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リリィのお仕事


 リリィがサッと顔色を変えると、左手からナイフがするりと抜け落ち、魔女の手に収まった。

 薄く笑うエヴァ・コッコがさびたナイフを指先でたどると、瞬く間に研ぎたての輝きが抜身に戻る。


「…………」

「さびていては役立たない。キレイにしてお持ちなさい。私の首はこんなものじゃ切れないけれど。憶えておいてね、カナリア・リリィ」


 カナリア・リリィ。

 かつて少女を称えた二つ名だ。「すべて知っている」と教えるように、柄を向けて戻されたナイフの刀身に、カッと頬を染めたリリィの顔がくっきりと浮かぶ。

 リリィは悔しさに震えだしそうな手を握りしめて言った。


「本当に、幸福をくれるの?」

「招待状の通りよ。なにか望みが?」


 問い返す魔女は顔色ひとつ変えない。


「歌を、歌声を取り戻したいの! 私は……、なにをすれば――」

「ここで仕事をしてもらうわ。心配しないで、簡単なことよ。でも明日からでいいの。奥にお部屋があるわ、今日はゆっくりなさい。食事の時間には呼ぶわ」


 招かれた家の中はさっぱりと片付いていて、意外なほど過ごしやすい雰囲気だった。リリィに示された一番奥の部屋も、素朴だがあたたかみのあるしつらえだ。刺繍の掛け物のあるやわらかそうなベッドや木のちいさなテーブル。

 そして一方に傾いだ真鍮の天秤がチェストの上に載っていた。


「好きに使って、リリィ・ロット。壁にかかった服は贈り物よ。私が縫ったの。気に入ってくれるといいけれど」


 どこか楽しげに魔女は去った。

 残されたリリィは身体中にみなぎらせていた緊張を深い息とともに吐き出した。すぐに殺されはしないらしい。壁には服が二枚かけてある。普段着と白い夜着ナイトウェアだった。ボロを脱いで花の香りのする服に手を伸ばす。やわらかな白いブラウス。胸紐を締める上着とスカートはコマドリの卵のように上品な青緑で袖を通すと吸い付くような着心地だ。

 ひとときを過ごす部屋。見回して、ふと左に傾いた天秤が気に掛かる。行き場のない銀のナイフを右の皿に乗せた。すると天秤はひととき揺れてピタリと釣り合う。

 リリィは目を見開く。左の受け皿にはなんのおもりもない。

 ここは魔女の家。理屈の通じない不思議な場所だ。


 翌朝。居間で少女と朝食をとった魔女は重々しい口調で言った。


「立ちなさいリリィ・ロット。動かないで」


 リリィが従うと魔女は枯れ枝のような手を伸ばし少女の金髪に触れ、頭の先から喉元まで、少女を確かめるようにひたりひたりと指先でたどった。リリィは言い知れぬ恐怖に耐える。


「命じます、リリィ・ロット。これから私が良いと言うまで、その声を聞かせないで。もしこの約束を破ったら――」


 魔女は縛られたように動けないリリィの喉にトン、と爪先を押し当てた。「アッ」と声を上げようとしたリリィは、すでに声が奪われたことを知った。声。自分の持つ最後の宝。

 リリィは心臓を鋭く貫かれたような錯覚を覚えた。


「心配ないわ、魔法とも言えない簡単な封よ。あなたに約束を破るつもりがあれば、声は出る。でもそうなったら、私はあなたの居場所を『不幸』と定めるからそのつもりでいなさい。ほんの三月みつきほどよ、耐えられるわ」


 魔女の宣告は少女の美しい顔を紙のように白くした。

 けれど、必死に言い聞かせた。元から壊れていた声だ。とりあえずの代償としては軽いもの。もし、この声が戻るのなら――。

 魔女は少女の内心を見透かしたように笑い、居間の使い方をこまごまと指示した。

 作りつけの大きな棚には瓶入りの干し草がたくさん並んでいた。その内三つを選び、ちいさな棚に並べて魔女は少女を手招く。


「リリィ・ロット。最初に覚える仕事よ。右からリコリス、アルテア、カミツレ。朝昼晩、食事のあとにお茶を煎れること。この木のサジにひとすくいして熱いお湯を注ぐの。あの大きなコップに二杯、必ずお前はお飲み」


 身振りで「多すぎる」と訴えるリリィを無視して、魔女は少女を連れ庭に降りた。


「毎朝、ヤギのミルクを絞ること。下手な搾り方じゃツノでひと突きよ、注意なさい。さぁ見て。こうよ、私の手の動きをまねて」


 リリィは途方に暮れてその場に立ち尽くしていたが、促されて渋々ヤギの乳に手をかける。もちろん結果は散々だ。ヤギに新しい服を破かれ追われ、ほうほうの体で逃げ回るリリィは、あきれた魔女に救われてことなきを得た。


「手ひどい洗礼ね。破れた服は自分で繕いなさい。できない? やれやれ……。そんなことまで教えなきゃならないの」


 リリィは生まれて初めての針仕事をして指先に血玉を湧かせたが、破れた服はなんとか修繕できた。初日の仕事はどれもこれも哀れなできだ。

 庭にはヤギのほかにもめんどりがいて、時には卵も手に入るという。魔女お手製の香草を混ぜたパンは絶品だった。知らない草のたくさん入ったスープはやさしい味がする。

 魔女のいう仕事に恐れを抱いていたリリィだったが、与えられた仕事は――家畜を扱い実りを収穫する――庶民そのものの暮らしをたどることだった。


(バカバカしいことばかり。こんなことなんになるの)


 幸福と不幸という大きなものを与えるのに、ふさわしい試しだろうか、リリィが悩むのをよそに――。

 どうやら魔女は、何もできないリリィを見て楽しんでいるらしい。


「このカゴいっぱいにキノコを採っておいで」


 たやすいことと侮って出かけたリリィは、帰るなり魔女の大笑いを聞くハメになった。


「なんてことリリィ、全部毒キノコよ」


 カゴいっぱいの毒を持ち帰り、この日の夜はパンとミルクの夕食だった。ヤギの乳搾りだけは日々上達している。

 その次の日の仕事もお笑い種だ。


「釣竿を持ってこの泉の流れをたどっておいき。ちいさな湖に行き当たるから、右手にある大きな岩から釣り糸を垂れてごらん。太ったマスが釣れるのよ。三尾釣れたら戻っておいで」


(また私を笑おうというのね。見てなさいよ、大きな魚であの魔女を驚かせてやるんだから)


 意気揚々と湖に向かったリリィは魚のかかった竿ごと湖に落ち、命からがら逃げ帰ってまたあきれられた。


「やれやれ、こんなに何もできないとはね」


 同情を期待したが、儚い望みだった。

 用済みになって食べられてしまう日も近いかもしれない。

 不安のまま、冷え切ったリリィが部屋に戻ると新しい服のひと揃いと熱いカミツレのお茶がちいさなテーブルに用意されていた。

 魔女は思うより気長な性質らしかった。

 日々仕事をこなし、毎日三種のお茶を飲む日々が続く。ひと月たつ頃には無口にも慣れた。家事や野良仕事にも上達の兆しがある。


「あら、今日のお茶は美味しい。上手くなったわ、リリィ・ロット」


 気の進む仕事ではないが褒められれば心も弾む。もし、無事に森を出られたら前よりマシに暮らせるかもしれない。リリィはそう思うのだった。


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