9. 血の港
-Ⅰ-
帝都アイアンウォールから、港湾都市ブラッドハーバーまでは馬を使って二日ほどかかる。一日目にクロスロードを経由し、そこから西に進路を取ると、二日目の正午までには到着するだろう。
クロスロードを出発し、東に昇った太陽がぎらつく頃、レニは百を数えるハンター達と行動を共にしていた。隣には相棒のほかに、友人一人と一匹が並走している。
「レニ、お前大丈夫か。掃討戦は今回が初めてだろう?」
トバイアスがアイシャに餌を与えながらきいた。
「大丈夫。それにブラッドハーバーは初めてだから。どちらかと言えば少しワクワクしてる」
半分嘘で、半分本当だった。レニの瞳はいまや期待と不安、楽しみとで複雑に入り混じり、それは隠せるようなものでもなかった。
「心配するな。俺とトバイアスがついているだろう」
察したブリンクの言葉は心強い。
「足を引っ張らないよう努力するよ」
もちろんこれだけの数のハンターを動員するような大掛かりな作戦に息子を連れてきたことで、ブリンクの中では様々な心情が絡まり合っていることは間違いない。
「良いのか、ブリンク。お前ははじめ反対していただろう。危険な任務だぞ」
トバイアスはレニに聞こえぬよう、小声で囁いた。
「あまり言うな。今でも自分自身が良く分からんのだ。ただ、ずっと帝都に閉じ込めていても、息子は成長しないだろう。あいつが大きくなるのを俺自身が邪魔してちゃあ、父親だと胸を張って言えない気がしてな」
「家族ってのは複雑なもんだな」
理想の父親像に悩むブリンクを、感心した目つきでトバイアスは眺める。そして「俺には無理だ」と笑って付け加えた。
「しかしだ。シルヴェント卿もまた大きな荷物をさりげなく置いて行かれたものだな」
そうトバイアスがぼやいたのは、軍との共同作戦の件だ。忌み嫌いあっている軍とハンターが協力して遂行する作戦といえば、いまのところひとつしかない。
異常繁殖した魔物の掃討作戦。
それは数年に一度起こる現象で、何らかの要因によって膨大な数の魔物が産まれると、例外なく近場の街を襲い始めてしまうのである。数が膨れ上がれば、それに比例した糧が必要となるからだ。魔物にとっての食糧難だとも言えよう。
学者の予測や偵察隊の報告によると、今回はスコーピオンというサソリのような種類の魔物がその数を日に日に増やしており、数日中にもブラッドハーバーへ侵攻してくる可能性があるとの見解だった。
「しかも同時期にふたつも発生するとは、思いもよらなかったな」
トバイアスはどこか腑に落ちない様子だった。
シルヴェントより伝えられた情報によれば、この数年に一度の大イベントが、今年は同じ時に二か所で起きているのだという。ひとつがブラッドハーバーで、もうひとつが東の山脈地帯ブレイド・ピークスである。これはゴラドーン史上初めての出来事であった。
「近頃は各地で魔物の動きも活発化しているからな。予想はできたのかもしれん。まぁブレイド・ピークスにはイリーンが向かっているし、問題なかろう。それよりもだ、トバイアス。お前はウルブロンの件、どう思う」
ブリンクは親友の瞳をまじまじと見つめてみた。
「眉唾ものの噂だろ」
トバイアスは忌々しそうに吐き捨てる。先日の騎士団との苦い会話を思い出しているようだった。
「それにしたって、軍が動きすぎているだろう? 本当にただの噂で終わればいいんだが…。俺はもう戦争はごめんだぞ」
ブリンクの表情は苦々しかった。
「まぁな。これだけ魔物の脅威が迫ってるってのに、そっちに対してはまるで危機感がない。シルヴェント卿も今や軍の言いなりみたいだしな。どうせこの間の会談もウルブロンの話がメインだったんだろ?」
「そう言ってやるな、トバイアス。あのじいさんはじいさんなりに苦労しているのさ。悪にまみれた軍の内部で、唯一の光だ。かき消されないよう、必死なんだろ」
「だがなぁ…。だいたい、ウルブロンが現れたら周辺の安全を確保するってのも、結局は俺達に戦えと言っているようなものだろう?」
トバイアスは肩をすくめた。諦めと呆れの混じったため息を長く吐きだすと「まぁ、いいけどな」と自分自身で答えを出したのだった。
苦笑したブリンクに、トバイアスは思い出したかのように先日きいた話を振った。
「そういえば、帝国軍の指揮を担当するのはアーサーだと聞いた。あんな粗悪な人間が兵を指揮できると思うか? あきらかに人選ミスだろ」
トバイアスは眉をひそめた。その言葉には軽い侮蔑が込められている。
ブリンクはしばらく考え込むと、返事をした。
「まぁ構わんさ。お手並み拝見といこう。俺達はただの遊撃隊だからな。好きなようにやらせてもらおうさ」
「あぁ。だが気をつけろよ、ブリンク。あいつはお前を目の敵にしてるようだからな。蛇のように執念深いやつだ」
「分かっている…」
予定通り、帝都出発から二日目でブラッドハーバーに到着した。
街に入るやいなや、人と人との間をすり抜ける風が強烈な潮の匂いを運んできた。耳を澄ませば街の喧騒の中に、体を揺らすような穏やかな波の音もきこえてくる。レニの眼前に広がるのは、賑やかな水上都市とその先に広がる壮大な大海原であった。
帝都暮らしだったレニが港町を訪れるのは初めてだが、その名前だけはさまざまなところで耳にするので、どんな場所かは大体の想像がついていた。しかし百聞は一見にしかずである。レニは己の想像力の限界を思い知らされると、その場にしばらく立ち尽くしてしまった。
「血の港」とは何とも恐ろしい名前のついた街だが、決して陰気くさい場所ではなく、実際には新鮮な海の幸が味わえると有名でそれなりに活気のある街である。陸のクロスロード、海のブラッドハーバーとも呼ばれるほど商業はおおいに盛り上がっていて、帝都ほどではないが人口も仕事も多く、高い壁にも守られているため、安心、安定した生活を送ることができると言われている。
ブラッドハーバーという名は、ここに軍港があるためにつけられたものである。この軍港はゴラドーンと、敵国であるウルブロンの土地とプロト国とを隔てる<偉大な海>に面している。これはつまり戦時の際にはここがゴラドーン第一の防衛線となることをも意味する。そのために帝国は強力な艦隊を用意し、その中でも浮沈艦と名高い『フェニックス号』率いる無敵艦隊が多くの敵を蹴散らしてきたのだった。数多くの船や船員達が海の藻屑となって消えていったそうだ。フェニックス自身も数えきれぬほどの傷を負ったが、それでも沈むことは無く今に至る。その名に相応しく、次の戦場ではまるで不死鳥のように舞い戻ってくるという強い生命力を持った船であった。
故に戦時中はこのフェニックス号の活躍により、ブラッドハーバーの海を赤に染めるほどの多くの血や油が流されてきたのだった。港町にしてはいささか重たすぎる名前ではあるだろうが、ゴラドーン人にとってはそれでいて誇り高い街なのである。
百人のハンター達はブリンクとトバイアスの指示を受け、魔物の偵察班と見張りとに分かれた。残りは休憩をとりながら待機しつつ、決められた時間に見張りと入れ替わるようにする。ブリンクとレニはひとまず待機することになった。代わりにトバイアスとアイシャが偵察のため、街を後にする。
「レニ、ついてこい。少ない時間だが、街を案内しよう。世界を旅する前に、まずは自分の国くらい知っておかんとな」
テンガロンハットの隙間から、優しい笑顔が垣間見えた。口では手厳しく言うこともあるが、子供の夢を最大限応援してやりたいと思う父親としての気持ちがないわけではない。
ブリンクの後を追い、レニはブラッドハーバーの街全体を見渡せる高台に出た。
高台の下に広がるのは、朝市も行われるゴラドーン一の魚市場だ。強烈な日差しを避けるためのテントが各所に張られているが、人々の賑わいの声までは覆い隠せそうにない。
奥には左右に大きく広がる半月状の漁港があり、そこに大小多数の船舶が停泊している。それぞれの船には特徴があり、黄色や赤などカラフルな色付けがなされているものが多い。高台から見下ろすその風景は、まさに海に広がる花畑と言えよう。
左奥には真っ黒な軍艦も何隻か見えた。おそらくその中でも一際大きな存在感を放っている戦艦がフェニックスであろう。圧倒的なその迫力に、さすがは海の覇者だと感心せざるを得ない。
市場に降りてみると、案の定、街は人で溢れていていつぞやのクロスロードを思い出させるようだった。漁師達が、新鮮な魚が入った木箱を大量に運んでいる。運び込まれた魚を今度は卸の商人が住人に売りさばく。そして魚を買った住人が、それを食す。その場で塩焼きされた魚を食した住人の、形容しがたい顔はそれがいかに美味いものであるかを上手く表現していた。
焼き魚のかぐわしい匂いが一陣の風に乗ってレニの嗅覚を刺激すると、腹を鳴かせた。
「食うか? 俺も腹が減った」
「うん、食べてみたい」
「よしきた。驚くなよ」
ブリンクが二人分の焼き魚を購入し、レニとともに頬張った。
「…うまっ!」
舌に乗せたその瞬間にほどよい塩気と脂が口の中を縦横無尽に駆け巡る。これは例えようのないほど美味であった。
レニとて帝都で魚を食べたことくらいはあるが、現地で新鮮なまま頬張る魚とはまるで次元が違った。焼き目のついた皮は程よくこんがりしていて、それでいて中の身も柔らかくて旨い。
レニは満悦の表情で魚を頬張りながら、遠くの軍港を見てみた。技術者達が軍艦の整備をしたり、労働者が山のような積荷を整理して船に積み込んだりしている。遠くからでも分かるほど、彼らを包む雰囲気はピリピリしているようだった。準備の整えられた戦艦は、今にも戦地へ赴くのではないかと思わせるほどの勢いがある。そうした緊迫したムードが、ふたりにもひしひしと伝わった。
ブリンクも帽子の影から、軽蔑の眼差しを一瞬軍港に送ると舌打ちした。
「やつら、出港の準備を進めているようだな。武器も大量に積んでやがる。強引にでも戦争を始めるつもりか?」
ウルブロン侵入の噂はどうやらブラッドハーバーにも波及しているようである。
「ねえ、ブリンク。戦争、始まっちゃうのかな?」
ふとレニは疑問をぶつけてみたが、ブリンクが返事をするまでには少し間があった。
「…かもしれないな。多分、噂の真相など関係ないのかもしれん。戦争という貨車は既にレールに乗せられて、軍に運ばれていったのかもな」
「なんで、人は争うんだろう。魔物という共通の敵がいるってのにさ」
いつの時代にもある、答えの難しい質問だった。ブリンクにもうまく答えることはできそうにない。
思えば、ジオの始まりや戦争のきっかけなども歴史的には解明されていなかった。もちろん種族による価値観の違いはあるだろう。信仰する宗教だとか、資源の問題だとか、暮らしやすい土地だとか、それはそれで憶測は後を絶たないし、言い出せばきりがない。ともかく、ブリンクが産まれた時にはもう既にジオという世界は争いで満たされていたのだ。
ブリンクが不思議に思ったことがあった。仮に帝国が戦争を始めたとして、正直なところ他国に攻め込むメリットが良く分からない。ゴラドーンはその大陸だけで、何不自由ない生活ができる。つまりゴラドーンが他国で必要としている物がないのだ。もちろん本国を守る為にとか、戦略的に、という面もあるだろう。世界を征服しようだなどという大それていて無意味な理由でなければ良いが。
「何故かは俺にも分からん。だが、戦争を望んでいるのはいつも少数の人間だけだ。そいつらのためだけに争いが起こる。皆が皆、戦いたいとは思っていない。現に俺は家族を守るためだけに軍に入っていたし、ハンター達にしたって誰ひとりとして戦争を必要としていないだろう」
戦争はただただ殺戮の日々だ。愛しあう家族を無情にも引き裂き、無数の悲劇を産み出す。ブリンク自身も家族を失った経験に苛まれていたし、戦場においては誰かの父親や息子を数えきれないほど殺してきた。送り込む弾のひとつひとつがブリンクの罪であった。レニの夢に協力的なのは、そういった過去と目の前の笑顔を失わぬよう、平和な世界を作り上げたいからかもしれない。
―停戦とは言え、せっかく手に入れた平和だ。みすみす崩させるものか。
ブリンクはそう自分の中で決意をしていた。
「じゃあ、もし本当にウルブロンが攻めてきたら、ブリンクはどうするの?」
レニは腕組みをして聞いてみた。本人もシルヴェントに問われて以降、答えは浮かんできていない。
「その時は…そうだな、お前を守るための盾となるしかないだろうな」
顎鬚をなでるブリンクの語気は少し照れを帯びていたが、その表情はいたって真面目である。
「そっか…」
レニにとっては複雑な心境だった。自分を大事に思ってくれる人が居て、その人が自分のために命を差し出す覚悟でいる。ブリンクを失ってしまう時のことを思うと、戦争が迫っているかもしれないという現実を恨まずにはいられなかった。
「じゃあ俺はブリンクを守ってみせるよ。俺の夢はブリンク無しじゃ達成できないだろうからさ」
「ほう。ひよっこが一人前の口をきくようになったもんだ」
ブリンクは息子をからかってはみたが、あんなに小さかった息子がいつの間にか大きく成長していたことを頼もしくも思ったのであった。
「でもさ、ブリンク。今の状況が本当に平和だと言えるのかな?」
レニはブリンクに向き直る。レニにとってはこれが本題だった。
「どういう事だ?」
「戦争が無いから、じゃあ平和だってわけじゃない気もするんだ。実際に今は停戦中っていうだけで、また戦争にならないかってただでさえビクビクしているだろ? そうじゃなくてさ、綺麗ごとかもしれないけど、お互いが手を取り合って助け合えるようになったら、それが本当の平和なんじゃないかなと思うんだけど、違うかな?」
「ふむ。ごもっともだ」
眉をあげ、関心を示したブリンクはこう続けた。
「しかし、今までずっと殺し合って、憎み、恨みあってきた種族同士、いきなり仲良くするというのもなかなかに難しい話だろうな。俺でさえ、抵抗がないと言えば嘘になる」
「そうかもしれないね。だけど何もしない今のままじゃ、それはそれでダメだと思うんだ。何かしらの道があるんだと思う。絶対に無理だってこと、ないだろ? 今は何も思い浮かばないし、見つけたとしてもそれなりに時間がかかるかもしれないけど…」
「道ね…。きっかけとか、本当に些細なものなのかもしれないな。俺とお前みたいに、運命の出会いがあるのかもしれん」
そう言ってブリンクは考え込んだ。運命とはよく言ったもので、世の中不思議なことばかりである。ふたりの出会いにしろ、ブリンクの過去にしろ、予想外の出来事から始まったのだ。いずれ三ヵ国の同盟が成り立ったとして、そのきっかけは思いもよらぬものであるのかもしれない。
「向こうから転がり込んでくれるなら、それにこしたことはないけどね」
考えてもお手上げだ、とばかりにレニは肩をすくめてみせた。
「そうだな、そう期待しよう。さて、そろそろ交代の時間だ」
ブリンクの口元が緩むと、レニははっとした。周りの人間が適度な距離を保ちつつ、こちらを凝視していることに今更ながらに気付いたのだ。
「明日中には『ブラッドハーバーに怪力男現る!』っていう話題で大騒ぎするかもな」
ブリンクは自分のことを棚にあげておいて、くすくすと笑った。
「一面の記事にしといてよ、帝国のカウボーイ様」
レニは精一杯の皮肉を込めると、顔からは心からの笑みをこぼしたのであった。辛気臭い世の中でも、いつも明るく笑いあえるふたりで居たいとレニは願う。