そして舞台の幕が上がる
町の路地裏には、場所を移動させつつカウスのゾーンが展開されていた。その中でガリリとくるみを齧る音が響く。
漂うビールの酒気の中、カウスは黙ってアルとアセルスの報告を聞いていた。
ソファーに寝そべりながら、「ふん」とカウスは鼻息を立てる。
「……おおかたエルメスかレダ、どちらかあるいはどちらも【世界】に脅迫されているんだろうさ」
「酷なもんだねえ……アルカナの性質上、互いのことが筒抜けだからこそ、脅迫に屈しなかったら互いを守れないっつうのは」
【恋人たち】はカードの性質上、同じ【恋人たち】のカードの所持者の存在が筒抜けになる。逆に言ってしまえば反応しなくなれば、互いに危機があったと即座にわかってしまうのだから、どちらか片方さえ脅迫してしまえばもう片方にも脅迫が届くという寸法だ。
デネボラが心底同情した声を上げるのに、アセルスは「ええ」としおしおと肩を落とす。
「あんたもあんまり気にしないようにね。脅迫されてとはいえど、まだ右も左もわからない新入生を襲撃なんて大人げない真似をしてるんだからさ」
「おっしゃる通りですわ……【運命の輪】には戦闘能力が全くないのは確認取れましたから」
「しっかしねえ……【世界】はどうしてそんなに執拗に【運命の輪】を狙っているんだい? 戦闘能力ない、秘匿能力しかないんじゃ、いてもいなくても同じじゃないか。あの子はまあ……いい子みたいだったけど、ほんとーうに普通の子で、別に世界を革命してやるとか、そんな気配もなかったみたいだしさ」
デネボラの疑問に「おおかた」と今まで黙り込んでいたアルが口を開く。
「現状の国のシステムに【運命の輪】が対抗手段になるのであろう」
「ああ……あれも言ってたな。【運命の輪】の最後の力は魔力が足りなくって使えないと」
カウスはごろんと起き上がりソファーにもたれかかる。
それを眺めながら、なおも納得いかないようにデネボラが唸る。
「それが【世界】にとってのアキレス腱だと?」
「その力が使えない内に始末したいんだろうさ。あれの親戚も、【運命の輪】だったらしいが、最後の力の使い方はわからんみたいだったな」
「そんな使えもしない力……なおのこと放っておいても……」
「デネボラ、貴様があれの面倒を見たら使えるだろ」
カウスにそう指摘され、デネボラは目をパチパチさせると、小さく頷く。
「……魔力量に寄るけどねえ。でもあたしはあの子が革命組織に入るのは反対さね。生徒会執行部や五貴人と敵対宣言するようなもんだ。革命する意志のない子を巻き込むのは酷だよ」
「俺も反対だが……アルは入れたがってるなあ?」
カウスがちらりと見上げた先で、アルは陰気臭い顔に神妙な色を浮かべて大きく頷いた。
「あれが【世界】の天敵足りうるなら、手元に置いておいたほうがなにかと有効じゃろ」
「わたくしもまだ友達と遊んでいたい子を、革命に巻き込むのは反対ですわ。生徒会の子たちはよいこしかいませんけど、五貴人は違いますもの……そう何人もの墓前に花をお供えしたくはありませんわ」
「悠長なことを言っている場合かえ。こんな年、そう滅多に来る訳ではないのだからな」
アルはそうぴしゃりと言ってのける。
「珍しくもない【愚者】や【隠者】だけでなく、【世界】に【運命の輪】……希少価値の高いアルカナまで出現し、全ての大アルカナが学園内に揃った年なんてそう多くはなかろうぞ。我のような【死神】のアルカナだって、秘匿するには苦労したからなあ……我らにとってもチャンスなのは、五貴人にとってもチャンスであると同じぞ?」
アルの言葉に、デネボラもアセルスも押し黙る。
他のアルカナは大して珍しくないが、五貴人と呼ばれる五つの高位大アルカナが全員揃った年なんてほぼ存在せず、処刑対象である【運命の輪】は発見され次第処刑されているからそもそも学園アルカナ召喚前に処刑されていることのほうが多い。
こうして全ての大アルカナが揃った年なんて、ほぼない。
【運命の輪】が【世界】に対してなんらかの反逆が行える千載一遇の機会を、みすみす捨て去ることはできないだろう。
カウスは皿からひとつくるみを取ると、またもガリリと齧る。
「力があるからそれを使うのが義務じゃねえだろ。あれが革命に身を投じる気がねえんじゃ、俺たちであれを保護すると言ったところで聞かないだろうよ。それになあ、アル」
カウスはにやりと笑った。アルが陰気臭い深紅の瞳を丸くした。
「なんじゃ?」
「貴様がありふれていると言っているアルカナが、形勢逆転に身を投じるかもしれねえぜ? あのガキ、傍にいるのがどれもこれもありふれたアルカナしかいねえからなあ」
「戯言を……アルカナに気合が通じるものか」
「俺はあのガキの力やアルカナよりも、あれの持っている強運のほうが末恐ろしいけどな。デネボラ、新しいビールはあるか?」
「はいはい……あんまり飲み過ぎないようにね」
デネボラにビール瓶をひとつ差し出され、それを景気よくカウスは傾けた。
悲観主義者であるアルは、アルカナの力にばかり目を向けがちだが、カウスは違う。
【運命の輪】の少女の、無意識ながらも着実に味方をつくっていくその才能のほうが、生徒会執行部を……その上を統べる五貴人を超越するなにかになるうるだろう。
カウスはそれを心待ちにしている。
****
生徒会室では仕事が山積みだ。
そろそろ学園行事が行われるため、それに向けた指示を各学年に飛ばしつつ、学園の状況を確認する。
五貴人の娯楽と化しているアルカナ集めは、それらの進行を妨げるために彼らにとっても悩ましいところであった。
「うーん……相変わらず魔力量が変わってないよね。今日だけでアルカナ集めのための戦闘は十件確認されているのに。一部はアルカナカードを強奪していないとはいえど、半分は強奪成功しているのに」
学園の魔力量の確認を行っていたエルナトは、ありえない状況にただ首を傾げていた。
「新入生を【悪魔】が襲撃していたというのは?」
仕事が詰まり過ぎて、入学式からこっちずっと徹夜続きのオシリスは、だんだんメガネの向こう側の目が隈で落ちくぼんできていた。それに気の毒なものを見る目でイシスが「会長、お疲れ様です」と自分用に淹れたお茶を半分分けてあげて、自分も飲む。
それを横目にエルナトも自分でお茶を淹れながら頷いた。
「うん。あれはズベンちゃんがシェラタンくんに引き取られて終わったから、結果だけ見たらイーブン。本当だったら新入生たちが勝っていたはずだよ。あの子たち別にアルカナ集めに興味なさそうだったしね」
「なるほど……」
「ん-……アルカナカードがなかったら魔法が使えないから、結果として使える魔力量が減るはずなのに減ってないって……誰かが新しいアルカナカードを用意しているとかですかねえ?」
一生懸命に書類仕事をしていたイブが、眉を寄せつつそう言うと、エルナトは「あははは……」と笑った。
「理屈だけ言えばそうなるけど、でも僕も君も互いのアルカナカードを交換したところで使えないじゃない」
「わあ、そういえばそうですねえ」
「僕は【教皇】、君は【女教皇】で使えそうなのにねえ」
「不思議ですねえ」
先輩後輩で和みながらそう言っていたら、だんだんオシリスの眉間の皺が深くなってきた。
イシスが「会長? 会長?」とおずおず尋ねると、我に返ったオシリスが自身の眉間の皺を揉み込んだ。
「……ああ、大丈夫だ。忘れてくれ」
「そうですか……しかしもうしばらくしたら、学年交流のダンスパーティーを行いますのに……皆が血気盛んになっていたら、行えますか?」
「学年交流もだが……社交界デビューを控えている貴族の子息もいるし、平民からしてみれば学園内でしか機会は与えられない。五貴人の都合で取り上げる訳にもいくまいよ」
「そうですか……なにもないといいんですけど」
イシスがそう言って沈む中、イブが「はい、先輩方!」と元気に手を挙げる。
「なんだ、イブ。書類は?」
「頑張って終わらせましたけど計算が合っているかどうか自信ないです! あのですね、なにも起こらないように見回り増やす以外にないと思うんですよ。でも人手不足ですよねえ? もういっそ執行部メンバー増やしましょうよー! この間後輩たちスカウトしましたけど、振られちゃいました。もう一度アタックしてみてもいいですかねっ!」
一見アホみたいな言動ではあるが、利には適っている。五貴人のおかげで増やされた心労を人手を増やすことで埋められるならばそれに越したことはない。
オシリスは「はあ……」と息をついてから、イシスの淹れたお茶をいただいた。
苦みが眠気と心労をわずかに癒してくれる。
「そうだな……それが一番妥当だろう。新人勧誘は、頼むから後輩に嫌われない程度に行ってくれ」
「わかりました! 頑張ります!」
イブが元気に再び手を挙げるのを眺めつつ、オシリスはお茶を飲んだ。
(……【世界】はなにを企んでいる?)
学園の秩序と世界の秩序は噛み合わない。
薄々勘づいてはいるものの、学園の秩序が第一なため、状況証拠もない状況では、生徒会長とは言えども動くことはできない。
オシリスは苦々しく思いながら、次の行事について思いを馳せることにした。
****
【恋人たち】との再戦から三日後。
スピカたち新入生は四人で掲示板を眺めていた。気付けばあの列車内で出会った四人で行動を共にすることが増え、授業が全く合わないときでも食堂や昼休みに情報交換をすることが増えていた。
「学年縦断ダンスパーティー……?」
貼り出されている内容に、スピカはストロベリーブロンドを揺らした。
「ええ、学園アルカナには社交界デビュー目前の子たちも数多くいるから、それまでにダンスを覚えましょうっていう奴ね」
「ふーん……ダンスなんて踊る機会がないから、覚えないといけないもんだって知らなかったや」
「それよりぃ、スピカはどうするの?」
ルヴィリエにまたも抱き着かれて、スピカはわからないという顔をしてみせた。
「なにが?」
「ドレスよ、ドレス! 仕立てる? レンタルする?」
「……ドレスってどれだけお金がかかるのかな。私、生活費はおじさんから送ってもらってるけど、ダンス用ドレスなんて考えたことなかったし」
前に入ったバイト代でドレス一枚くらいどうにかならないかとスピカは思う。足りないようだったら、またもどこかでバイトを探さなければならないが、安全なバイトでなければ、またもアルカナ集めに巻き込まれかねない。
のりのりなルヴィリエとは裏腹に、スカトは「はあ……」と陰鬱だ。
「え、なに。お前はダンスパーティーやなの? 俺はそこでだったらただ飯食えるなあくらいに思ってたけど」
「あのなあ……一曲くらいは踊らないと駄目だろ」
「えー。適当でいいじゃん。お前はなに嫌がってるの?」
「……はっきり言おう。僕はダンスが下手だ。女子の足を踏んで怪我をさせる自信しかない」
キリッとした顔で駄目なことを言うスカト。それにますますもってアレスは「えー……」と声を上げる。
「いやいやいや、練習すればいいだろ? というより、なんでそこまで」
「僕は学校に通わずよく路地裏で喧嘩に明け暮れていたからな。あまりに舐められるものだから、靴裏に鉄板を仕込んでいた。こんなので足を踏んだら相手の足が砕けてしまう」
「鉄板仕込んでない奴履けばいいだろ!? お前馬鹿なの!?」
男子ふたりの駄目過ぎる話を聞きつつ、スピカは「うーん……」と考え込んだ。
「私、ダンスもドレスも全然わかんないけど、ルヴィリエは教えてくれる?」
「ええ、もちろん!」
「だって。アレスもスカトもルヴィリエに教えてもらおうよ」
「えー……」
アレスはあからさまに嫌な顔をしたが、スカトは「よろしく頼む」とキリッとした顔をした。
ルヴィリエもまた、嫌そ~うな顔をしたもののスピカの「いいじゃない」と言う声に彼女を見る。
「皆で踊ったほうが楽しいと思うし。ねっ?」
「ん-ん-……まあ、いいけど? でもスカト、私足が砕けるのやだから、靴に鉄板仕込んできたら絶交だからね!」
「ああ、わかった! 有事の際は拳で行くから気にしないでくれ!」
「そういう喧嘩っ早いのどうにかならないの!? ほんっと男ってバカ!」
皆でギャーギャー言いながら、それに合わせてスピカが笑う中、アレスは「なあ」と尋ねる。
「なに?」
「お前は大丈夫なの? ダンス」
「踊ったことないから、どうなるかわかんないかな」
「そっ。まあどうせお貴族様は平民となんて踊りたくありませーんと言うだろうし? ダンスの相手が見つからなかったら、俺が踊ってやってもいいけど?」
スピカは一瞬目を見開いたあと、少しだけおかしくなって笑う。
「うん、考えとく」
「……なんで笑うんだよ」
「いや、いい友達できたなと思っただけで。性格悪いけど」
「おう、感謝しろよ」
四人はギャーギャー騒ぎながら、食堂へと向かっていった。
まだなにもはじまっていない。
学園カーストの厳しさも、横行する差別も、理不尽も、まだ新入生には届いていない。
しかし、もうすぐ幕が上がる。
全てのアルカナが揃ったこの地に役者は揃っている。
ここで起こる悲喜劇の幕が、もうすぐ上がる。
もう舞台から降りることはできないのだから。




