第4話 陸亀亭 待ちくたびれる午後
とにかく一人は確保した。
少し間抜けなのか、それとも私なんかでは計りしれないほど底知れぬ男なのかもしれないが、少なくとも当初の予定通り、正規の修養課程を受けた武人上がりを雇うことが出来た。それもかなり破格の安値で―———とくれば心は否が応でも浮き立ち、懐は希望に膨れ上がる。商人たるもの、儲け話は常に最高の馳走である。
イワンが真実、世間知らずの田舎者なのであれば全くもって良いカモだ。
肩書、経歴、実力、どれをとっても申し分なく、何より安い。それが最高だ。
しかし、こういう良い契約をしてしまうと人間とは贅沢なもので次がなかなか、決まらない。普段ならば二つ返事で雇っていたような傭兵くずれや、街のチンピラごときには銅銭一枚払うのも惜しくなる。
私は鏡の前で、そのまま飲み続けた。
イワンは二つほど離れた卓に座り、黒い堅焼きパンを皿代わりに盛り付けられた泥鯰の背肉の串揚げや、川エビの煮込み料理に夢中だ。
先程までは元総長という矜持が己に自制を強いていたのだろうが、本当はよほど腹が空いていたのだろう。パンにスープが染み込む前に飲み干してしまいそうな勢いで胃袋に収めており、食べっぷりが惚れ惚れするほど気持ちいい。この店の煮込みは発酵させた塩大豆を隠し味にしており、それが病みつきになると評判だし、泥鯰も沼ワニ同様、川船乗りならば常食にせざるをえないような食べ物だが、釣った後に数日、清水の生け簀で泥を吐かせているので、独特の泥臭さが抜けて食べやすい。肉は白身、程よくのった脂っ気が甘味となり、皮のドロリとした喉越しがたまらない。
続けて来た応募者の二人目、三人目を断り、四人目もあしらう。
どうもイワンのせいで、目が肥えてしまったのか、私も随分と贅沢を言うようになってしまった。
呑み続けていたので、もう腹は膨れて黒麦酒臭いゲップばかりが出た。煙管に香草で香りをつけた煙草を詰め、それをくゆらせながら、次の応募者を待つ。
この煙草も町によっては密輸の種になる。その町は煙草を禁止しているくせに同じ煙管で吸う阿片は罪にはならない。馬鹿げた話しではないか。両者に何の差があるというのだ。
それに比べて大概の物が許される麦の都の自由たるや、格別だ。
快楽という面では最高にゆるく、大概のことが法的に許され、法的に許されないことは銭で許される。土地の境界以外のことならば全てに大らかなノームが支配する麦の都とはそんな町なのだ。
暇つぶしに再び、水上保険組合発行の新聞を読み始める。面白くもない記事の羅列の中に、少しだけ面白い記事があった。
「我が『善の鎌戦士団』奮戦。中州に巣食う童鬼の集団を殲滅」
御用新聞だけあって勇ましい。『善の鎌戦士団』は、『麦の都』の保有する七つのノーム戦士団のひとつだが、それが『眠り河』の中州のひとつに拠点を構築した鬼種の中ではもっとも小柄な『童鬼』を討伐した記事だ。小柄と言っても童鬼の体格は、ドワーフやノームと互する程度にはある。
眠り河の対岸は『暗き森』の周辺部にあたるので、時折、森の中の勢力争いに敗れた集団が中州などに避難してくることがあるという噂だが、それをわざわざ軍を動かして討伐したようだ。落ち武者狩りとは、なんとも勇ましいというか、情けないというか……。
イワンに説明した通り、かつてのリオック=ドレイク商会は今現在、ドレイク商会を名乗っている。リオックというのは共同経営者だったエルフの姓であり彼がいない以上、気を遣って名乗ってやる必要などない、というのが社名変更の理由だ。取扱い業務は建前上、水運業としている。
保有しているのは一艘の川船で、船名は『切り裂き丸』という。木造鉄板張り、船体は川船としては珍しいほど細長い構造だ。
切り裂き丸は多くの川船と同様に平底船。
つまり竜骨が無い。
竜骨がない平底船は強度に難があるが、利点もある。その方が曲がりくねった川で向きを変えるのに便利だからだ。必要とあれば、その場で船の中央部を軸に前後の方向を逆向きに回転させることだって出来る。
竜骨船だとそうはいかない。
水の流れが常に船底の竜骨に当たるため、船には常に水流と平行になろうとする力が加わってしまう。海や大きな湖水でならば、自然と真っ直ぐに進もうとするこの力は至極便利なのだが、水面に顔を出していない岩だらけの瀬が多い川では小回りが効いた方が良い。
もっとも、そんな質の悪い岩を避けられるかどうかは、操舵手の腕次第ということにはなるが……。
水運業というのは、客から預かった荷を依頼された場所まで届けるのが仕事だ。
客である依頼主にはいろいろな奴がいる。
真っ当な商人もいれば、怪しいなんてものじゃないような輩もいる。だが銭さえ貰えるならば贅沢は言わない。選り好みだってしない。差別も区別もしない。我が社は実に誠実。
勿論、他人に依頼された荷を運ぶだけではなく、時には自ら商品を仕入れ、他の都市に運んでしっかりたっぷり、利鞘を稼ぐこともある。当たり前のことだが、他の商人の下請けで荷を運ぶよりも、自分で商売した方が遥かに利益になる。
しかし、これは同時に危険も伴う。
多くの場合、他人の荷を運ぶ時には荷主は水運保険を掛ける。荷に万が一のことがあっても損害を補えるからだ。
だが、自分で運ぶ、自分の荷に保険は掛けられない。当たり前の事で、積み荷を何処かに隠しておいて、保険金を貰おうなんていう大間抜けが自演詐欺を起こしかねない。
保険引受人の集まりである水上保険組合は馬鹿じゃない。
傭兵組合よりも、ことと次第によっては荒っぽいと評判だし、その情報収集力、組織力は両替商組合の強欲な両替商達さえ凌ぐという噂もある。とんでもなく、おっかねえ連中だ。そんな奴らに挑戦状を叩きつける阿呆の一人にはなりたくないし、そもそも我が社の扱う荷の大半は依頼主が運ぶことを秘密にしておきたいような代物だ。保険屋とは仲良くなれそうにない。
夏————。
夏至を過ぎたばかりだ。
麦の都を中心とした一大穀倉地帯で収穫された秋蒔きの冬越し小麦が、この町に集められる季節。
麦の都を牛耳る穀物商人達が、それに値を付ける。ノームの話しでは今年の冬越し小麦は、近年最高の出来だと聞いている。結構な高値がつくだろう。
麦の都の穀物商人は、集まった麦を買い付け、それを各地方の穀物商人に卸す。
地方の穀物商人はそれを自都市へと輸送し、更に地元の小規模な穀物商や、小売商などに卸し、小売商は市民に売るという寸法だ。
川船一艘で身を立てる小規模自営の水運業者は、この時期、穀物商の依頼を受けて艀に山積みにした小麦を各地へと運ぶのが仕事だ。私だって元々は、そんな正直な稼業を何十年も続けていた。
それが……。
ある時、この町の下流にある風の街に小麦を運ぶ時、大した悪気もなく山積みにした小麦の袋の中に酒を一瓶、隠し持っていった。荷の積み下ろしには日数を要するので自分自身で飲むつもりだった。
しかし、風の街は月を信仰するエルフの中でも最も道徳的に厳しい宗派、望月派の支配する町だ。望月派は飲酒を自堕落の象徴、人間の弱さの体現だと捉え、教義として許していない。その厳正な彼らが権力を握る風の街では飲酒はおろか、町への酒の持ち込みまで禁止している。
しかし、町に住むのはエルフだけではない。
エルフとは異なる神々を信じるノームやドワーフ、ヒーゼンやトールも住むし、そのエルフだって支配階級を構成する望月派のみではない。闇こそ至上の平等、自らを試す運命の時と教える朔月派は飲酒を禁じていないし、中庸、均衡こそ世の理と捉える弦月派も同様だ。酒を呑みたい奴はいくらでもいた。
そんな町に酒瓶を届けるとどうなるか?
答えは明白だ。
とんでもない高値で売れた。麦の都でならば、どこの酒場でも出されるような、実に大したことのない発酵大麦の蒸留酒が本当に馬鹿げた値段で売れたのだ。酒瓶を物陰で抱え込み、隠れて飲もうとしていた時に長身で姿勢の良いエルフ紳士がこっそり私の耳元に丹を塗った薄い唇を近づけ、値段を提示した時には、相手の正気を疑ったものだ。
以来、密輸が本業となりつつある。
実際にこの裏家業をはじめてみて知ったのは、意外と私以外にも密輸を生業とする者がいるということだ。後ろめたい世界に片足を突っ込んで、初めて知った真実の数々。真っ当に生きていたら、一生知らなかった裏の世界のいろいろ。「え⁉ あの人がまさか————」なんて話しは、もう聞き飽きて驚かなくなった。
だが、やはり、根本的な問題として私には資金力がない。
つまり、売り物が高値で売れると分かっていても、それを買い付ける、そのタネ銭が根本的に乏しいのだ。
仕方なく今でも十に九は下請密輸屋をやっている。
大儲けしてる奴から小遣いをもらい、禁制品を命がけで運ぶ。随分と割に合わない仕事だが、ただただ小麦を運んでいるよりは儲かる。いずれ、自分で品物を見て、値段交渉し、買い手に直接、持ち込むよう日が来るのを待ち焦がれていた日々。
それが、もうすぐ始まる。
今までは、いくら働いても乗組員に給金を払い、船やゴーレムの補修代を差っ引けば手元に残る銭など僅かなものだった。だが、その僅かな儲けを永々と積み重ね、ようやく自分で荷を買い付け、用意できるだけのタネ銭が間もなく貯まる。
しかも今回の仕事の報酬は破格の高利益が望める。あと一度、今回の仕事が成功すれば、長年の下請稼業からもおさらばだ。
そう、成功すれば————。
間もなく、ありとあらゆる地域に向け、この町から小麦が移出が開始される。既に一部では始まっているだろう。
この町の中央を南から北へと流れていく大河『眠り河』には、今、大麦小麦を地方に運ぶ川船と、その川船に曳航される艀や筏が数百数千も押し寄せており、積み込みの真っ最中だ。
多数の船、大量の荷。
密輸を企むには最高の季節がやってくる。




