第2話 陸亀亭 応募者イワンを面接す
「ドワーフのヴォルフラム氏というのは貴殿のことか?」
客足の絶えない店の中に先程、入ってきて店内に視線を泳がせていた男が話しかけてきた。
視線を上げ、鏡越しに見る。
中年男だった。
短髪にした髪にも髭にも少しだけ白いものが混じっている。肩幅が広く、胸も厚い。均整のとれた体格だし、しかも、それが日頃の鍛錬によるものだということは一目で分かる。
トールより小さく、ノームやドワーフよりも大きい。だからといってエルフの様な肉付きの悪い体つきでもない。ヒーゼンだろうか。
「如何にもドワーフのヴォルフラム様とは俺様のことだが、何か御用かね?」
店の外に貼り出した求人の貼り紙を見たことは容易に想像がついたが、それでも意地悪く聞いてしまうのは、私の心身の核を成す高地人の血が為させるのか。吾ながら我が一族の嫌味な性格には時折、こっ恥ずかしくなる。
「あ、いや……ちょうど宿場通りを歩いていたら、店の外の貼り紙を見つけたのでな。もうお決まりになられたか?」
思いの外、私の物言いがきつかったからだろう。
中年男は自分の言葉遣いの何が気に入らなかったのだろう? とでも言いたげな不安気な表情を一瞬だけし、言葉を慎重に選び、必要以上に慇懃に尋ねてきた。河沿いではあまり見かけないぐらい、腰の低い男だった。
「まだですよ。応募されますかね?」
「良かった。是非、お願いしたい。拙者の名はイワン・ゴロゾフと申す。少々、腕に覚えはあるので、使っていただけるならありがたい」
腕に覚えがある、か————。
己の腕前に自信の無いような奴が、強賊相手に命のやり取りが日課となる川船の用心棒などに応募する訳がない。
卓の横で突っ立ったままの、そのイワン・ゴロゾフと名乗る男のつま先から頭の天辺まで遠慮なく舐めるように観察する。
肩から羽織っている枯れ草色の毛織マントはきちんと手入れされているし、着丈がこの男の背丈にちょうど合っている。お仕着せではなく、きちんとあつらえた物だ。ということは、少なくともこの毛織マントを買った時に金には困っていなかった、ということになる。裾からチラリと見えた長靴は斑ワニの尾の革を贅沢に使った一品、これも男の足の大きさにピタリとはまっているのが伺える。足は靴に合わせるものだから、採寸した靴を履くなんてよほどの拘りがあるか、金持ちじゃなければ普通はしない。
どちらも多少、薄汚れて入るが、それは旅の垢というものだろう。少々、日に焼けた顔にやつれと疲れが見受けられるのは、長旅に慣れていないのかもしれない。
「失礼だが、お生まれは? 嫌なら答えなくても良いですがね」
川船に用心棒として乗り込もうなんて野郎は、大概、何かしら『訳あり』と決まっている。突っ込んで仔細を聞く気はない。話せることだけで十分、分かりあえる。それが川の男の流儀というものだ。
「生まれは泥の街。ご存知か?」
「あぁ、ええと東の果ての……」
東方遙か彼方の地。
世界の果てにある、といっても言い過ぎじゃないほど、遠い場所だ。
『泥の街』と言っても、市街地が泥だらけという訳では無論ない。
内陸の地にあるせいか、冬の寒さが異様なほど厳しい地方で、冬には全てが凍りつき、春にはそれがいっせいに緩む。結果、春から初夏にかけては、その地方一帯が泥まみれになることから、そう呼ばれている。
ノームの本拠地である、ここ『麦の都』や、ドワーフの誇る『塩の都』や『鉄の都』『灰の都』に比べれば、そこはとんでもない田舎町だ。
誰もが使役に用いる泥徒はその街の泥から生まれたなんてとんちきな噂もあるが、冗談ではない。泥徒はドワーフが持てる技芸の粋を集めて造り出した特産品だ。東の果てのど田舎の人間が造るなんて話し、ある訳がないではないか。
「左様。田舎者故、この辺りの地理には疎いのだが、駄目だろうか?」
イワンは眉尻を下げ、少し不安げにそう尋ねてきた。
その名も如何にも東方人らしい名前だ。この辺りやドワーフの勢力圏では余り我が子にそんな名前は付けない。
加えて、言葉の端々に聞きなれない訛がある。
そもそも「宿場通り」のことを「ルーン」と発音していた。おかしな発音だ。それに語尾が常に奇妙にずり下がり、少し間延びしている。この辺りの出身者でないのは確かだ。それによく見れば鷲鼻が顔に比べて不釣合いなほど大きい。泥の街をはじめとした東方の人間には植民したノームとの混血も多いと聞く。ならば、この不格好な鼻の大きさにも納得だ。
「別に水先案内を雇うつもりはないのでね、構いませんよ。用心棒が欲しいんで腕さえ立てばね……最近は川船の荷を狙う強賊という不埒な連中や、法外な賄賂を要求しておいて役に立たない官吏が多くてね。そいつらに道理を仕込める程度の実力さえあれば問題はないですよ」
ここからが値踏みだ。
自分の目利きには、それなりの自信はあったが、自分自身が今では武人ではなく、一介の商人だという自覚もある。武は常に進化するもの、自分が時代錯誤の遺物という可能性は忘れない。
出来れば最初に雇う人間には、正規の武人上がりが良いと思っていた。
そいつの助言を聞きながら、精鋭を選び抜きたい。
人数は少ない方が出費は減るし、実戦で役に立たない奴に給金は払いたくないのは誰もが一緒だ。頭数だけ揃えても、いざという時に船橋や船室に逃げ込んで震えられても困るのは雇い主である私自身の方なのだから。
「先ほど申した様に腕前には多少、覚えはあるのだが……」
イワンは少し困った顔で応じた。額の皺が深く、その皴に埃が筋を為している。随分、長い旅路をしてきたことのが窺えた。
彼は羽織っていた枯草色のマントをめくりあげると、己の左腕を突き出してきた。二の腕に浮き出た血管と筋肉が惚れ惚れするほど美しい。顔同様に日焼けと土埃と汗で薄汚れてはいるが、風呂にでも入れて磨けば恰好がつきそうだ。
「これが証明になるだろうか?」
左の手首には銀製の腕輪がはめられていた。
そこには文字が刻まれている。中央と東方では発音の差異はあっても言葉は共通だし、もちろん、文字も読める。
「イワン・ゴロゾフ、泥の街、戦士団の総長……ですかい? ほぅ、大したものだねぇ」
「左様。昨年の秋まで総長を務めておった。事情があって暇をもらったのだが————この腕輪は一度貰えば生涯、着用が許されるものだから、この通り、今でも未練がましく持ち歩いている。だから正確には元・総長ということになるのだが」
都市防衛を担う戦士団の最高位が団長であり、その団を複数指揮するのが総長。武人としての最高位にまで昇ったということは、この男が泥の街でも屈指の腕前であることは間違いない。
これはとんだ拾い物かもしれん。心が躍った。
「疑う訳ではないが、腕は見せるものじゃねぇ、試すものですよ」
即、採用と言いたいとこだが、それでは足元を見られる。
それに万が一、食わせ者であったなら目も当てられない。
階級を証明する銀の腕輪自体は、どこの都や街でも採用されている制度であるから、贋物ということがないだろうが、その辺の行き倒れの屍から奪い取ったという可能性だって無い訳ではない。
「良かろう」
言葉とともにイワンは腰間の剣に右手を伸ばす。挙動に迷いがない。腰帯の左側に手挟んだ剣の鞘を左手で抑え、身体を捻る。
早い。
右手で握った剣の柄を走らせながら、鞘ごと腰を後ろに半回転させている。だから、単純に抜くよりも瞬きほどの間、抜き放つのが早い。簡単そうで、実はかなり難しい技だし、その瞬きほどの差が生死を分けるのは戦場の真理だ。
イワンはそのまま一挙動で分厚い樫材製の卓の端を下から上へと削ぐように斬りつける。
これまた見事なものだ。
剣速が早いので、三角形に切断された卓の端が明後日の方向に吹き飛ばずに、そのまま床にゴトリと落ちていく。
視線をイワンに向けると、彼の右腕が伸びきる寸前でピタリと止まっている。これが真っ直ぐに伸びきってしまうようでは次の動作、つまり二撃目には素早く移れない。次の動作への流れが計算されているのは、この男が実戦慣れしている証拠だ。
剣は柄が異様に長い両手使い用の片刃の長剣。刃が、やや反り気味に打ってあるのは、抜き打ちがしやすい為の工夫だろう。泥の街をはじめとした東方に多い剣の様式だ。
「おっかねえな」
「その割には怖くはなさそうだが————如何なものだろう?」
実直そうな顔に微かに笑みが浮かんだ。褒められたことが単純に嬉しそうだ。白髪の混じった太い眉が微かに綻んでいる。随分と純情可憐な性格のようで、これでは旅路では苦労も絶えなかったことだろう。
イワンの抜き打ちは確かに早い。
抜くと斬るが一挙動に集約されており、脈ひとつ打つほどの時間でそれが全て収まっている。抜き打ちだけでこれだけの力があるのだ。胸板の厚み、腕の太さ、腰の粘り具合、それにそこそこ体格もいいから撃剣もこなすだろうし、総長まで務めたほどの人物であれば、槍も弓も人並み以上には熟せるだろう。
そもそも勢いをつけて抜いた剣の切っ先が完全に静止していた。
これは、この男の力と技が高い次元で完璧に均整がとれていることを意味している。重心が先端にある長剣に無駄に振られず、右腕一本で完璧に操っているということだ。
「まぁ、面白え見世物だ。正直、たまげたよ」
率直な言葉で褒める。賞賛する他はなかった。
底意地の悪さと偏屈さにおいて右に出るものがいないと言われるドワーフには不釣り合いな褒め言葉にイワンは少し、気恥ずかしげな気分にでもなった様子で剣を音もなく鞘に収める。
「どうだろうか? 気に入っていただけたなら雇っていただけぬか?」
「あぁ、十分だ、と言いたいのは山々だが、ね。分かるだろう?」
表情を盗み見た。
イワンは眉を顰めて言葉の意味を考えている様子だった。
なんてウブな野郎だ。
今まで職にあぶれた経験など無く、面接を受けることに慣れていないのだろう。世慣れた奴ならば、みなまで言わずとも分かる筈だが――。
沈黙が続き、先に焦れたのは、尋ねたこっちの方だった。我ながら気が短いのは困ったものだ。
「免状だよ、免状。抜き打ちがそれほどの腕前なら免許持っているだろう?」
その言葉にイワンはハッとしたようで、申し訳ない、と呟きながら慌てて己の襟元に手を突っ込む。
その際、上着の下に着込んだ革鎧がちらりと見えた。
豹紋アザラシの毛皮で作られた最高級品、なかなかお目に掛かれる物じゃない。短く密度の濃い毛皮は水をよく弾き、厚みもあって防寒にも良く、何より水に浮く。しかも、丈夫で軽く、靭やか。それでいて表面はまるで油を塗ったかのごとく滑らかで、中途半端な斬撃では刃先が艶やかな毛に滑って切り込めないという優れ物だ。
さすが総長を名乗るだけあって良い品を着込んでいる。そういう所に銭を惜しまない奴は嫌いじゃない。
イワンは襟元からジャラリと鈍く光る銀鎖を取り出した。首回りが太いせいか、随分と窮屈そうだ。
「申し訳ない。これで宜しいか?」
鎖に目を通す。
その鎖には細かな文字が刻印されており、一つの輪に一つの技名が記されている。技は彼が会得して免状を許されたもの、つまりは免許だ。
正規の修養過程を踏んだ武人であれば誰しもが大なり小なり、与えられるもので「鎖状」と呼ばれている。
免許の刻印の文字は小さく、加えて肌身はなさず着用しているので擦れて彫りが浅くなっていて、傍目では酷く読みづらい。大打込、振り打ち、余し突き、抜け柄……この辺は初伝だ。最初に習得する初伝や下伝なんぞは、どの流派でも一緒だし、本人が励むのを惜しまなければ数年で誰でも許される。
問題は中伝以降だ。
泥の街出身というからには、兵法の流派は東雲流。
涎、膝無き者、添刃、左添刃、粛清、六歩八進、投げ打ち。あまり聞き覚えのない技が鎖には列挙されている。
「さっきのは?」
細かい刻印を読むのが面倒になり、尋ねる。免状を見せるというのは自分に何が出来て、何が出来ないかという手の内を見せるも一緒。今更、嘘などつくまい。
「さっき?」
「ほれ、さっき卓の角、斬り飛ばしただろう? あの技だよ。机切りとかそんな名前なのかい?」
「机切り————」
イワンは一瞬、ポカンとしてから、それが冗談だと気がつき破顔する。
「抜弧だ。腕で半分、腰で半分、抜刀する。円を描く様に身を捻る姿からとられた名前だというが————上伝のひとつで、屋内戦で用いられる護身の型だ。初見であったかな?」
少し誇らし気な顔だ。こういう顔を雇い主に向けてするような奴を世間知らずというのだろう。
「じゃあ、あんたは上伝者なのかい?」
「一応、東雲流上伝・総許しの身だ。外伝の総許しも得ている」
「ふーん。なんだ、総長だって言うから秘伝とは言わないが奥伝ぐらい貰っているのかと思ったが、意外と大したことないな」
「え? あ、いや、まだまだ修行の身でな。しかし奥伝の内、いくつかは会得している。骨破、己小彼大とか落花満開、泥地溺沈も————」
イワンの面食らったような慌て顔は実に愉快だった。
だが、余り虐めるのも良くはない。
こいつは出来る子だ。
実際問題、総許しを得て奥伝に手を掛けている武人なぞ、この麦の都のような都級の大都会でも数えるほど、恐らくは十人とはおるまい。ましてや泥の街などという田舎街では、それ以上の技を教えられる者も恐らくは居なかった筈だし、奥伝以上を会得したければ多忙な総長を務めながらの片手間修行では不可能だ。それこそ、剣の道一筋に打ち込んで数十年という剣豪がやっと辿りつけるのが奥伝という領域なのだ。
「まぁ、いいんだけどね。それじゃあ雇う条件の話しでもするかね」
言葉を遮り、突っ立ったままのイワンに席を勧める。
嫌味な口調が功を奏したのか、随分と恐縮している。多分、自分が相手を失望させてしまったのではないかと危惧しているのだろう。正直な男だ。宮仕えをしていた頃には、同輩や部下に随分と慕われていたのではないか。
私は何としてもこの男が雇いたくてたまらなくなった。




