6. 子供の成長
-Ⅰ-
サウスウィンドに戻ってきた時には陽は山の谷間に消えかけていて、あたりは昼と夜の混じった黄昏に包まれていた。昼間の反動からか、外は少し肌寒い。
薄暗くなっていく世界では、村人達の表情までは良くわからなかったが、子供達の帰りに皆が胸を撫で下ろしている様子ではあった。抱き合い、温もりを感じ合うことで互いの生を確認している。湧き上がる声には喜悦が混じり、誰もが随喜の涙を流していた。喜びの波は、夜を越えて明日まで続くと思われる。村人達は夜に備えて、各所に設置するかがり火の準備を始めていた。
肩を落としたレニは、そんな様子を瞬きも忘れて眺めていた。おぼろげなその視界に、村長夫妻と無事に帰って来た彼らの息子とが映る。再開に喜び涙する村長一家は、二度と離れぬよう、きつく固く抱きしめ合っていた。
本来であれば、レニにとっては任務の達成感を感じる最高の瞬間になり得るはずだったが、彼の頭の中は無論それどころではなかった。肩をたたかれるまで、ブリンクが近付いてきたことにすら気づかなかったほどである。
「お疲れだな」
ブリンクはレニの隣に座って、同じように村人達の様子を眺めた。肩を叩いた手には、わずかな動揺が伝わっていた。
しばらく二人の間に沈黙が流れたが、耐えかねたレニが口を開く。
「ごめん、ブリンク。俺、失望させてしまったね」
息子の懺悔にブリンクは眉ひとつ動かさなかった。ブリンクとて大事な愛息子を失わずに済んだのだから、これ以上の喜びはない。しかしながら、ハンターの先駆者としては甘やかすわけにもいかなかった。
「今回はお前の能力を考えて、帝都を飛び出せるような任務を選んでみたが…」
ブリンクは言葉と言葉の間に、ゆっくりと溜息をついた。
「失敗だったな」
「ほんとに、ごめん…」
レニは胸を鋭い刃物で斬りつけられる思いだった。彼のプライドはこれ以上ないほどずたずたに引き裂かれ、すっかりと自信を失くしてしまっている。
「お前は確かに強いが、残念なことにまだ世界に通用するレベルじゃないようだ」
冷気を帯びたブリンクの声は、レニの心を一段と重たくさせる。
初めて帝都の外に出てきたことで、レニは現実を突きつけられてしまった。これまでは正義に燃える自分に酔いしれ、感情のままに突き進んで、それで何とかなっていたのだ。なんて楽な仕事なのだろうかと思っていた時期もある。
だが一歩自分の輪を飛び出すと、そこには数えきれないほどの死が散りばめられていたのである。今回の件は、そのうちのひとつでしかない。そしてその世界に住む人間は更に遠くを旅している。
レニは所詮巣から転がり落ちた、くちばしの黄色いひな鳥だった。ベルゼブに捕まって死を覚悟したあの一瞬は今でも鮮明に蘇り、思い出すだけで手が静かに震えだす。強大な力を前に、成す術もなかった。
こういった体験はむしろレニの成長過程としては大事なものだった。自分だけの小さな世界で図に乗っていた彼は、その鼻っ柱をへし折られてしまったわけではあるが、おかげで今後の課題や自分の持つ能力がどの程度なのかを計り知ることができたはずなのである。
この世では、力の強い者が必ず勝つとは限らない。弱い者は弱い者なりに、環境を利用し、策を巡らせて相手に立ち向かう。戦争でも同じことで、力押しだけで勝てるのであれば、世界一の兵力を有するゴラドーン帝国は既にジオ全域を支配しているはずなのである。
ブリンクが知る限り、レニは類まれなる剛勇であり、実はこの日出会ったベルゼブの近衛兵も遠く及ばぬほどだと熟練ハンターは見ていた。だが、ベルゼブはレニの人としての未熟さを逆手に取り、彼の恐怖心を煽ることで優位に立てた。力の差を覆す方法はいくらでもある。そういった駆け引きをレニはまだ知らない。
それこそブリンクが愛弟子に気付いてほしいものだったが、果たしてレニがどう感じ、どう動いていくかこの段階では分からなかった。
ただそれとは別に、レニの震える手を見る父としての瞳には珍しく戸惑いの色が見え、何かもの言いたげであった。
-Ⅱ-
その日はもう日没だったこともあり、二人は村長の計らいで空き家を寝床として使わせてもらった。長い期間手入れされていなかったためか、家具の上には絨毯のような埃が積もっていて、あまり清潔であるとは言えない家だった。しかし風呂があり、布団も村長宅の余りを借りた。危険な野宿の多いハンター二人にとってこれ以上の贅沢はない。
レニは床に敷いた布団の上で仰向けになると、単純に丸太を並べただけでできた天井を見上げた。
「眠れそうか?」
古びた木製椅子の埃を払い、それに腰かけたブリンクが問う。
「多分大丈夫」
レニの本心はそうではなかったが、そうとでも言わなければ落ち着かなかったし、ブリンクにはこれ以上心配をかけられなかった。
それだけの会話が交差すると、二人はそれぞれの想いに無言で向き直った。
レニの中では、今回の失敗を反省し、経験を次に活かしていこうとする前向きな自分と、ブリンクをいかにがっかりさせてしまったかや、己の力量不足で思い悩む自分とがないまぜになって、混乱の渦を巻き起こしている。
ブリンクは床に置いたガンケースの上にテンガロンハットを乗せると、眼を閉じた我が子を見つなおした。その姿は、十五年前に亡くした彼の実子と重なる。どんなに憎たらしい子でも、寝顔を見せれば可愛いものだ。レニは二十という齢で子ども扱いできぬ年ではあったが、いくつになろうと子供は子供であり、愛らしく思うものであった。
ブリンクは世界一のガンマンであり、また世界一過保護な子煩悩でもある。もし彼が真正直な人間で心を公然にしていたなら、親バカの筆頭として有名だっただろう。もともと子供好きな性格もあるのだろうが、これにはもちろん彼なりの理由がある。
「あの子も生きて大きくなっていたら…」
ブリンクは心の中で悲しく呟いた。想えば想うほど、レニを見れば見るほど、胸が苦しかった。妻子を失った過去は、今でもブリンクの胸に大きな傷痕を残している。心臓のすぐ隣に棲みつき、事あるごとに心を締め付けてくる。それはまた、彼が二度と同じ過ちを繰り返さないための戒めでもあった。
レニまでも失うわけにはいかない。ならば親として言うことはひとつである。
歴戦の勇者である彼は、このときばかりは自らの勇気の助けが必要であった。
「レニ…。お前はハンターを辞めたほうがいい」
喉の奥に引っかかっていた言葉が、ブリンクに痛みを与えながらもぎこちなく飛び出した。
やはり、言わずにはいられなかった。
突然の衝撃にレニが飛び起きたのは言うまでもない。いつもの冗談かとも思ったが、ブリンクの表情は
今までに見たことがないほどに不安と憂いを帯びている。何よりも本気である証拠だった。
「え、何で? 俺が失敗したから?」
「そうじゃない」
お前に死んで欲しくないからだ。その簡単な一言は、ブリンクには言えなかった。
「じゃあ何でだよ? 理由を教えてくれよ!」
「夢を教えてくれたろう」
その一言でレニは、ブリンクの言わんとすることがわかった。
レニの夢は他国を巡ることであり、不可侵条約が結ばれている現在では到底実現できない話なのだが、長生きでもしていれば、あるいはいずれ旅する機会に巡り合うかもしれない。しかし、ハンターという危険な仕事を続けている限り、早い段階で突然の死に遭遇してしまう可能性も否定できない。若ければ若いほど、未熟ならば尚更確率は高くなる。
現実に今日、幼き夢が消えかけたのだから。
「お前が本当に海を渡りたいのなら、ハンターなど人生の浪費に過ぎん」
レニの夢を建前として使ったのはいささか卑怯であったかも知れない。しかし打ちひしがれたレニの姿を見る限り、それが絶大な効果を与えたことは明らかだった。
「今すぐにとは言わないさ。お前が素直に応じるとも思ってない。ただ、お前自身で考えてみろ。望む未来を掴みたいならな」
そう言うと、ブリンクは自分の寝床でさっさと横になってしまった。冷静さという仮面を被ったカウボーイは、その仮面の下に心苦しさを隠していた。ただ、これで良いのだ、と自分に言い聞かせ、今夜は眠ることにしたのだ。
レニも言い返す言葉に迷い、半ば自棄になって横になったが、悶悶とした中で眠りに就くのが至難であったことは言うまでもない。
親は子の気持ちを、子は親の気持ちを、時として理解できないし、しないものである。
窓の外は、夜に朝日が昇ったかのように明るかった。轟々と燃え上がる複数のかがり火の中心で、村人は歌を歌い、祈りを捧げた。犠牲になった八人の村人に鎮魂歌を送り、子供達の無事を天に感謝した。果たして、その声は誰かに届いたのであろうか。
真の闇が迫る前に、村人達は我が家へと消えていった。
-Ⅲ-
夢路を歩きながらも、レニは悩んでいた。
ハンターは彼の憧れの職であり、ブリンクと共に過ごす名分でもある。一方、未来の予想図において、レニは外国を旅しているはずなのだが、この二つの道はなかなか相容れないようで重ならない。どうにか、ハンターという職業を持ってして、海の向こうへと渡れないものかと、理想的なことばかりを考えていたのだった。
せっかくの人生である。ゴラドーンという広い大陸で、狭き一生を終えるなど、全くもってもったいないとレニは思った。しかしブリンクという存在にしがみつき、世界を限定してしまっている自分がいるのも事実で、レニは更なる矛盾の泥沼に足を取られていった。
浅い眠りと現実とが打っては返す波のように押し寄せる中、緑色の光を放つ球体が現れた。レニの目の前で激しくも清らかに光っている。
球体は次第に大きくなり、やがてレニを包みこんだ。肉体が癒され、心まで洗われるような心地よさがある。頭を重くする苦悩など消し飛んでしまい、頭の片隅まで暖かな光で埋め尽くされた。
その光はレニにいくつかの印象を与えた。何者にも恐れぬ勇気。万人をも包み込む無償の愛。いかなる暗闇にあっても光り輝く希望。不思議な光からこれら全てを分け与えられたかのようであった。
一体この光は何なのだろうかと考えるうちに、レニは深い深い眠りへと沈んでいってしまった。
翌朝、レニは昨夜見た夢の内容などすっかり忘れてしまっていた。所詮夢は夢である。目覚めて現実に戻れば、忘却の彼方へなんとやらであった。とはいえ、十分な休息を得たことで頭の中がすっきりと晴れ渡ったのをきっかけに、レニはいくつかの答えを導き出した。
「ブリンク。俺、決めたよ」
決意のこもったレニの瞳を見て、ブリンクは「ようやくか…」と彼のハンター辞退を期待したのである。
「そうかそうか」
だが期待は、朗らかながらもどこか真剣な顔のレニに裏切られた。
「ハンターは辞めない! 俺はリーグ・オブ・ハンターズを世界に広げようかと思う」
「な、何?」
「聞いてくれよ、ブリンク。俺はハンターを続けながら、他国を旅する方法を考えてみたんだ」
将来、停戦協定が解け、戦争が終戦となった日には、他二か国にもリーグ・オブ・ハンターズの支部を建てるというのだ。あちらの大陸でも魔物は生息しているという話だったから、その土地で生活を営む人々も同様に苦しんでいるはずなのである。というのがレニの単純な想像だった。
これは本当の意味で「夢物語」のままで終わってしまうであろうほど、難しい話である。
困難である理由として、支部にはその国の者を採用するという条件を出したところだった。今現在ゴラドーンのハンターは一万程度の人数だが、これ以上増やすとなると志願者が圧倒的に足りない。ともなれば大陸の外で募集すればどうかとレニは考えたのだ。
これは、他国の人間を知らぬレニには難問となるだろう。果たしてレニの意見に賛同する者が、国内国外を問わずいるのであろうか。終戦したからと言って、互いが仲良くできるとも限らない。歴史に始まりの日が載っておらぬほど、国同士の争いは長かったのだ。
そして最後にレニは、他国へ交渉する際はブリンクを巻き込むつもりだが、最終的には自立をするのだと胸を張った。
絵空事のような話にブリンクは呆れたものだった。よくも短時間でこれほど大きな目標を立てたものだと。呆れながらも感心した。
かつてブリンクも、若い頃は帝国軍の在り方に疑問を覚え、俺が変えてみせるのだと意気込んでいた時期があった。結局力及ばず、変えることもままならないまま、退役してしまったが。
子供の辿る道は、案外親の辿ってきた道であることが多いのかもしれない。そう思うと、怒鳴るに怒鳴れなかった。
「まったく、お前ってやつは…」
もうレニは幼い頃とは違う。後ろに隠れて何事にも怯えていたあの子は、いつの間にか自分を通り過ぎて逞しい背中を見せつけているのである。十五年という歳月はあっという間だった。
わがままで大人気なかった昨日の自分をブリンクは恥じて、笑った。成長をしていないのは、もしかしたら自分なのだろう。
他人とは思い通りにはならぬもので、子供だって例外ではない。「こう育って欲しい」とは考えていても、どう育つかはやはり分からないのだ。だからこそ、子育ては面白いのである。ブリンクはそれを再認識させられた。
「これからもよろしく頼むよ! ブリンク」
「はぁ。たった一日で回復するとは。お前の心が石でできていることを、すっかり忘れていた」
結局、我が子に甘いブリンクは昨日のレニを許してしまったのである。もちろん今までよりも厳しく接するうえで、命令には絶対に従うようきつく言いつけた。
ハンター以外の道を歩んでほしいという、ブリンクの目標も決して諦めたわけではない。何かがあれば辞めさせるぞ、と脅したのだった。レニにはそれだけで十分良い薬となったようだ。
レニとて理解していないわけではなかった。二度目の失敗がどんな意味を持つのか。それはほとんど確実な死へと繋がるであろうから、二度と同じ轍は踏まぬと心に強く刻み込んだのである。
そして、レニはもうひとつの答えを出した。サウスウィンドの一件では、自分の報酬分を受け取らないと言う。良い勉強をさせてもらったのだという口実で、村に少しでも生活を続ける費用を残しておきたかったのだ。
「良いのか? レニ」
「いいさ。魔物に苦しめられていた人達が、少しでも幸せになってくれれば」
村長をはじめとして、村人達はレニの人柄に感謝した。子供達が無事に帰ってきたところで、当面の生活費も無い状態だったので、さてどうしたものかと悩んだ先でのことだった。
レニの報酬にブリンクの分もいくらか上乗せすると、それだけで相当な額を戻すこととなる。生活費だけではなく、孤児となった子供への見舞金、畑の修復費用など、村を立て直すために必要な金額が彼らの手元に残った。
ブリンクは嬉しかった。レニが持つ優しさは彼の長所なのだ。願わくば、この先世間にもまれたとしても、その優しさだけは失わずにいて欲しいものだった。
「しかし全部渡してしまって、お前の生活費はどうするんだ」
「あっ」
思い出して、レニは一瞬情けない顔をした。そこまで考えが至らなかった、と顔に浮き出ている。
「た、食べ物くらいは頼むよ、ブリンク」
「何言ってんだ。飯抜きだろう? いつまでも親の脛をかじるな。それこそ良い勉強になったじゃないか」
ブリンクは意地悪く言い放つと、暖かい微笑を浮かべた。
何が起ころうとも、家族仲が崩壊することもなく、短期間で冗談を言い合う二人に戻れることが彼らの良いところである。