているんですか!? 二年で新しい住居の提供もなく引っ越しなんて、できる訳がないでしょう!? ここの方々がどれだけ仕事に困ってると思っているんですか!」
「努力が足りないだけでは?」
神官と役人の諍いを、レダは震えながら床に雑巾をかけつつ聞いていた。
とうとう住むところまでなくなってしまった。いよいよ自分は春を売らないといけないのかもしれない。
そう頭がグワングンワンと揺れるのに堪えながら、その日の仕事を終え、どうにか家路に就こうとする。
おしまいだ。おしまいだ。なにもかも、おしまいだ。
彼女が絶望に打ちひしがれながら、足取りが重過ぎて上手く歩けない中、体を引きずっていると。
この貧民街にそぐわない車が停まったのに気付き、レダは固まった。
立ち退き期限は二年先だと聞いていたが、既に街を取り壊すための調整に役人が来たのだろうか。
レダは歯がカチカチと鳴るのを堪えることもできずに、車を凝視していたとき。
車からこの場にはあまりにも似つかわしくない少年が出てきたので、ますますその場を動くことができなくなっていた。
仕事をしていると、いつも神官から教義の内容を語られることがある。その中で書かれている天使の造形を持った麗しい少年が、車を降りるのと同時に、レダに目を留めたのである。
「殿下、このような場所に住む娘など」
「かまわないよ。やあ、君はここに住んでいるのかな?」
その天使のような容姿から紡がれる言葉は、天にも昇るような美しい声だった。声変わりしたばかりの少年の声はガサガサしているはずだが、不思議と美しい声色を保っていた。
その容姿と声に心を奪われて、上手く返事ができなかったレダは、ただ大きく頷くことだけしかできなかった。
それに少年は「ふうん」と言いながら、きらきらと光る髪を少しだけ指で梳いてから、言葉を続ける。
「君はここから脱出したいと願っていたりしないかな?」
「……え」
それ以外言葉が出てこなかった。
少年の付き人らしき男が「貴様、殿下になんて口を!」と声を荒げるが、少年は「かまわないって言ったはずだよね?」と軽く咎めた。
殿下と言われれば、いくら学のないレダでも、ギリギリ王都に住んでいればわかる。
このあまりに美しい少年が、次期国王の王子だということくらい。
そして彼の示した提案がどれだけ魅力的かということくらい。
「ど、どうしたら……! 私はここを出て!?」
「うん。簡単な話だよ。君にはぜひとも、学園アルカナに入学してほしいんだ」
「え……で、すけど、私は、小アルカナであって、大アルカナでは……」
学園アルカナを卒業できれば、仕事には一生困ることはない。大アルカナでなかったら就けない仕事にだって就けるし、少なくとも貧民街を脱出することができる。
しかしそもそもレダは小アルカナであり、最初から学園アルカナから召喚される資格を持たない。ただの夢物語であった。
レダが戸惑っている中、少年は「君のアルカナカードは?」と尋ねられ、レダはおずおずと自身のカードフォルダーを差し出す。
剣の8。あまりにもありふれた小アルカナのカードを「ふうん」と少年は見たかと思ったら、それにすっと触れた。
途端に、レダは自身の体が急に重くなったことに気付いた。いや、違う。
彼女の所持するアルカナが吸い上げる魔力が変わったから、彼女にかかる負荷が変わったのである。
「うん。これでよし。今日から君は【恋人たち】だ」
「ええ……ど、どうやって……わ、たし……先程まではただの、小アルカナで……」
「力の使い方は、出身地のせいでわからない知らないとだけ言い張ればいい。さあ、君にも近い内に召喚状が届くだろうし、是非とも学園で青春を謳歌してほしい」
もしレダが貧民街出身ではなく、ただの下町出身の娘であったら、とんだ王子の贈り物にただお礼を言うだけだっただろうが。貧民街出身のレダはそこまで前向きな態度は取れなかった。
下手に弱みを見せたら簡単に全てを奪われ、教義上絶対に弱者を踏みつけにしない神官以外を信じていないレダからしてみると、重過ぎる贈り物はただただおそろしいものであった。
「私に……いったいなにを望んでいるんですか?」
「おや、ただ青春を謳歌して欲しいってだけじゃ駄目かな?」
「いくら私がギリギリとはいえ王都の人間だからって、殿下にここまでされる謂れがないですから、普通に怖いです」
「うん、自身を守ろうとするのはいいことだね。じゃあ君には教えてあげようか……この国にね、新たな【運命の輪】がいるのだけれど、どうも協力者がいるらしくって、王族の力を持ってしても探し出すことができなくて困っているんだ。でも潜在魔力で召喚者を選ぶ学園アルカナは、近い内に必ず選び出すはずさ。これだけ探しても秘匿を決め込んでいるんだから、相手はさぞかし上手く隠れているんだろうね。でも学園アルカナに入学してしまったら、皆一緒。治外法権のあそこでは、どんな卑劣な手段もやりたい放題さ。……君には是非とも【運命の輪】探しと処刑に協力して欲しい」
犯罪者の処刑なんていうものは、レダにとっては荷が重かった。しかし。
理屈はわからないが、大アルカナを得ることができた。学園アルカナへの召喚資格も与えられた。
これだけ重いものをもらった以上、処刑のひとつやふたつ、軽いのではないだろうか。
どうせ貧民街にいたら、いずれ追い出されてしまうのだから。
「……わかりました」
レダはそう頷いた。
どう考えても目の前の少年は天使ではない。天使の皮をかぶった悪魔に近いなにかだったが、彼女はもう、そんなことはどっちでもよかった。
ただ、ひどく枯渇していた彼女は、一滴でいい。雨粒ほどでもかまわない。
ただささやかな幸福が欲しかった。
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しかし、世の中はそうレダの思うようには進まなかった。
本物の【恋人たち】であるエルメスに捕まり、見染められてしまった。
最初は彼女はただ困惑していた。
「あのう……私、平民ですけれど……?」
「俺の爵位だってどうせ一代限りであってないようなもんだ。それが?」
「【恋人たち】でしたら誰でもよろしいんですか? 困ります」
「君がずいぶんと困っているようだったから声をかけたのだけれど、俺の勘違いかな?」
今困っています、とは言えなかった。
しかしエルメスはただ紳士だった上に、平民だからと彼女を下に見ることも馬鹿にすることもなく、貧民街出身だと告白しても態度が全く変わらなかったことに、彼女は少しだけ気が楽になった。
だが。彼に気持ちが移れば移るほど、自身のアルカナが重くなってくる。
(私がもし、本物の【恋人たち】じゃないと気付かれたら? 私のアルカナは【世界】に与えられたものだと知ったら?)
エルメスが好きになればなるほど、レダは嘘をつき続けるのが苦しくなってきた。
そしてとうとう、彼に泣きながら告白したのである。自分の持つアルカナは人からのもらいものであり、本来はただの小アルカナであることを。
嘘をついたこと、大アルカナではないこと、それのせいで彼に嫌われるかもしれないこと。なにもかもがおそろしかったが。
エルメスは「ふうむ」と辺りを見回した。
日頃から寮の食堂付近には貴族階級はおらず、せいぜいここは同学年の変人ばかりが使う程度だ。
「このことは、生徒会執行部は知らないことだね?」
「え? え、ええ……」
「じゃあ隠そう。どうせもらったものなんだから、素直にもらっておけばいいさ」
あまりにも軽く言うので、レダは涙で濡れた目を瞬かせた。
「……糾弾、しないの? 私、ずっと嘘をついていたっていうのに」
「だって、君はアルカナ以外で嘘をついたのかな? それに君の出自を考えたら、ここにしがみつくのは当然じゃないか。もしばれてしまったらそうだね……俺もついていくさ。他国にでも高跳びしてしまえば、アルカナなんて関係なくなってしまうからね。それでいいじゃないか」
「で、でも……他国ではアルカナがそもそも使えないわ。あなたは、本当にそれでいいの……?」
いざとなったら、ふたりで手を取り合って逃げる。それはそれは素晴らしいことのようにも思えるが。
ただレダは、エルメスの人生を無茶苦茶にしてしまわないかを気にしたが、彼は全く気に留めることがなかった。
「いいじゃないか。そもそも他国には、うちみたいな階級のない国のほうが多いのだから。皆一緒ということで」
そうエルメスがこともなげに言うことに、レダがどれだけ救われたのかはわからない。
だからこそ。
「レダ・カストル。偽装アルカナ所持及び使用の現行犯につき、退学処分と致します」
生徒会執行部の通達すら、エルメスを永久に失うことと比べれば、レダにとって大したことではなかった。




