第1話 陸亀亭 求人の午後
『麦の都』の船着き場に近い一軒の宿屋・陸亀亭は、水に溶かした灰のような色をした混凝土を街路表層に打った宿場通りに面していた。
道の反対側にはゆったりと『眠り河』が流れ、その水面上を渡ってくる川風のおかげで出入り口を開け放っておけば、夏の午後でもそれなりに涼しく過ごせる。
北向きの出入り口の為、室内は昼間でも薄暗く、川風の運ぶ湿った腐りかけの泥の臭いが漂う。
この陰気な薄暗い店内を少しでも明るく見せようとする店側の工夫だろうが、壁には無数の鏡が掛けられている。
そのせいで、店は実際よりも奥行きや幅があるように見えたし、繁盛しているようにも見える。
酒場の中央には焼レンガを積み上げて作った長方形の大きな囲炉裏があり、これを囲むように客席は配置されている。
囲炉裏は縁まで砂で満たされており、砂の上では輪切りにした杉や檜に火がつけられていた。あえて薪らしく細く割っていないので、激しく燃え上がるでもなく、時間をかけて燻り、炭へと変化していく。その炭の熱はじっくりと囲炉裏の砂に吸収され、砂の中に埋められた様々な食材を蒸し焼きにしていく。
客は銅銭15枚を払えば一刻の間、砂の中に埋まっているものであれば好きな物を、好きなだけ楽しむことが出来る。無論、酒は別料金だが、それでも破格であり、それがこの店の売りとなっている。
砂焼き料理と言えば、荒れ地芋や林檎、川亀の卵が定番だが、ここはやはり麦の都。
眠り河の遙か東を南から北へと流れる『嘆き河』の流域地方では主食の地位にある荒れ地芋だが、この町では見向きもされず、よほど貧しい者でもなければ食用には供されない。
あんなものは、小麦のとれない田舎者の食い物よ————と馬鹿にして誰も口にしようとしないのだ。
この町の住民の八割方は低地人であり、周辺に広がる広大なさまざまな麦の畑は彼らのものだ。
ノームは荒れ地芋のことを、土中から掘り出した太った根っこだと認識しており、そんな根っこを食べることを貧乏臭いことだと思っている。
小さな人間の、ちっぽけな誇りだ。
笑っちまう。
だから、この町でもっぱら砂焼きにされるのは川亀の卵。
初夏に川砂に雌が穴を掘り、産み落とす小さな卵は、この季節ならではの食べ物だ。
香草などにくるみ、砂焼きにするとただ茹でるのとは全く違う味わいとなり、香りのついた白身に塩をふった料理は特に人気がある。
十個に一つほどは、殻を割ると亀の赤ん坊の焼死体とコンニチハをしなくてはならないが、中にはその方が美味いなどと言う強者もいる。
酒場には十卓のテーブルがあるが、その半数が昼間だというのに埋まっている。
大半はこの店に泊まっている客と、その客との商談に訪れた穀物商。
皆、隣の卓の会話を盗み聞きしようと聞き耳を立て、それでいて己達自身の会話が聞き取らせないため、馴染みの者同士では予め決められた符牒で会話している。
結局、皆が符牒を用いるので、時には意思疎通に問題が起こり、それが原因で死人が出ることもある。
まぁ、ご愛嬌というところだ。
店の奥、壁に貼られた一枚の大鏡。
その前の卓が、私のお気に入りだ。
鏡越しに出入り口が一望でき、卓は店の裏手にある中庭へと続く通路にも近い。
いつものようにそこを占拠し、顔見知りのヒーゼンの女給に沼ワニの塩焼きを頼む。
程なくして、焼き上がったばかりの皮付きの前腕が木皿に盛られて運ばれてきた。自前の小刀を取り出し、焼き目のついた皮を剥ぎ取る。皮はブヨブヨとしており、使い古した麻布のようだ。これは食べない。その皮の下から露われた脂っけの少ない白身の肉は固く、噛みごたえがあり、一欠片、口に放り込めば数十回、咀嚼しなければ飲みこめないような代物であったが、本来、淡白な味であるのそれが丹念に干物にされているお陰で随分と旨味が凝縮し、味わい深い。
どこの河でも捕れる沼ワニの白身肉は、安宿の定番料理としてだけでなく、船旅を経験したことのある者であれば日に一度は食卓にのせざるを得ないほど食べ飽きたものだが、新鮮なものを焼いたり、煮込んだりしても、それほどには美味いものではなく、やはり腸を抜いて塩漬けにしたり、風干しにしたものの方が一段、旨味が凝縮されるのか味が良い。
焼きたてのものを頬張り、咀嚼する。
食べ慣れた安心できる味。そういえば、誰だったかは忘れたが以前、この味を評したことがある。
「味付けした雑巾」
その言葉を聞いた時には思わず、上手いことを言うものだと大笑いしたものだ。正に沼ワニの干物というのは、そんな食い物だ。
その「味付け雑巾」を肴に一人、真っ昼間から『麦の都』特産の黒麦酒に酸橘をたっぷりと搾り、呑む。
夏の午後としては最高の過ごし方だが、遊んでいるわけではなかった。
私の表向きの仕事は水運業を営む商会の経営者であり、同時に船長であり、今現在、唯一の乗組員でもある。
船は今、人手が足りず、船を出したくとも出せない状況にあった。急いで乗組員を集めて、約束の日時までに船荷を運ばないと非常にマズいことになる。
マズいことになる————。
簡単に言ってしまえば、依頼された仕事に何かしらの不都合が生じた時、最悪の場合、河の底に行かされるだろうし、最良の場合でも……やっぱり、河の底だ。
両者の違いは、河底に行かされる前に殴られる回数が多いか、少ないかぐらいだ。
親切な相手なら殺してから沈めてくれるだろうけれども、残念ながら私の依頼人が、そんな博愛主義者だった例は過去一度たりともない。
仕事を受けた時、私を含めて三人の乗組員がいた。
エルフの操舵主オーギュスト・レイモン・リオック。
ノームの水先案内人ヴィト・ヴァラキ。
受けた仕事の内容次第で、時には臨時雇いを加えることもあるが、基本は三人だ。
この三人で何でもやって、何度も危ない橋を渡った。
三人ならば何でも出来そうな気がしていた。
だが、そんなものは、私一人の思い込みだったようだ。
長年の相棒だった水先案内人ヴィトは嫁さんの出産が間近となり、家に帰ってしまった。暫くは船には戻ってこないだろう。嫁さんの尻の下の居心地の良さを知っている、この水先案内人は、一度、船から離れるとなかなか戻ってこない。いつものことだ。これはこれで、まぁ、諦めもつく。
だが、間が悪いことに、もう一人の乗組員であり、同時に共同経営者でもあったエルフの操舵手オーギュストに関しては少しばかり話しが違う。
彼とは先日、喧嘩別れした。
オーギュストは私が知る限り最高の操舵手であったし、エルフとしてはそこそこ信頼できる奴だったが、私のやり方に尽く異を唱えられたのでは、気が滅入る。
奴の意見や読みはいつだって正確だし、正解だったが、そんなものが常に最上の利益をもたらすとは限らない。
そもそも、人生に正解を求めるような人間だったら、川船乗りになんかなるべきじゃない。
仕方なく馴染みの定宿である陸亀亭の一角を借り受け、外に貼っておいた求人募集の貼り紙を見た奴が来るのを日がな一日、待っていた。
苦味と酸味の効いたぬるい黒麦酒を呑み、腹が減れば料理を注文し、時間を潰すために水上保険組合の発行している新聞を隅から隅まで読み、顔見知りの同業者や店員と他愛もない話しを楽しみ、賭け絵札で過ごす。
まったく、休暇じゃないのが残念な一日じゃないか。
今回の船旅に熟練の船員は必要ない。
水先案内人の知識が必要な場所に行く訳ではないし、私だって操舵ぐらいできる。
弊社の擁する『切り裂き丸』は帆のない櫂船。
動力となる櫂の漕ぎ手は泥徒。
片舷6体、両舷で12体。いずれも長年、使い込んで一体一体の癖まで把握した自家製の物を用意してある。
必要なのは、他人様の船から荷を頂こうとする料簡を違えた連中から、私自身と、切り裂き丸と、積荷を
「あんた、命知らずにも程があるぜ」
と喝采を叫ばせてくれるような用心棒。それが新たに雇われる連中の仕事となる。