旅立ち日和
長閑な平原を、馬車に揺られて進んでいきます。今日は、凄く良い天気で、旅立ち日和です。気温も丁度よく、しかも太陽の日差しがぽかぽかで、眠くなってしまいます。
「さて。私たちは共に旅をする事になった訳ですが、お姉さまに頼るばかりではなく、私たち自身も、自力で自分の身を守る必要があります」
「その通りですね。私はそのために、昨日のうちに魔法陣の刻まれた紙を、大量に用意してきました。これにより、この間奴隷商会のアジトを潰した時に見せた、魔法を解除する紋章魔法の他にも、攻撃に特化した、例えば炎を巻き起こす紋章魔法も、使えるようになりました」
レンさんは、そう言って、木箱の上に紙を置きました。
木箱は、荷馬車の対面して設置されているイスの、間に置かれています。机のような役割を果たしていて、その上にはペンや、地図も置かれている。あと、地図を押さえる重り代わりに、ぎゅーちゃんの家である、丸い形の、古臭い骨董品が置かれています。
片側に、ボクを挟んで、ユウリちゃんとレンさんが座り、反対側のイスに、ロガフィさんの膝をクッション代わりにした、イリスが座っています。アンリちゃんは、荷物が山積みになった上に、変な体勢で乗って、くつろいでいる。
「コレは、レンさんにしか使えないんですか?」
ユウリちゃんが、レンさんが置いた紙を、手に持って尋ねます。
ボクの目には、紋章の違いがよく分からない。でも、かなり複雑で、書くのが大変そう。それこそが、紋章魔法最大の弱点だね。戦いになったら、紋章を描いている暇なんて、ないから。その弱点を克服するために、あらかじめ、こうして紙に書いておくという訳だ。
「そうですね。紋章魔法は、基本的に魔力を籠めて刻んだ、本人でないと使う事ができません」
「なるほど。では、イリスに持たせるのは無理ですね……」
ユウリちゃんが言いたいのは、イリスがいかにして、自分の身を守るか、だ。
基本的に、ボクに頼ってもらっていい。でも、この先もしかしたら、ボクが守ってあげられない状況も、あるかもしれない。その時のために、自分の身を守るくらいの力は、持っていてほしい。
ユウリちゃんは、剣の腕がめきめきと上達していて、レンさんも、こうして紋章魔法を用意してくれていて、自衛のための手段を、用意した。アンリちゃんは幽霊だから問題なくて、ディゼルトとロガフィさんは、強いから大抵は問題ない。ぎゅーちゃんも、強い。
「……」
全員の視線が、イリスへと向けられます。
「ふっ。ふははは!貴方たちは、私を舐めている」
ボク達の視線に、イリスは高笑いで返しました。そして、徐に、懐に手を突っ込んだかと思うと、紙を取り出しました。その紙は、レンさんが見せてくれた、魔力で紋章の刻まれた紙と、同じように見えます。ただ、こちらは形がいびつで、紋章も、レンさんの物と比べて、それほど複雑ではない。
「コレは……!」
レンさんが、それを見て驚いています。紋章魔法の知識が、全くないボクにとって、それが凄いのかどうかは、全く分かりません。
「ふふん。私だって、何も用意してこなかった訳じゃないです。いくら魔力が高くても、マナ容量が少なくては、ろくな魔法が使えない。そこで、マナに頼らずに魔法を使うための方法を、模索していたんです。結果、レンと同じ紋章魔法に、辿り着きました。紋章魔法は、紋章の力によって、大気中の自然に存在するマナを集めて使う魔法です。本人のマナ容量に、頼る事はありません。しかも、威力は術者の魔力の高さに比例する……正に、私向きの魔法ですよ」
「そうなんですか?」
イリスが言うだけでは信用できないので、ユウリちゃんが、紋章魔法の専門家である、レンさんに確認を求めます。それに対してレンさんは、イリスが手に持っている紙を見て、顎に手を当てて考える仕草を見せました。
「うーん……」
「な、なんですか。凄いでしょう?私の紋章」
「んー……?」
レンさんの反応に、イリスが不安になって確認を求めるけど、レンさんは呻るだけで、答えません。
「れ、レンさん?」
「あ……すみません、ネモ様。ちょっと、考え事をしてしまいました」
「う、ううん。……どうしたの?」
「はい……イリスさんの紋章魔法なんですけど、イリスさん。コレは、どこで習った物なのですか?」
「独学です。本を読んで得た知識で、描いてみた物ですから。だから、見た事もない魔法が、発動するはずです。それこそ、この世界を吹っ飛ばすような魔法が、どばーっと」
そんな物が発動したら、イリスも吹っ飛んじゃうよ。
でも、本を読んで勉強して、そんな事までできるようになるなんて、そこはさすがだな、と思う。自分の弱点を克服するために、イリスも頑張っていたんだね。
ボクは、そんな努力家のイリスを、心から尊敬します。
「コレでは、ダメですね」
「はい……?」
「紋章魔法は、明確に、これを使用したらどういう魔法が発動するのか、それを紋章にして書き起こした物です。同じような魔法を使用したとしても、紋章の形は、人によって変わります。その魔法を、紋章にして絵に具現化する時のイメージは、人によって違いますから。イリスさんのそれは、イメージが全くできていません。そもそも、線が歪みすぎです。それでは魔法を発動させるためのマナが、均等に集まらなくて、何もおきません」
「そ、そんなの、やってみないと分からな──」
「分かります」
レンさんは、そう言い切りました。あまりの低評価に、イリスは呆然としてしまいます。手に持って、自信満々に見せてくれた紋章の紙が、イリスの手から落ちて、風の流れにのって、レンさんの足元にまで飛んできました。
「……ですが、独学でよく、こんな紋章を作り出せたなと、感心させられました。イリスさんのコレは、もっとしっかり、キレイに描けば、もしかしたらという可能性を感じさせます」
レンさんは、足元に飛んできた、イリスの紋章の紙を拾い、それをまじまじと眺めながら、言いました。
「もちろん、まだまだ足りない物が、たくさんあります。ですが、それを私の知識の範囲内で良ければ、イリスさんに教える事もできます。どうでしょうか」
それは、とてもいいアイディアだと思う。レンさんから紋章魔法を学べば、イリスも立派な魔術師になれる。そうすれば、自衛もできるようになって、ボクも少しは安心できる。
「は?人間に、女神である私が、教えを?冗談じゃないですよ。ぺっ」
「……」
そんなボクの想いと、レンさんの好意を砕くように、イリスは唾を吐き捨てて、拒否の意思を示しました。




