髪の毛
この日の夕飯は、レンさんのお土産のお肉が出て、とても豪華な物となりました。勿論、野菜もたくさん出て、たぶんバランスは取れていると思う。
「お家の方は、どうなんですか?」
食事をしながら、ユウリちゃんがレンさんに尋ねた。
このリビングの机は、優に6人は同時に食事できる大きさなんだけど、今いるのは4人。ボクとユウリちゃんが隣り合わせに座り、その正面にレンさん。上座に、イリスが座っている。ボク達は、特に座る場所は決めていないので、その時によって場所は変わる。ちょっと狭くなるけど、3人で並んで食べる事もあるし、イリスだけ広い所で食べたりする事もあって、こだわりはない。まぁ大抵は、ユウリちゃんがボクの隣に座るのは当たり前で、後はイリスが気分によって、ボクの隣に来るのか、離れて座るのか、はたまた、寝ぼけたユウリちゃんに隣に座らされるのかなので、イリス次第な所なんだけどね。
ネルさんとメルテさんがいた時は、選択肢が減る上に、狭く感じたんだけどな。こうして人数が減ってしまうと、わりと広くて、寂しく感じてしまう。
「父上が頑張っているので、問題ありません。父上らしからぬ行動をしていた事は、魔族に操られていた、という事になっていますし、その時にクビにしてしまった優秀な人材は、父上の呼びかけによって、徐々に戻ってきてくれています」
「……女神アスラ様の仕業だ、という訳には、いきませんからね」
「はい……」
この世界の人たちにとって、女神様は信仰の対象だ。ラスタナ教会、イリスティリア教会、アスラ教会……それぞれ、女神様を信仰する教会があって、その内のアスラ様を崇拝するアスラ教会が、アスラ様がレンさんのお父さんを利用して、この町を壊そうとしていたと聞いたら、どうなる事か。ボクにはどうなるか全く想像がつかないけど、良くない事がおこるという事くらいは、分かる。
ついでに言うと、イリスティリア教会の人が、この素のイリスを見たら、どうなるんだろう。こちらも、ボクにはどうなるか全く分からないけど、こちらも良くない事がおこると思う。
ああ、でも、今目の前でお肉を頬張って、口元にステーキのタレをつけているイリスは、とても可愛いらしいです。美味しそうに、とろけるような表情を浮かべながらお肉を食べる姿は、癒されるというか、なごむというか……。新しく、この姿を像にすればいいんじゃないかな、とか思ってしまう。
「精神的な面は、平気なんですか?レンさんのお父さんも、アスラ様を信じていたんでしょう?」
「そうですが、今はそれを考える余裕はないみたいです。操られていたとはいえ、この町の人々の信頼を裏切るような事をしてしまったんですから、その信頼を取り戻すため、今は邁進しています。ですが、私と目が合うたびに、悲しげな目で謝罪の言葉を述べてくるのは、やめてほしいですね。こちらの気が滅入ります」
「だから、家を飛び出した、と」
「正直言うと、それも少しは理由にあります。支えなければいけないとは分かっているんですけど、あんなに弱弱しい父上は、見ていられません。……というのはほぼ言い訳で、私がネモ様といないと落ち着かなくて、毎日ネモ様の自慢話を父上にしていたら、家はいいからネモ様の下へ行きなさいと言ってくれたんです」
それって、レンさんがあまりにもしつこいから、レンさんのお父さんが嫌になったとかじゃないよね。
「丁度、ネモ様の髪の毛の匂いも消えてきた所でしたし、助かりました。私このままじゃ、ネモ様が足りなくて倒れるかと──」
「ちょっと、待って。か、髪の毛……?」
2人の会話を聞きながら、お肉を口の中に運んでいたボクだけど、その言葉に思わず手を止めて、尋ねた。
「はい。ネモ様の、髪の毛です」
そう言ってレンさんが取り出したのは、透明な瓶だった。中には、黒い髪の毛が入っていて、それだけでもちょっと気持ち悪い。だけど、それがボクの物だとすると、もっと気持ち悪い。
「そ、それ……どうしたの……?」
「ネモ様のベッドや、髪の毛の手入れをした櫛から、拾ったんですよー。古いのは、ネモ様の匂いが薄くなってしまったので、こちらに」
恐る恐る尋ねたボクに対して、レンさんは、本当に大切な物を自慢するかのように、言ってくる。古い方だという髪の毛は、瓶いっぱいに入っていて、ぱんぱんに詰まっている。
ボクはもう、どん引きどころじゃない。気持ち悪いです。吐き気を催します。
「くんくん。良い匂いー……でも、本物の方が、とてもいい匂いです」
瓶の蓋を開き、中の匂いを嗅いでウットリとした表情を見せるレンさんは、ヤバイ人に見えます。実際、ヤバイんだけどね。色々と。
「気持ちは、分かります。お姉様の髪の毛だと思うと、思わず口に含んで咀嚼して、味わいたくなってしまったりしますよね」
そんなレンさんに、同調するユウリちゃん。頼むから、分からないで。
「分かります!」
分かり合っちゃったよ。
「……」
ほら、イリスを見てよ。黙ってお肉を食べていたけど、気持ちの悪い会話を聞いて、手を止めちゃってるよ。
「ん、んぐっ、んぐぐっ!」
「イリス?」
そんなイリスの様子が、ちょっとおかしい。苦しげに呻りながら、胸を叩いて何かを訴えている。
「もしかして、詰まったんですか!?」
ユウリちゃんもそんなイリスの様子に気がついて立ち上がると、すぐにお水を差し出して、飲むように促す。だけど、イリスにそんな余裕はないみたい。ボクは、おどおどとしながらもイリスの背中をさすってあげるけど、イリスは苦しげにもがくだけ。
「ぎゅ!」
そこに立ち上がったのは、ぎゅーちゃんだった。細い触手をイリスの口に向けて伸ばし、口を開かせるように言ってくる。ボクは、イリスの顎を掴み、そんなぎゅーちゃんに向けて開かせた。
「おごっ、ぼえぇ」
触手が進入したときに、イリスがえずいたけど、顔を青くしたイリスの抵抗は、大きな物ではない。そのままぎゅーちゃんの触手が中へと潜り込んでいき、少ししたら、勢い良く触手が外へ出て来た。
「ぷはぁ!はぁ、はぁ、し、死ぬかと……思った……!」
「ぎゅー」
出て来たぎゅーちゃんの触手の先端には、イリスの涎まみれの、大きなお肉の塊が握られていた。気管を塞いでいたコレが出て来たことにより、イリスは息を再開し、復活。
「ぎゅーちゃんさん、大活躍でしたね。イリスさんの、命の恩人ですよ」
「もぐもぐ……」
ぎゅーちゃんは、何かを咀嚼していた。気付けば、触手の先端にあったイリスのお肉が、なくなっている。まさか、アレを食べたの?イリスの、涎とか胃液だとかでドロドロになった、あのお肉を。
「わ、私の、お肉、食べましたね……?」
「ぎゅー」
イリスが、そんなぎゅーちゃんを怖い目で、睨みつけている。イリスはイリスで、まだアレを食べるつもりだったみたい。どんだけ、食い意地が張っているんだろう。
「そんなの、言ってる場合ですか。ちゃんと、噛んで食べないから、そんな事になるんですよ」
「貴女達が……気持ちの悪い会話をするから……詰まらせてしまったんですよ……」
確かに、あの会話は食事中にするような物ではないよね。いや、食事中じゃなくても、やめてほしいです。とりあえず、レンさんにはボクの髪の毛を集めるのを止めるよう、言わないといけません。




