第3話 陸亀亭 応募者イワンを採用す
「うちの会社はリオック=ドレイク商会という……いや、違った。ドレイク商会だった。私の名はドレイク・ヴォルフラム。経営者で、同時に船長もやっている。お上品に言えば水運業者だ。後ろ暗いところはない、と言いたいが———」
言葉を切った。
イワンは小さく頷きながら一言一句、聞き逃すまいとしている。放っておいたら、手帳に書き留めかねない真面目さがある。どうやら当たりクジを引いたようだ。
「そうとも言っていられない。うちの会社は客から荷を預り、客の指定する場所に、客の指定する日までに届ける。ざっくり言っちまえばそれが仕事だ」
「なるほど」
なるほど、って何だよ。みなまで言わないと分からない頓痴気か。たまにこういう純真無垢な野郎と話しをすると、こっちの調子が狂っちまう。
「運び屋。分かるかい? 運び屋だ」
「水運業だろう。やったことはないが努力はする。何でも言いつけてくれて構わない」
イワンは正真正銘、誠心誠意、きょとんとした顔でこっちを見ていた。そうじゃない、そうじゃないんだよ、イワン。
「さっき、お上品に言えば水運業者だっていたが、あれは嘘だ」
何故、この人は嘘を言うのだろうか。そんな顔でじっと見られた。これが演技だったら、この男が座長を務める劇場に毎日、通い詰めたっていいぐらいだ。
「実はな、運び屋ってのも上品な言い方なんだ。確かに依頼された品物を運ぶ。だが、それは時に合法じゃない品物も含まれたりする。まぁ、どちらかと言えばそっちが本業だ。分かるかい、うちの会社は密輸業者なんだ」
反応がなかった。ただただイワンは「それが?」という顔をしている。動じる様子がない。肝が思った以上に座っているのか、それとも……。彼は黙したまま、顔の横に飛び出したまん丸な耳をこちらに傾け、更に話しを聞こうとしている。
「危ない橋を渡るかもしれない。それは、もしかしたら、危なくない橋かもしれない。ただハッキリと言えるのは、危なくない橋というのは大して儲からないんだ。だから、仕方の無いことだが少しだけ危ない橋を渡ることになるだろう。もちろん、出来るだけ危なくなさそうな橋を選ぶし、その危なさに見合った儲けが得られる橋を、だ。その辺は私の経験と目利きを信用して貰いたい」
「橋の話しの腰を折るようで申し訳ないのだが」
あぁ、やはり断られるのか。そりゃあそうだろうな。
川船の用心棒にするには勿体ない逸材だが船が出港してから、全てを話し、そこで腰が引けて逃げ出されても困る。だから、初対面のイワンにこんな込み入った話しをしたのだが、違法な行為をしたがるような男には最初から見えなかった。
それに、この町の中で違法な行為をしようというのではないから、仮にイワンがこの店を出て真っ直ぐに警吏のもとに駆け込んでも、万が一にも私が捕まる心配はない。
良さそうな奴だが縁がなかったという訳だ。
「その橋の話しはいつまで続くのだろうか? 先程申した通り、この辺の土地勘が無いので、その橋がどこの橋の話しかがよく分からないのだ。誠に申し訳ないとは思うのだが」
「いや、橋っていうのは、モノの例えなんだが」
「左様か。そういう例え話がここにはあるのだな。故郷では、そういう例え話は聞かないもので、迂闊であった。申し訳ない。どうぞ橋の話しの続きを」
呆れて、それから諦めた。
この男は多分、こういう話しは苦手なのだ。総長までやったという男だが、人生を踏み外すこと無く、清廉潔白にやってきたのだろう。いきなり、犯罪の片棒を担げと言われても、ピンと来ないのかもしれない———。
……本当にそうだろうか?
いや、違う。
こいつは、そういうふりをしているんだ。
私の話しを理解しているが、自分は犯罪の片棒なんか担ぐつもりはなかった、と自分自身に言い聞かせているんだ。
分からないふりをして————だとしたら、この男、なかなかの曲者、いや臍曲りだ。
気に入った。嫌いじゃない。むしろ骨がある。
だが、いずれにしても、このへんてこな問答をこれ以上続けても仕方がない。もっとお互いにとって重要な話しをしなくてはならない。長い人生において友情よりも大切なこと。つまりは銭の話し。
「さてと……イワン、あんたを雇う条件だが、給金の支払いは五日ごと。あんたの日当は小銀貨2枚ってところだ。良い仕事をしてもらった時には別立てで支払おう。寝床は船の中に狭いが個室を与える。寄港中は街で宿屋を取ってもらっても構わん。無論、自腹だがね。但し、船の中なら飯代と酒代はこっち持ちだ。どうだね?」
最初の交渉だ。日当は法外なほど安い値段にして探りを入れる。
恐らく納得しまい。
並の戦士上がりでもこの倍額、つまりは大銀貨1枚は要求する。ましてや田舎者とはいえ武人の最高位である総長職の経験者ともなれば、大銀貨3枚でも「安い————」ぐらいだ。
「うーむ……小銀貨2枚とは随分、川船の用心棒という仕事は薄給なのだな。しかし、まぁ、仕方ない。今は寝床と食い物の心配をせずとも良いならそれで十分だ。宜しくお願い致す」
「おぉ————」
喉から思わず声が漏れてしまった。ちょいと薬がききすぎたのだろうか? 何という世間知らずだ。これは拾い物。重畳、重畳。
「拙者からの条件はふたつ。寄港中だが、自由に出歩いても構わないかね?」
イワン側からの条件、その一は全く問題ない。
そのまま宿屋にでも泊まってくれるのなら、商会持ちの食費も浮くというもの。もっとも小銀貨2枚では夕飯に酒をつけて、朝飯まで頼んでしまえば、並みの宿でも大して釣り銭は貰えないだろうが。
「構わんよ。船着き場には番所があるから寄港中は荷物を盗まれる心配はないのでね。もうひとつは?」
早く契約を済ませて、握手したい気分を抑えながら努めて平静を装い、尋ねる。顔がにやついてしまっていないか気になって思わず下を向いたまま喋った。
「実は人を捜して宛もなく旅をしている。その者たちに関する情報が手に入った時には、即座に船を下りることを許してもらえぬだろうか?」
「人探しの旅か。そうだな、別に構わない。今回は全部で四、五人は雇うつもりでいるから、あんたが下りたらまた探すだけだ。面倒だがね」
嫌味に肩をすくめてから、快諾した。貸しだぞ、という意味合いを言葉と口調の端々に込めた。イワンのようなお人好しは、こんな当然の権利の行使にすら恩を感じてしまう、可愛そうな連中だ。
安定した職を投げ打ってまでして始めた人探し。
止めるのは無理だろうし、これほどの使い手を相場の六分の一という小遣い程度の駄賃で雇える機会はこの先、中々、あるまい。それだけでも十分だ。
「ありがたい————えっと、理由は聞かぬのかね?」
一瞬、破顔し、それから少し真剣な面持ちでイワンはそう問うてきた。
「喋りたいなら、ご勝手に。こちらは契約を守ってくれるのであれば、あんたが何者で、何をしようとしているかなんて知ったことではないよ」
「そうか、そんなものかな、川船というのは。ドワーフは交わされた契約に至上の価値を置くと聞く。貴殿がそうあるならば拙者も契約を守るように身命を賭して努力しよう」
「そうかい、せいぜい努めてくれ。じゃあ、契約成立だな。これであんたもドレイク商会の一員という訳だ。私のことは親方でも、船長でも、好きに呼んでくれ」
「ならばヴォルフラム殿と呼んでも?」
「言っただろ。好きに呼べと」
私は鏡越しでの会話を終わらせ、振り返り、握手を求める為に右手を差し出す。
立ち上がるとイワンの背丈は、ちょうど私の肩ぐらいだった。当のイワンは、それまで何の関係もない風を装って背を向けていた大男が差し出してきた右手に対し、不審そうな眼差しでこちらに視線を向けた。
「貴殿は……?」
「ドレイク・ヴォルフラムだよ。あんたの雇い主となるドワーフだ。さっきから話していただろうが」
「え?」
途端に間抜けな顔になった。
じゃあ、先程まで自分が話していたドワーフは?
きっと、そんな思いに駆られているのだろう。卓前に座り込んだままのドワーフの置物に見入る。
「そいつは特注品の泥徒さ。なんてぇ面、してんだい。傑作だな」
可笑しさを抑えきれず、笑い声を上げてしまう。通りかかった馴染みの女給が口元を手の甲で隠し、悪いイタズラ、と小声で呟く。
「何に驚いている? 大きい小人は初めてかい? それとも自分がずっと話していた相手が泥徒だったことにかい?」
こんな間抜け面は中々、見られるものではない。腸が捩れるほど愉快、というのはきっとこういうことを言うのだろう。
「……どっちも、かな。見事な泥徒だ。まるで生きているみたいに。ゴーレムの唇が会話に合わせて動くなんて聞いたこともない」
薄暗い場所だったとは言え、自分が話していた相手がゴーレムだったことに気が付かぬとは……心なしか気落ちしているようにすら見える。気の毒だが、こちらとしては気分がいい。
「なあに、ドワーフってのは髭面だからな。唇を適当に動かすように命じておけば、あとは髭が揺らいでそれっぽいく見える、っていう寸法さ。気が付かないのは仕方ないが、思い込みは大概にしておくことだ。楽には生きられないぜ」
「まいったな。本当に。改めてドワーフの匠の技に感服したよ。それにしても失礼ながら、貴殿は大きいな。小人とは思えぬ」
握手を交わしながら視線を上げたイワンのスミレのような色合いの瞳には素直な感嘆が表れている。これまでもドワーフとは会ったことはあるのだろうが、私のような「大きい小人」は初めてなのだろう。
「あんたはノームかい? ヒーゼンかな? あんた達にだって小柄な奴、大柄な奴、細いの、太いの、いろいろいるだろう? ドワーフだって同じことさ」
「さぁて、どうなのかな? そんな話しは寡聞にして知らぬが……まぁ、別に詮索する気はない。私としては貴殿の体格よりも、性格と懐具合の方に興味があるのでね」
イワンに席を勧め、黒麦酒を先程の女給に頼む。
愛くるしい顔立ちをしたヒーゼンの若い女給は直ちに泡立つそれをふたつ、持ってきた。焦げたような芳香が素晴らしい。さすがは広大な穀倉地帯の中心に位置する町だけあって、最高の麦を贅沢に使った麦酒はここ麦の都でなければ飲めない。これを灰の都に持っていけたのならば、どれほどの高値で捌けるだろうか。
「取りあえずは一杯、やろう。あんたが一人目だ。少なくとも、あと三人は雇いたいんでね。あんたは適当にその辺りの卓で寛いでいてくれ。飲み食いは好きにしてもらって構わない。今日は私のおごりだ」
ありがたい、呟くと素焼きのジョッキに注がれた黒麦酒を一気に飲み始める。
髭を泡だらけにしたイワンは人の良さげな笑顔を見せる。
喉も乾いていたし、腹も減っていた、というところだろう。身なりは良いが、実のところ路銀を使い果たして宿賃も船賃も払えず、この町で進退に窮していたのかもしれない。
「但し————」
「但し?」
顎の先で足元に転がる卓の角の切れ端を指し、イワンに告げる。
「飲み食いの分は払うが、手前の壊した卓の弁償を求められたら給金から引くからな。覚悟しとけよ」
その言葉にイワンは盛大に咽ると、少し恨みがましい目で私を見つめていた。