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ハディドの森の魔女

 身寄りのないリリィ・ロットに、招待状が届いたのはある朝のことだった。

 屋根の破けた廃屋の戸口。石畳の上。

 いつ届いたのか、差出人不明の手紙が一通。

 少女が手にした純白の封筒は、Eの飾り文字に”ラベンダー”の意匠を添えた真紅の封蝋でシールされていた。


 花言葉は『あなたを待つ』――。


 リリィは眉を寄せたがハッと目を開くと、封筒を破る勢いで開き、短い手紙に目を走らせた。汚れた頬にさびかけた笑みを浮かべる。二年前とはなりも声も変わってしまって、もう街ですれ違っても誰も「歌姫リリィ・ロット」とは気付かない。

 美しいドレスは粗末な衣服に変わり、リボンで飾った靴も今は裸足だ。

 パンを盗み、濁った水もすする。

 けれど、少女のセレスト・ブルーの瞳は、まだ十六歳の輝きを失ってはいなかった。


「そう、噂は本当だったんだ」


 美しかった少女の声は、ガチョウのようにしゃがれている。瞳にかすかな狂気を宿し、リリィは廃墟を飛び出した。流転の運命に壊れた音程のハレルヤを口ずさみ、痩せこけた足を弾ませて森に行く。

 その手に、魔女の手紙とさびたナイフを握り締めて。


 いらっしゃい、ハディドの森へ。

 「幸福」か「不幸」になれる、

 あなたの居場所を用意しました。

             エヴァ・コッコ


 リリィの住む街には伝説があった。黒いハディドの森にはバーバ・ヤガが棲んでいる。人をさらい、人を喰らうおそろしい魔女。古くさいおとぎ話だ。彼女は百歳を超える老婆だという話もあれば、水のしたたるような美女だという話もあった。真実は誰も知らない。

 黒い森に近づいてはならない。

 そう決めて、守られている。


「いい子にしないと、バーバ・ヤガが来るよ」


 子どもへの脅し文句は決まってこれだ。リリィもちいさいころよく聞かされた。言い伝えには続きがある。ハディドのバーバ・ヤガはとりわけ孤児を好み、品定めして丁寧な招待状を送りつけるという。子どもの処遇は魔女の気まぐれ。いじめようが煮て食おうが誰も嘆かぬ今のリリィなんておあつらえむきだ。


「『幸福』か『不幸』なんてバカにしてるじゃない。よこしてよ、幸せを! 魔法なんてものが使えるんなら」


 リリィは黒い森をにらみつけ、手にしたバーバ・ヤガの招待状を鬱蒼とした木々にかざした。

 森は静かで、小鳥が朝を歌っている。

 何も起こらない。

 リリィは声を上げて笑った。


「ほら、魔女なんてやっぱりいない!」


 涙声の絶叫は彼女が知らぬ合図だった。

 突然、突風が頬を叩いた。目の前がチカチカと星のような瞬きに覆われる。「あっ」と声をあげる間も無く、次にリリィが目を開けた時には、奇妙な家の立つ泉のほとりへ導かれていた。

 唖然とした。

 その住まいは鶏の足のような乾いた三本の木に支えられた小屋だった。高床の小屋と地上を素朴な木の階段が繋いでいて、古びたホウキがひとりでに掃き掃除をしていた。水音に目をやれば、大きな水樽と泉の間を、木桶がせっせと往復して水を運んでいる。

 奇怪な光景に戦慄していると、小屋の木戸が軋んで人影が現れた。ささやかな武器を手に身構えるリリィに澄んだ声が降る。


「いらっしゃい。ずいぶん早かったのね、リリィ・ロット。招待を受けてくれてありがとう。どうぞお上がりなさいな」


 丁寧な物腰に息を飲み、リリィはひき結んでいた唇をほどいた。


「は、じめまして……、魔女バーバ・ヤガのエヴァ・コッコ」

「ええ、ようこそ。自己紹介は結構よ。私好みの不幸な顔。醜い声ね。痩せすぎてみっともないけれど、そのブルーの目はとてもステキ。まだなにも諦めていないのね」


 あけすけな物言いは事実だけを並べたものだったが、リリィは嘲りを感じて奥歯を噛んだ。

 魔女は吟遊詩人が面白おかしく語るような、やせぎすで髪振り乱した醜い老婆などではなかった。どこの屋敷の夫人かと尋ねたくなるような上品な老女だ。

 豊かな白髪をシニョンに束ね、足首まで隠れる薄いラベンダー色の服をまとっている。灰色のやわらかなショールを留めるアメジストのブローチが目を惹いた。ほほえむ瞳は良く老いた者の力強さに満ちていて、声は姿よりずっと若々しい。

 リリィはボロを一枚着たきりの自分が恥ずかしく思われてならなかった。後ろ手に隠したナイフを強く握る。


「ここにきたからには、あなたは私の養い子。上がっていらっしゃい。お部屋とベッドと食事をあげる」


 リリィは階段を一歩一歩踏み締める。ナイフの柄を握り込み、手首の内側に刃を隠す。

 少女が魔女の待つ踊り場へ素足をつけると、エヴァ・コッコは彼女の顔を覗き込み声をひそめた。


「かわいい子、そのおもちゃを私にくれる?」


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