100 運命の扉Ⅱ
日が翳りだした夕方の草原を2人を乗せた馬が走る、走る。
2人きりで、こうやって馬や走らせるのも久しぶりだなぁ。なんかもう全てを忘れて世界の果てまで行きたくなっちゃうよな。しかし明日の今頃にはクリス達に合流しなきゃいけないから、つかの間の至福の時間。いかんいかん、逆に考えるんだ。明日の夕方までたっぷり思う存分2人きり。少しは期待しちゃうよね。何をって……そりゃ色々だよ、分かるでしょ!
愛馬ディープも俺の心情を理解してくれているのか、軽快に走ってくれている。もう長旅をしてきた後だから、ディープが少しでも疲れないように軽く早足で駆ける。周囲には誰も居ない2人きりなので会話は日本語だよ。前前世の記憶がない以上、俺の母国語は今でも日本語なんですよ。生まれ変わっていても、ザ・日本人だ。
『この辺の草原とか山の形とか、見覚えある?』
『あるような…ないような……』
貴女は地形把握のスキルも持ってるんじゃないの?スキルがあっても1000年ぶりだし、しょうがないのかな。だいたい、俺達は今もどこを目指して走っているんでしょうかね。このまま漠然と走ってても目指す研究所には辿り着かないでしょうが。
『あの……あっちの変な形した山、わかる?とりあえずあれを目指していこう』
彼女が指差す遠くに、山の頂上付近が不自然に欠けた様になっている山が見える。不思議というか妙な山だね。大昔に火山が爆発したのか、山体崩壊でもしたのか。案外、魔神が魔法で吹き飛ばした後だったりしてね。あれに向かうのは良いけど、このまま山道を行くんだろうか。結構暗くなりつつあるから、今から山道ってのはちょっと怖いんだけど。
『私は夜でも問題無く視えるけど……わかったよ、もう少し暗くなったらキャンプしましょう』
だから。貴女を基準にするなっつーの。俺はそこまで夜目は利かないんですよ。それでも、みんなが大好きな師匠を独占出来るのでウッキウキです。気分は子供の頃の土曜日の夜だね。ワクワクし過ぎて眠れないかもしれない。
『もう少し奥に……私の記憶の通りなら湖があったはずなんだけど…』
ルーの記憶を疑うワケではないけど、なんせ1000年前の話だからね。日本だって……例えば1000年前の東京や大阪なんて驚くほど内陸まで海だったりして現代とは全然違うらしいし。この地域は海から離れているけど、これだけの時間が流れていたら大きく地形が変化しててもおかしくないし、果たして湖は…?
『あった…!』
目指した山の麓に、確かに湖はあった。空は既に夕焼けに赤く染まっている。さほど大きくはなさそうだが波も無く静かで綺麗な湖が赤い空を映していた。湖のほとりにはテントが張りやすそうな平地があったので馬を降りて2人で日が沈みつつある中、その湖を眺めてみた。
『見覚えはある?』
『ある……んだけど、かなり様変わりしてるよ』
ようやくルーが覚えている場所に帰って来たんだけどな。しかし時の流れはやっぱり残酷だ。逆に彼女に寂しい思いをさせてしまったんじゃないかという気がした。ああ、相変わらず無力だ。今の俺は何にも言ってやれないから、せめて後ろから彼女をギュッと抱きしめてみた。
『私は大丈夫だよ………いや、ごめん。ちょっとだけ寂しい』
この人が寂しいことが、寂しい。許されるなら、しぱらく2人でそのまま居たいけど、残念ながらいつまでもと言う訳にもいかない。時間も止まってはくれないのだ。それに日が暮れると冷えてきた。
もう暗いので、まずは焚き火を起こさねば。料理にも使うから大きく火を起こそう。その後はテントを設営です。今日は全てを2人でやるんだけど、あまりにもルーの手際が良いのでセシルやクリスと3人でやるより早かった。本当になんでも出来るんだな、俺の嫁。
そして2人で料理したよ。今夜のメニューはアルミラージ肉のシチュー。アルミラージ自体は普通のウサギより随分大きいけど、所詮はウサギなのでクセもなくて美味しいんですよ。
『もう少し、このまま煮込んでいてくれる?私は少しだけ周囲を確認してくる。ここが私の知っている湖なら、研究所はそう遠くはないはずなんだよ』
『なるべく早く帰ってきてよ』
知らん国の知らん場所で、たった1人は不安でしょうが。しかも、こんな山の中の湖のほとり。お化けは出ないだろうけど……出ないよな?出るとしたら魔物だろうか。でも魔物の方がマシと思えてしまうくらい、俺はお化けが嫌いなんですよ。
『すぐに帰るよ。いってきます』
俺のほっぺにキスして、ルーはすぐに飛んで行った。比喩でなく本当に物理的に飛んで行った。2人きりの時は結構積極的な魔神なのだ。いってらっしゃいのキスは……こういうのって思ってた以上に良いですね。是非、普段から取り入れて欲しい。
もう春先の時期だけど、ラウルシュタイン帝国はルシアス王国より少し北寄りにあるせいか冬に戻ったみたいに冷える。山の中ではあるけど虫の声もしねぇの。ルーが居なくなったせいもあって急に静寂が襲ってきた。魔物も……今は気配も無い。
焚き火が爆ぜる音を聞きながら、かなり前に買ったはいいもののほとんど食べた事のない干し肉を取り出した。それを齧りながら……そうだ、ビールも飲んじゃえ。身体は冷えるけど焚き火で暖まりながらのビールなんて最高じゃん。………あ。食ってから思い出したけど、これ一年前くらい前に買った干し肉だ……賞味期限的に大丈夫だよな?収納魔法に放り込んであったから腐ってはないはずだ。焚き火で少し炙ると…うん、イケる!多分大丈夫だ。そう信じよう。
風がほとんど無いせいか、本当に静かなもんだな。ルーはこの湖を知っていた。そしておそらくきっと、前前世の俺もこの湖を知っていたはずなんだ……1000年前に来たことがあるのかもしれないな。もう夜だから湖面はよく見えないし、見えたところで覚えてないけどさ。仮に覚えていたとしても、この風景も様変わりをしているのだったか。知っていたはずの景色を覚えていないってのは正直に言えば、少し寂しいよ。ルーとは違う種類の寂しさだ。救いなのは自覚の無い記憶喪失者、て事かな。俺にとっての人生は日本で生まれて始まっている。
メルヴィルについて思い出せないことを辛いとも悲しいとも思えないのが、なんとも寂しい気がする。………いや、よく考えたら前前世の記憶が無い!なんて当然の事だろうが。普通は前世だって無ぇよ。贅沢を言っちゃいけない。まぁ贅沢を言いたい訳じゃないんだけど……なにかを思い出したらルーが喜んでくれそうだからね。あの人に喜んで欲しいんだよ。それも贅沢な話なのかな。贅沢な話だな。
見上げると、山の中のせいか星が綺麗だ。あんまり星座には詳しくないけど、北斗七星とオリオン座くらいは分かる。だが、この世界の空には北斗七星はない。わかりやすいでお馴染みのオリオン座も見つからない。この世界ならではの星座もあるんだけど……何度説明を聞いてもサッパリわからん。そんな星はさておいて、月は好きだ。地球の月より倍くらい大きく明るいけれど、月はやっぱ月だな。
ルーは、星を観るのが好きだ。月や太陽も好きだと言っていた。よく空を見上げている姿を見かける。1000年後の世界でも、ほとんど変化がないからだろうか。逆に言うと、それ以外のほとんどは移り変わっているってことなのかもしれない。
何度も何度も考えたことだ。普段は何も言わないけど、彼女は寂しいのだろうな。俺が出来ることなんて多寡が知れている。やれる事を全部、全力でやって寂しさを忘れさせよう。そう決めたじゃないか。彼女に寂しい思いをさせたのは俺なんだから責任とらないとな。メルヴィルがあの人の為に死んだように、俺はあの人の為に生きる。
あー、そうだ。テントの中を確認しておかないと。もう2週間もお預けされているから、久々に夜の運動会を開催しないと。大丈夫、今回は詳細に報告する。俺はこう見えてもやる時にはやる男だ。微に入り細を穿って、克明に。あの芸術品としか言いようのない彼女の身体についても、隅々まで最高のレポートをお届けしましょう。色々な大人にマジで怒られるような描写を披露します。
俺もね、意地悪したかった訳じゃないんだよ?男はね、みんな考えることは一緒でしょ?女だって大差ないだろ?あるの?え、マジすか。ここで逆にアクセルを踏むんですか!?スゲーな!
『踏みません。何を1人で言ってるの?』
『いや、今夜の……実況中継について……ね?』
『却下』
だって。残念だね!ドンマイ!
切り替えていこう。
それにしても、本当に早く戻ってきてくれた。
『おかえり、早かったね』
『ただいま。少し周りを見てきただけだからね。早く夕飯を食べましょう』
2人だけの夕食。寒いから、肩を寄せ合って食べるのが楽しい。俺は猫舌なので、ふーふーしてもらって食べるよ。出し惜しみ無しに甘々ですよ。時代的に甘味は貴重だけど、2人は最高に甘々。俺も、これが他の恋人同士がやってるなら胸焼けするくらいにラブイチャしてる。ええ、他人なら冬でもバケツで水をぶっかけるレベル。水飴に蜂蜜を加えて弱火でコトコトと焦がさずに小一時間煮詰めたくらいの甘々のまま、イチャイチャしながら食事を終えて、少しだけ2人でお酒を呑んで就寝。
もちろん就寝前に少々……いやかなり激しく、運動をした。
若いって素晴らしい。
何回戦でも出来るんだもん。
何をって?夜の相撲。
夜の、て言えば全て許されるものではないが。
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あー、今朝もスッキリ目覚めた。
前夜の心地よい運動が効果的だったようだ。
ああいう運動なら毎日でも運動したいね!
嫁に朝食を任せて、俺はテントを片付けるよ。これも適材適所です。それにしても……こうやって何度も野営するなら、小さな家ごと収納魔法に入れちゃうのはどうだろうな。2DKくらいで。風呂付きなら尚良し。こう……基礎のないプレハブ住宅かコンテナ的な。
問題は地面だな。
地面が平らじゃないと、出した家が壊れてしまう。
土魔法で、大地の表面を平らにならせば可能か?
無理かな、いや場所によってはいけそうな気がする。
今度、ルーと相談しよう。快適生活をもっと追求しようじゃないか。あー、でも理想を言うなら個室も欲しいし防音防振設計は欲しい。俺達の夜の運動対策に。むしろそれはメインの機能かもしれない。
『そうでないと、みんなに恥ずかしいもんね?』
『はいはい。ゆっくり思う存分、理想を追求してください』
魔神は呆れ顔を隠さないが、許可は出た。
よし時間を見つけて設計してみよう。
これは小さな一歩だが、俺にとっては大きな飛躍である。
今日の朝食はBLTサンドイッチ。
ベーコンもルー特製の自家製ベーコンですよ。
市販品のベーコンもあるけど、これが一番美味しいんだ。
『ルーの作る朝ごはんは世界で一番美味しいよ』
『ありがとう。もう一つ食べる?』
『食べさせてください』
『2人きりだと、本当に君は甘えん坊さんだよね』
『お互い様だと思うけど?』
『私は普段から頑張ってるもん。御褒美をもらう資格があります』
『じゃあ俺は寂しく自分で食べるよ…』
『ダメ。もっと私に甘えてきなさい』
2人きりの時間は貴重なのです。
朝からゆっくり仲良くして、少し日が昇ってから出発。
ルーが言うには、研究所はもうかなり近いので急ぐ必要も無いらしい。
『結構、人里離れた所に研究所を作ったんだねぇ……やっぱり秘密保持のため?』
『昔は、割と近くに町があったんだよ』
そうなのか。特撮系でありそうな悪の秘密組織の隠れ家をイメージしてたけど、そういうのでもないのか。もし、そうだったとしたら前前世の俺は何をしていたんだと新たな黒歴史に頭を痛めるところだった。だって俺が聞いている限り、メルヴィルの人生の9割は黒歴史だ。我ながらイタい奴だよな。
いくつか小さな峠を越えて、いきなり見晴らしの良い場所に出た。ラウルシュタイン帝国も、こうやってみると綺麗な国だね。今はまだ寒い時期だから草木も枯れて寒々としてる景色だけど、春か夏なら一面が緑の海と呼べるような大草原だろうな。
『懐かしい、って感じ?』
『うん、懐かしいよ。昔はね、この目の前に大きな町が広がっていて……大勢の人で賑わっていたんだよ』
魔神が指差す先は、今は広大な無人の平原。1000年前のここに大きな町がねぇ………それにしてもルーは魔王だったりした割に結構、人間に馴染んでたんだね。それは今も一緒か。王都でも多分……というか絶対、俺より知り合いが多いし男女問わず人気もあるだろう。いや、俺だっておばちゃんには割と人気あるんだぞ………何を対抗してるんだ。
しかし、この1000年の間に何があったか知らないが今は町を思わせる痕跡は何もないなぁ。近くの火山が噴火したのか洪水にでも襲われたのか……もしかしたら土を掘ったら何か発掘されるかもしれないが、そんなことをしてる時間もないしね。歴史は割と興味ある分野だけど、俺は学者じゃないし。これから目的を全部果たしたら、大きくなったら歴史学者になるのもありかも……今だって身体だけは随分大きいけども。
『ああ、懐かしい風景を見たら満足してきたなぁ……アレク、もう帰ろうか』
『いやいやいや。目的地はすぐそこなんでしょ。行こうよ』
清々しい笑顔で、急に何を言い出すんだ。俺も万が一記憶が蘇るかもしれないから、その研究所に行きたいんだってば。ゆっくりと馬を歩かせて、かつて町だったという平原を進んでいく。
ルーは研究所が近いと言うけど、周りに建物らしいものは全く見えない。それどころか人工物らしいものが全くない。前に見えるのは、草や木も生えてない岩山くらいか。
え、もしかして……アレなの?
『私は君が一緒なら、私達以外の全ての世界が滅んでも別に良いかなと思ってるよ』
『俺もルーが一緒なら良いけど……なんで今それを言うの?』
『ここまで来たのに言うけど、本当は来たくなかったんだよ……君の研究所』
質問の返事になってないぞ。そして今更、ここまで来て根底を覆すような事をぶっちゃけたね。メーヌの迷宮の帰りでも研究所の話で浮かない顔してたのが関係してるのかな。
『あれか、問題って言ってたやつか。なんだよ、気になるでしょ。そろそろ教えてくれないと、えっちなイタズラをするぞ?』
『じゃあ、言わない』
イタズラして欲しいの?
昼でも乳揉むぞ、この…!
『………多分、ここにね。私の兄が居るんだ』
そう言いながら、彼女はまるで溜まった埃を払うかのように目の前の岩を吹き飛ばした。突然、人外の力を見せられてセクハラする手も止まるわ。魅惑の乳まであと少しだったのに。いっそ触っておくか?多分怒られるぞ。目の前の光景も衝撃だったけれど、それより衝撃的な事を言われた気がする。まだ俺は彼女の言葉の意味を理解出来てない。
えーと、なんだって?兄?……兄!?
『ルーの、お兄さん?が、居るの?ここに?』
『死んでなかったらね。そして多分、死んでないと思う』
確か……いつだったか彼女には2人の兄が居るって言ってた。そしてあまり好きでもない、と。それも特に下の兄は好きじゃないと殺気を漂わせて言ってたわ。ここに居るんだとしたら…どっちの兄だ…!?
『あったよ……研究所の扉』
大きな岩を吹き飛ばした後には、1メートルくらいの半球の石のようなモニュメントが付いた平らな壁……これが扉?
なんだこりゃ?石というかコンクリートの壁みたいだ。
扉というには入れそうな感じではないよ。
開きそうな感じがしない。うん、これはただの壁だ。
ドアノブは無いのか。
『こうするんだよ』
ルーが、半球に手のひらを当てた。
と、次の瞬間にはルーがその場から消えた…!
どこへ行った!?
だから貴女は説明が無いといつもいつも言ってるだろうが!メルヴィルもそうだったらしいが、2人共そっくりだよ。今すぐお説教をしてやりたいが、壁を目の前にして平原に俺はただ一人。ぽっつーん………。
えーと………俺も、この半球に手を当てれば良いのかな?
なんか怖ぇーな。
『うわぁっ!!!』
なんか、一瞬フワッとして周りが真っ暗になった!
……うわっ。埃クサッ!
中に入ったのかな?入ったのだろうな。
1000年以上ぶりに帰ってきた我が家。
うん、何にも見えない。真の闇だわ。
電気付けて、電気。
俺の人生、闇の中って意味なのかな。
俺にとって、運命の扉ってのはオルトレットでのアムブロシア迷宮の入り口だった。あそこでルーに再会して、俺の人生は大きく動き出したのだから。そして、まさか俺の人生には運命の扉がもう一つあろうとはね……奇しくも、二つ目の運命の扉も音も無く開いた……いや今回も開いてはいないか。




