勇者の物語
この世界にはかつて、世界を救おうとした1人の勇者がいた。勇者は自らに課せられた、魔王討伐と言う任を果たそうと、仲間と共に魔界へと赴いた。勇者と同じく勇敢な仲間達は、道中で魔王の配下の者達との壮絶な戦闘で息絶え、たった1人になってしまった勇者はそれでも単身魔王に戦いを挑んだ。死に行く大切な仲間に託された想いを胸に、勇者は前を見続けていたのだ。
戦いは、一昼夜にもおよんだ。双方の実力は全くの互角で、結局勝負がつく事はなかった。結果として、双方体力が尽きた事による引き分けとなる。勇者は敵地で倒れた事になるが、勇者の健闘を称えて魔王は他の者に勇者に手出しをさせる事はなかった。それにより、勇者は魔界から無事に人間の領地へと無事に帰って来ることとなる。
一見すると両者は引き分けで、そこに勝敗はないかのように思えた。だが、戦いのさなかに勇者から受けた魔王の傷は、癒える事はなかった。その傷は魔王に一生残る傷となり、魔王を苦しませることとなる。
一方で勇者は、体力が回復すると再び魔王に挑むつもりでいた。しかしそれを、当時の人間の世界を支配していた王が、許さなかった。王は無事に帰って来た勇者を、魔王に臆した臆病者と評し、勇者を牢屋に閉じ込めてしまいました。
王は、魔王が受けた傷の事を知っていて、息子の王子に魔王を討伐させようと考えたのです。でもそれは失敗し、王子は魔族の手によって殺されてしまいました。
そうなる事も知らず、王は勇者を激しく糾弾し、市民も勇者を罵りました。
誰も、勇者を庇う者はいなかった。仲間は死んでしまい、勇者の家族も友人も、糾弾される勇者を見守るしか方法はなかった。じゃないと、その人たちまで殺されてしまう。勇者もそれが分かっていて、助けを求める事はなかった。
やがて勇者は、大勢の目の前で処刑されてしまう。その時勇者は、世界を恨む自分と、世界を愛する自分との2つに分かれてしまいました。一方は、この世界が大好きで、人々の幸せを願う良い勇者です。もう一方は、自分を罵った人々が憎くてたまらなくて、世界が大嫌いな勇者です。
この世界を愛する勇者は、千年後に心優しい魔王として生まれ変わりました。心優しい魔王は魔族達に愛され、人にも愛される存在となります。
この世界が大嫌いな勇者は、同じく千年後に復活して、世界を滅ぼそうとたくらみました。だけどそれは上手くいきませんでした。とても強大な力を持った世界が大嫌いな勇者だけど、千年後にもいた新たな勇者に敗けてしまったのです。
新しい勇者は世界中の人たちに愛される存在で、大勢の種族を超えた仲間を持つ、世界が大嫌いな勇者にとってとても眩しい存在でした。新しい勇者は、世界が大嫌いな勇者に、世界が大好きだった頃の勇者を思い出させてくれました。敗けてしまったけど、最期にそれを思い出せた勇者は、とても幸せで笑顔で消え去る事になります。
「──勇者ネモのおかげでリルは闇から救われ、世界中の人々や魔族は、二人の勇者のおかげで平和に過ごせるようになりました。めでたしめでたし。ああでも忘れてはいけないのは、女神イリスティリア様の存在です。勇者ネモは、女神イリスティリア様の勇者。イリスティリア様がいなければ、何もできないただの役立たずのゴミカスです。それを心にとめておきなさい。いいですね?」
「す、すげぇな、勇者ネモ様って!」
「うん。ネモ様カッコイイ。リル様も、凄かったんだね!」
イリスが子供達に聞かせていたのは、勇者リルの物語です。子供向けに編集された絵本は子供たちに評判で、今ディンガランでは勇者リルが大人気となっています。
イリスはその絵本を、子供たちに読み聞かせてあげていました。
絵本が流行るのはいいんだけど、でも想定外なのがボクの名前も一緒に知れ渡ってしまった事です。物語に、勇者リルを救い出す存在として出てくるネモのモチーフは、言うまでもなくボクです。可愛らしい黒髪の女の子のキャラクターは、まんまボクです。
だけどそれが本当にボクだという事は、一部の人しか知らないのが救いです。同じ名前という事で子供たちの食いつきが凄いけど、そこまでで済んでいます。
「私の話、聞いてました?一番凄いのは、イリスティリアです。勇者リルもネモも、イリスティリアにかかれば雑魚ですよ。凄いでしょう?」
「オレ、絶対にリル様みたいになる!」
「じゃあオレはネモ様みたいになる!」
イリスの言う事は無視して、お話を聞き終わった子供たちは盛り上がります。
場所は、ディンガランのとある孤児院です。大勢の親を持たない孤児がここにはいて、ボク達はそういう子供たちに、勇者リルのお話をたまに聞かせて回ったりしています。
絵本も、無料じゃないからね。普通の家庭の子達は買ってくれるけど、孤児院の子供たちはそうはいきません。だからこうして、ボク達がたまにボランティアで聞かせて回っているんです。
なるべく大勢の人たちに、勇者リルの武勇伝を聞いてもらいたいからね。
「だから人の話を──」
「イリスちゃん。イリスティリア様、私も好き」
怒ろうとしたイリスだけど、そんなイリスの袖を掴んだ女の子が、イリスの怒りを納めさせました。
まだ本当に年端も行かない女の子で、イリスよりも小さな女の子です。だけど無視をされるイリスを哀れに思ったのか、そう言って笑顔を見せてくれています。
「……良い心がけです。貴女がイリスティリア様を愛せば、イリスティリア様も貴女を愛してくれる事でしょう。だけど、イリスちゃんじゃありません。イリス様、です。言い直してみなさい」
「えー。イリスちゃんは、イリスちゃんだよぉ」
女の子の肩を掴んでそう迫ったイリスに、女の子は無邪気な笑顔で答えました。そう言われてしまったら、邪悪な心を持つイリスも何も言えなくなってしまいます。
ガクリと項垂れたイリスは、女の子の肩から手を離しました。
「はいはい、皆さんお静かにしてください。絵本を読んでくれたイリスちゃんに、ありがとうが先でしょう?」
「イリスちゃん、ありがとう!」
孤児院の先生に促されると、子供たちは整列して元気よくイリスにお礼を言いました。
先生までイリスちゃんなんだね……。まぁ確かにイリスは幼くて、ただの子供にしか見えないから先生がちゃん付けで呼ぶのは自然だけどね。
「ええ、どういたしまして。でも、ちゃんじゃなくて、様です。分かったら、言い直しなさい」
「くだらない事にこだわっていないで、素直にお礼を受け取ったらどうですか。イリスちゃん」
イリスの様子を伺っていたユウリちゃんが、イリスにそう話しかけながら近寄ります。ボクもユウリちゃんと一緒にイリスに近寄りました。イリスの絵本を途中から一緒に聞いていたんだけど、ちゃんと読んであげていて感心していたのに、様にこだわるイリスを見てちょっと呆れてしまいました。
そんなだから、イリスちゃんなんだよね。
「黙りなさい、ユウリ。私はただ、年上を敬う礼儀を教えてあげているだけです」
「あんまりしつこいと、今夜のご飯はお肉抜きですよ」
「ぐっ……!?」
お肉を人質にされたイリスは、悔し気な表情で黙り込みます。
「ま、まぁまぁ。イリス。ご苦労様」
そんなイリスの頭を、ボクは撫でながら労います。
頑張って絵本を読み聞かせてくれたのは事実だからね。様だのなんだの言わなければ完璧だったんだけどな。完璧とはいかないのが、またイリスらしいと言えばイリスらしいです。
読んでいただきありがとうございました!
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