48. 破られる生命線
――まずい、まずいぞ!
相棒の窮地を悟ったレニは、反射的に肩から背中に手を回していた。掴むのは石で出来た巨大な剣の柄。しっかりと握り、引き抜く。
「ブリンクに何してんだ!」
力いっぱい叫んだ。こちらに敵の注意が向くほどに。
ブリンクを悪者に仕立て上げるという話が聞こえていた。そんな馬鹿げた話、横暴だ。
それだけでも頭が熱くなる思いだったが、敵のハルベルトはブリンクが大事にしていた短銃まで破壊してしまった。
残った長銃は狙撃用で、前衛としてレニがいることが前提のものであったし、そうでなければ本領を発揮することはできない。
長い付き合いの中で、短銃を破壊されたところを見ることなどもちろん一度も無かったが、故にこの状況がいかに危険なものであるか、すぐに判断できたのはレニだからこそだろう。
「うおぉぉ!」
傍のミューネを置いたまま、レニは脇目も振らずに猛進した。
振り上げられた敵の戦斧はそのままだ。あれが振り下ろされる前に、敵の懐へと素早く飛び込めば良い。
およそ人が持つことはできないであろう石の大剣を軽々と肩に乗せて、レニは高く跳んだ。にやけ顔を一切崩そうとしない、ハルベルトめがけて。
「やめろ、レニ!」
ブリンクが叫んだ。
分かってはいる。この剣を振り下ろしてしまえば、相手を押しつぶして殺してしまうであろうこと。いままで何匹とも数え切れないほどの魔物を切り崩してきたが、人間に向けるのはこれが初めてだ。それが人道を外れてしまう行為であることも、分かっている。
だが、ブリンクの命が狙われているとなると話は別だ。大切な人の命を、絶対に失ってはいけない。
「食らえ!」
落下する速度に重みを乗せて、大剣を振り下ろす。これだけの力、誰であろうともまともに受ければひとたまりもない。
内心、敵が避けることくらいは予測していた。いや、期待していたというべきか。ブリンクがハルベルトとの距離を保てさえすれば、ただそれだけでも良いと。
しかし……。
「来たな、小僧!」
敵は避けなかった。
避けられなかったのではない。ハルベルトは武器を横にして盾にすると、レニの獰猛な一撃を真っ向から受けに来たのだ。
飛び散る一瞬の火花。あたりに突風を生むほどの衝撃が広がった。
そして、信じられないことが起きる。
「なっ……う、嘘だろ!?」
レニの動きが、糸が張ったかのように止まった。
全力をもって繰り出したはずの攻撃を、目の前の大男は不敵な笑みを浮かべてしっかりと受け止めていたのだ。
レニは困惑した。
怪力を誇る魔物ですら受け切れない一撃を、真っ向から受け止められる人間などいるはずがない。
ましてやこの大剣は、レニ以外の人間がひとりで持ち上げられるほどの重さでは絶対にない。現にハルベルトの足元の地面は、耐え切れずに悲鳴をあげながら沈んでいるではないか。
「良い力だ。四人分ってところかぁ?」
なおも平然な口調で意味不明なことを口走り、ハルベルトはせせら笑う。
「こ、この……! なんて力だ。本当に人間か!?」
「悪かねぇがよ……、使う本人がなっちゃいねぇ」
それからどう力を入れて押し込んでみても、ハルベルトはピクリとも動かなかった。
まるで片手で制された幼子のように、じたばたと力を加えることしか出来ない。
潰れろ……! 潰れろ……!
必死の願いさえも押さえ込まれ、虚しく消えていく。
「……うわっ……!」
急に大剣にかける重みが軽くなり、レニは体勢を崩してしまう。
その単純で一直線な力を逆に利用され、大剣の軌道を横に流されてしまったのだ。
「戦い方がお粗末だぜ。パパから人の殺し方は教わらなかったのか?」
前のめりになって転倒しそうになったレニを、ハルベルトは当然のように煽り、その襟首を掴んだ。
次の瞬間、視界が天を向く。
背中に強い衝撃。
レニは片手で引っ掴まれ、地面に叩きつけられてしまったのだ。
「がっ……!」
息が詰まり、言葉にならない声が出てしまう。
「武器を振り回すだけが戦いじゃねぇ。てめえの肉体も、ひとつの武器だ」
次の攻撃までに、レニが体勢を整える時間などありはしなかった。
背中に続き、次は腹に刺されるような鋭い痛み。
受けたのは、強烈な蹴りだった。その破壊力やレニの体を吹き飛ばすほど強力で、いましがた走ってきた道のりを軽く戻されてしまう。
バキバキと骨にヒビの入る音が、体内から耳に届く。声など出るはずもなかった。悲鳴ひとつあげられず、レニの身体は瓦礫の山へと突っ込んだ。
「レニ!」不安な表情のミューネが駆け寄る。「大丈夫ですか!」
肋骨を数本やられ、全身に打撲を負い、勝てると思っていた自信さえも粉々に砕かれてしまって大丈夫なはずもなかったが、それでもレニは立ち上がろうと必死で体に鞭打った。
ブリンクが危ない……!
だが、
「ぐ……あぁ!」
立てなかった。
体を走るのは奮起の活力ではなく、猛烈な痛みだったからだ。
痛みは右脚から来る。
おそるおそる目を向けると、自分の太腿があるはずのところに、鈍く光る鉄板の破片が映った。
「く、くそっ……!」
瓦礫に叩きつけられた時に、崩れた建物の一部が運悪く突き刺さってしまったようだ。
脚が切断されなかったのは不幸中の幸いだったが、このままではまともに動くことなどできそうもない。
痛みに耐えながらも、レニは相棒を救いたい一心で鉄板に手を伸ばした。
「駄目! 抜いたらひどく出血してしまう!」
その手をミューネが強く制止する。
「でも、行かなきゃ……ブリンクが!」
もう片方の手で鉄板を掴んだ時、意識が遠のくような痛みが全身をかけめぐった。
これでは抜いている間に気絶してしまう。それに先が変形でもしているのか、一部が肉に引っかかっていて簡単には抜けそうにない。
「きゃぁっ!」
そうこうしているうちに、次はミューネが悲鳴をあげた。
「大人しくしろ!」
アーサーだ。
いつのまにか近づいていて、彼女の腕をがっちりと掴んでいた。
「や、やめろ! 彼女から手を放せ!」
残りのか細い体力で叫んだ。ブリンクのみならず、ミューネにまで魔の手が伸びるとは。
「お前達も、反逆の共謀罪として連行してやる」
「か、勝手なこと言うな! 俺たちは何もしてないだろ! ふたりに手を出したら、タダじゃおかない……!」
だが言葉とは裏腹に、どう足掻いても体は言うことを聞かなかった。重力に縛り付けられているかのように、重たい。地べたを這うのがやっとだ。
ブリンクも、ミューネも、俺が守らなきゃいけないのに……!
一歩分アーサーに這い寄った時、パシンという乾いた音が鳴った。
「放しなさい、この痴れ者!」
ミューネの平手が、アーサーの頰を引っ叩いた瞬間だった。
ひやり、と時が止まる。
初め、何が起きたのか分かるまでに時間の停止したアーサーだったが、すぐに状況を理解すると、顔面を真っ赤にして震えだした。
「……こ、このクソ女!」
力任せにミューネの帽子を剥ぎ取る。
まさか……、とレニは息を飲んだ。
帽子の下はバンダナをしていて、プロト族の特徴である額の宝玉を隠している。決して誰にも見られてはいけないものだ。
三人の最後の生命線。アーサーの手が、そのバンダナに伸びる。
ダメだ、それだけは!
レニは懸命に地を這った。泥だらけになりながら、散らばる瓦礫が身を裂こうとも。とにかく前へ前へと進む。
ミューネの正体にだけは、気づかれてはいけない!
剥がされまいと必死に抵抗するミューネ。
レニも手がやっとで届く位置にまで這い進んだ。
だがしかし、彼女が男の力に抗い続けられるほどの力を持つはずもなく……。
その時は訪れた。
「この、無礼者めが! お前の素顔を晒せ!」
バサッと、バンダナが宙に舞った。立ち上る熱気に押され、ゴラドーンの空にひらりと舞い上がる。
「あぁ……」
さらっと舞い散る雪のような銀髪が露わになると、ミューネは見られまいと顔を手で覆った。
アーサーという男が真実に触れるには、それだけで十分だったようだ。
「お、お前、まさか……」
わなわなと震えだすアーサーを見て、レニは悟った。自らに課せられた任務に失敗したこと。
ミューネの瞳から、正気が抜けたように見えた。彼女には、どうすることも出来なかったのだ。
ハルベルトと対峙しているブリンクも。
芋虫のように必死で地を這った哀れな自分にも。
絶望。終わった。
「さてはプロト人だな、お前!?」アーサーは声が裏返るほどの叫び声をあげた。「ハルベルトさん! こ、こいつプロト人です!」
それが、終わりの始まりだった。




