何かの気配
アンリちゃんに呼び出され、ボク達は温泉を後にしました。気持ちよくて、もっと浸かっていたかったけど、アンリちゃんがあまりにも急いで温泉からあがるように急かしてくるので、仕方がありません。
でも、タイミングが良かったと言えば、良かったかなと思います。なんだか、変な空気になっちゃったし、皆の裸体を前にして、ボクはもう、色々と限界を迎えそうだったから。ディゼも、同じだね。お風呂からあがり、ホッと息を吐いています。
「──それで、いきなりどうしたんですか、アンリ君」
温泉からあがり、森の中を歩きながら、ユウリちゃんが浮遊するアンリちゃんに尋ねました。周囲には、とりあえず誰もいないので、その姿をアンリちゃんは現わしています。
でも、夕暮れ時に浮かびあがる、幽霊の姿は、それはそれで、とても不気味です。
「……何かが、来る」
「何か?」
アンリちゃんの、真剣な眼差しと、震える体は、冗談を言っているようには見えません。
「……ところで、アンリ君。私たちの裸を、覗いたりはしていませんよね?」
「してないよ!ちゃんと、目を瞑ってたよ!でも、今はそんなのどうでもいいんだよ!何かが来るんだよ!」
いきなり、アンリちゃんを疑ってかかったユウリちゃんに、アンリちゃんは抗議するようにまとまわりつきます。一応、男であるアンリちゃんに、裸を見られるのは嫌みたいだね。先ほどは、抱きしめてあげたりして、ちょっとは男性に対する拒否感が治ったのかなと思ったけど、そうでもないみたい。
「一体、何が来ると言うんですか」
「わ、わかんないよ……。でも、何か凄く、嫌なものがこっちに向かってる。そんな気がするんだよ」
「……」
ボクは、イリスに目を向けます。そのイリスは、ロガフィさんと手を繋いで、仲良く歩いている所です。
イリスは、悪意や気配にだけは敏感だから、頼りになるんだよね。でも、イリスは首を横に振って応えました。
「嫌なもの?気のせいじゃないですか?」
「絶対に、違う。これは、この気配は、ちょっとヤバいよ」
冗談や、ただの勘で、訴えている訳ではない。それは、アンリちゃんの様子を見れば、分かる。だけど、今は特に、変化は感じられません。イリスも、何も感じないと言っているし、特に気にする事ではない気がします。
「……誰か、何かを感じる方はいますか?セレンさんも含めてです」
アンリちゃんに対し、気のせいだとか言いながらも、ユウリちゃんは皆に確認を取りました。イリスの中にいる、セレンにまで。でも、答えは全員、何も感じない、です。沈黙が、そう物語っています。
「違うんだよ!コレは、そういうんじゃないんだ。これは……そう。ボクと同じ、死者の気配だ」
「ち、近くに、お墓でもあるのかな?」
「そんなのないよ!この辺りに、お墓なんて数える程しかなくて、しかも死者もいなくてつまんない!」
ボクの意見を、アンリちゃんはイラだった様子で、否定しました。
でも、ボク達にはアンリちゃんが感じているものが、分かりません。特になんの変化はないし、温泉気持ちよかったなぁという感想しか、ありません。
いや、でも、変化はありました。辺りに霧が立ち込めてきて、気温も少し下がったような気がします。
「──皆さん!」
そこへ、ラシィさんが温泉の方から、走って追いついてきました。髪の毛は拭き切れておらず、水滴が垂れています。その様子から、慌てて温泉をあがってきたのだという事が分かります。
「ラシィさん。そんなに慌てて、どうしたのですか?」
「急いで、族長様の下へお戻りください!夜になったら、奴らがくる……!」
「奴ら……?」
ラシィさんまで、アンリちゃんみたいな事を言い出しました。アンリちゃんは、ラシィさんがやってきた事により、姿を消しているけど、きっとドヤ顔をして盛り上がってるに違いありません。
「話は後です!いいから、急いで!」
ラシィさんはそう言うと、レンさんの手を掴んで、走り出しました。戸惑いつつも、ついていくレンさんに、ボク達も続きます。
温泉から、集落までは少しだけ離れていて、集落に戻った時には辺りは日が落ち切って、暗くなっていました。周囲の霧だけど、それが更に濃くなっていて、あたりを覆っています。少し、不気味です。そこに至って、ボクもようやく、アンリちゃんが感じている不気味な気配を、感じ取る事ができるようになりました。ただ、それが何かは、ハッキリとしません。
「族長様!」
霧の中に、ぼんやりと浮かび上がった人影は、ヘレネさんの物でした。ヘレネさんは、集落の入り口で、ボク達を待ち構えていたようです。その姿は、マスクで顔を隠した、元のヘレネさんの物になっています。
その後ろには、カーヤさんも松明を持って、待ち構えていていました。
「ヘレネさん、コレは一体……」
ユウリちゃんも、周囲の霧の変化や、何か不気味な気配を感じ取り始めています。
そんな気配の正体を求め、ヘレネさんに問いかけました。
「……この地に隣接する、もう一つの種族がやってきたのよ。彼らは、冷たい山の麓に住む、冷酷で、過激な軍団。私たちへの監視役として、現魔王様から絶大なる信頼を得ている連中よ。下手に敵に回せば、私たちは一瞬で、魔王様に攻め滅ぼされる事になる」
「教えてください。一体、何の種族がやってこようとしているのですか?」
レンさんが、尋ねました。それこそが、今ボク達が一番気になっている所です。
「……ここへ向かっているのは、死者の軍団、リッチ達です」
「リッチ……」
リッチといえば、骨だけの身体を持った、アンデッドです。アンリちゃんとは違い、実体を持っているので、攻撃は効きます。勇者だった時に、戦った事はあるので、驚く事ではありません。
でも、一つだけ懸念されるのは、リッチはかなり上位の存在で、この世界のリッチも恐らくは、かなり上位の存在のはずです。ゲームで、味方としてだけど操って、かなり強かったからね。
ちなみに、ボクが勇者だった時に戦った魔王も、骨だけの姿をした、リッチの亜種とも呼べる存在でした。魔王を務める程の力を持った種族が、リッチなんです。




