無機物になった
東門の広場には、多くの冒険者と、馬車が集合していた。皆、それぞれの馬車に乗り込み始めていて、もう出発するみたい。そういえば、メイヤさんは急げと言っていた。そんな事を今になって思い出しても、遅い。ボク達はイリスのペースに合わせて歩いてきた物だから、急ぐどころか、鈍足中の鈍足。急げと言われてそんなペースで歩いてきて、置いていかれても文句は言えません。
「どうしましょう、お姉さま。私達、遅刻したみたいです」
「う、うん……」
ボク達3人は、次々と人を乗せて出発していく冒険者達を、ただただ見送るしかない。
冒険者達は、皆ちょっと興奮気味。馬車に乗り込む順番や、座る場所で小競り合いを起こし、そんなのにお構いないなしに、馬車の運転手さんは急発進で門をくぐって出発していく。とてもじゃないけど、そんな冒険者達に話しかける勇気はなかった。
でも、それで良かったのかもしれない。あんな、人がいっぱいの馬車に、乗りたくないもの。ボク、吐いちゃう自信がある。
「メイヤさんは、どこにいるんでしょう……」
ユウリちゃんが辺りを見渡して戸惑う中、ふと気が付くと、イリスがボク達の傍から離れ、道端に突っ立ていた。その突っ立っている場所は、冒険者を乗せた馬車の通り道。馬車の運転手さんが、それに気が付いて、手綱を引いて急ブレーキをして、イリスはひかれずに済んだ。
「あっぶねぇだろが、このガキ!死にてぇのか!」
「教えなさい、人間。ギルドマスターの、メイヤはどこですか」
イリスに怒鳴りつける運転手さん。だけど、イリスは済ました顔で、何事もなかったかのように、偉そうな口調でそう言った。
「どけ!ひき殺すぞ!」
「やれるものなら、やってみなさい。私は、教えるまでどきませんからね」
「あー、あっちだよ!あっちの、赤い派手な馬車に乗ってるはずだ!」
運転手さんは、渋々と言った様子で、広場の隅で待機していた馬車を、指差した。その馬車は、赤色に金の飾りの施された、豪華そうな馬車だ。窓にはカーテンがあって、プライベートまで守られている。そんな馬車に繋がれている馬も、一味違う。他の馬よりも一回り大きくて、それが二頭。とても早そうだ。
イリスはその情報を聞いて、鼻で笑って勝ち誇ったような笑顔を浮かべてから、優雅に道を開ける。
「おえぇぇ!何でてめぇなんかとキスしねぇといけねええぇんだよおおぉぉぉ!」
「こっちの台詞だぼけぇ!」
「オレなんて、股間にキスしちまったんだぞ!オレに、そんな趣味はねぇのにいいいぃぃ!」
「お前が勝手に吹っ飛んできたんだろうがぁ!」
「全部あのクソガキのせいだぞ!」
「死ね、クソガキがぁ!」
「クソしてくたばれ、クソエルフ!」
「はぁ!?ちょっと、待ちなさい!今私に向けて悪口いったヤツ!」
馬車の去り際に、馬車に乗っていた人たちが、口々にイリスを罵った。馬車が急ブレーキをした事で、馬車の中はちょっとした惨事になってしまったようで、それを怒っているみたい。怒るのは仕方ないけど、通り際に物凄い勢いで、子供に向かって悪口を言っていくのは、ちょっとカッコ悪い。
イリスもイリスで喧嘩腰で、そんな馬車を追いかけて駆け出すけど、全く追いつけない。すぐに膝に手をつき、息を上げて諦めた。
「バーカ!てめぇみてぇなクソガキが、馬車に追いつけるわけねぇだろ!」
「帰って寝て、家から出てくるんじゃねぇ!」
「ばーか、ばーか!」
馬車から身を乗り出して、イリスを挑発する冒険者達。イリスに、それに反撃する術はありませんでした。息を切らせ、ただただその罵声を身に受けるだけ。
「はぁー、はぁー……お、覚えて、ろ、人間ども……!」
イリスは忌々しそうに、去っていく馬車を睨みつけるので、精一杯。
「行きましょう、お姉さま!早くしないと、メイヤさんも出発してしまいます!」
「あ、う、うん」
ボクの手を引っ張ってくるユウリちゃんに、ボクは抵抗しない。そのまま引き摺られるように、メイヤさんが乗っているという、赤い馬車の元へと駆けつけた。
「メイヤさん!」
馬車に向かい、ユウリちゃんが声を掛けると、すぐにその馬車の扉が内側から開かれた。
「何だ。来たのか、貴様ら。姿が見えんから、来ないのかと思ったぞ」
姿を現せたのは、凛々しい姿の、メイヤさん。情報通りで、さっきの運転手さんには感謝です。
「すみません。イリスの足が遅くて、遅れてしまいました」
「……まぁ良い。この馬車に乗っていけ。もう出発する所だ」
「は、はい」
メイヤさんは、馬車から半身を飛び出して、ユウリちゃんに向かって手を伸ばした。その手を、ちょっと照れ気味のユウリちゃんが掴み、メイヤさんが引っ張って馬車に乗る手伝いをしてくれる。
「ちょ、ちょっと……待ちなさいよ!私、息が、切れた私を……置いていくとか、はぁ、はぁ……ありえないですよね!?」
そこへ、息切れの激しいイリスが追いついてきた。馬車を追いかけて息が切れて、そこから更に、情報を貰ったメイヤさんの馬車に向かって走ってきたみたい。ボクは、ユウリちゃんに引っ張られるまま走って来たので、気にはしていたけど、手は出せなかった。でも、人って、こうやって体力が付いていくんだと思います。
「よく分からんが、頑張ったな。中に入れ。飲み物もあるので、ゆっくり休め」
「の、飲み物……!」
イリスは、嫌そうな顔をしながらも、差し出されたメイヤさんの手を握った。ふらふらとした様子のイリスは、されるがままにメイヤさんに引き寄せられて、メイヤさんの軽いハグを受けて、馬車の中へと吸い込まれていきました。
「ネモ」
一旦は、イリスと共に中へと消えたメイヤさんだけど、すぐに戻ってきて、残ったボクに向かって手を伸ばしてくる。てっきり、そのままイリスを弄くるのかと思っていたけど、ボクの事をしっかり覚えてくれていたみたいで、嬉しい。
ボクが、その手を握ると、力強く引っ張ってくれて、馬車に引き入れられた。その際に、メイヤさんに抱きしめられる形となり、ボクの顔と、メイヤさんの顔が急接近してしまう。気づけば、目の前にメイヤさんの顔。
「ふ。よく見れば、可愛い顔じゃないか。どうして、フードなんか被っているのだ」
メイヤさんは、ボクの眼前で優しい笑顔を浮かべ、そう言ってきた。
目の前で見るメイヤさんの顔こそ、凄く美しい。切れ長の目に、長いまつ毛。本当に美人さんで、たぶん凄くもてるんじゃないかなと、思う。
「きゃー!」
ユウリちゃんが、黄色い声を上げて、喜んでいるけど、ボクは慌ててメイヤさんから離れて、フードを深く被りなおす。
「ひ、人の顔を、覗かないでください!マナー違反です!」
「そうだな。すまない」
ボクはそう言い放ち、狭い空間の中でも、隅っこの座席に座り込み、俯いた。
「ぐぼ!」
フードのせいで、前がよく見えなくて気づかなかったけど、そこには先客がいたみたい。ボクが上にのってしまい、そこにいたイリスが変な声を出した。
でも、ボクはその場を譲るつもりはないので、その場に居座る。
「お、重いから、どきなさい、ネモ……!」
タップをしてくるイリスだけど、ボクは動かない。そうしていると、イリスはもぞもぞと身体を動かして、どうにかして抜け出すと、ボクの隣に座って落ち着いた。
「照れてるお姉さま、可愛い!食べたい!」
「っ……!」
ユウリちゃんにそう言われて、もっと恥ずかしくなってくる。いてもたってもいられなくなり、ボクは隣に座るイリスを膝の上に乗せて、その頭に顔をうずめた。サラサラの金髪がくすぐったいけど、落ち着くような良い匂いがする。更に、顔が完全に隠れて凄く落ち着きます。
「あ、あぁ……いいな、私もそれしたい……!」
「可愛い!お姉さま!ホントに可愛い!」
「ぐ、ぐえぇぇぇ!ふ、二人とも、もうそれ以上は黙りなさい……!ネモの手が、どんどん強くなっていって、苦し……!」
イリスの骨が軋む音を聞きながら、ボクはその場で無機物になった。




