心の叫び
何をどうしたら、精神の中に飛び込んで憎悪と戦うなんて事ができるんだろう。ボクは方法をが分からない上に、そんな理解を超えた事を言われてもピンと来ません。
「ふっ……いいじゃない。やってみなさい、勇者!それが出来れば、貴女はその子をその子を苦しませる憎悪から解放してあげる事ができるわよ!」
アスラがラスタナ様の意見に賛成して、勢いよくボクに言ってくるけどその目がちょっと怖いです。見開いて、まるでボクに死ねと言いたげな狂気に染まった目をしています。
知的なアスラのイメージを、ぶち壊すような酷い顔です。アスラに対してはなんやかんや言って来たけど、正直な事を言えばそんなに年増じゃなければおばさんでもありません。むしろ美人さんだと思う程です。
でも今のアスラは、そんな最後のとりえすらも失って、もう何も残っていないように見えて可哀そうに思えて来ました。
「ですがそれは、あまりにも危険すぎる。いえ、むしろ危険しかない」
賛同するアスラとは裏腹に、イリスはやっぱり乗り気ではありません。どうやらラスタナ様の提案には、困難な事があるみたいです。
「その通りだ。精神に入り込んだ勇者ネモが、逆に憎悪に飲み込まれて気づけば憎悪に汚染されてしまう、という事もある。つまり憎悪に取り込まれた者が、もう一人増えるという事だ。そうなったらこの世界は、終わるだろう」
「その通りです。もしネモが憎悪に呑まれれば、間違いなくこの世界は終わる。そんな危険を冒す必要は……」
そこまで言って、イリスはロガフィさんの方を見ます。
イリスはきっと、ロガフィさんに入ってしまった憎悪を取り除きたいと考えいているはずだ。その憎悪を取り除く必要はないなんて事はなく、ロガフィさんを助けたいと言う気持ちはボクと同じです。
ロガフィさんは、そんなイリスを背後からそっと抱きしめました。先程イリスに言われた事が心に響いたのか、少しは気持ちが楽になった様子です。
「私はもう、良い。私は一度は全てを失って、本当は私の全てを解き放ってでもお兄ちゃんと戦うべきだったのかと自問自答する日々を送っていた。あの日、怒りに任せて力を解放していたら、私は私ではなくなってアスラの望んだ結果になっていたと思う」
「でも誰も怒ってなかったね!むしろロガフィさんの事を受け入れてくれたし!」
アンリちゃんがロガフィさんの周りを飛びながら、ニコやかにそう言いました。
そういえば、崖の下にはロガフィさんの友達もいたとか言ってたね……。でも友達は魔王に殺されたと言っていたから、それはアンリちゃんと同じく幽霊として残った人たちの事だと思われます。
「……うん」
ロガフィさんの目から、涙が零れ落ちました。その涙は抱きしめているイリスの頭の上に落ちて、でもイリスはおとなしくしています。
「そう。誰も、私を怒ってなどいなかった。私を笑顔で迎えて、抱きしめてくれた……。でも、お兄ちゃんには怒っていた」
「……」
それは、そうだね。たぶん凄く怒っているから、魔王も怖くて崖の下には手を出せないんだと思います。
「その上今は、ネモやイリス達の友達もいて、本当に幸せ。これ以上、何も望むことはない」
「だから、もうちょっとくらい欲を出してみなさいよ……」
イリスはそう言いながら、申し訳なさそうにボクの方を見て来ました。
「──やるよ。ロガフィさんを助けるためなら、ボクはなんでもする。少しくらい危なくたって、平気だよ。だってボクは、勇者だからね」
「どうやら勇者ネモは、やる気のようだな」
「わ、私にも出来る事はない、ですか……!?」
「……!」
ラスタナ様に、ディゼもそう言って迫りました。ぎゅーちゃんも一緒で、必死にラスタナ様に訴えかけています。
「当然、私もしますよ。ロガフィさんのためなら、例えこの身を重ねる事も──間違えました。この身を捧げる事もいといません。色んな意味で!」
ボクと手を繋いでいるユウリちゃんも、ボクの手を強く握りながらそう宣言をしました。個人的な欲望が混じっている気もするけど、その気持ちはボク達と同じです。
ボク達は全員、ロガフィさんを助ける事に賛成だ。例えそこに危険があろうとも、ロガフィさんをこのまま我慢させるなんてそんなの嫌だよ。
「本当に、仕方のない子達ですね。ネモまで憎悪に染まったら、この世界にとっての最悪が訪れてしまうんですよ?」
「大丈夫だよ」
ボクは心配をするイリスに、笑顔で言い切りました。
例え何が待っていようと、皆が傍にいてくれるのならボクは無敵です。そんな気がします。だから、イリスにもロガフィさんを助けるのに賛同してほしい。そう思って言い切りました。
すると、イリスはため息を吐いて笑いかけて来ます。
「まぁそうですね。貴方なら、きっと大丈夫でしょう。いえ……絶対に、大丈夫です。だから、ロガフィを救って見せなさい」
「うん!」
「……どうやら、話はまとまったようだな。しかしお前はどうなんだ?この者達は、お前を助けてくれると言っている。その内に秘めた憎悪を抱えて生きていくのは、本当に辛い事だ。しかし私がそれをお前から取り除いてやる事はできない。その憎悪はお前の魂の物であり、アスラからお前に返された時点で、お前が死ぬ事によってでしか引きはがす事ができなくなってしまった……」
「だからネモに、私の中の力を倒してもらう……?」
「その通りだ。負ければお前のように自分の内に潜む感情に苦しむか、或いは闇へと染まる事になる。しかし見事憎悪を倒して見せれば、お前は解放される事になるだろう。もう、感情を必死に抑え込む必要もなくなる」
「……」
ロガフィさんはそれでも、ボク達に危険を強いる事を迷っているみたいだ。そんなロガフィさんにいてもたってもいられなくなったのか、ディゼが駆け寄ってその手を取りました。
「ディゼ……」
更に続いて、ぎゅーちゃんも駆け寄ってその手を取ります。
「ぎゅーちゃん……」
「貴女はただ、私たちを信じて思うままに言えばいい。それだけで、私たちは貴女のために動けます」
ロガフィさんの抱擁から解放されたイリスが、振り返ってロガフィさんの胸に拳を軽く打ち込み、そしてそう言いました。ロガフィさんは戸惑いがちにボクとユウリちゃんの方へと目を向けてきて、ボクとユウリちゃんはニコやかに応えます。皆に囲まれて、目を泳がせながら何かを考えているように塞ぎこみ、やがて決心をしたようにボクの方を見て口を開きました。
「──私を、助けて欲しい」
それは、小さいながらもロガフィさんの心の叫びでした。




