第7話 陸亀亭 エルフを試す
鼻歌を歌い出しかねない陽気さを伴い、エルフ女は中庭へと向かう私の後ろから付いてきた。視界の隅で、イワンが慌てて立ち上がり、後ろからついてくるのが見えた。なんとも頼もしい男じゃないか。
店の奥を抜けると、そこは直ぐに中庭だ。
四周を囲むように宿泊客用の部屋が並んでいる。表通りからも、裏通りからも、完全に死角な場所だ。
手入れの行き届いていない雑草の茂る中庭には、いくつもの彫像が置かれている。奇天烈な怪物もいれば、見事な筋肉美を有する青年、裸身をさらけ出す美女まで様々だ。
「芸術性の欠片も感じられない。まったく無粋な庭だな。実にドワーフが好みそうな……」
居並ぶ彫像を見たエルフ女が呟く。どうやら像を「誰が」造ったのか? 気がついたようだ。なかなか飲み込みが早い。
「まぁ、そういうことだ。これでもやるかね?」
ここで後に退くようなら役には立たない。肝心な時に逃げ出してしまうだろう。そんな奴はこちらから願い下げだ。
「構わない」
「いいね、気に入った。始めよう」
私はエルフ女と相対し、さりげなく腕を組む。
左のわきの下に隠し持っている護身用に片手持ちの鉄鎚の柄を指先で確認する。
しかし、そいつを使う必要はないだろう。
何より、私はそれほど強くない。
相手を倒すという意味においては、だが。
この高慢なエルフ女が殺意を持って動き出した瞬間、私の造った彫像は目を覚ます。
石造りにも見えるこいつらは凝灰岩と火山灰を混ぜ合わせて造られた混凝土製の泥徒だ。こいつらには予め私に害意を持って敵対しようとする者に対して制圧行動を行うように命令を刻印してある。
もっとも、制圧行動といっても、家畜程度の知能しか持たないゴーレムに複雑な命令が理解できる訳ではない。ただ単に掴みかかり、動きを止めるだけだ。本番であれば敵の動きを止めさえすれば、鉄鎚で頭蓋を一叩き、それで終わる。
女の身体がゆらりと傾く。
まるで風に舞うタンポポの種の様な、そんな自然な動きだ。
彫像達は、彫像のままだ。まだ動かない。女の動きを敵対行為と見なしていないようだ。
なかなか、やるじゃないか。そう思った。
急激に動けば、動くほど、彫像は過敏に反応する。泥徒を鈍いと思っている者も多いが、それは市販されている作業用のゴーレムに限っての話しだ。ドワーフが本気で作ったゴーレムは人間の速度と比べても遜色なく動くし、何より人間とは違い、怖ろしく頑丈だ。
ゆっくり、ゆっくり、女は歩み、私との間合いを縮める。彫像は依然として反応を示さない。間合いが詰まる。
どういうことだ?
何故、ゴーレムどもは動かない?
腕組みをして、余裕をかましているものの胸が詰まるような圧力を感じる。胃がせりあがる様な、と言うべきか。既に女との距離は六歩というところ。そろそろ泥徒どもが動かねば、身軽なエルフを阻止出来ないのではないか。
女の動きを注意深く観察しつつ、腕を組んだまま指先で脇に隠し持っている鉄鎚の柄を確かめる。こいつを使わなきゃならねえとしたら大ごとだ。
五歩。
四歩。
三歩……。
えい、くそ! ゴーレムども! この役立たずが。
「わかったわかった。お嬢ちゃん、どういうカラクリかは知らねえが、これじゃ試しにならねえ」
「何をビビっているんだい、ドワーフの旦那」
エルフ女とは口元を吊り上げ、私を嘲っている。底なしに嫌な野郎だ。これだからエルフは嫌いなんだ。やることなすこと考えること、全てが嫌味ったらしい。
「不思議なんだろう? 自分で拵えたゴーレムが反応しないことに」
図星だ。
全くその通り。
エルフ女が私に近づき始めた時点で戦闘が始まらなくてはおかしいところなのに泥徒どもときたら……。
「簡単な事さ。この手のゴーレムは意識下の害意に反応する。ならば、それらを抑えればいいだけの話し。ゴーレムにとって今のあたしは見えていない、存在していないも一緒なんだ」
「馬鹿を言うな。敵意や殺意なんてものは意識して抑えられるものじゃない、心の奥底で好き勝手に湧き出す自我じゃねえか。それは本番だろうと試しだろうと一緒だ。抑えられる訳がねえ」
「でも、ご覧の通り抑えているわ。どう?」
自信たっぷり。
忌々しいがエルフ女の言うとおりだ。
だが、だからこそ問題だ。
こういう感応型のゴーレムは、大きな商人の邸宅ならば必ず抱えている代物。初期投資はかかるが、給金もいらず、飯も食わず、文句も言わねえ、言ってみればお抱え用心棒だ。
このエルフ女は、そのお抱え用心棒であるゴーレムの裏をかく術を知っている。
これが初めてではなく、これまでに幾度もかいてきているだろう。つまり、こいつは本当に殺し屋か、性質の悪い泥棒野郎という事になる。この術を使って過去に何度も間抜けなゴーレムどもをやり過ごしてきたという訳だ。
「理屈はわかったが勘違いしてねえかい? こっちは腕を試したかったんだ。嬢ちゃん、あんたはただ単にコイツらの裏をかいているだけじゃねえか」
女の一瞬、虚を突かれた様な表情を見せてから、先ほどと同じ様に笑みを浮かべた。
「確かに」
途端に、これまでにないぐらいの心圧を感じる。
反吐が絞り出そうな、肺が縮んだような感覚。
恐怖で胃の腑が裏返る。
殺される、そう思った瞬間、数歩離れた位置で一部始終を眺めていたイワンが素早く帯剣を引き抜く姿が目に入った。女の豹変に気がついたのは私だけじゃないようだ。
庭のゴーレムも弾かれた様に動き出す。
魔神像が、裸婦像が、青年像が次々と我に返った様に、エルフ女に突進していく。イワンは、私とエルフ女の間に割って入ろうと、己の身を乗り出してきた。
女が宙を舞った。
エルフが空を飛ぶなんて話しは寡聞にして知らないが、確かに飛んだように見えた。身軽さはエルフの身上だが、それにしてもコイツは軽過ぎる。まるで風に吹かれた羽根みたいだ。
纏っていた柘榴色の革コートの裾が跳ね上げり、白く艶めかしい太股が露わになる。膝頭まで出る丈しかない革製の巻きスカートがめくれ、その奥の白い下着まで見える。
ほんの一瞬、気が逸れた。
つくづく男ってのは、どうしようもなく助平にできている。いい女が下着をチラつかせるだけで、このザマだ。しかも、このエルフ女がそこまで計算して、己の肢体を武器としていることを承知しているにも拘らず、にだ。
エルフ女が空中で身体を捻りながら降下し始めた時には、両手に細身の短剣を二振り握っている。いつの間に抜いたのか、それさえ気が付かなかった。
後ろへと飛び退く。
女は直上だ。
ぶつかる寸前で距離を置き、私と女との間にイワンが滑り込む間合いを空ける。先ほど雇ったばかりで給金もまだ払っていないというのに、何とも忠誠心に溢れる男だ。いい奴じゃないか。
一度は躱されたものの、エルフ女の着地点にゴーレムが群がる。
女の間合いに入った途端、二振りの短剣が鋭く突き出される。その一撃一撃で、次から次へとゴーレムは砕けていく。ゴーレム唯一の急所である額の刻印を一突きだ。剛腕を振るい、絡みつき、抱きつこうとするゴーレムの腕を爪の厚さほどで見切りながら、最小限の動作で躱す。
女をまるで、腕をすり抜けるようにゴーレムの懐へと飛び込み、破壊していく。
まるで四方八方に目が有るような動き————驚嘆する他はない。
何より、受け刀をしないから、全く動きが止まらない。流れていくような滑らかさ。何という反射神経だろう。少なくとも、おのエルフ女が一対多の戦いに習熟しているのは間違いない。
「まずいな、おい」
思わず言葉が漏れる。
小声だったはずだが、エルフの耳に届いたようで、口角が少しだけ上がる。その顔に浮かんだのは勝ちを誇り、私を嘲弄する微笑み。
くそっ。
本当に嫌な野郎だ。