正気とは思えない
あの時のロガフィさんは、力を行使する事に、一切のためらいがなかった。イリスの言う通りで、ロガフィさんはああならないために、力の行使を避けて来たんだ。
でも、前のロガフィさんとは、違う。セレンと戦った時は、ボクがセレンに殺されそうだと思ってしまって、その力を発揮してしまった。ボクを守るために、力を発揮して、立ち向かってくれたんだ。
魔王だった時は、大切な人たちを殺されても、全てを諦めて絶望してしまったロガフィさんが、守るために力を発揮して、自ら力に感情を支配された。
相手が、見ず知らずの精霊だったからというのも、あるかもしれない。だけど、ロガフィさんは、少しずつ前に進んでいる。
それなのに、昔のロガフィさんしか知らないヘレネさんに、弱いだのなんだのと言われ、ここで旅を止める訳にはいきません。ヘレネさんには、今のロガフィさんを見て、判断してもらいます。そのためにも、ロガフィさんを先鋒に選んだのは、間違いではないはずです。
「……ロガフィさんはね、ずっと、自分を怖がって生きて来たんだ。力に支配された時、自分を止めてくれる人が、いなかったからだよ。でも、ボクは約束したんだ。ロガフィさんが、力に支配された時は、ボクが止めてあげるよ、って」
「止めるのは、結構です。でも、どうやって?殺すつもりですか?」
「ま、前は、ちゃんと正気に戻ってくれたもん」
「次は?次も、正気に戻る保証はあるんですか?正気に戻らなければ、殺す事ができますか?」
ボクは、意地悪な事を言ってくるイリスの頬を、摘まみました。今度は、両方です。そして、強めにです。
「いはははは!」
「今のは、イリスさんが悪いですよ。ネモ様に、意地悪な事を言うからです」
「だが、イリスさんの言う事は、正しい。実際、その時が来たら、どうすべきか……」
ディゼがそう呟き、剣に手を置きました。とても、辛そうな表情を浮かべていて、その時を想像しているようです。
そんなディゼの様子を見て、ボクはイリスの柔らかな頬から手を離しました。
「大丈夫だよ、ディゼ。ロガフィさんが正気に戻るまで、ボクが責任を持って、抱きしめ続けるから。だから、そんなに深刻そうな顔はしないで」
「ね、ネモ様に、抱擁され続けるとか……!それは、私の場合もですか!?私も、正気を失ったら、ネモ様に抱きしめてもらい続ける事は、可能でしょうか!」
「う、うん……まぁ、一応は……」
「はあぁぁん!ネモ様に、抱きしめられ続けるためなら、私も今すぐ正気を失おうと思います!見ていてくださいね、ネモ様!……ほら、この顔は、どうですか?とてもではないですが、正気とは思えないでしょう!?」
「ぶっ!」
ボクは、白目を向き、舌を出して唇を大きく歪ませた上に、手で頬のシワを作ったレンさんの顔を見て、噴き出しました。
「ぎゃははははは!」
「っ……!」
イリスなんて、声を出して大笑いです。ディゼは、目を逸らして笑いを堪え、肩を震わせています。姿を隠しているアンリちゃんの、必死に堪えた笑い声も、どこからともなく聞こえて来ます。床に寝転がっていたぎゅーちゃんまで、レンさんの顔を見て笑っているから、大したものです。
この、美少女台無しのレンさんの顔を、ユウリちゃんが見たら、なんて言うかな。今度、ユウリちゃんの前でもやってもらおう。
「さぁ、どうですか、ネモ様。抱きしめて、くれますか!?さぁ、さぁ!」
そんな顔のまま、レンさんがボクに迫ってきます。近くで見ると、面白いというか、凄く不気味で、ボクはレンさんの肩を掴んで、顔から遠ざけました。
レンさんは、そんな事をしなくても、元々正気とは思えない行動をするので、大丈夫です。
「初戦は、ダークエルフの戦士。ガイチィ!対するは、ロガフィ様の試合となります!両者、試合を始めてください!」
ボク達が、そんな事をして遊んでいるうちに、ロガフィさんと、大斧使いのダークエルフの女性の試合が、始まってしまいました。
皆で、審判の掛け声を聞いて、頭を切り替えて闘技場の方へと目を向けます。レンさんも、顔を元に戻し、闘技場へと目を向けました。
「まさか、いきなりロガフィ様が出て来るとはねぇ。貴女が負けたら、残りは雑魚だけだ。悪いけど、気合を入れて行かせてもらうよ」
「……」
「──てりゃああぁぁ!」
大斧を持っているダークエルフの女性に対し、ロガフィさんは素手だ。
素手のロガフィさんに対し、大斧使いのダークエルフの女性。ガイチィさんが、ロガフィさんに向かって突撃をします。
その突撃に呼応し、柵の外にいる観客の歓声が、大きくなりました。観客は盛り上がりをみせ、大地が割れんばかりの歓声となります。
その歓声に押されるように、大地を駆けたガイチィさんが、リーチの長い、大きな斧の攻撃圏内にロガフィさんを入れる直前に、振り上げました。そして、突撃の勢いを斧にのせ、一気にロガフィさんに向かって振り下ろしました。
とても、強力な一撃です。容赦のないその攻撃は、地面に当たれば地面が砕けていたと思います。
「っ……!?」
その斧が、気付けば空中を舞っていました。ロガフィさんが、パンチを繰り出して、はじき返したからです。あまりの威力に、ガイチィさんの手からすっぽ抜けてしまいました。
空高く舞い上がった斧は、くるくると回りながら、その落下地点を探して彷徨っています。
武器を失ったガイチィさんのお腹は、がら空きだ。そもそも、斧が自分の手から離れた理由も、ガイチィさんは分かっていない。ロガフィさんのスピードに、目も身体も、全くついていけていないのだ。
呆然とするガイチィさんのお腹に向かい、ロガフィさんが空中回し蹴りを繰り出しました。
「ごはっ!ぐっ、ぼはぁ……!」」
強力な一撃に、ガイチィさんは膝をつき、胃液を吐き出します。勝負、あったね。やっぱり、ロガフィさんの圧勝だ。
と、思ったんだけど、ガイチィさんは、倒れる事無く、立ち上がりました。顔は、お腹に受けた一撃の影響で青ざめているのに、闘志は失わず、ロガフィさんを睨みつけています。




