8. 苦悩する守護神達
-Ⅰ-
リーグ・オブ・ハンターズの本部と我が家が待つ帝都に帰還するまでの間、レニはアーサーという人物についてブリンクに尋ねてみたが、彼はだんまりをきめこんでいた。
「軍には一切関わるな、面倒ごとの元だ」
というのがブリンクの口癖のような決め事だったから、レニはそれ以上あえて追求はしかった。ブリンクはあまり軍属時代の話をしたがらない。
とはいえ、そういうブリンクこそハルベルトと睨み合ってみたり、アーサーについて村長に根掘り葉掘り聞きだしていたわけだから、なんとも釈然としないのがレニの本心である。
悪いとは思いつつも盗み聞きした結果、アーサーという人間は「とんでもなく嫌な奴」であることが分かった。畑を燃やしたところから始まり、村人に暴力を振るったり、見える金を巻き上げたりと、サウスウィンドの村をおおいにかき回していったようである。
このような非道な行為をアーサー本人ではなく、部下の兵士に無理矢理やらせた、というあたりがアーサー自身の卑劣さをよく表していた。
だが結局、アーサー個人の人間性が分かっただけで、肝心のブリンクとの関係については何もわからなかった。
サウスウィンドから帝都までの道のりは、間にクロスロードを挟んでまっすぐ北へと進むのみである。この日も先日と同様に、ぎらつく太陽が天空の王座に居座っていて、突き刺すような眼差しを放っていた。滝のように流れ出る汗は拭っても拭ってもきりがない。汗で衣服が体にはりついてしまうほどだ。
レニが暑い暑い、としきりに唸るとブリンクはこう言うのであった。
「お前の財布の中を思い出してみろ。すきま風だらけで涼しいもんだろうが」
「涼しいなんてもんじゃないよ。これじゃ財布を持っている意味がないくらい寒い」
「それじゃ水すら買えんしな」
「水くらい買ってくれよ…、ひどい父親だ」
レニは唸りながらも、たまらず馬の首にもたれかかった。
息子が苦しむ姿を見て満足したブリンクは、大笑いしながら自分の水を分け与えたのだった。
帝都が近づくにつれ、次第にその暑さも抑えることを覚えるようになる。東と西の山脈に挟まれた帝都周辺は日陰が多く、風の通りも良い。追い風が火照った二人の背中を優しくさすると、冷んやりとした心地良さが通り過ぎていく。
あたりは見渡す限りの大草原であり、背の低い草花が風に揺られるさまはまるで緑の海原のようであった。冬が少し寒いことを除けば、帝都周辺は気候的にも安定しており、緑豊かで空気も悪くない。非常に暮らしやすい土地なのである。
しばらくして前方に現れた帝都に、レニはほっと胸を撫で下ろした。たかだか三日程度だったとはいえ、今回ばかりは疲れを感じられずにはいられない旅であった。早く風呂に入って汗と疲れを洗い流し、脳を休めたい。
帝都は半径二十キロにもわたる広大な土地を有しており、その周囲を高さ十五メートルの巨大な鉄の壁に囲まれている。
壁の上には大砲と兵士が多数配置されており、歴史上の攻城戦で敵の侵入を許したことは今までに一度もない。何層にも重ねられた鉄の壁は厚く、降り注ぐ銃弾や砲弾の嵐に敵国はなす術も無く崩れ去ったという。都市というよりはほとんど要塞に近かった。
また戦争での活躍もさることながら、魔物の侵入対策としても同じように優秀な戦績を残してきたのである。
この壁はまさにゴラドーン人にとっての守護神であり、こうした理由から帝都には「鉄の壁」という名前が与えられた。
だがこうした強固な鉄壁に守られて、人々が平和な生活を送られるのは、あくまで壁の中だけに限られる。
実際のところ帝都は人口過多の状態で、金持ちや役人から優先で壁の中の住を分け与えられた。帝都に入りきれなかった貧しい住人達は追い出される形となり、仕方なく外壁の周りに家を構えて生活を営んでいる。レニと出会う前、ブリンクの一家もそうだったらしい。
そんな時に「悪魔の行進」が起こったわけで、外の住人達は甚大な被害を受けた。その間、分厚い帝都の門は開かなかったのだという。
冷たく佇む壁には過去の数々の爪痕が残っていて、その上にまた新たな鉄板による補修、つまり傷隠しがなされている。それが後ろめたい過去をも隠しているかのようで、歴史の闇を感じさせる建造物であった。
「やっと戻ってきたなぁ」
それでもレニは安堵せずにいられなかった。気温は例年と比べて異常に高いものの、建造物の多い帝都では、すぐに日陰を見つけることができる。なんといっても我が家だ。
「三日しか離れてなかったろう。おおげさな」
ブリンクは肩をすくめた。
「初旅だったから」
レニは言うが先か、自宅へと足を速めた。ブリンクの言葉が届く前に。
「どうでも良いが、サウスウィンドでの件はしっかり反省しておけよ…ったく」
帝都は人口でいえばゴラドーン大陸で一番であったが、クロスロードほど活気づいているわけではない。歩く人々は下を向き、会話を交わす者も少ない。建物や人がつくる影の多さが、どこか陰鬱な雰囲気を漂わせる。何かが密かに暗躍していたとしてもおかしくはないだろう。
いつもと変わらぬ暗い街並みにレニはうんざりしていたが、それ以外にも落胆していたことがあった。
自宅に着くやいなや、レニとブリンクはリーグ・オブ・ハンターズからの呼び出しを受けてしまったのだ。大事な招集だというので、慣れたベッドを前にレニは肩を落としたのだった。
どちらにせよ、サウスウィンドでの任務の報告もあるので、ひとまずはふたりとも本部へ向かうこととなった。
本部に入ると、まず目が眩むような真っ白のロビーが出迎えてくれる。壁や床が白一色で統一されているのだ。凛とした観葉植物や華やかな色の家具類が部屋をさらに明るくし、体内に流れ込む空気も青空の下にいるかのように清々しい。清潔感に溢れる本部は、まるで異国の地かと錯覚するほどの建物であった。
リーグ・オブ・ハンターズの創始者であるホワイトは自他共に認める綺麗好きで、中でも白は彼のパーソナルカラーである。ホワイトという別名を名乗っているあたり、彼の白への病的なまでの愛が良く分かる。
ロビーには依頼者向けと、ハンター用とふたつのカウンターがあり、ブリンクがハンター用のカウンターに今回の依頼の完了を報告し、村から受け取った報酬を渡すと、受付の女性が「お疲れ様でした」と声をかけてくれた。ひとまずこれでサウスウィンドでの任務は完了である。
どこか肩の荷が降りたような気がしたレニに、たまたま通りかかったハンターのひとりが声をかけてきた。
「あらぁ、レニちゃんじゃないの? しばらく見なかったわね」
野太い男性の声で、女性のような喋り方をする独特な男だった。野原に優雅に咲く薄赤い花の色をした甲冑を身にまとって近づいてくる。
「イ、イリーンさん…」
レニは声の主が分かった途端、総毛立った。
彼がイリーンと呼んだ相手はとても中性的でつかみどころがなく、執拗に体を触ってくることもあるので、レニにとってはかなり苦手な人物であった。大の男が別の男にべたべたと触られて気分が良いはずもない。
「どこへ行ってたのかしら? しばらく見なかったわね」
レニの気持ちなどお構いなしに、まずは両手で握手を求めるイリーンである。
握手をしたかと思えば、今度は着こんでいる甲冑を体にまとわりつけてくるので、レニは目を瞑らずにはいられなかった。
「お久しぶりです…。ここ三日ほどはサウスウィンドで仕事をしていたので…」
「サウスウィンド? それはまた珍しいこと」
彼の容姿に限っては男の立場から見ても憧れるほど優美であった。歪みひとつない端正な顔立ちに、風にそよぐ金色の毛髪。口ひとつ閉じていれば、女性の渦に巻き込まれること間違いなしの人物なのだ。
なかなかの美青年で若々しく、はじめレニは同年代かとも思っていたのだが、実はブリンクと同い年なのだという。これは何らかの魔術で若返っているのではないかとの噂もあるほどであった。
「ま、アタシもこれからお仕事なの。これからもお互いがんばりましょ」
イリーンがレニの頬を両手で優しく撫でると、レニはその場に凍り付いてしまった。
「じゃあねぇ」
イリーンは手を振り、愉快そうに甲冑を鳴らしてロビーを去る。去り際にブリンクにも投げキッスをすると、ブリンクが身震いをした。
「いつ見ても強烈だ。あんなオネエがうちで三番目の実力者なのだから、世の中よく分からんもんだな」
既にイリーンは本部を後にしていて姿も見えなかったが、ブリンクは何故か小さくレニにささやいた。
恐怖の花が本部を去った後、ふたりはロビーを抜けて奥へと続く通路をひたすらまっすぐ進んだ。目的となる一番奥の部屋までそれほどの距離はないはずなのだが、白という色は空間を実際よりも広く開放的に見せる。
通路の左右には数十の小部屋が用意されていて、中ではハンター達がせわしなく仕事に勤しんでいる様子が伺える。
今現在ハンターの総数は一万人ほどであるが、対する魔物の数を思えば圧倒的に少ない。創立当初は人数が十人程度しかいなかったために、大変な時期を過ごしたこともあったのだという。「悪魔の行進」を境に志願者が激増し、なんとか今の人数にまで膨らませることができたわけなのだが、それでもまだ足りないというのが現実であった。
ふたりは歩く途中の十字路で、これまた珍しい熟練ハンターとばったり出会った。
大きな弓を背負ったトバイアスである。髪は乱雑で整っておらず、ひげは伸び放題で服装も清潔であるとはお世辞にも言い難い。しかし、レニもブリンクも彼とは随分長い付き合いになるし、人懐っこさを帯びた大きな瞳は嫌いではなかった。
「おお、久しぶりだな、ブリンク」
「トバイアス、お前も戻っていたか」
ふたりは握手をして抱き合うと、肩をたたき合って久しぶりの再会を喜んだ。
「トバイアス、お前臭うぞ」
「そう言うな。任務でしばらく風呂に入れなかったんだ」
このふたりの仲はブリンクがハンターに所属した当初からのものであった。ペアとして初めて任務についた時に気が合うと、それ以降お互いを良き理解者として信頼を寄せあってきた。妻子を亡くし、意気消沈気味であったブリンクを慰め、立ち直らせたのも実はトバイアスである。
ハンターの一員となったレニの面倒をブリンクが見始めてからは、トバイアスも遠隔地へ派遣される事が多かったし、しばらくの間音沙汰もなく疎遠となっていた。
「相棒は元気か?」
ブリンクはトバイアスが出てきた部屋を覗き込んだ。
ブリンクとレニの関係のように、トバイアスにも相棒と呼べる存在がいる。レニも良く知った相手で、再会を楽しみにしていたレニは、トバイアスへの挨拶もそこそこに部屋へと飛び込んだ。
部屋の中に突っ伏して休んでいたのは、背景に溶け込むような白と黒の縦縞模様が入った虎である。走りこんでくるレニの存在に気づくと、顔を上げて目を丸くした。
「アイシャ! 久しぶりだな!」
レニはナイフのように鋭い牙を持つ獣に、恐れることなく飛びつき、頬ずりした。
たくましい肉体を持つ白虎も大きくなった親友を認識したようで、気分良さげに喉を鳴らし始める。
アイシャと名付けられたこの虎は、トバイアスの相方としてハンターの仕事に従事している。牙や爪は鋼のように硬く鋭く、しなやかで柔軟な動きを見せるアイシャはそこいらの下級ハンターよりも強く、頼もしい。
「アイシャもお前の顔を見られて、嬉しいそうだ」
トバイアスが満面の笑みをのぞかせると、レニは彼を羨望の眼差しで見つめた。
「いいな、トバイアスは。アイシャと話ができて。俺もアイシャと会話がしてみたいよ」
「言葉だけがコミュニケーションの全てじゃないさ。彼女の仕草や表情を上手に読み取るんだ。親友のお前なら、なんとなく分かるだろ?」
世界には理解しがたい不思議なことが多くあるもので、レニの剣もそのひとつではあるが、トバイアスの能力も負けてはいない。
トバイアスには動物と意思の疎通を取れる能力があり、様々な動物との会話ができるハンターとして有名だった。これは彼が幼い頃、動物に囲まれて生活をしていた時に育んだものだと言い、それを彼は誇りに思っていた。
動物ほど純粋な生き物はほかにいない、というのがトバイアスの座右の銘である。動物達を愛するそんな彼だからこそできる技を、レニは羨ましく思わずにはいられなかった。
レニが彼を尊敬しているのはそれだけではない。トバイアス自身は長弓と呼ばれる弓を操る名手でもある。ブリンクの銃さばきにも負けず劣らず、その扱いは他者が腰を抜かすほど確実性に富み、優れていた。
弓の腕を競う場において、五百メートルも先の的を正確に射貫く事が出来たのは、後にも先にもトバイアスただ一人である。長弓はその大きさ故に矢を引くだけでも相当な力が必要だったのだが、トバイアスは慣れた手つきで連射してみせると、同じ的に全てを命中させた。会場がしんと静まり返ると、思わず感嘆の息が漏れたことをレニは今でも鮮明に覚えている。
そんな偉人のようなトバイアスが、初めてアイシャを連れてきたのはレニがまだ十三の時で、アイシャも生後一年ほどであった。心優しいレニの性格を察知してか、アイシャもすぐに気を許してくれた。言葉は通じずともすぐに意気投合し、それから何度か顔を合わせているうちに無二の親友となったのである。
「すごく大きくなったな、アイシャ。最後に会った時は子猫のようだったのに」
レニは久方ぶりにアイシャに抱きついてみたが、胴が大きくて腕が回らない。レニが覚えているアイシャといえば、抱きかかえられるほどの小さな幼獣だった。しかし上質な毛布のように柔らかい体毛は昔のままで、その心地よさをレニは楽しんだ。
その様子を暖かく見守っていたブリンクだったが、一変して難しい顔をトバイアスに向けた。
「で、俺達が呼ばれたわけは?」
「なんだ、何も聞かされていないのか」
「特にはな」
ブリンクは、トバイアスが一瞬口をつぐませたのを見逃さなかった。
「共同作戦だよ」
その一言でブリンクは理解した。
「ああ…そうか、もうそんな時期か。嫌になるな」
「まったくだ」
熟練ハンターはふたり揃って肩を落としたい気持ちにとらわれた。共同作戦の相手が帝国軍だからである。
ハンター達の軍嫌いは有名だったが、トバイアスも例に漏れず同じであった。むしろハンターである以上、軍のやり方に疑問を持たぬ者などいないだろう。より良い魔物駆除の手段があるというのに、怠慢な軍属たちは耳を傾ける姿勢すら見せないのだ。任務遂行のためなら自然を破壊することもいとわない連中である。トバイアスには信じられないことであった。
「とにかく、ホワイトの部屋へ向かおう」
トバイアスが口笛でアイシャを呼び寄せると、従順な虎は迅速に主のもとへと駆け寄った。
こうして三人と一匹が並んで通路を歩くと、何とも異様な光景が出来上がる。カウボーイに、岩を担いだ青年、そして虎とその主。すれ違う者が立ち止まり、道を譲るのも無理はなかった。
「ところで軍からは誰が来ている?」
ブリンクは小声でトバイアスにたずねた。
「シルヴェント卿だ」
その名前はしばしブリンクの口を閉ざした。
「騎士団が来ているのか」
「無難なところだろうな」
トバイアスは苦笑した。
-Ⅱ-
ゴラドーンには<神々の騎士団>と呼ばれる騎士団がある。現在では帝国軍に属する一部の組織なのだが、その歴史は帝国軍のそれよりも古い時代から存在している。
力無き者に救いを与え、この世の全ての悪を打ち砕く。これを信条として有言実行している、いわば正義の味方であり、軍とはいえ彼らに限っては人々からの信頼も厚い。ゴラドーンで信仰されている神々からの神託を受け、剣と盾を手にした騎士達はその勇ましい姿を戦場で披露してきたのだという。数々の絵画や物語にも登場するほどである。
しかしながら昨今では宗教が軽視され始めたうえに、銃の登場によってその存在意義はかなり薄れている。民との関係は良くとも周囲では時代遅れとまで蔑まれ、新たな志願者も激減し、その存続自体が危ぶまれていた。次第に帝国軍に吸収される形となり、今に至る。
「入れ」
ブリンクが真っ白な扉をノックすると、すぐに返事があった。その一言は扉を隔てていても、耳に届くまでに失墜することのない迫力を伴っている。
扉の先はリーグ・オブ・ハンターズの総司令であるホワイトの執務室になる。床には磨き抜かれた白の大理石が敷き詰められており、椅子も机もその部屋にある全ては白で統一されていた。解放感のある大きな窓から太陽の光が差し込むと、床や壁に反射して部屋全体に広がる光の渦を作る。美麗さで言えばなかなかの物なのだろう。だがレニはいささか過ぎた趣味ではないかと怪訝に思うこともあった。
レニがこの部屋に入ってホワイトと対面するのは久しぶりであった。ブリンクとの関係が無ければ、新米であるレニがここに訪れることなど一生に一度もなかったかもしれない。
部屋の奥には清潔そのものとも言える初老の男性が、純白でひじ掛け付きの椅子に悠然たる態度で座っている。整えられた白髪に、これまた白の上等なスーツを着込んでいるのだから本当に白という色が好きでたまらないのだろう。
総司令であるホワイトと、目の前にいるブリンクとトバイアス、先ほど会ったイリーン。なんと変人の多いことか。レニは石の大剣を軽々と振り回す自分を棚に上げ、ハンターという職種を笑わずにはいられなかった。
「皆、常日頃の任務ご苦労である。レニもアイシャもよく従事してくれているな」
ホワイトは人の好さそうな笑顔を投げかけると、テーブルの右側の席をすすめた。レニ達も挨拶を返し、言われたように席につく。
テーブルの向かい側にはトバイアスが言っていたとおり、甲冑を身にまとった騎士が三人いた。ホワイトと同年代と思われる銀色の甲冑を着た男性に、青の甲冑を着た女性騎士、金色の甲冑を着た三十代の伊達男。三人とも堂々とはしているが、決して驕った態度ではない。今の時代にはない勇ましさが見え、レニは憧れの眼差しを隠しきれずにいた。
騎士が三人揃って席を立ち、深々とお辞儀をした。
「忙しいなか、お集まりいただき感謝いたす」
銀色の老騎士が言った。
「こちらのおじい様がシルヴェント卿、それとご息女のレディ・メリッサ。そして金色に輝く彼がサー・ルークだ」
ホワイトは少しおどけて三人を紹介した。その様子を見るに、シルヴェントと呼ばれた熟練騎士とは古くからの知り合いで、深い交流もあるのだろう。
シルヴェントが気を悪くした様子は無く、穏やかな笑顔を見せた。その表情はとても寛容でレニは不思議な包容力を感じた。それでいて年齢のわりには堂々たる体つきである。今までに潜り抜けてきたいくつもの戦場を、強靭そうなその肉体ひとつで表現しているようだった。
「おじい様と言われるほど年は取ったが、まだまだ体は衰えておらぬよ」
シルヴェントは蓄えた白髭をなでた。もちろんその言葉に嘘は無いだろう。
そんな父の様子を横目に、右隣にいた青の女性は静かに席についた。見た目健康的な彼女だが、口は一文字に閉じられてしまっていて無表情だった。シルヴェントの娘というからにはブリンクと同年代である。寡黙なところが騎士らしいといえば騎士らしいが、正直言って男性的な顔立ちには女性的な美しさが少なく、何とも近寄りがたい雰囲気を漂わせていた。
シルヴェントの左隣に座る黄金色のルークは、見たところなかなかの偉丈夫である。実はレニはルークの名前を聞いたことがある。というよりもルークは、帝都では有名なほど好色でお喋り好きなのだった。これほどの色男を放っておく女はいないとまで言われているほどだ。閑談好きな口が落ち着きなく色々な形に動き、糸が切れればすぐにでも口が暴れだしそうである。
レニも落ち着かないのは同意せざるを得ず、大人同士の堅苦しい会話ほどつまらないものはないと思っていた。トバイアスとの席の間に行儀よく座るアイシャの頭を撫でながら、レニは大人達の会話をある程度聞き流すことにしていた。気持ちよく響くアイシャの喉の音のほうがよほど心地よい。
会話の序盤はほとんどがホワイトとシルヴェントの昔話だったが、いつのまにかシルヴェントとブリンクへの話に変わっていたため、これにはレニも少し耳を傾けることにした。
「ブリンクよ、騎士にはならぬか?」
シルヴェントは笑いながらブリンクに話を振った。
「冗談は辞めてください、シルヴェント卿。軍も騎士も同じ組織でしょう? それに俺は剣が苦手です」
二度と軍には戻らない。ブリンクが口癖のように言っていたことだ。
シルヴェントもブリンクを理解しての冗談である。ふたりはブリンクが軍に従事していた頃に、いくらかの交流があった。ブリンクが軍を嫌う理由は多々あるが、騎士団に対してはそう敵愾心があるわけでもない。
「うむ、愚問であったな」
シルヴェントの笑いはつられてしまうほど豪快である。見ていて清々しく、ついつられてしまう。
「騎士もだいぶ人数が減ったのだろう?」
ホワイトが問う。
「そうだな、今は五百人ほどしかおらぬよ」
シルヴェントは少しばかり悲しい顔を見せた。五百といえば、二十万はいる帝国軍のうちのほんの一部にすぎない。人数が減った原因は、ひとつに看板となる帝国軍の評判自体が悪いというところにもある。救済策として帝国軍に組み込まれてみても、結局は悪循環に陥るだけであった。
「レニ君と言ったか、おぬしが良ければ歓迎するぞ」
急に振られてレニは驚いた。
「噂もよく聞くし、君の剣はなかなかに興味深い。素質はかなりあるんじゃないか」
返事にまごついていると、それこそ噂の多いルークが付け加えた。
「それは、ええと…」
「冗談だよ」とトバイアスに頭を軽く叩かれて、レニは我に返った。シルヴェントもまた高笑いしている。
もちろんレニにはハンターを辞める気などさらさらない。しかし即答できなかったのは、シルヴェントの言葉が冗談には聞こえないほど重々しかったからであった。
騎士団は軍に属していながらも、軍とは性質が全く違う。時代にそぐわないとは言われていても、今のゴラドーン帝国軍に必要な精神を彼らは持っているのだ。なんとも皮肉なことであった。
「父上、そろそろ本題に入らねば、時間がいくらあっても足りません」
縫い付けられたような唇を静かに開き、辛辣な言葉を発したのはシルヴェントの娘、メリッサだった。
「おお、すまぬな。そうであった」
シルヴェントは椅子に深く腰掛けると、困った顔をした。
「共同作戦については既にホワイトに依頼したとおりじゃ。その件は頼む。それとは別に相談があってな。このような場を設けてもらったのは、そのためなのじゃが…」
シルヴェントは顎鬚を何度も撫で、もったいぶる素振りを見せる。しばらく間を置いて、話が始まった。
「ウルブロンがゴラドーン大陸に侵入しているという噂があるのだ」
てっきり共同作戦の話が主だと思っていた熟練ハンター達は、この話に目を丸くした。事前にハルベルトから聞いていたレニとブリンクにも、初めて耳にしたトバイアスにも、その言葉はずっしりと重たくのしかかる。
「先ほども少し話は聞かせてもらったが、その情報に間違いはないのか」
沈黙の中、ホワイトが口を開いた。この話が本当であるならば、十五年もの間続いた平和は崩れ去ることとなり、また血生臭い戦が始まろうとしている。
「わからぬ。ワシが知る限りではただの噂であるという情報でしかない。それも、目撃されたウルブロンは子供ひとりだけだという」
「おかしな話だ。ウルブロンが海を渡れるはずもない。子供となればなおさらだ」
ホワイトは噂を疑った。
ウルブロンの土地からゴラドーン大陸へは偉大な海を渡らなければならず、ウルブロン族は船を一隻も持っていない。彼らの土地は極寒の地なので、船のもととなる木材を確保できず、仮に出来たとしても船を作る技術も無い。海を渡る手段はほとんど無いのだ。
「子供は密偵で、本隊はどこかに潜んでいるという推測も出ておる」
シルヴェントの語りは歯切れが悪かった。
「どうも納得いかぬような話しぶりだな、シルヴェント」
「…うむ。どうも噂が独り歩きしとるようでな。大体、噂ひとつで軍がここまで躍起になるとは思うてもおらなんだ。情報の信ぴょう性もかなり怪しいというに…」
「俺もサウスウィンドでハルベルトに話を聞きましたが、どうも軍そのものが戦争を望んでいるように見えなくもない」
ブリンクの言葉にシルヴェントは大きく頷いた。
「可能性は十分にあるのう」
ゴラドーン側でありもしない理由をでっち上げ、戦争に持ち込むという手もある。特に、ハルベルトなる狂戦士を見た後であるから、その可能性も否定できないように思えた。
「長い平和が続いて、血に飢えておる者がいるのも事実。実際、ウルブロンを恨む人間などいくらでもおる。きっかけさえあれば、軍はすぐにでも開戦を宣言するじゃろうな」
「ハルベルトなんかは特に喜ぶでしょうね」
ブリンクはハルベルトの狂気じみた顔を思い出すと、苦り切った表情を浮かべた。ウルブロンの噂にしても、ハルベルト自身が流したデマではないかとブリンクは推測しているのだ。
「奴も困ったもので、全くもって手に負えん。腰巾着のアーサーも、各地で相当暴れておるようじゃのう。恥ずかしながら、軍内部は見ても分かる通り、取り返しのつかぬほどに腐敗が進んでおる」
銀色の老紳士は目を閉じたまま天を仰いだ。
「で、シルヴェントよ。お前がここへ来た理由は?」
ホワイトの眼差しが鋭くなる。
「わしもあまり気乗りする話ではないが…」
シルヴェントがそう言って次の言葉を出すまでには少し時間がかかった。
「これは総帥直々の要請であるが…。仮に戦争がまた始まったとして、ハンター諸君にも参戦を願えぬだろうか」
場を占めていた緊張の渦は巨大化し、その場にいる全員を巻き込んだ。つまり軍は手練れ揃いのハンターを傘下に置きたいというわけである。ブリンクにしろ、トバイアスにしろ、その能力は喉から手が出るほど欲しいに違いない。今回シルヴェントら騎士団が派遣されたのも、友好的に話を進めるためであった。
ブリンク達が顔をしかめるのとほぼ同時に、ホワイトが静かに口を開いた。
「総帥の命とはいえ、それは本気で聞いておるのか?」
冷静さというオブラートの中に怒りが包まれているようであった。それにシルヴェントが気おされることなどなかったが、蓄えた髭の中では唇を強く噛みしめていた。
本来、軍と騎士団とは別ものである。それが軍の一部として吸収されてからは、騎士団の立つ瀬はあまりにも狭かった。騎士団のトップであり、精神そのものとも言えるシルヴェントは、立場上軍に従わねばならぬ一面と、騎士団として貫き通すべき道義との間に挟まれて身動き取れずにいるのだ。
「むろん、おぬし達の言い分は重々理解しておるつもりだ。このような頼みごとも初めてではない。わし個人としては、ハンターにはハンターとしての重大な役割が他にあると思うておる。魔物を野放しにしておくなど、それこそ危険極まりないからの」
「戦時中も今も我らの答えは変わらぬよ、シルヴェント。申し訳ないがな」
ホワイトがため息まじりに言った。
「そうであろうな。頑固なおぬしを説得できると思うてもおらん」
「私が頑固かどうかという問題ではない。リーグ・オブ・ハンターズは戦争のためにつくられた組織ではないのだから、当然のことだろう」
ホワイトはぴしゃりと言葉を叩きつけた。
「分かっておる。そこでじゃ。戦になったとして兵として参加してほしいとは言わん。わしが本当に頼みたいことは、ハンター諸君が任務中にウルブロンを見つけた場合の報告と、その周囲の安全確保じゃ。相手が魔物でなくとも、おぬしらの仕事は民を脅威から守ることじゃろう?」
シルヴェントの依頼は少々押し付けがましいものであったが、理にはかなっている。もちろん、それをホワイトは快く思わなかった。安全確保とは言うが、結局はハンターを危険な目に合わせ、戦争の道具として利用しようとしていることに変わりはない。
「確かに間違いではない。しかし本来、まっさきに国民を守る盾となるべきはお前達、騎士団であり軍であろう」
「うむ…。だが我らだけの力ではどうにも手に余る」
「何のためにゴラドーンに三十万もの兵がいるのだ。彼らを使えば問題あるまい。まさか軍に組み込まれたことでお前自身も腐敗したか、シルヴェント」
その答えはテーブルを叩く拳の音で返ってきた。メリッサのものである。
「父上を侮辱するつもりか」
人一倍騎士としての自覚が強いメリッサには、ホワイトの言葉が我慢ならなかった。騎士団の根幹である父を侮蔑されることは、騎士団そのものを否定されることと同じである。もちろん彼女とて、騎士団の社会的立場を十分に理解しているつもりである。その現状をどうにもできない自分自身にも腹を立てていた。
「気に障ったのであれば失礼。しかし、私は思うのだ。かつては人々を守る盾となり、悪を切り裂く剣ともなる、光り輝いていた騎士団はいまや影も形もない。あるのは軍に寄生しているだけの弱弱しい組織だけだ。人々を守りたいと願う正義がお前達に少しでも残っているのならば、まずは軍の腐敗を内部より正し、戦争にならぬよう努めるべきではないのか。違うか、シルヴェントよ」
シルヴェントは黙って聞いている。
「魔物の数は年々目に見えて増えている。私たちでは対処しきれぬほどにな。軍が真面目にやらぬから、国民への被害も尋常ではない。あるかどうかも分からぬ噂よりも、確かな現実であり、驚異であるのだ。苦しむ人々を見捨てておいて、戦争だと? ふざけるな!」
ホワイトはテーブルを叩いた。
目を大きく見開いたメリッサは、今にも飛びかかりそうなほど前のめりになった。無口な彼女は、その内に激しく燃える怒りを秘めている。しかし正論を突きつけられてしまうと、飛んだ威勢はすぐに失速して真下へと墜落するのであった。
「まぁ待てメリッサよ。おぬしもそう態度を荒げては、自ら我らが腑抜けであることを認めるようなものじゃ。確かにホワイトの言うとおり、我らも我らで軍内部の改革を進めねばならん。戦争になれば多くの犠牲者が出てしまう。その時たった五百の騎士団ではどうすることもできぬ。ならば、戦争が起こらぬよう努めるのも我らの使命」
ホワイトとシルヴェントのやり取りはこの調子でしばらく続いた。ルークとレニが、いつ掴み合いや殴り合いが始まるのかと、はらはらして見守っていたほど雰囲気は淀みきっている。
しかし、当のホワイトとシルヴェントの間には互いに向ける嫌悪感など一切なかった。これはふたりが本音をぶつけ合える間柄であるからだ。もともとおっとりとした優しいシルヴェントと、せっかちで歯に衣着せぬものいいをするホワイトとの会話は基本的にはこんなものであった。長年の間に築いた信頼関係の賜物である。
ホワイトもシルヴェントを想ってのことだった。今の騎士団は、本来あるべき形を取っていない。ホワイト自身、騎士団の重要性はよく理解している。ゴラドーンに必要な一本の柱となり得るはずなのに、帝国軍の存在がそれを邪魔しているのだ。なんとも腹立たしい思いである。
そんな彼の想いをシルヴェントは理解していないわけではない。だが現段階では騎士団が一組織として意志を貫き通すのは極めて難しかった。望まぬことであっても、軍としての任務を全うせねばならない。
「皆も一つ念頭に置いておいて欲しい。仮に噂が本当であって、ゴラドーンが狙われているのであれば、どうしても戦争を避けられぬ場合もあろう。その時は、戦火がおぬし達や一般国民にまで飛び広がらぬよう全力を尽くそう。しかしいつの時代の戦争も、無関係の人間を平気で巻き込んでゆく。おぬし達もゴラドーン人である以上、ウルブロンから見ればひとりの敵じゃ。対峙した時、一体どうする?」
ハンターが全員閉口すると、長い静寂が訪れた。シルヴェント自身、自ら発した疑問を突き返されるような気分でもあった。
三種族が手を取り合う日を夢見るレニには、この日一番に重たい話である。なぜ人は殺し合う必要があるのだろうか。資源、金、自らの野望、復讐…。理由をあげればきりがない。
レニは小さな頭脳で考えた。土地が欲しいというのならば分け与えてやれば良いのではないか。ゴラドーン大陸は広く、土地も余っている。資源が必要であるのなら、それも与えればいい。戦争さえ無ければ、タイタンや銃などを作る資源も大量に残るだろう。レニが思い描く国際的なハンター組織が出来上がれば、魔物の脅威も格段に減らせるはずなのだ。なのに、なぜそれができないのだろうか。
もちろん、国と国との関係というものはそう単純な話では済まされないのだが、平和へと導く方法としては悪くはなかった。しかし、長く続いた争いは国同士の間に大きな溝を作りあげてしまっていた。溝を走るのは溢れんばかりの血である。血の激流が収まり、川を渡ることができるのはさていつになるのか、レニには見当もつかなかった。