下手で可憐で無口な彼女
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共に、この場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ううむ、惜しかったな、こーらくん。ここのちょっとしたミスがなければ満点だったんだが。速さの問題は、つまずく子が多い。君も十分に気をつけるように……と、どうしたい? 先生の手元をまじまじと見ちゃって?
――ん? 左手で字を書くなんて、やりづらくないのか?
ははあ、左利きの人を見るのは初めてかい? たいていの人は右利きだもんねえ。とある調査結果によると、左利きの人は全体のおよそ10パーセント。つまり、10人にひとりしか存在しない計算になる。レアものだよ、レアもの。
とはいっても、先生は昔にあった出来事から、左利きであることに複雑な感情を持っている。無理やり矯正しようとまでは思わないが、あまり良い気持ちはしていない。
――おや、その顔は興味がおありってところか。
それじゃ先生の思い出話に、少しばかり付き合ってくれ。
先生が小学校の6年生の頃。一学期の半ばで転校生の女の子がやってきた。
おかっぱ頭の可愛い顔立ちの女の子でさ。市松人形が生気を帯びたなら、こんな感じになるのかなって、当時の先生はぼんやり思っていた。
しかし、黒板にでかでかと名前が書かれ、教卓の前に立ったなら、本人による自己紹介が始まるのが自然な流れのはず。けれど彼女は、教室にいる先生たちをゆったりと眺めながらも、閉じた口を一向に開こうとしない。
代わりに横に立っていたクラス担任が告げる。彼女は人前で話すことができないのだと。
家のような慣れ親しんだ空間で、家族と話したりする際は問題なくとも、外に出て他の人を前にすると、とたんに言葉が出せなくなってしまうのだとか。
このような症状を「場面性緘黙症」というんだっけか、と先生はどこかの本で見た知識を引っ張り出す。「症」というからには、単なるシャイな性格とはわけが違う。
担任によって彼女の一通りの情報が伝えられると、彼女がそれに合わせてお辞儀をする。先生を含めたみんなは、拍手すべきか迷ってしまったよ。
歓迎の意味での拍手なら、した方がいいだろう。だが、この場面で拍手をすることは、彼女の病気に対して失礼なんじゃないか、とも考えてしまったんだ。結局、彼女は先生の右二つ先、クラスの委員長の隣に腰を下ろしたんだ。
病気について、クラスのみんながもう少し知識があったらな、少々、お通夜ムードになったかもしれない。だが、当時のクラスには男子にも女子にも、ポジティブシンキングなムードメーカーがいたんだ。
「彼女がしゃべることができるように、俺たちでフレンドリーな空気を作っていこうぜ!」 という具合にね。おかげで毎日のように、先生を含めたクラスのほとんどが、彼女に話しかけた。
彼女は私たちの声に対し、うなずいたり笑ったりの返事はするけど、声は出さずに、紙に文字を書いてくる。どこかの創作で見るように、しゃべらないけど、書くのはめちゃくちゃ早くて密度が濃い、などということはなかった。
むしろ遅くて下手だったけど、先生は親近感を覚えていたよ。彼女は文字を書く鉛筆を、左手に握っていたんだ。
彼女がやってくるまで、クラスに左利きは先生ひとりしかいなかった。珍しがられたり、からかわれたりしたことがあって、少しばかりうっとうしく思っていたよ。そこへ彼女という二人目の左利きが現れれば、さして気にされることはなくなるだろうって考えだった。
確かに彼女は目立った。しかしそれは、左手を使うからではない。その仕草があまりにつたなかったからだ。
もっとも顕著だったのは、給食の時。ひとりだけ持参の、首からかける紙ナプキンを取り出すものだから、うすうす見当はつく。そして予想通り、彼女はおかずをこぼしまくった。
汚らしい食べ方に拒否反応を示す奴は、どこにだっている。いくら見た目がきれいでも、「これはだめだ」と彼女から距離を取り始める連中も出てきた。先生だって「この子、本当は左利きじゃないんじゃないか? わざと左手を使って、注目を集めたいのか?」と自分のことは棚に上げて、内心で彼女を非難していたよ。
それでも彼女は頑なに、左手をメインに使って生活を続けていたんだ。
そして迎えた、学年遠足の日。指定された駅への現地集合となって、先生はバスを使わないと時間がかかる組。余裕を持って乗り込むはずの予定が、うっかり寝過ごして、家を出て全力疾走する羽目に。バス停が見えたところで、車道を走るバスに後ろから抜かれた時には、本気で焦ったね。
バス停にいた、たった一人の先客に感謝する。おかげでバスは停車を余儀なくされ、先生が追いつくことがかなったんだから。だが、その先客は開いたドアから車内へ乗り込んでから、運転席横で黙りこくっている。
ここのバスは料金先払い式だ。行き先を運転手へ告げて、運賃を払わなくてはいけない。なのに前に立った先客の少女は、自分の上着のポケットをパンパン叩くばかりで、しゃべらなかったんだ。
「早く、行き先を教えてくんないかい?」
運転手は初老の男性。帽子の隅からかすかに白髪がはみ出ていて、もたもたする彼女に対して、剣呑な表情を隠さない。
もしや、と間合いを詰めた先生は、先客があの緘黙症の転校生だと気がついた。おそらくは行き先を書いたメモを、落としたか何かで、すぐに取り出すことができないんだ。
「この子も僕も、駅までお願いします」
助け船を出してやる。彼女がびっくりして振り返ってきたが、先生は「早く払いな」とばかりにあごをしゃくった。
なんとなく彼女と隣り合って席を座ることになり、バスが発進する。ほどなく彼女が肩をつんつんとつついてきて、見るとレシートの裏を使って、『ありがとう』とたどたどしい文字で書いている。
礼を言われて悪い気分はしないが、この先生しか知り合いのいない空間でも、やせがまんの左手使いをするのは、どういう了見だ、という心地にもなる。そのことをまっすぐぶつけると、彼女はすっと目を細める。またレシートの余白に、かきかき……。
『矯正しているんだ。右から左に。みんなには内緒だよ』
「それはいいけど、どうして? 緘黙症と関係があるの?」
『あるよ。第一、私は病気じゃない。重ね重ね、だまして悪いけど、これも左手矯正のため』
そう書いて彼女は、今はももに乗せているリュックの口を開くと、人体模型の絵がプリントされた板を数枚取り出す。思いもよらないものの出現に、先生は少し面食らったが、どうも彼女は自分のことをこっそり話す時、これらのツールを使うらしい。
その時の彼女の話を、かいつまんで説明すると、このようなものだ。
人間の脳に、左と右があるのは知っていることと思う。主に左脳は言語を、右脳はイメージを司っている。
そのほか、身体を動かす時にも、左脳の命令が右半身の筋肉を、右脳の命令が左半身の筋肉を動作させているんだ。
彼女は、右利きの人が多いのは、人間が言語を発達させたことも大きいと見られていることも、先生に教えてくれた。言語をコントロールする左脳が大いに成長をとげ、使われ続けた結果、身体も右半身が育ち、利き手にも影響を与えたのではないか、と。
「て、ことは何か? つまり素で左利きの僕は、選ばれし者ってわけ?」
ちょうどこれらのワードが琴線に触れるお年頃。先生は柄にもなく、興奮してきた。しかし、彼女はその端正な顔を、想像以上に冷たいものにしながら、先生をにらみつけてくる。
『そう、選ばれし者。憎たらしいくらいに、選ばれているの。私はこんなに苦労しているのに』
「わ、悪かったよ、変なことを言って……でもさ、どうして無理に左にしようとしているの? 逆の左利きから右利きへの矯正なら、テーブルマナーとかの関係で、することがあるとは聞くけど」
『ママがいうにはね、もうすぐ右腕が【とうた】されるんだって。それに備えてのこと』
その意味を問いただそうとしたところで、バスが駅に着いたアナウンスが流れ、先生たちは降りる準備に取りかかったよ。
それからしばらくして、彼女の言葉の意味が分かった。彼女は服の袖から、右腕を出すことをやめてしまったんだ。長い袖をただ、ぷらんとたらしている。
その手のおふざけがはやっていた時期でもあったから、最初はクラスのみんなもその一種だと思って、気にも留めなかった。だが、あれ以降、彼女をそれとなく気にするようになった先生には分かった。
彼女の服の下には、隠した右腕の存在を示す膨らみが、どこにも見受けられない。他の右腕をあえて隠している連中と比べれば、明らかな差だ。次第に察する人も増えてきた上に、担任は何も言ってくれない。卒業間近になると、ほとんどの人が腫れ物に触るような態度を取るようになっていたよ。
【とうた】。辞書で調べた先生は、おそらく「淘汰」だろうと感じた。環境に適応した物だけが生き残り、他は滅んでいってしまうこと。
いずれ私たちに、右腕を必要としない時がやってくるのだろうか。今は数少ない左利きが、世界を席巻する時がくるのだろうか。
先生はそんなことを今でも考えながら、こうして数十年を生きてきているんだ。