精霊
イリスに襟を掴まれ、苦し気な声をあげたアンリちゃんは、床に転がっておとなしくなりました。アンリちゃんは幽霊で、もう死んでいるけど、まるで断末魔のような声だったよ。
「それで、本当にどうしたんですか」
「大変なんだよ!」
ユウリちゃんが、改めて尋ねても、アンリちゃんはそう答えるだけです。どうやら、上手く表現できないくらい、大変な事がおこっているみたいです。
ボクは、近づく気配を感じ取り、そう思いました。気づいたのは、ボクだけではありません。イリスも、ロガフィさんと、ディゼも、気づいたみたいです。
「……皆さん、どうしたんですか?急に、真剣な顔をして」
「強大な力を持った何かが、こちらに近づいてきている。この気配は、一体なんだ」
状況がつかめていないレンさんに、ディゼがそう答えました。ディゼの耳はせわしなくぴょこぴょこと動き、尻尾は逆立って、近づく何かを警戒しています。
その時でした。
「ロガフィ!」
ロガフィさんが、馬車から飛び出してしまいました。こんなに強い雨の中を、普通の服で飛び出したら、びしょ濡れになっちゃうよ。イリスがそんなロガフィさんを止めようとしたけど、その手は届きませんでした。
放っておくわけには、いかないよね。ロガフィさんは、放っておいたらダメな子だから、ボクも追いかけて、馬車を飛び出しました。
「ロガフィさん!」
ロガフィさんは、馬車から飛び出してすぐそこに立ち、後方を見続けていました。ボクはすぐに追いつくと、まず、ロガフィさんの手を握っておきます。また、突拍子もない行動に出られたら嫌だから、こうして繋いでおくことにしました。すると、ロガフィさんも手に力をいれて、ボクの手を握り返してきます。
ボクとロガフィさんが降りた事により、ぎゅーちゃんも歩みを止めました。馬車から顔を乗り出し、ディゼが心配そうに見ているけど、ボクは手で、来なくていいと合図を送ります。
「こっちは、大丈夫だよ!」
加えて叫ぶように、そう声を掛けたけど、その声がディゼ達に届いたかどうかは、分からない。雨の音が激しすぎて、もしかしてかき消されてしまったかもしれません。ボクは、声が大きい方じゃないから、尚更届いたかどうか微妙です。
雨は大粒で、しかもたくさん打ち付けてきて、痛いくらいです。ロガフィさんがじっと見る先も、雨で視界が遮られて、ほとんど見えません。でも、そちらから来る何かを警戒するように、ロガフィさんは見続けています。
「……来た」
それが姿を現したとき、ボクの手を握るロガフィさんの手が、強くなりました。
雨の中、ゆったりと、音もなく現れたのは、女の人でした。その姿を見た瞬間、ボクは目を奪われる事になります。だってその人、素っ裸なんだもん。胸も、股間も、どこにも衣服はまとっていません。全部が丸見えで、ボク達と遭遇してなお、手で隠そうともしていない。
アンリちゃんの言っていた、変態の意味が、それを見て分かりました。素っ裸で外を歩いていたら、それは変態なので、そう言われても仕方ありません。
「え、えと……」
背は、ボクよりも、ディゼよりも高い。スラリとした体形で、胸はほどよく膨らんでいて、青白い肌の持ち主です。銀色の髪は、雨で濡れてその身にまとわりつくようになっていて、青白い肌と一体化しているように見えます。長さは、あと少し伸びたら地面にまで届くのではというくらいの長さで、それが不気味に映る。ただ、顔は凄く美人です。目は虚ろだけど、睫毛は長く、唇は柔らかそうで、まるで作り物のようだけど、でも完璧な美人像がそこにあります。でも、本当に作り物のようで、その顔は表情は愚か、全てのパーツが全く動かない。それもまた不気味で、美人さんが裸で現れた事に、喜んではいられません。
「だ、誰ですか……?」
そんなボクの問いかけは、雨の音にかき消されて、絶対に届いていません。でも、彼女は何も答えてくれないので、仕方ないです。ボクはステータス画面を見て、この謎の人物の正体を探る事にします。
名前:???
Lv :???
職業:???
種族:精霊
名前も、レベルも、職業も分からない。ただ、種族には精霊と書かれていて、彼女が人間ではない事が、分かりました。でも、それだけです。これじゃあ、何も分かっていない事と、変わりません。大体にして、レベルが???表記なのは、この世界で一部の常識外の強さを持つ人だけのはずです。そんな???表記だという事は、彼女もまた、常識外の強さを持った人物だという事になります。
「……」
ふと、彼女が指をさしてきました。その指の先端は、ロガフィさんを指しています。彼女がそうしてきた理由は、すぐに分かりました。その指の先端に、魔力が集まったかと思うと、次の瞬間には魔法が放たれました。それは、水の魔法です。まるで、ドリルのように渦巻いた大きな水が、勢いよくボクとロガフィさんに向かってきます。
「っ……!」
ボクは、咄嗟に伸ばした手で、ロガフィさんを庇おうとしました。だけど、その必要はなかったみたいです。




